ニッポン野球は永久に不滅です
ロバート・ホワイティング(著) 松井 みどり(訳)
1985年刊行。
アメリカ人ライターが書いた、日本プロ野球論(なぜかメキシコ野球についてもページが割かれているが)。
この著者がアメリカ人に向けて日本野球を説明した『和をもって日本となす』がめっぽうおもしろかった(昨年のナンバーワン読書だった)ので期待して読んだが、『ニッポン野球は永久に不滅です』のほうはコラムの寄せ集めで、かつ時代性が強いものだったので、今読むとわかりづらい。
今から四十年前に活躍した外国人選手の名前があたりまえのように出てくる。さすがに40年近くたった今読むには無理があったか。
選手について書かれたところよりも、通訳の仕事についての記述のほうがおもしろかった。
とにかくたいへんそう。
通訳という立場でありながら、通訳の何倍もの他の仕事がある。外国人選手の通訳となり、秘書となり、コーチとなり、友人とならなくてはならない。
グラウンドの上だけでなく、ミーティング、休憩中、移動中、宿舎、オフの日にいたるまでずっと外国人選手の身の周りの世話を焼かなくてはならない。人によってはトスバッティングのボールを上げてやったりまでするという。
球団関係者で、いちばんきつい仕事をしているのは選手でも監督でもなく、ひょっとすると通訳かもしれない。
これで給料はふつうのサラリーマンぐらいというのだから、ふつうの神経ではやっていられない。能力、拘束時間、責任、ストレスなどを考えたら年俸数千万ぐらい出してもいい仕事だとおもうなあ。
すべての通訳が口をそろえて「そのまま通訳してはいけない」と語っているのがおもしろい。
監督が放った失礼な言葉、コーチが口にする的外れなアドバイス、外国人選手が叫んだ罵詈雑言。それらを逐一翻訳していたら、たちまち喧嘩になって選手たちは帰国してしまうだろう。だから「まったくべつの言葉に変換する」技術が求められるそうだ。
と、こんなふうに。
ここまで極端じゃなくても、〝日本的〟な発言を求められる場面は随所にある。
たとえばヒーロー・インタビューで記者から「打席に立ったとき、スタンドはすごい声援でしたね。いかがでしたか?」と訊かれた場合、〝日本的〟な答えは「ファンのみなさんが打たせてくれたヒットです!」であって、他の答えはすべて不正解だ。まちがっても「集中していたので声援は耳に入りませんでした」とか「適度なトレーニングと休息のおかげで良いコンディションを保っていたからだよ」なんて答えてはならない。
もちろん「ファンのみなさんが打たせてくれたヒットです!」が嘘であることは、選手も記者もファンもみんな知っている。それでもそう言わなくちゃいけない。それが〝日本的〟なふるまいであるから。
ここで外国人選手の発言をそのまま訳せばファンや他の選手はおもしろくないし、「あんたのその発言はまちがってるよ」と言ったところで外国人選手は納得しないだろう(じっさい間違ってないのだから)。
そこで、通訳がまず「英語→日本語」の翻訳をおこない、その後に「訳した日本語→〝日本的〟な日本語」に翻訳をするわけだ。めちゃくちゃすごいことやってるなあ。
コーチ口出しすぎ問題。
これは野球界、外国人に限った話ではないよね。
たとえばプログラムのプの字も知らないのに、プログラマーに対して「こうすればもっと効率化できる」なんて言う上司、きっとあなたの会社にもいるでしょう?
「部下のやりかたに口を出すのが仕事」とおもってる上司が多いからね。今もなお。
この本には「メジャーリーグで名内野手としてならした外国人選手に対して、ゴロのさばきかたをアドバイスしようとする外野手出身のコーチ」が紹介されているが、これに近い例はいくらでもある。
プロ野球の世界なんて、何十年も前に引退したおじいちゃんがいまだにテレビでえらそうに「ああしろ、こうしろ」って言ってるからね。あいつらなんか仮に肉体が若返ってもぜったいに今のプロ野球では通用しないのに。
だいたいプロ野球のコーチなんてほとんどが選手出身で、コーチとしての専門教育を受けてきたわけではない。そして野球のレベルは年々高くなっているのだから、ほとんどの場合は選手のほうがコーチよりもよくわかっている。そうでなくても自分の身体のことはコーチよりも選手のほうがわかるだろうし。
それでも何か言いたくなる、言わずにはおれないコーチが多い。
あれは、わからないからこそ言いたくなるんだろうね。自分がわからないから、疎外感を解消するため、あるいは権威を見せつけるために(じっさいは逆にばかにされるだけなんだけど)あれこれと口出しをする。
そういやぼくが前いた会社でも、営業職出身の上司が、営業社員よりもプログラマや事務職の人間に対して、やれ効率化がどうだとか、仕事のやりかたがどうだとか、愚にもつかないことを言っていた。
具体的なアドバイスはなにひとつできないから、やれ気合が感じられないだの、士気を上げろだのといったとんちんかんな根性論しか語れない。
わからないからとんちんかんなことを言う → ばかにされる → ばかにされていることだけは感じ取って挽回しようとする → ますます権威をふりかざして口を出す → ますますばかにされる という流れだ。
上司がやるべき仕事は「部下のやりかたに口を出す」ではなく「部下のやりかたに口を出さない」のほうが大事なんだろうね。そっちのほうがずっとむずかしい。
ぼくも気を付けよう。
プロ野球の話というより、日米比較文化論として読んだ方がおもしろいかもしれない。
日本プロ野球界の話なのに、日本全体にあてはまることが多いからね。
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