2020年10月20日火曜日

日本中に元気を与えたいです

ちょっと、困っているんですが。

なにがってあなた、こないだ大会出場の意気込みを聞かれて
「こんなときだから、日本中に元気を与えたいです」
って言ってたじゃないですか。

困るんですけど。
うちの子、元気がありあまってるんです。
夜もぜんぜん寝ないし、学校でもじっとしていられなくて走り回っているんです。
私が何度学校から呼びだされたことか。

これ以上元気を与えられたらもう手に負えません。

お願いですからやめてください。
日本中に元気を与えるのはやめてください。

あなたが元気をまきちらすせいで困っている人もいるんです。
日本中に元気を与えるのはところかまわずタバコを吸うようなものだと心得てください。


それからうちの子、将来は暗殺者になるとかイルカになりたいとかわけのわからないことを言って困ってるんです。

もう三年生なんですからそろそろ現実も見てほしいんです。
願えばなんでもかんでも叶うわけじゃないって気づいてほしいんです。

だからあなたがこないだ「日本中のみなさんに夢と希望を届けたいです」って言ってましたけど、それもやめてください。

届けないでください。夢も希望も。
うちには夢と希望がありすぎて困っているんです。これ以上押しつけられても困るんです。


元気にしても夢にしても希望にしても、うちはまにあってますんで自分の家だけでやってください!


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2020年10月19日月曜日

【読書感想文】永遠にわからぬ少女の恋心 / 山田 詠美『放課後の音符(キイノート)』

放課後の音符(キイノート)

山田 詠美

内容(e-honより)
大人でも子供でもない、どっちつかずのもどかしい時間。まだ、恋の匂いにも揺れる17歳の日々―。背伸びした恋。心の中で発酵してきた甘い感情。片思いのまま終ってしまった憧れ。好きな人のいない放課後なんてつまらない。授業が終った放課後、17歳の感性がさまざまな音符となり、私たちだけにパステル調の旋律を奏でてくれる…。女子高生の心象を繊細に綴る8編の恋愛小説。


二十代前半で山田詠美さんの『ぼくは勉強ができない』を読んだときに
「ああ、これはすごくおもしろい小説だけど十代のときに読みたかったなあ」
とおもったものだ。

それから十数年。
『放課後の音符』を読む。
うん、これは三十代のおっさんが読むもんじゃないわ

三十代のおっさんになって、結婚して子どももいて、もう十年以上も恋愛のドキドキとは無縁の生活を送っている(妻とは八年交際して結婚したので恋愛初期のドキドキは長らく味わってない)身としては、『放課後の音符』で描かれている世界はもはや異次元。

文章の瑞々しさに目がくらんでまともに読めない。

 リエは、純一を見る時、いつも唇をうっすらと開いていた。瞳は濡れているのに、唇はすっかり乾いてしまっているという感じだった。あれじゃあ、きっと喉の奥までからからになって痛むだろうと私は余計な心配をした。彼女は、他の女の子に名前を呼ばれて、我に返るまで、ずっとそうしている。何もかも忘れてしまったかのように、純一だけを見ている。素敵な絵を見た時のように、あるいは美しい音楽を聴いた時のように、感覚の一番敏感な部分をぎゅっとつかまれて、立ちつくしている。純一は彼女にとって、そういう存在なのだ。そう思うと、私は、衝撃を受ける。人間が人間に対して、そんなふうに感じることがあるなんて、私には信じられない。

すごくいい文章だとはおもうけど、これを受け止めるにはぼくの感受性が鈍磨しすぎている。ぼくのツルツルのミットではこの切れ味鋭い変化球をキャッチできない。
読むのが遅すぎた。



もはや恋する少女にまったく共感することのできないおっさんが読んでいておもうのは、ほんと恋愛って人を狂わせるなってこと。

『放課後の音符』には、狂った人たちばかりが出てくる。
人を好きになるあまり、頭のおかしいことばかり言っている。
思春期なら共感して登場人物といっしょになって胸を痛めることができたんだけど、もうぼくにはできない。
昔はぼくも人を好きになってまともじゃない行動ばかりとっていたけどなあ。〇〇をプレゼントしたこととか、□□って言ったこととか。
おもいだしたくもないのでもう忘れかけてるけど。


