2020年10月4日日曜日

ビフォーアフター殺人事件


もう今は流行りじゃないかもしれないけど、ふた昔前の新本格ミステリって妙な形をした館が出てくるじゃない。

「〇〇館」って名前がついてて、住みにくそうな間取りの屋敷。

あれ何かに似てるなーとおもったら、『大改造!!劇的ビフォーアフター』でリフォームした後の住宅だ。
謎の仕掛けがあったり、独特の間取りをしていたり。
まあ元々問題がある家をリフォームしてるんだからしょうがないんだけど。

あの住宅を舞台に本格ミステリが書けるんじゃないかな。
匠による劇的リフォーム後の住宅で次々に起こる殺人事件。

まずは館の主人である依頼者が殺され、次に家の仕掛けを知っているせいでトリックに気づいてしまったリフォームの匠が殺される。劇的すぎるリフォームのせいで陸の孤島と化した館で次々に起こる凶行……。

はたして犯人は誰なのか? 被害者を結ぶ家族の思い出とは? 大胆な犯行に使われた収納トリックとは?

謎が謎を呼ぶ劇的ビフォーアフター殺人事件。近日公開。


2020年10月2日金曜日

【読書感想文】最悪かつ見事な小説 / 櫛木 理宇『少女葬』

少女葬

櫛木 理宇

内容(e-honより)
一人の少女が壮絶なリンチの果てに殺害された。その死体画像を見つめるのは、彼女と共に生活したことのあるかつての家出少女だった。劣悪なシェアハウスでの生活、芽生えたはずの友情、そして別離。なぜ、心優しいあの少女はここまで酷く死ななければならなかったのか?些細なきっかけで醜悪な貧困ビジネスへ巻き込まれ、運命を歪められた少女たちの友情と抗いを描く衝撃作。

おおお……。

「ちょっとイヤな気持ちになる小説」は好きなんだけど、これはキツかった……。
めちゃくちゃイヤだった。
小説は寝る前に読むことが多いんだけど、『少女葬』を途中まで読んでそのまま寝るのはイヤだったので、他の本でいったん口直ししてから寝ていた。
この小説のことを考えたくない! という気持ちになった。

おもしろくないわけじゃないんだよ。
めちゃくちゃ引きこまれるんだよ。引きこまれるというより引きずりこまれるといったほうがいいかもしれない。
だからこそ「この小説の世界から抜けだしたい!」という気持ちになる。

「途中の展開も後味も最悪」ということを覚悟してから読むことをおすすめする。




まず冒頭で、少女が壮絶なリンチの末に殺されることが明かされる。
ある少女が死に、別の少女がその死を弔っているシーン。

時間がさかのぼって、シェアハウスで暮らすふたりの少女が描かれる。
読者には「このふたりのどちらかがやがて殺されるんだな」とわかる。
バッドエンドがわかっているので、ページを読み進めるのがつらい。
ページをめくっていけば確実に凄惨なラストが待っているんだから。


ふたりの少女、綾希と眞実の境遇は似ている。
問題のある親に育てられ、家出をし、安いだけがとりえのシェアハウスに転がりこむ。
シェアハウスの住人はモラルのない人間ばかり。
風俗嬢、もうすぐ死にそうな病人、犯罪に手を染めているらしい人間。持ち物が盗まれたり他の住人に嫌がらせをしたりするのが当たり前の環境だ。

劣悪な環境で身を寄せるようにして心を通わせる綾希と眞実。
だが、彼女たちの運命は徐々に分かれはじめる。

綾希は優しい人たちに出会い、将来について考えるようになり、仕事で金を稼ぐ喜びを知り、ささやかな幸せを手にするようになる。

眞実は金をばらまくように使い派手な暮らしをしている連中と交流を持ち、快楽と虚栄を追いかけるようになる。


さあ問題は「どちらが殺されるのか?」である。

ふつうに考えれば、眞実のほうだ。
明らかに良からぬ仕事をしている連中と付き合っている。仲間には一見優しいが自分にとって必要なくなったとおもえばかんたんに牙を剥く連中ばかりだ。

