2020年3月3日火曜日

えらいやつほどえらそう

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池谷 裕二『自分では気づかない、ココロの盲点』に、こんな話が載っていた。

横断歩道で手を上げている歩行者が渡り終わるのを待たずに通過してしまう割合は、普通車よりも高級車のほうが高かった。交差点で割り込む率も普通車より高級車のほうが高い。
一般的に社会的地位の高い人ほどモラルに欠ける行動をとる傾向がある。

ほう。
たしかに言われてみればそんな気もする。社会的地位が高くなり、高い車を持つと偉くなった気になり、横柄にふるまってもよいとおもうのだろう。

年寄りのほうが若者よりマナーが悪いという話をよく聞く。ぼくの体感的にもそうおもうし、なによりぼく自身が昔よりがさつになった気がする。特にこどもを連れているときなんかは「こっちは子ども連れてんだぞ。スーツ着てんだぞ。まっとうな家庭人組織人として社会的信用度が高いんだぞ」という気持ちがまったくないといえば嘘になる。

おおっぴらには言わないけれど、ぼくは自分が人より賢いとおもっているし人より思慮深くて道徳的だとおもっている。
そんな自分の判断がまちがっているわけではないはずだという気持ちがないだろうか。うん、あるな。

こないだベビーカーを押して駅のエレベーターに乗ろうとしたら、あと二人分ぐらいしかスペースがなかった。前にいたおばちゃん(元気そう、大きい荷物も持ってない)がエレベーターに乗りこもうとしたので「おいこらおまえはエスカレーター使えや。ベビーカー優先やろがい」という気持ちが芽生えて、操縦を誤ったふりしてベビーカーでおばちゃんの足を軽く轢いてしまった。「あっ、すみません」と言ったものの内心は「ざまあみさらせ」という気持ちだった。
よくない。ぼくが悪い。おばちゃんも悪いがぼくも悪い。いや、そういう気持ちがよくない。おばちゃんは悪くない。ぼくだけが悪い。


「車のハンドルを握ると性格が変わる」とよくいうが、ぼくの場合、ベビーカーを持つと性格が荒っぽくなってしまう。おらおら、こっちは子連れ様だぞと気持ちが荒ぶる。
ぼくの中では「高級車に乗っている」というのはまったくステータスにならないが(だって車嫌いだもん)、「子どもを連れている」は高いステータスの象徴なのだ。

こないだベビーカーを押して百貨店に行き、エレベーターを待っていた。隣では車椅子に乗った高齢男性も待っている。
やがて「車椅子・ベビーカー優先エレベーター」が到着した。中は若い女性で満員。ベビーカーも車椅子も乗れる余地がない。だが乗っている女性たちは誰ひとり降りる気配がない。
ぼくは言った。「車椅子の人いるんで降りてもらえますか」と。
言われてようやく彼女たちはぞろぞろと降りた。ベビーカーを押したぼくは「ったく。言われる前に降りろよ。車椅子・ベビーカー優先エレベーターなんだから」とおもっていた。

だが少ししてから反省した。言い方がよくなかった。
「降りてください」と言ったこと自体は正しかったとおもっている。「車椅子・ベビーカー優先エレベーター」だったのだから。

だが「車椅子の人いるんで降りてもらえますか」と他人をダシにしたのはよくなかった。ちゃんと「ベビーカー優先エレベーターなので」と言うべきだった。

実るほど頭が下がる稲穂かな。偉そうにならないように気をつけないとね。
ぼくは世界一地位の高い人間だからね(自分の中では)。

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