しかしあれだね。
少女の恋愛感情ってほんと理解不能だわ。
昔からわからなかったけど、いまはもっとわからんわ。

男はわかりやすいじゃない。
「セックスする」という明確なゴールがあって、そこに向かって最短距離(だと自分がおもっている経路)でつっぱしる。単純明快だ。動物そのもの。

でも少女ってそうじゃないでしょ。
つかずはなれずの関係性を楽しむほうが大事で、ゴールがないというか。
BLとか宝塚歌劇に入れ込むのとかまさにそう。
安野モヨコ『ハッピー・マニア』に「あたしは あたしのことスキな男なんて キライなのよっ」という台詞が出てくるが、少女の恋愛の本質をよく言い当てている。
少女の恋には「ここに到達したらハッピー」というゴールがない。ともすれば成就しないことを願っているようにも見える。


高校生のとき、仲の良かったMという女の子がいた。
彼女は陸上部の先輩に恋をしていた。
彼女は先輩に告白をし、めでたく二人は付きあうことになった。

少しして、Mと先輩は別れたと聞いた。Mから別れを告げたのだという。
「なんで別れたん?」
と訊くと、
なんか手を握ってきたりして気持ち悪かったから
という答えが返ってきた。

ぼくにはまったく理解不能だった。
だって好きな人なんでしょ? 好きな人に手を握られて気持ち悪いってどういうこと? セックスを強要されたならともかく、手を握られて気持ち悪い人となんで付きあうの? しかもMのほうから告白して付きあうことになったのに、手を握られたからフるってひどすぎない?

Mの心理がまったく理解できなかった。今でもわからない。
Mにフられた先輩も理解できなかったにちがいない(ほんとにかわいそうだ)。


でも、どうやらMのように残酷な心変わりをする女性はめずらしくないらしい。
他にも同じような話を聞いたことがある。
すごく好きだったのに、どうでもいい理由で百年の恋が冷めたとか。それも「虫が肩に止まっていたから」のような、まったく本人に責がないような理由で。

いまだにぼくは女心がわからない。
でも「永遠に理解できない」ということは理解している。その点が、女性の気持ちが理解できる日がくるものとおもっていた思春期の頃とはちがう。ソクラテスみたいなこと言うけど。

だから今、思春期に戻ったらもうちょっとうまくやれるとおもうんだよね。
あー! 戻りてー!!


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2020年10月16日金曜日

【読書感想文】カラスはジェネラリスト / 松原 始『カラスの教科書』

カラスの教科書

松原 始

内容(e-honより)
ゴミを漁り、カアカアとうるさがられるカラス。走る車にクルミの殻を割らせ、マヨネーズを好む。賢いと言われながらとかく忌み嫌われがちな真っ黒けの鳥の生態をつぶさに観察すると、驚くことばかり。日々、カラスを追いかける気鋭の動物行動学者がこの愛すべき存在に迫る、目からウロコのカラスの入門書!

カラス研究者によるカラスの本。
おもしろかった。

こういう「自分の生活にはまったく影響ないものに人生を捧げている人の本」にはまずハズレがない。
伊沢 正名『くう・ねる・のぐそ』とか。


都会にも住んでいるし、日本ではハトと並んで人間にいちばん近い鳥だ。
どこにでもいるのかとおもっていたらそうでもないらしい。日本のすぐ近くでも、香港や韓国には街中にカラスがあまりいないのだとか。
日本は世界有数のカラス大国なんだそうだ。だからなんだって感じだけど。

すごく身近な存在なのに、嫌われているカラス。
ま、近いからこそ嫌われているのかもしれないな。
ゴキブリだって山にしか生息していなければあそこまで嫌われることないだろうし……。

ぼくもあまりいい印象は持っていなかったが、この本を読んでカラスのことがちょっと好きになった。
あまりに著者がカラスのことを魅力的に語るんだもの。



読めば読むほど、都市のカラスの生活に人間の存在が深くかかわっていることがわかる。
ある日突然人類が死に絶えたら、都市に棲んでいるカラスもばたばたと死んでしまうかもしれない。

『カラスの教科書』によると、カラスは芋をあまり食べないが肉じゃがやフライドポテトや焼き芋は好きなんだそうだ。また米は好きじゃないけどご飯はよく食べるとか。
もう人間の味覚になっている!

都会はゴミが多いので、野山よりもずっと多くのカラスが棲めるらしい。
「人間が住み着いたので動物が追いやられる」ということが多いが、カラスに関しては逆で、人間がいるからこそ生きやすくなる。
もちろん人間に駆除されたり交通事故に遭ったりもするわけだが、それを差し引いても人間の近くにいることはカラスにとってメリットが大きいのだろう。


人間にとってもメリットがないわけではない。
ゴミを漁るので嫌われるが、カラスは片付けもしてくれているのだそうだ。

「掃除屋」という事でカラスが人知れず活躍している例をご紹介しておこう。週末の早朝、繁華街や駅前に、飲みすぎてリバースしちゃった痕跡を見ることがある。ところが、吐いた跡があるのに吐瀉物がない、という例を見たことはないだろうか?あれは人間が片付けるよりも早く、カラスが食っているのである。カラスにとってはご馳走らしく、何羽も群がっていることもある。カラスが去った後は固形物が全て片付けられ、水をかけて流せばいいばかりになっている。飲みすぎてやっちゃった経験のある方は、カラスに感謝しなくてはいけない。

そもそも、ゴミを漁るなっていうのもずいぶん勝手な話だよなあ。

食べ物をそのへんに放りだしておいて「勝手に持っていくんじゃないぞ」って言ってもなあ。

カラスは文字が読めるとおもっている人からのメッセージ。



カラスをこわがる人も多いが、カラスのほうがずっと人間をこわがっている。
なぜならまともにやりあったらぜったいにカラスが負けるから。

 ハシブトガラスは都市部でよく見かけるカラスだ。東京でカアカア鳴いている、あれがハシブトガラスである。全長(くちばしの先から尻尾の先まで)は56センチほどになり、翼を拡げると1メートルほど。こう書くとものすごく大きい鳥だと感じるだろうが、体重は600~800グラムほどしかない。鳥は見た目より遥かに軽いのである(スズメだと30グラムくらいしかない)。体重600~800グラムといえば、成人男性の1パーセントだ。ハシブトガラスが100羽集まって、やっと一人ぶんの重さということである。

そんなに軽いのか……。
アフリカゾウの体重が約6トン(成人男性の約100倍)だからカラスから見たヒトは、ヒトから見たゾウぐらいの重量だ。めちゃくちゃ怖いだろう。

アニメ版の『ゲゲゲの鬼太郎』で鬼太郎は数十羽のカラスに持ちあげられて空を飛んでいたが、数十羽集まってもせいぜい30kgぐらい。
人間ひとりを持ちあげて空を飛ぶのは相当きつそうだ……。
鬼太郎がめちゃくちゃ軽いという可能性もあるが、原作では鬼太郎が力士になって活躍したりしていたのでその可能性は低そうだし。



『カラスの教科書』によると、カラスが人を襲うことはめったにないらしい。
「巣にヒナがいるときに人間がなわばりに入ってきて、警告音を出しても立ち去らないときにだけ威嚇する」程度なんだそうだ。
まあゾウとヒトぐらいの対格差があったら、一対一で攻撃をしかけようとはおもわんわな。

だが他の鳥を襲うことはあるそうだ。

 さらに、鳥類も食べる。といってもカラスは猛禽と違って大した飛行能力も、一撃で獲物を仕留める爪も持っていないので、狙うのは主に卵と離だ。この辺が鳥好きにも嫌われる理由だが、鳥の巣を見つけるとヒョイと入って卵をくわえて来る。時には力づくで巣箱を破壊して捕食する。雄でも同じだ。巣立ち雛や成鳥を狙うこともあるが、見るからにヨタヨタのスズメの雄にさえ逃げられていたから、カラスの捕食能力は大したことがない。ハトを襲っている場面も何度か見たが、いずれも失敗して逃げられていた。捕食の方法としては、いきなり背中に飛び乗っておさえつけるというものだが、この時に爪を突き刺して息の根を止める猛禽とは違い、ハトが暴れると振り落とされてしまう。ただ、一度だけ目撃した捕食直後のシーンでは、背中に乗ってハトが死ぬまで首筋をガッツンガッツンとつつき、最後は頭をくわえてひきちぎってポイと捨てていた。この辺の「有効な武器を持たないが故の見た目のむごたらしさ」がさらにカラスの評判を落としている気がする。カラスにしてみれば大ご馳走なのだが……(しかしまあ、見た目に凄惨なのも確かではある。私の後輩は上から羽がハラハラと落ちてくるので足を止めたところ、次の瞬間にハトの生首が落ちてきて腰を抜かしそうになったと言っていた。ビルの上でカラスがハトを食べていたらしい)。

ひい、たしかにこれはビビるな……。
〝背中に乗ってハトが死ぬまで首筋をガッツンガッツンとつつき、最後は頭をくわえてひきちぎってポイと捨てていた〟だもんな……。
幼少期に目撃したら一生トラウマになりそうな光景だ。

しかしタカが小鳥や小動物を狩ったりする光景にはそこまでの残忍さは感じない。
一撃必殺で仕留めるより、じわじわなぶり殺しにするほうが残虐に見えるのだ。殺されるほうからしたらどっちも同じなんだろうけど。

そういや殺人事件でも〝めった刺し〟というと残虐な印象を受けるが、あれはたいてい「生き返って反撃されるかも」という臆病さによる行動らしい。
ほんとに残忍な殺人犯はもっと手堅く殺す、とどこかで聞いたことがある。

ただ「カラスは弱いから死ぬまで首筋をガッツンガッツンとつつくんだよ」と言われても「じゃあ許せるね」となるかどうかはまた別の話で……。




  カラスの特徴は、特殊化していないことだと思う。絵に描いてみるとわかるが、カラス類のシルエットは、くちばしがやや大きいことを除けば非常に基本的なトリの形をしていて、明快な特徴がない。だから、ものすごく得意という分野はないのだろうが、逆に言えば、何でも一応はできる。シギのような長いくちばしも、猛禽のような鋭い爪も、アホウドリのような長い翼も持ってはいないが、それでもカラスはちゃんと餌を食っているわけだ。包丁で言えば「これ一本でだいたい間に合う」という万能包丁で、刺身や菜切りに特化したつくりではない。
 何でも一応はできるということは、潰しが効くということである。これはどんな場所でも、何を餌とする場合でも、ソコソコの成功を収めることができそうな戦略である。

なるほどー。考えたことがなかったけど、言われてみればたしかにそうだね。

すごく強いとか、めちゃくちゃ速く飛べるとか、樹の中にいる虫をとれるとか、これといった特徴はカラスにはない。

なにかに特化したやつはその状況では強いけど、環境が変われば生きていけない。
だが全部そこそこやれるカラスは、環境の変化にも強い。だからこそ森林が都市化されても適応して生きていくことができた。

真っ黒い色が特徴的なので目がいきがちだが、じつはカラスはごくごく平凡な鳥なのかー。


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【読書感想文】ヒトは頂点じゃない / 立花 隆『サル学の現在』



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2020年10月15日木曜日

【コント】合唱コンクール

「指揮者は山口で決まりだな。
 じゃあ次、伴奏。伴奏やってくれる人ー!」

  「……」

「誰もいないのか。合唱コンクールの伴奏なんてそんなに上手じゃなくてもいいんだぞ、誰かピアノやってくれる人ー」

  「……」

「なんだ、誰もやりたくないのか。
 しかし誰かがやらなきゃいけないんだから頼むよ。
 まずピアノ弾ける人に出てきてもらって、その中から決めようか。
 ピアノ弾ける人―」

  「……」

「いやいや、三十人もいるんだから誰かひとりぐらいピアノ弾けるやついるだろ。
 正直に言ってみろ、ピアノ習ってたやつは?」

  「……」

「べつに十年やってたとかじゃなくていいんだぞ。
 そんなに難しい曲じゃないんだし。一年以上ピアノ習ってたやつは?」

  「……」

「え……? マジで……。マジでこのクラス、ピアノ弾けるやついないの!?
 ひとりも? ひとりぐらいいるでしょ」

  「……」

「あれだよ。ピアノじゃなくてもいいんだよ。
 エレクトーンでもいいしオルガンでもいいし、なんならアコーディオンでもいいんだよ」

  「……」

「さすがにアコーディオンはいないか。あれは道化師が弾くやつだもんな」

  「あのー」

「おっ、大竹。おまえ弾けるのか。
 いいんだぞ、男子でもぜんぜん」

  「小学校の授業で鍵盤ハーモニカやったんで、『きらきら星』ぐらいなら弾けますが」

「ぜんぜん弾けねえじゃん!
 上手じゃなくてもいいって言ったけど、『きらきら星』はないわー。
 『きらきら星』って披露宴で新婦の友人がハンドベルでやるやつじゃん。あんなの演奏するって言わねえんだよ。お茶にごすって言うんだよ」

  「あのー」

「おっ、川島。なんだよおまえ弾けるのかよ、早く言えよ」

  「ピアノは弾けないんですけど、ハープなら十年やってます」

「ハハハハープ!?
 ハープっておまえあれだろ、人魚が岩の上に座って奏でるやつだろ。
 おまえあれ十年やってんの? すげー」

  「あとテルミンもできます」

「テルミンってなによ」

  「世界初の電子楽器です」

「あーあれか。楽器本体にさわらずに空間に手を置くだけで音が出るやつか。あれできるってすげー。一芸入試狙えんじゃん」

  「それからビューグルも弾けます

「ビューグルってなによ」

  「ビューグルは軍隊が使うラッパです」

「なにおまえ軍隊のラッパ吹けんの。ほんとに民間人?」

  「あとチューブラーベル教室も十年通ってます」

「チューブラーベルってなによ」

  「『のど自慢』の鐘でおなじみのやつです」

「あーあれか。うそ、あれ専門の教室あんの。あれきわめてNHK以外の就職先あんのかよ」

  「あとカホンとタムタムとリソフォンとツィンクとブブゼラと法螺も一応お金とって演奏できるぐらいの腕前はありますけど……」

「なんかわかんないけど超すげーじゃん。じゃあ伴奏やれよ!」

  「ピアノはやったことないのでドの音がどこかも知りません」

「なんでだよ。そんなマイナー楽器きわめてるくせになんでピアノ弾いたことないんだよ。そういうマイナー楽器はピアノとかギターとかで大成するのをあきらめたやつが逃げるとこだろ!」

  「ひどい偏見ですね」

「もういいや、さっきのなんとかベルでいいや。のど自慢の鐘のやつ。あれで音階演奏できるだろ。あれを伴奏にしよう」

  「あーでも私がチューブラーベルで弾けるの、のど自慢の“不合格のときの音”だけなんですよね……」

「チューブラーベル教室に通ってる十年間、何やってたの!?」

2020年10月14日水曜日

【読書感想文】移民受け入れの議論は遅すぎる / 毛受 敏浩『限界国家』

限界国家

人口減少で日本が迫られる最終選択

毛受 敏浩

内容(e-honより)
すでに介護・農漁業・工業分野は人手不足に陥っている。やがて4000万人が減って地方は消滅をむかえ、若者はいい仕事を探して海外移民を目指す時代となるだろう。すでに遅いと言われるが、ドイツ、カナダなどをヒントに丁寧な移民受け入れ政策をとれば、まだなんとか間に合う。

みんな知っているように、日本の人口は減少している。
これから先もどんどん減る。少なくともあと百年は自然人口増加に傾くことはないだろう。

「いやなんとかして増やせ!」といってもそれはムリ。そもそも二十代三十代が減っているんだから、増えるわけがない。

「じゃあ人口減を受け入れていくしかないか」と諦められるかというとそれも厳しい。
なぜなら全体的に縮小していくのではなく、高齢者は増え、働き手が減っているからだ。
このような人口構成の変化を受け入れるということは、医療や介護や治安やインフラや教育や国民の便利な生活などを捨てるということである。
「昔は良かった」と口にする人だって、日本だけが百年前の暮らしをすることを望んでいるわけではまさかあるまい。

生産性を上げれば経済成長するとか、イノベーションを起こせば生産性は向上するとかいう人がいるが、圧倒的多数の老人に支配されている国で生産性が上がったりイノベーションが起こる可能性が高いとおもっているのなら、その人の脳内は相当お花畑だ。


人口は減る、その中で少なくとも今の生活水準を保つにはどうしたらいいのさ?

……という問いに対する著者の回答が「移民の受け入れ」だ。



まったく同感。
移民の増加以外に、日本人が「今の暮らしをそこそこ保つ」方法はない。

だが、移民に対する反発はまだまだ強い。
「治安が悪くなる」「日本人の仕事が奪われる」といった、ぼんやりとした不安を抱えている人は多い。ぼくもそうだった。

 とはいえ、外国人労働者が増えれば、日本人の給与が上がらなくなるのではと心配する人たちもいるだろう。日本では現在、給与水準は何十年も上昇しない状態が続いている。しかし、その理由は産業構造の転換による高付加価値化が達成されていないためであり、外国人の雇用とは無関係である。適性な規模の外国人労働者を受け入れれれば、日本人に影響を与えることはない。
 人手不足が地域経済の足を引っ張る状況がいたるところで生まれている。日本人の職が奪われることを恐れるよりむしろ、人手不足による経済縮小、産業の衰退を心配すべきだろう。

今の日本は人手不足だし、この程度はこの先どんどんひどくなる。仕事を奪われる心配よりも働き口そのものが消失する心配をしたほうがいい。

高度経済成長期は働き手がどんどん増えていったわけだけど、仕事を奪われるどころか仕事はどんどん増えていった。
なぜなら労働者は消費者でもあるからだ。どんどん来てどんどん稼いでどんどん使ってくれれば、日本人にも恩恵があるはず。

無制限に受け入れるならともかく、ちゃんと移民の属性や量をコントロールすれば、好影響のほうが多いはず。



移民増加による治安の悪化を心配する人も多いが、むしろ今の移民受け入れに消極的な姿勢こそが治安の悪化を招いていると著者は指摘する。

 人材獲得競争の狂想曲が日本中で鳴り響き、国を越えた人材斡旋が加速するこうした異常とも思える事態が起こっている。それだけ人手不足は逼迫しているということだろう。「移民政策をとらない」という前提が、人手不足を背景に、さまざまな矛盾や悲喜劇をもたらしている。
 さらにもっと憂慮すべき事態も起こっている。
 2017年1月1日現在の不法残留者数は、6万5270人と1年前に比べて2452人(3.9%)増加した。2014年1月まで減少傾向にあったが、3年連続で増加を続けている。一方、技能実習生の失踪も急増している。2015年の失踪者は5803人と3年で3倍近く増えて過去最多となった。
 失踪する技能実習生が急増しているのは、母国で聞いていたよりも、日本で受け取る収入が少なく、このままでは3年いても借金が返せないといった理由で、闇の労働斡旋業者に駆け込むからといわれている。失踪者が日本社会のアンダーグラウンドに入りこむとすば、それは日本の将来の治安にも大きく影響するだろう。

居場所も行政が管理しやすい。犯罪をしたら強制送還される。
ふつうに考えれば、移民のほうが犯罪をやりにくいんじゃないだろうか。

ところが「治安が悪くなるから」という漠然とした理由で移民受け入れに反対していたら、本当に治安を悪くするような外国人しか来てくれなくなる。

また技能実習生制度に代表されるように来日外国人の待遇が悪いから、まともな仕事を続けることができなくなって犯罪に走るようになる。

移民に対する偏見・差別こそが外国人犯罪を生んでいるのだ。



移民は受け入れたほうがいい。
これはもうぜったい。

だが問題は、日本で働きたい外国人がいるのか、という問題だ。

たとえばぼくが外国人で「海外に出稼ぎに行きたい」とおもってたとして……。まず日本は選ばない。
だってぜんぜん魅力的じゃないもん。排他的だし、日本語はつぶしがきかないし、衰退途上国だし。
三十年前の日本ならいざしらず。


「どうやって来てもらうか、どうやって受け入れていくか」を議論しなければならないのに、まだ「受け入れて大丈夫か」とのんきなことを議論している。

 インドネシア人の大学院生が、経済連携協定(EPA)で来日したインドネシア人の介護士候補生にインタビューしている。その結果、仮に試験に通ったとしても帰国することを検討しているインドネシア人がたくさんいたという。
 理由は、日本では何年たっても給与が上がらないからという。初任給は当然、日本のほうが高いが、インドネシアで就職すれば、国が経済成長しているので、年齢とともに給与が上がっていく。日本で生活していても頭打ちだということに、日本に来て初めて気がついたのだ。
 先進国ではどの国も高齢化が進んでいる。韓国は移民の受け入れに向けて、人口減少が始まる前に方向転換を始めた。中国も一人っ子政策を廃止し、最近では海外人材獲得めに、公安省の国境管理と出入国管理局を統合・拡大し、新たに移民局を創設する計進められていると報じられている。中国がもし移民受け入れを始めれば、そのインパクトはきわめて大きいだろう。
 今後、東南アジアでも高齢化が進み、所得も上がっていく。急速な人口増加が顕著なべトナムは、同国は高齢化のスピードがきわめて早いことで知られている。質の高い移民は世界中で奪い合いになっていく中で、日本としていち早く有能な人材を確保する道筋を作ることが必要となる。後手に回れば、移民反対論者が恐れるような低レベルの人材しか日本に来なくなってしまうだろう。

すでに「移民受け入れの絶好のタイミング」は失われつつある。

かつては日本に働きに来ることの多かった中国人は、自国が経済成長しているのでどんどん来なくなっているらしい。
他の国も後に続く。
そりゃそうだろう。
ただでさえ独自の言語である日本語というハンデがあるのに、政府が受け入れに積極的じゃないんだから。


前にも書いたけど、問題は人口が減ることそのものより、日本の多くのシステムがいまだに「人口が増え続けること」を前提としたものであることなんだよね。
自動車とか住宅とかまちがいなく衰退産業でしょ。人口が減るんだから。だからってただちになくせとはいわないけど、縮小させてゆく心づもりをしなくちゃならない。
いまだにものづくり大国とか言ってんだから笑っちゃう。

竹田 いさみ『物語オーストラリアの歴史』によると、オーストラリアはかつては白豪主義という差別的な方針をとっていたが、今ではどんどん移民を受け入れてうまくやっているそうだ。

日本の最大の弱点は「状況が悪くなっていること」ではなく「状況が悪くなっているという事実を受け入れられない」ところかもしれない。



全体的に「移民受け入れが必要、受け入れるためにやることはたくさんある」著者の主張には賛成なのだが、以下の考え方にはまったく賛同できない。

 人口減少の現場を直視する自治体の職員は、心の中では白旗を上げて、人口減少は止められないと考えているかもしれない。人口減少で集落が一つや二つ消えるのはやむを得ないと、もし彼らが考えているのであれば負け戦は必至である。「なにがなんでも消滅集落をこれ以上増やさない、外国人住民の受け入れも含めて、ありとあらゆる手段をとって地域を守る」という強い決意がない限り、人口減少はずるずると続き、地域社会は取り返しのつかないほど衰退した状況になるだろう。

こういう考え方、すごく嫌い。

手段と目的が入れ替わっている
「不便になる」のが嫌だから「人口減少を止める」話をしてたはずなのに、「人口減少を止める」ことが目的になって、そのためなら「なにがなんでも」やるべきだと言っている。
本末転倒だ。

すべての地域を守るのは不可能だ。
だいたい、今日本人が住んでいる土地の多くはここ百年以内ぐらいに切り開かれた土地だ。
本来なら人が住めるような場所ではなかった場所に、人口が増えたからという理由でむりやり住んでいる。
だから人口が減ったら見捨てるのはいたしかたない。
(ぼくも戦後に切り開かれた住宅地で育ったのでふるさとが消滅する可能性があるが、悲しいけどそれもやむをえない。思い出を守るために不便な生活はしたくない)

間引きをしないとすべての果実が大きくならないのと同じように、消滅集落をどんどんつくるのが共倒れを防ぐ方法だとぼくはおもう。


移民受け入れはいいとおもうんだけど、この本の論調は移民受け入れそのものが目的になっているフシがあるなあ。


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