だが、そうかんたんに話は進むのだろうか。
あえて序盤で「どちらかが殺される」ことを示し、眞実のほうはどんどんヤバい世界に入っていく。
あからさまな「死亡フラグ」だらけ。

これはミスリードでは……?
ってことは綾希のほうが?
えっ、暴君の父親とその言いなりになっているだけの母親のもとから抜けだして、読書を愛し、劣悪な環境でも決して水商売の道には進もうとせず、悪い誘いははねのけ、優しい人たちに囲まれ、まじめにこつこつ働いて新たな道を切り開こうとしている綾希が?

それはいやだ。それだけは。
いくらフィクションとはいえ、こっちの子がむごたらしく殺されるなんて、そんなことがあっていいはずがない。
頼む、眞実のほうであってくれ……。

と、祈るようにしてページをめくる。

そして気づく。
眞実だって殺されるようなことはなにひとつしていない。
やはり置かれた境遇が悪かっただけで、ちょっと世間知らずだっただけで、人を傷つけたり他人から奪おうとしたわけじゃない。
居場所が欲しいと願い、いい暮らしがしたいとおもい、助け合える仲間が欲しいと望んだだけ。
誰にでもある欲望を叶えようとしただけ。
ただ近寄ってきた人間が悪かっただけ。めぐりあわせが悪かっただけ。
ちょっとタイミングがちがえば、眞実も綾希のように平凡な幸せをつかめたはず。


ぼくらは痛ましい事件のニュースを見ると、被害者に同情するとともに、被害者の落ち度を探してしまう。
「あんな人についていったのが悪かったんだ」
「夜道をひとりで歩いてたせいで」
「悪いやつらと付き合ってたんだからそういう危険はあるよね」
と。

「だから殺されて当然だ」とまではおもわないが(言う人もいるが)、心のどこかで「被害者にも落ち度はあったのだ。自分はそんなへまはしない」と考えてしまう。
そう考えるほうが「めぐりあわせが悪ければ、殺されたのは自分や家族だったかもしれない」と考えるよりずっと楽だからだ。

でも、残念ながら世の中はそんなに単純じゃない。
善人であっても用心深くても強欲でなくても理不尽に殺されることはある。つまらない理由でひどい目に遭わされることがある。
悪人が最後に笑うこともある。
地震に遭うかどうかは日頃のおこないとまったく関係がないのと同じで。


「頼む、殺されるのは眞実のほうであってくれ! 綾希は幸せになってくれ!」と願いながら読む己の姿に、「被害者の落ち度を探す自分」を発見した。




ちなみに、綾希と眞実のどっちが殺されるかは読んでたしかめてください。

確実にイヤな気持ちになるのでおすすめはしないけどね。


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2020年10月1日木曜日

【読書感想文】あいたたた / 花村 萬月『父の文章教室』

父の文章教室

花村 萬月

内容(e-honより)
五歳のころ、放浪癖のあった父親と同居することになり、程なく、花村少年の地獄の日々がはじまった。『モルグ街の殺人事件』を皮切りに、古今東西の古典を読まされる毎日。飽きる素振りをみせれば、すぐさま拳が飛んできた―。四年にわたる狂気の英才教育の結果、岩波文庫の意味を解する異能児へと変貌した小学生は、父の死後は糸の切れた凧となり、非行のすえに児童福祉施設へと収容された。以来、まともに学校に通った記憶がない。本書は、芥川賞作家・花村萬月が、これまでの人生で唯一受けた教育の記憶をたどり、己の身体に刻み込まれた「文章作法」の源泉に向きあった、初の本格的自伝である。

花村萬月氏の小説は読んだことがないのだが、こないだ読んだ『作家ってどうよ?』というアンソロジー的エッセイ集で氏の異常ともいえる(というか異常と断言してもいいぐらいの)生い立ちを知り、氏の素性に興味を持った。


小説家や漫画家のエッセイを読むと、なかなか骨のある生い立ちの人が多い。

親がアル中だったとか、親に捨てられたとか、親が異常な引越し魔だったとか、親が捕まったとか、おかあさんがダイナマイト心中で爆死したとか(末井昭さん)……。

ぼくの父はそこそこ名の知れた会社に勤めるサラリーマンで、仕事大好きで、でも休日には子どもとも遊んでくれて、趣味はゴルフと献血と同窓会。
母は専業主婦をしながらときどきパートに出たりボランティアサークルで活動したりしていて、趣味は読書と犬猫と遊ぶこと。
そんないたって善良な小市民である両親から生まれ、一歳上の社交的な姉とともに郊外の住宅地で育ち、地元の公立小中高に通って大学まで行かせてもらったわけだからもちろん両親に対して大きな不満があるはずもないのだが、型破りな親に対するあこがれもちょっとある。

もしぼくも奇抜な生い立ちを背負っていたらそれをもとに一篇の小説でも書けたんじゃないだろうか……なんて空想したこともある。

もちろん生い立ちだけでなれるほど小説家も甘くないのだが、それでもちょっと「どうしてうちの家庭はこんなに平凡なんだろう」と若いころは恨めしくおもったものだ。

中年になると「ふつうがいちばん」と思えるんだけどね。



話がそれたが花村萬月氏の生い立ちは個性的な親が多い小説家の中でも、トップクラスの型破りさだ。

なにしろ小説家志望でろくに仕事もしていなかった父親の〝英才教育〟を受け、ろくに小学校も通っていなかったというのだから。

父親の死後も学校へは行かず、児童福祉施設に入って虐待を受け、成人後はミュージシャンになったりバイクで旅をしたり違法な薬に手をそめたりアル中になったりして小説家に……。

というなんともすごい経歴。
ちなみに昭和三十年生まれ。ぼくの両親と同い年だ。

小学一年生にして、読めるはずのない岩波文庫を読むことを強要されていたという。

 その文庫本はエドガー・アラン・ポーの短篇集でした。世界初の本格的な推理小説である〈モルグ街の殺人事件〉が題名となっていたような気がしますが、なにぶん幼いときのことですから断言するのは控えましょう。新潮か岩波か記憶が曖昧ですが、おそらくは岩波文庫でした。
 父に対すると蛇に睨まれた蛙状態の私は思考放棄、漠然と文庫をひらきました。あらわれたのは見たこともない漢字の群れでした。私は途方に暮れました。私が知らない漢字であるということだけでなく、やたらと画数の多い複雑な形態をした漢字の集合が目にはいってきたからです。
 それは旧字でした。明治生まれの面目躍如といったところでしょうか、父は小学一年生の私に旧字体で印刷された文庫本を与えたのです。ひらがなを習っているときに大人の読む文庫本、しかも学校では習う可能性がゼロの旧字体の書物を平然とした顔でわたして、読めと命じたのです。そして、読み終えたら感想を述べよと迫った。
 はっきりいって、読めるわけがない。周囲の同じ年頃の子供の程度からは多少は抽んでていたという自負はあります。嫌らしい言い方ですが教師や近しい大人たちから天才扱いをされていたようなところもありました。
 しかし大人が読む文庫本を小学一年生、六歳に読ませるのは無謀です。並の親ならばこういった無茶はしないでしょう。しかし、こういった常識はずれの無理を平然と押しつけるのが私の父です。
 そして恐怖に支配されている私がとったのは、読める読めない、意味がわかるわからないといった読者の本質から大きくはずれて、ただひたすらに目で一字一字丹念に字面を追うという悲しい徒労でした。

カナも読めるかどうかというレベルの六歳に岩波文庫。しかもなぜ『モルグ街の殺人』……。

まだ『論語』を与えた、とかならわからないこともない。幼少期から道徳を教えようとしたんだな、と意図は理解できる(共感はしないが)。

でも『モルグ街の殺人』って難解ではあるけど娯楽小説だしな。
翻訳本だから美しい日本語に触れさせようとした、とかでもないだろうし……。

ほんとに意味不明。


花村萬月氏自身は「英才教育」と呼んでいるが、おとうさんは確固たる信念に基づいて教育を施していたわけではなく、ただただ思い付きで動いていただけなんだろうなあ。

暗算の丸暗記を強要するとか、音楽は好きなくせに「人前で歌ってはいけない。学校の音楽の授業でも歌うな」と命じるとか、やってることが首尾一貫してないもの。

英才教育と呼べるようなものではなく、単に子どもを支配したかっただけとしかおもえないんだよな……。



このおとうさんのやっていることは現代の感覚でいえば(もしかしたら当時の常識でも)完全に「虐待」なんだけど、花村萬月氏自身はとりたてて父親を恨んだり傷ついたりしているわけではなく、どっちかというと感謝しているように見える。

いろいろ問題がある父親だったけど、なんのかんのいって今の自分があるのは父親のおかげ、だと。
父親のやりかたはまちがっていたかもしれないけどその根底にはまちがいなく愛があった、と。

そんなふうに書いている。

それはちがうと他人が言えるような事柄ではないし、その自己肯定感はたいへんすばらしいものだ。
でも虐待だよ、やっぱり。


虐待を受けて育った子は暴力をふるわれることを「愛されているから」とおもいこむ、と聞いたことがある。
そうでもおもわないとやっていけないからだ。


黒川 祥子『誕生日を知らない女の子』に、こんなエピソードがあった。

 ずっと実母から虐待を受けていた女の子。ファミリーホーム(里親のような家)に引き取られ、ようやく家庭や学校でうまくやっていけるようになった。
 ところが「うちにおいで」と言われたのを境に、女の子は豹変。ファミリーホームや学校で暴れて居場所をなくし、自らすべてを捨てて母親のもとに戻った。
 だが待っていたのは、母親と再婚相手による奴隷のような生活。彼女はまた親の元から別の里親のもとに引き取られ、病院に通うようになった……。

どんなにひどい親でも、親から愛されていないとおもうことは、暴力を受けることよりつらいのだ。

花村萬月氏が「父の私への根底の態度には愛があった」と書くのは、虐待される子が暴力を愛ゆえのものだと思いこむ姿を見ているようでいたたまれない気持ちになる。




特殊な生い立ちだからか、それとも生い立ちとは関係なくそういう気質なのかはわからないが、花村萬月氏自身もなかなか個性的というか、風変わりというか、いやもっと率直にいえばかなり痛々しい人だ。

 私は自分が熟知している事柄であっても相手が語りはじめれば、口を噤みます。冷たい言い方をすれば薄蓄を傾けだしたならば、黙って、それを初めて耳にするような調子で傾聴します。自分で言うのもなんですが、そのあたりの演技は相当のものです(手の内をあかしてしまうと、これから先、困るかもしれません――というのは杞憂です。なぜなら所詮は中学生レベル、ちょいと煽てれば即座に喋りはじめるからです)。
 なぜ私はこのような嫌みなことをするのでしょうか。べつに相手を莫迦にするためにしているのではありません(もちろん尊敬しているわけでもありませんけれど)。黙って耳を傾けると、自明の理といっていいような事柄さえも私の定義とは大きく隔たっている場合が多々ある。そこで私は、こういう考え方もあるのか――と認識し、新たな思考の筋道をものにする。なかにはとんでもない解釈を提示してくれる強者もあって唖然呆然慄然ですが、それでも私は「へえ!」などと受け答えをする。
 それどころか、じつは唖然とさせられるような考え方や物の見方、解釈を提示されると、心底から嬉しくなってくるのです。なぜかは小説家という職業を考えれば説明の余地もないでしょう。私が恋しいのは真理や正論よりも他者そのもの、なのです。あなたがなにやら得意げに開陳するとき、あなたは私のような観察者にとって恰好の餌食となっているのです。私はあなたのつまらない話を黙って聞いてあげるかわりに、自身の小説に登場する人物に感かさや哀れさを含めた深みを附与することができるというわけです。
 文章など、誰にだって書けるのです。
 それはシャッターを押せば写真が撮れる、といったことと同程度ではありますが。これが私の文章教室の結論です。
 けれど小説家になるためには虚構を紡ぎだす、という高次の能力が必須です。これは圧倒的な知的選良の特性です。そしてこれだけの知的能力と感受性があれば、伝達としての文章以上のものを書くことなど造作もないと言い切ってしまいます。小説を書くということは、秀才などといった程よいレベルの知的選良には不可能な表現行為なのです。
 誰でもちいさい嘘をつきます。誰でも文章を書くことができます。だからこそ途轍もない数の小説家になりたがる者が存在し、新人賞には毎回千以上の応募作品が集まるわけですが、残酷なのはスタートラインとしての新人賞であっても、努力が報われるという受験勉強的幻想がまったく役に立たぬことです。

いやー。すごいよね……。悪い意味で。

中高生ぐらいのときにこういう心境になるのはめずらしくないとおもうんだよね。

自分は他とは違う選ばれた人間だ。
周りの凡人は思慮が足りないが自分はその何十倍も深く考えている。
自分の才は天賦のもので他者がどう転んだって追いつけるものではない。

そんなふうに考えている中学生は何万人もいるだろう。ぼくもそのひとりだった。

中学生でトゲトゲをたくさん持っていても、たいていの場合は周囲との軋轢ですりへったりへし折られたりして丸くなってゆく。

しかし花村萬月氏は
「父親のせいでまともな学校教育を受けていない」
「家が貧しく児童養護施設に入るなど恵まれない環境で育った」
「にもかかわらず小説の世界で成功した」
という体験があるせいで、「それはひとえに自分に比類なき才能があったからだ」という強烈な自信を今でも持ちつづけている。

個人的にはぜったいにお近づきになりたくないタイプ。
でも小説家としてやっていく上ではこの強烈な自信と過剰ともおもえるほどの自意識は武器になっているのだろう。

昔の文豪にも自意識が高すぎて痛々しい人いっぱいいるもんね。啄木とか太宰とか。


いやー。なんていうか……。やっぱり学校教育って大切だね……。


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2020年9月30日水曜日

【読書感想文】ざまあみさらせ銀行 / 池井戸 潤『銀行総務特命』

銀行総務特命

池井戸 潤

内容(e-honより)
帝都銀行で唯一、不祥事担当の特命を受けている指宿修平。顧客名簿流出、幹部の裏金づくりからストーカー問題まで、醜聞隠蔽のため指宿が奔走する。だが、知りすぎた男は巨大組織のなかで孤立していく。部下になった女性行員、唐木怜が生き残りの鍵を握る―。腐敗する組織をリアルに描いた傑作ミステリー。

そもそもぼくは銀行に対していい印象を持っていない。

大学生のときのこと。

K銀行に行き、大家さんの口座に家賃を振り込んだ。
翌日、銀行から電話がかかってきた。
ぼくの振り込みが処理できなかったので返金をするから本日15時までに銀行に来てほしい、と。

後でわかったことだが、その数日前に大家さんが亡くなっており、遺族によって口座の凍結が申請されていたらしい。
だが口座の凍結処理に時間がかかり、「遺族による凍結の申請」から「口座の凍結処理」までの間に、たまたまぼくが振込をしたらしい。
そのときは振込が受理されたが、後からやはり受理できなくなった……という事情だった。

そのときはそんな事情も知らなかったので、わけもわからず急いで銀行に行った。もう少しで15時だったからだ。
だが窓口にいた行員たちには話が通っておらず、20分ほど待たされた挙句、「ご足労おかけいたしました」も「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」もないまま書類に記入させられた。

家に帰ってからふつふつと怒りが沸いてきた。

 こっちは正当な手続きを踏んで振込をして、ATMには「振込完了しました」と表示されたのに、なんで後から呼びつけられないといけないのか。
 口座凍結に時間がかかるのはしかたないにしても、それは銀行側の都合であって当方の責ではない。
 一方的に呼びつけるのではなく、本来ならそっちが出向くのがスジであろう。
 もちろん銀行業務を出張でやるのは現実的に不可能であろうから呼びだすのはしかたないにしても、有無を言わさず本日中に出頭せよと呼びつけておいて詫びも礼もないどころか長々と待たせるとは顧客に対してあまりに礼を失した態度なのではないか……。

という内容を手紙にしたためて支店長宛てに投函した(我ながらめんどくさい人間だ)。

すると数日のうちに支店長から電話がかかってきて、このたびはたいへんな無礼をはたらいて申し訳ない、お詫びにうかがわせてほしいと連絡があり、その日のうちにクッキーを持って詫びにやってきた。

鼻であしらうような対応をしておきながら手紙一通で態度を豹変するその「マニュアル通りのクレーム対応」にも腹が立った。
居丈高な態度をとるならとるで貫けよ、注意されて平身低頭するぐらいなら最初から丁重に接しろよ、とそのとってつけたような腰の低さがかえって不快だった。我ながら勝手だが。
おまけに詫びにやってきたときに一瞬見せた「なんだ一人暮らしの学生かよ。下手に出て損した」という顔にもむかついた(これはぼくの被害妄想かもしれないが)。


そんな個人的な銀行に対する嫌悪があるので、昨今の「銀行がうまくいっていない」ニュースを目にすると「そらみたことか」とおもう。

ぼくが就職活動をしていた十数年前はまだ銀行は人気の就職先だった。
銀行といえば安定。
当時銀行を志望していた人たちの中で、こんなに早く銀行がだめになると想像していた人はいなかったにちがいない。

少し前に中途採用の面接官をしていたとき、銀行脱出組の面接を何件かした。
みな口をそろえて「とことん体質が古い。このままじゃ生き残っていけないのに上のほうはまったく危機感を持っていない。社内の権力闘争に明け暮れていて自分の定年まで持たせることしか考えていない」とぼやいていた。

銀行を辞めた人たちのいうことだから一面だけの意見だが、真実に近いとおもう。
なぜならぼくがかつていた書店業界もそうだったから。
上のほうは「とにかく今のやりかたを変えたくない」「自分の定年退職までもてば後は野となれ山となれ」しか考えていないように見えた。
衰退する業界はどこもいっしょだ。
銀行なんか、つぶれそうになっても基本的には国に守ってもらえるんだから余計に危機感がなくなるだろう。

そんな体質だから若者は逃げる。
変革しようという志のあるものほど愛想を尽かして出ていく。
残るのは変えたくない人ばかり。

滅びるべくして滅びるのだ。
中にいる人にとっては気の毒だが、ちょっと痛快でもある。ごめんやで。




『銀行総務特命』の主人公は、銀行の総務部におかれた特命担当者。業務は行内の不祥事を取り調べること。
横領や社内ストーカー事件だけでなく、行員の家族がさらわれた誘拐事件や傷害事件にまで首をつっこむ。
フィクションなのでなんでもありだ。

フィクションだとはわかっている。
わかっているが……。

読んでいておもうのは、「くだらねえことやってんな」ってこと。
特命担当の指宿がいろんな事件の調査をするのだが、だいたいどの事件にも「行内の人間関係」が絡んでいる。
やれ出世競争だ、やれ派閥争いだ、やれ部のメンツだ。

くっだらねえなあ。
現実の銀行がどうかは知らないけど、著者の池井戸氏は元銀行マンなのであながちまったくの作り話でもないんじゃないかな。

基本的に
「事件が勃発」→「総務特命が調査に乗りだす」→「銀行内の敵対勢力の妨害を受けつつも真相を暴く」→「妨害をしていた敵対勢力こそが黒幕だった」
みたいなパターンがほとんど。

わかりやすい勧善懲悪ストーリーなんだけど、悪役はもちろん、主人公側にもあまり好感を持つことができない。
だって舞台となっている帝国銀行自体がクソ組織なんだもん。
登場人物みんなろくな仕事してない。顧客ほったらかしで社内政治に明け暮れてる。

そのクソ組織を一生懸命守ろうとしている主人公にも、まったく共感できない。
こんな銀行さっさと出ていけばいいのに。この銀行内の秩序を守ったところでなんかいいことあるの? って気になる。

だいたい銀行なんて……おっといかん、フィクションと現実をごっちゃにしてしまうとこだった。




勧善懲悪ストーリーでありながら個人的にはまったくすかっとできなかったのだけど、小説の技法はめちゃくちゃうまい。感心した。

真相が明らかになった後、スパンと終わる。唐突といってもいいほど。
長々と「実は〇〇でした。あれは××という意味があったのでした……」みたいな種明かしをしない。
これが実にスマート。
作者としては言いたくなるとおもうんだけどね。「実はあのときのあれがこういう意味だったんです! どや、気が付かなかったやろ?」って。

でもそれをしない。
若干説明不足なぐらい。
でも、だからこそ余韻が後を引く。勇気がある書き方だとおもう。

題材は好きになれなかったけど、ストーリーテリングのうまさには舌を巻いた。


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2020年9月29日火曜日

姉との二人暮らし

大学一回生(関西では大学一年生のことをこう呼ぶ)から三回生まで、姉と二人で暮らしていた。

一歳上の姉の通う大学と、ぼくの通うことになった大学が近かったので。


親にしてみれば別々に一人暮らしするよりも家賃や生活費も割安。

ぼくにとっても料理上手の姉といっしょに住むのはメリットがある。

姉にしても「若い女の子ひとりは危険だから」という理由でひとり暮らしをさせてもらえなかったのが、弟といっしょなら許してもらえる。

……と、三者それぞれの利害が一致して始まった姉弟の同居生活。


はじめは順調だった。

姉はごはんや弁当を作ってくれたし、それ以外の家事も当番を決めて分担することでうまくやっていた。

ときには姉とふたりで飲みに行くこともあり(当時は未成年の飲酒は半ば黙認状態だった)、それぞれの友だちから「仲のいい姉弟だね」と言われていた。


しかし。

ぼくたちは、徐々に仲が悪くなっていった。

同居していたらどうしても意見が衝突することがある。

他人同士なら譲れることでも、姉弟だから譲れない。

それに他人同士なら同居を解消するという選択肢もあるが、姉弟だとそういうわけにもいかない。

今後数十年にわたってつきあっていかなくてはならない相手なのだ。なおさら妥協したくない。

頻繁にぶつかるようになった。




まあ基本的にはぼくのほうが悪かった。

分担している家事をサボることもよくあったし、やってもいいかげんだった。

姉はしっかり者なのでよくぼくに注意をした。

「帰りが遅くなるときは連絡してよ」

「あんたの料理は手順が良くないからもっとこうしたほうがいい」

「ごはんのときはテレビを観るのはやめよう」

といった小言を言われるたびに、ぼくは「せっかく実家を出てのびのびできるとおもっていたのにどうしてそんな細かいこと言われなくちゃいけないんだ」と反発した。

また、姉は「理想のタイプはクッキングパパ」と公言するぐらい「男も料理をできなくちゃいけない」という主義の人だったので(本当に『クッキングパパ』の単行本を集めていた)、ぼくにも料理の腕前が上達することを求めていた。

ぼくは料理を嫌いではないが「量と栄養があれば味は二の次」「ファーストフードも好き」という人間なので、そのへんでもよく衝突した。


正面からