2021年10月4日月曜日

キングオブコント2021の感想

 キングオブコント2021の感想。


審査員

 準決勝敗退組芸人による審査制度が終わってから、はじめて納得できる審査員だった。

 2015~2020年はひどかったもんな。審査員がひどいんじゃなくて審査員構成がひどかった。
 そりゃ個々の審査員がどう審査するのは自由なんだけど、だからこそバランスよくいろんな角度からの意見が聞きたい。それなのに、たった3組の芸人なんだもの。
 おまけに照れてるのか言語化できないのかしらないけど変にふざけてコメントするし。まじめなコメント+ボケではなく、単なる悪ふざけみたいなコメントもあった。
 しかも「他の審査員と点数が近いことにあからさまに安堵する審査員」がいたし。いやいや、みんな同じ傾向だったら頭数ならべてる意味がないだろ。他人と違うことを誇れよ。

 今回は審査員によって点数にばらつきがあってよかった。
 やっぱり東京03飯塚さんは構成を重んじるんだねとか、ロバート秋山さんはキャラの濃いコントが好きなんだなとか、やっぱりかまいたち山内さんやバイきんぐ小峠さんはサイコパス感漂うネタを評価するんだなとか、それぞれが書くネタの傾向が審査にも反映されててよかった。5人とも「ウケ量」以外の部分をちゃんと評価できる審査員だった。

 やっぱり審査員は最低限の条件としてネタ書く人にしてほしいよね。


出番順

 詳しくは知らないけど、抽選で出番順を決めたんだよね……。なんか出来すぎだったけど。
 前半に初出場組が続き、中盤はリベンジ組。終盤に前回惜しかったニューヨークや空気階段がきて、ラストがRー1、Mー1との3冠のかかるマヂカルラブリー。ウソみたいによくできた出番順だった。誰かの意思の介入を感じてしまう並びだな。


観客について

 客がひどかったな。ジャブ程度のボケで手を叩いて笑ってた。どう考えても笑いすぎ。全員マリファナきめてんのか。
 感染対策で人数を入れられない分、大げさに笑うように指示でもされてたんだろうか。コントの大会なのに笑い声がじゃまだった。

 笑わない客よりは笑う客のほうがいいに決まってるけど、それにしたってなあ。フリになるところで手を叩いて笑うなよ。見た目のおかしさだけで大爆笑するなよ。



ネタ感想(1本目)


1.蛙亭

 自我を持ってしまったホムンクルス(人造人間)と研究者。

 出番順に泣かされたなあ。後半出番だったら4位くらいにはなっていたんじゃないだろうか。最初のインパクトが強烈だったけど、途中で失速することなくその勢いのまま最後まで走り抜けた。
 ストーリー展開自体は平凡なSFだったけど、キャラクターや関係性を表現するコントだったから変に凝ったストーリーにしなくて正解だったかも。

 露骨にキモがるんじゃなくて、「キモがっていることを見せないようにしているけどついつい出してしまう」表現がいい。

 ホムンクルスの「ピュアであるがゆえの怖さ」は、中野さんの「ただのお人好しっぽい見た目なのにじつは何でも軽くできちゃう人」というキャラクターとよくあっていた。

 

2.ジェラードン

 痛々しいカップルと転校生。

 今大会の個人的最下位。キャラクター押しのコントは好きじゃない。

 もう「キモい見た目のやつがキモいふるまいをして、それをキモいと指摘する」で笑える時代じゃないとおもうんだよね。この〝多様性の時代〟に。
 たとえば蛙亭のコントでは「見た目はキモいけどすごく心はまっすぐで、だからこそかえって周囲に気を遣わせる」という設定だし、この後に出てくるザ・マミィなんかはもっと先に進んでて「誰に対しても分け隔てなく接しましょう、ということの欺瞞」をコントの中で鋭く指摘している。

 そういうコントと並べるには、ジェラードンのこのコントはあまりに古い。
 彼らの「化け物みたいな見た目のやつが実は敏腕FBI捜査官」などのネタを見たことがあるからこそ余計に、「キモいやつをキモく演じる」で終わってしまったこのネタは残念。


3.男性ブランコ

 ボトルに入れた手紙で知り合った男女が初めての対面。

 この導入のコントだと「美しい女性を想像してたらとんでもない女が来た」となることは誰しもが予想できるとおもうが、その予想をほんのわずかに裏切ってくるのが見事。そっち方面で裏切ってくるかーという感じ。すごくセンスを感じた。

 引き合いに出してしまって申し訳ないが、ジェラードンのコントに出てきたような「誰が見てもヤバいと感じる、わっかりやすい変な人」ではなく「たしかにこういう人は実在するけどこのシチュエーションには似つかわしくない人」という程度の裏切りなのが、リアリティと意外性を両立させている。この設定はすごい。

 さらに、他者の見た目を一方的に審判しないところや、変な女性に対して男性が寛容であることで、すごく上品なコントに仕上がっている。

 冒頭に大きな裏切りがあるのでへたしたら出オチになりかねない設定なのに、その後もワードセンスや会話の展開でおもしろさを持続させているのもすばらしい。

 ただ個人的には終盤の「……こんな人だったらいいのにな」という展開は好きじゃなかった。夢オチみたいで。


4.うるとらブギーズ

 迷子センターの従業員と、息子が迷子になってしまった父親。

 ここまで3組強烈なキャラクターが全面に出てくるコントが続いたので、やっとふつうの人がストーリーで魅せてくれるコントが出てきてほっとした。職人による正統派のコント。コントというよりはコメディといったほうがいいかもしれない。

 前半、父親が迷子の奇抜な特徴を伝えるシーンは「おもしろくないな」とおもいながら観ていたのだが、これはフリだったんだね。後半ではボケとツッコミが逆転して、前半を見事に回収してくれた。

 ただ、それだったら前半は「誰にでもわかるわかりやすい異常性」ではなく「実際にいるかいないかぐらいの絶妙なダサさ」ぐらいにしてほしかったな。ニューヨークがそういうの上手なんだけどね。

 感心したのは、笑いをこらえる演技のうまさ。素人が「笑いをこらえてください」と言われたら漫画みたいににやにやして「プッ、ククク……」ってやっちゃいそうだけど、ウルトラブギーズは顔をこわばらせたり顔の体操をしたりで「笑いをこらえる」演技をしていた。うまい。


5.ニッポンの社長

 バッティングセンターにいる高校生に勝手に指導するおじさん。

 個人的にはすごく好きなネタなんだけど、こういう展開で優勝するのはむずかしいよなあ。笑いどころが2種類しかないもんな。深夜のコント番組でやるようなコントだ(『関西コント保安協会』にぴったりのネタだ)。
 でも、だからこそ「ボールが当たるのを気にしない」というひとつのボケで延々引っぱる勇気に感心した。
 過剰に痛がるわけでもなく、凝った言い回しのツッコミをするわけでもない。なのにずっもおもしろい。

 この次のそいつどいつが「怖がらせる」ネタをやっていたが、ほんとに怖いのはニッポンの社長の世界のほうだ。
 ラストで明らかになる「ただの厄介なおじさんではない」という事実によってよりいっそう気味悪さが浮きだつ。

 しかし、審査員にも指摘されてたけど、ほんとに「ボールが当たる演技」がうまいなあ。ボールが見えるようだった。大げさに痛がらず、けれど我慢しているだけで痛くないわけでもないのが感じられるという、絶妙に〝抑えた〟演技だった。


6.そいつどいつ

 同棲中の彼女が顔パックをしている。

 恐怖を感じるコントは嫌いじゃないのだが、これは「怖がらせようとしているのを感じるコント」で、怖さは感じなかった。

 わかりやすすぎる。怖さって、そういうもんじゃない。不気味なマスクつけて不気味な動きしてたら怖いわけじゃない。
 怖いというのは結局「わからない」なのだ。なのにそいつどいつのコントでの女性の動きは全部「怖がらせようとしてる動き」だった。わかりやすい。だから怖くない。ストーリーも予想できるものだったし。

 めいっぱい怖がらせれば緊張を緩和したときに笑いが起こるものだが、怖さが半端なので笑いも半端になってしまった。
「この人は何のためにこんな行動をとっているのだろう?」とおもわせてほしかったな。


7.ニューヨーク

 ウェディングプランナーと新郎。

 ただただバカバカしいだけのコント。わっかりやすいダメなやつがダメダメなふるまいをする。

 ウェディングプランナーの描き方が単純だったんだよな。
 ダメなやつをコントで描くのはいいけど、ダメなやつにはダメなやつなりの論理があるはずなんだよ。「私はこう考えたのでこうしました」「失敗したことを怒られるのがイヤだからごまかすためにこんな行動をとりました」っていう論理が。
 このコントにはそれがなかった。失敗するためだけに失敗をしている。だからキャラクターがすごく平板だ。コントのためだけのキャラクターで、生きた人間じゃない。

 あと、ウェディングプランナーと新郎が初対面であるかのような設定が気になった。
 結婚式なんだからこれまでに何度も打ち合わせしてたわけでしょ。この人が担当だったんなら、その時点で「変えてくれ」ってならなきゃ嘘でしょ。
 この人と初対面という設定にするなら「これまでお客様を担当しておりました〇〇が急遽休職することになりまして。ですが打ち合わせ内容はすべて引き継いでおりますのでご安心ください」みたいなセリフが最初に必要になるんだよね。
 かまいたちが優勝を決めたネタ(ウェットスーツが脱げないネタ)では、冒頭にそういうセリフを置いていた。笑いにはつながらないけど、設定の違和感をつぶすネタはぜったいに必要なんだよね。

 でも「賞味? 消費? どっち?」は笑ったよ。終始「コントのためだけのキャラクター」だったけど、あそこでちょっとだけキャラクターにリアリティが感じられた。

 コントの作りとしては雑だったけど(特に後半のセットが倒れたり外国人の画像を出したりするとこ)、じっさいぼくも笑ったし、ぜんぜん悪いコントではないんだよね。去年は似た系統の「むずかしいことを考えずにただ笑えるばかばかしいコント」で2位になったわけだし。
 これが最下位になったことが、今大会がいかにハイレベルだったかを物語っている。


8.ザ・マミィ

 街中で終始怒っているおじさんに一切の偏見も持たない青年。

 今大会の個人的ベストコント。

 コントって芝居である以上、「ただ笑えるだけ」では物足りない。たとえばサンドウィッチマンのコントはたしかにおもしろいけど、でもおもしろいだけなんだよね。だからあれはおもしろいけれど優れたコントとはおもわない。

 笑いをとるだけならコントより漫才のほうが効率がいい。セットがない分、表現できる幅が無限に広がる。時間も空間も軽々と飛び越えられる。
 だけど、怒らせたり悲しませたり困らせたり喜ばせたり、感情を揺さぶるのにはコントのほうが向いている。だから「笑わせるだけでなく感情を揺さぶってくれるコント」をぼくは期待する。

 ザ・マミィのコントは、ただ笑わせるだけじゃなかった。はぐれ者の悲哀や他者に対する愛おしさを感じさせてくれるものだった。ニューヨークのコントの後だからこそ「生きた人間」を描いているところが光った。だってこのふたりの「これまで」や「今後」も想像させてくれたんだもの。ちゃんと「それまで別々の人生を歩んできたふたりの人間がたまたま出会った一瞬」を切り取ったコントだった。

 ちなみに空気階段にも「ちょっと頭おかしいように見えるおじさんの意外な一面」を描いたコントがあるが(電車内でおじさんが他人に注意するコント)、あちらはツッコミ役が終始傍観者にとどまっていたのに対し、こちらは両者がきちんとからんでいるのでぼくはザ・マミィのほうが好み。

 ところで終盤のミュージカルは力ずくで笑いをとりにいったようで、あまりおしゃれでなかった。
 でもそうは言いながらミュージカル部分では笑わされたけどね。力技で笑わせようとしてくるのがわかっているにもかかわらず。
 特に、あんまり歌がうまくないのがよかった。リアルなおっさんのミュージカルって感じで。


9.空気階段

 SMプレイ中に火事に遭ったふたりのおじさん。

 うーん、ぼくはあんまり笑えなかったな。新しさを感じなかったので。

 笑いとしては最初がピークで、あとは見た目のおもしろさぐらい。「ダメな人かとおもったらだんだんかっこよく見えてくる」という単純な構成で、深みが感じられなかった。

 さらば青春の光の『ヒーロー』というコントがある。噂では、キングオブコント2018で最終決戦に進んでいたら披露する予定だったというコントだ。こちらも同じく火事場を舞台にしている。
 詳しいネタバレは避けるが、空気階段とは逆に「火事現場で逃げ遅れた人を助けるヒーローかとおもわれた男がとんでもないクズだったと判明する」というストーリーだ。
 ぼくは、さらば青春の光版『ヒーロー』のほうが好きだ。保身と打算にあふれた人間くささが根底にあるからだ。空気階段のヒーローは、性癖を除けばフィクションの中にしか存在しない完全無欠のヒーローで、共感できる要素がなかった。

 作りこまれた、感情を揺さぶってくれるネタを数多く作っているコンビなので余計に期待外れだった。


10.マヂカルラブリー

 深夜の心霊スポットでコックリさんをする学生ふたり。

 マヂカルラブリーのラジオを毎回聴いているぐらい好きなんだけど、いや好きだからこそ、「えっ、こんなもん?」という印象だった。

 前回決勝進出のときもおもったけど、マヂカルラブリーって漫才は「既存の概念をぶち壊してやる!」みたいな破戒的なパワーを感じるのに、コントはすごく丁寧に作りこまれてるんだよね。抑えるべきところは抑えて、説明すべき点は説明して。それはいいことなんだけど、でもマヂカルラブリーにはもっとむちゃくちゃな展開を期待してしまう。
 漫才だと、時間も空間も軽く飛びこえて自由自在に演じられるのに、コントだとセットがある分、表現が窮屈になってしまう。

 ふたりとも漫画やアニメが好きだからだろう、表現が漫画やアニメの枠を超えてこない。漫画のネタを実写化したみたいなコントなので、これだったら漫画で読んだほうがおもしろいやという気になる。そう、ギャグ漫画みたいなコントだった。

 でも「指先に操られる人間」というむずかしい演技をやってのける身体表現能力の高さには舌を巻いた。特に指先に立たされるとことか。あの身体の使い方はすごかったなあ。

 点数が伸びなかった原因のひとつに、死体が操られることに対する生理的な嫌悪感もあったのかもしれない。野田くん死んじゃうし。死んだまま終わっちゃうし。やっぱり人の死を笑いに変えるのはむずかしいよ。


 最終決戦進出は、1位空気階段、2位ザ・マミィ、3位男性ブランコ。

 ぼくが選ぶなら空気階段の代わりにニッポンの社長を入れるな。


ネタ感想(最終決戦)


男性ブランコ

 レジ袋をケチった男の末路。

 レジ袋有料化という根拠の明確でないおもいつきのような政策にふりまわされる国民の姿をシニカルに描いた(ウソ)時代に即したコント。
 レジ袋有料化される2020年より前には存在しえなかったネタだし、来年だったら「いいかげんレジ袋ないことに慣れろよ」とおもってしまうので、今がこのネタをできるギリギリのタイミングだったね。

 一本目のネタの感想でも書いたけど、すごく上品なコントを作るコンビだ。最小限のセット、最小限の動きに、最小限の感情の揺れの表現。それでいて大きな効果を上げるのだからすごい。

 レジ袋をケチった男は明らかにダメなやつなんだけど、ニューヨークのコントで描かれたダメ男とちがって、彼にはダメなやつなりの論理がちゃんとあるんだよね。レジ袋を買わなかったのは袋代が惜しかったからだし、だからレジ袋をもらったらお金を払わなきゃいけない、他人の手を煩わせたらお礼を言わなきゃいけない。彼には確固たる信念がある。

「あなたはあのときケチったレジ袋ですか」なんて、その人間に深く入りこまないと出てこないセリフだよ。〝笑わせるためだけに生みだされたキャラ〟には言えない。

 強引に笑いを取りにいくコントではなかったので点数は伸びなかったが、そこがまたかっこいい。今大会もっとも評価を上げたコンビじゃないかな。


ザ・マミィ

 ドラマっぽいセリフを言いあう社長と社員。

 キングオブコントのオールドファンなら誰しもが、しずるが2010年のキングオブコントで披露したコント『シナリオ』を思い浮かべたのではないだろうか。審査員の秋山さんが「観たことがあるような」と暗に示していたのもおそらくこのコントだろう。


 とはいえパクリだという気はさらさらない。もっといえば25年ぐらい前にビリジアン(小藪一豊さんが組んでいたコンビ)が「演技でしたー!」というコントをやっているのを観た記憶があるし、小学生だって「演技でしたー!」をやる。
 ドッキリ番組が数十年定番コンテンツであることからわかるように「人が芝居に騙されて真に受ける」というのは人間が根源的に好きな笑いなのだろう。

「演技でしたー!」はかんたんに裏切りを起こせるのでコントにしやすいのだろうが、裏を返せば裏切りのパターンが予想されやすいということでもある。「演技でしたー!」が二度続けば誰もが次も同じパターンがくることを予想するし、そうなるともう「演技でしたー!」か「演技と見せかけて実はほんとでしたー!」の2種類しか道はない。どっちを選んでも想定内だ。

 韓国ドラマ、音楽再生、ボイスレコーダーなど随所に工夫はあったものの全体的な展開は観客の想像を大きく超えるものではなく、この設定を選んだ時点で負けは決まっていたのかもしれない。


空気階段

 オリジナル漫画を題材にしたコンセプトカフェのマスターと客。

「変な店員と客」という設定はありがちだが、実はコントにするにはむずかしい。
 漫才コントであれば「店員をやりたい相方に練習をつきあってあげる」または「客の練習をしたいので相方に店員役をしてもらう」という導入があるので、どれだけ変な店員が現れてもかまわない。
 だがコントは芝居なので、入った店に変な店員がいた場合、客には「店を出る」という選択肢があるし、場合によっては店を出ないと不自然だ。
 だから「変な店員と客」は、コントの舞台としては設定の強度がもろい。

 空気階段のこのコントは「雨が降ってきたのでカフェで雨宿り」という笑いにはつながらない導入を入れることでそうかんたんに店を出られないシチュエーションを作りだし、「変だけどさほど不愉快ではない」程度の仕掛けを並べることで「怒って席を立つ」状況を回避している。すごく丁寧な作りだ。

「小学校のときにノートに描いていたオリジナル漫画」というのはわりとよく見る題材だけど、接客セリフ、メニュー表、登場人物などディティールまできちんと作りこまれている。 もぐらさんのキャラクターを活かしたばかばかしい設定でありながら、ちゃんとマスターのこれまでの人生を感じさせてくれる。

 だからこそ気になったのが、コーヒー豆にはこだわっているという設定。あれ自体はすごくおもしろいのだが、だったら注文してからあんなに瞬時に出してきちゃだめだろ。時間をかけて煎れてくれなきゃ。
 全体的に丁寧だったからこそ、あそこの雑さが気になった。

 ところでロバート秋山さんが設定の着眼点を褒めていたが、たしかに「異常なコンセプトカフェ」ってものすごくロバートのコントにありそうな設定だよな。
 コンセプトカフェに行ったら変な店員にからまれる……というロバートのコントが容易に頭に浮かんだ。この設定を先に使われた秋山さん、悔しかっただろうなあ。


総括

 いやあ、いい大会でしたよ。
 こうして感想を書いていても楽しい。
 笑えなかったのはジェラードンだけだったし、ジェラードンにしてもぼくの好みじゃないネタだっただけで腕があることは十分伝わったし。

 空気階段は、今回のネタはぼくの好みとはちょっとちがったけど、昨年の定時制高校のコントはまちがいなく大会トップのネタだったとおもうので今年やっと優勝できたことは喜ばしい。
 見た目のコミカルさ、導入のわかりやすさ、細部へのこだわりなどを随所に見せつけてくれるコンビなのでいつかは優勝できていただろう。

 M-1グランプリ以前と以後で飛躍的に漫才の技術が進化した(第1回大会の決勝ネタなんか今だったら全組2回戦か3回戦で敗退だろう)ように、コントのクオリティも全体的に大きく向上したなあと感じさせてくれる大会だった。

 とにかくたくさん笑わせれば何でもいいという時代は終わり、人間模様を感じさせる完成度の高い芝居でないと評価されない時代になった。
「きちんと人間の内面を描けているか」「そのメッセージを作品に昇華させるにあたり題材選びは適切か」といった、まるで純文学賞の選評みたいなハードルを越すことが求められる大会になってきた。

 もちろんコンテストなので優勝を決める必要はあるのだが、ことキングオブコントに関してはあんまり優勝だけにこだわる必要はないとおもうんだよね。上位に関してはほとんど出番順とその日の雰囲気だけで決まるような感じだし。

 だから優勝賞金1000万! よりも、総額1000万円にして、1位○万円、2位○万円、3位○万円、審査員特別賞○万円、みたいな感じのほうがいいのかもしれない。演劇のコンクールみたいに。


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2021年10月1日金曜日

数字あつめの旅

 娘がどこかに行きたいという。時節柄、人の多い場所には行きたくない。

 そこで「散歩でもしようか」と言って外に出る。

 娘は「どこに行くの?」としきりに訊いてくる。子どもには「目的もなくただ歩く散歩」ができないのだ。ぼくもそうだった(だから飼い犬の散歩も嫌いだった)。

 目的を与えるため、「数字さがしゲーム」を提唱した。
 街中にある0~99の数字をさがす(3桁以上の数字から一部をとるのはダメ)。街をぶらりと一周するまでの間になるべく多くの種類を見つけよう。


 数字をさがしながら娘と歩く。

 少ない数字はかんたん。0円、一番、24時間、10時~22時。
 住んでいるのが都心部なのでお店も多い。メニューや営業時間を見ると数字がたくさん並んでいる。
 1桁の数字はすぐにコンプリートした。

 24以下もそうむずかしくなかった。営業時間でよく使われている(ただし16時などは開店時刻にも閉店時刻にもなりにくいので意外と少なかった)。バス停を発見。時刻表は数字の宝庫だ。数字が一気にそろう。ただし当然ながら59までしかない。

 車のナンバープレートは禁止とした。労せずして見つかってしまいつまらないからだ。
 ナンバープレートのように意味のない数字はつまらない。

 番地を探すが意外と少ない。都心部はマンションが多く、住所表記が多くないのだ。住所で使われている数字は小さいものが多い。田舎だと「○○町 1-1419」なんて住所があったりするが、街中は住所が細かく分割されているのでかえって数字が大きくならないのだ。

 メニューには料金も書かれているが2桁の料金などまずない。せいぜいトッピング50円ぐらい。

 30分ぐらい歩いて25ぐらいまでの数字はコンプリートしたが、大きい数はむずかしい。
 なにかの拍子に73なんて半端な数を見つけるとおもわず「やった!」と声が出てしまう。

 不動産屋の店先に貼っている物件を眺める。これも数字が多い。家賃○○万円、駅から○○分、築昭和○○年……。
 これはいいぞとおもって見ていたら、店内から従業員が出てきて「なにかお探しですか」と訊かれた。
「あ、いえ、大丈夫です」とあわてて退散した。ちぇっ、せっかく数字がいっぱいあったのに。

 そんなこんなで一時間ぐらいかけて、1~99までの数字のうち6割ぐらいは見つけることができた。やっぱり大きい数字はむずかしいね。


 こういう散歩は昔からよくやってきた。
 小学生のとき、母と姉と「なるべく多くの公園を見つける」という散歩をやったことがある。
 やはり小学生のとき、友人と「できるだけ多くのクラスメイトの家の前まで行く(前まで行くだけ)」ツアーをやった。
 高校生のときは「できるだけ多くのクラスメイトの家の前まで行く(さらにインターホンを押して出てきた人にお菓子を配る)」ツアーをやった。

 ただ歩くのはつまらなくても、目的があるととたんにゲーム性が増して楽しくなる。たとえそれが「数字を見つける」といった何の役にも立たない目的であっても。


2021年9月29日水曜日

栄光時代

 「オヤジの栄光時代はいつだよ…全日本の時か? 俺は……俺は今なんだよ!!」
(『SLAM DUNK』より)


 ぼくの栄光時代がいつかと訊かれたら、高校時代と答える。
 とにかく毎日が楽しかった。気の合う友人に囲まれ、毎日遅くまで遊び、勉強は学年で一番で、女子ともそれなりに仲良くし、明るい未来が広がっていた。童貞だったけど。

 そこからいろいろあって今に至る。
 今が不幸だとはおもわないけれど、高校時代以上に楽しい日々はもう来ないだろうなとおもう(高校時代から「きっと今がいちばん楽しいだろう」とおもっていた)。


 だがぼく個人の栄光時代は終わったが、それ以上の楽しみがなくなったわけではない。

 なぜなら、我が子の栄光時代はまだまだこれからだから。
 朝から晩までめいっぱい遊んだり、全エネルギーを使いはたすまで走りまわったり、くだらないことでばかみたいに笑ったり、はじめての場所でテンションが上がったり、おいしいものを食べて驚いたり、寝るのも忘れてひとつのことに打ちこんだり、本気で喧嘩をしたり、仲直りをしたり、そういった「ぼくがこの先ほとんど経験しないこと」を、彼女たちはこれから経験していくだろうから。

 ぼくはもう経験できないだろうけど、娘たちが経験するのを近くで見ることはできるだろうし、手助けしてやることもできる。
 もう現役選手として第一線で活躍することはないだろうけど、コーチや監督としてはまだまだ戦える。

 若いころは己の人生の主役はずっと自分だとおもっていたけど、プレイヤーを降りてからもまだまだ楽しいことはあるんだな。


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2021年9月28日火曜日

ツイートまとめ 2021年5月



ベクトル≠方向



睡魔

順番抜かし

有料化

一族

ポジション

なろう漫画

時速は91kmだい

万葉集

2021年9月27日月曜日

【読書感想文】プレイワーク研究会『子どもの放課後にかかわる人のQ&A50』

子どもの放課後にかかわる人のQ&A50

遊ぶ・暮らす 子どもの力になるプレイワーク実践

プレイワーク研究会/編

内容(e-honより)
放課後児童クラブ(学童保育)、児童館、冒険遊び場等のスタッフや、教員・保育士等、子どもにかかわるすべての人へリアルな困った!にこたえる待望のQ&A集。悩みや課題をどうとらえ、どう対応するかのヒントや知恵が満載。

 まず書いておくと、ぼくは〝子どもの放課後にかかわる人〟ではない。
 会社員で、平日は18時まで仕事をしている。まったくかかわりがない。

 じゃあなぜこの本を買ったのかというと、土日は大いに子どもとかかわっているからだ。

 ぼくは子どもと遊ぶのが好きだ。ほんとは、ずっと前から子どもと遊びたかった。でも親でもない大人が子どもと遊ぶのはむずかしい。世の中には「子どもと遊ぶサークル」みたいなものもあるが、そういうのには入りたくない。なぜなら他の大人ともかかわらなきゃいけないから。大人とはべつにかかわりたくない。あと「子どもと遊ぶサークル」にいるのはたいてい明るく元気ですぐ他人にあだ名をつけて呼ぶ人種なので(勝手なイメージ)とりわけかかわりたくない。

 だが自分に子どもが生まれて、大手を振って子どもと遊べるようになった。土日はたいてい朝から晩まで公園で遊んでいる。娘の友だち、そのきょうだい、その友だち、よく会う子。子ども交友関係はどんどん広がってゆく。
 子ども十人ぐらいと大人はぼくひとりでおにごっこやドッジボールをしている、ということもよくある。

 ぼくの場合、子どもと遊ぶのが好きなのもあるが、「大人と話すのが苦手」というのもある。だから保護者の集まりなんかに行くと輪に入れなくて肩身が狭い。そのとき、子どもと遊んでいると場が持つ。ぼくも楽しい。他の保護者から「面倒見てもらってありがとうございます」と言ってもらえる。いいことづくめだ。

 あとぼくが子どもと遊ぶのは「人目があまり気にならない」ということもある。
 たぶん人より「恥ずかしい」という気持ちが薄いのだ。だからいいおっさんが子どもと本気でおにごっこをしていても、子どもを笑わすためにヘンテコダンスを踊っても、ちっとも恥ずかしくない。他の大人は「変な人」とおもっているだろうが、ぼくにとってはどうってことない。だって「変な人」とおもわれて実害ないもん。警戒されて距離をとられるなら、むしろ喜ばしい。だってなるべくなら他の大人とかかわりたくないもん。


 というわけでぼくは多くの子どもとかかわっている。子どもたちを笑わせたり、教えたり、注意したり、逃げ回ったり、おしりをたたかれたり、ときには子どもから怒られたりもする。子どもの扱いに手を焼くこともある。

 嘘ばかり付く子(そしてその嘘を自分で信じこんでしまう子)、ふたりっきりで遊ぼうとする子、ルールを守らない子。

 そんなときの参考になれば、ということでこの本を手に取った。前置きが長くなった。




 結論からいうと、ほとんど参考にならなかった。

 だって書いてあることが小学校の学級目標ぐらい抽象的なんだもん。

「その子の気持ちを理解しましょう」

「子どもの気持ちに寄り添いましょう」

「その子のために何ができるか考えましょう」

とか。何も言ってないに等しい。
(執筆陣の名誉のために書いておくと、複数いる執筆者のうち特にひとりがひどかっただけだ)

 いやわかるけど。ケースバイケースだからあらゆる状況に通用するアドバイスがないことぐらい。
 でも、だったらこの本いらんやん。

 せめて「私が経験したケースでは○○したら□□という結果になりました」ぐらいのことは書いてほしい。

「子どもの気持ちに寄り添いましょう」ってあなた。それで「なるほど、参考になった!」と納得する人がいるとおもってるんですか。




 子どもと遊んでいると、どこまで「危険」を許容するか悩むことがよくある。

 危険は、「リスク」と「ハザード」という考え方で整理することができます。「リスク」は、自分から挑戦する危険のこと。これは、子どもの成長には欠かせないといわれる危険です。一方の「ハザード」は、目に見えない危険で、それ自体が目的にはなっていない危険です。強風で鉄扉が閉まったり、腐食した柱が折れたり、突起物が突き出ていたりするなど、子どもにとっては想定外の危険なため、突発的な事故が起きる可能性があります。私たちの役割では、いかに重大な「ハザード」を取り除きつつ、育ちにつながる「リスク」を残せるようにするかが大切になります。
 また、「子どもがやることは、一通りスタッフもやってみる」を実践してはどうでしょうか。そうすることで、子どもの動きが想定できるだけでなく、そこからの風景なども見えてきます。

 この考えは参考になった。

 なるほどね。「高いところから飛びおりた着地に失敗するかも」「木登りしたら落ちるかも」なんてのは、小学生にもなれば一応想定しているだろう(可能性をだいぶ低く見積もってはいるだろうが)。

 そんなふうに本人が(一応)予期している「リスク」については、許容してもいい。
 ただし子ども自身が気づいていない「ハザード」については事前に制止しなければならない。台風が来ているときに川に近づくとかね。子どもの人生経験からは想定できない危険だからね。

 ちなみにぼくは「全治一週間ぐらいのケガで済むようならだまって見とく」というスタンスをとっている。すりむくとか、ばんそうこうで抑えられる血が程度の怪我なら、身をもって体験するのも悪くないという考えだ。
 でも骨折とか死ぬとかになるようなことなら、「体験」に対して代償がでかすぎるので止めている。

 しかしうちの子は女の子だからかすごく慎重で、すり傷をつくるようなチャレンジすらほとんどしないんだよね。えらいなあ。ぼくが子どもの頃はもっとバカだったのに。




 この本を読んでおもったけど、「子どもに手を焼かされる」なんてぜんぜん大した問題じゃないんだよね。ぼくのように趣味でかかわっている人間からすると特に。

 子どもをおだてたり叱ったりするのなんてそこまでむずかしいことじゃない(自分が子どものときのことを思いだせば操縦しやすい)。

 たいへんなのは、他の親との関わりだ。
 子育てに関する考えは親によってちがうからね。
 ぼくは「軽い怪我なんてどんどんしたらいい」って考えだけど、他の親が同じ考えとはかぎらないし。大人の考えを変えさせるのなんてほとんど不可能だし。

 友人が保育士をやめたとき「子どもといる時間はぜんぜん苦じゃなかったけど、園長や保護者にあれこれ言われるのがつらかった」と言っていたし。そうでっしゃろなあ。


 保育士や学童保育の職員の苦労はたいへんなもんだろう。

 嫌ならいつでも逃げられる立場で子どもと遊んでいるだけで「子どもの面倒をみている」とえらそうにしているぼくはただただ頭を下げるばかりだ。


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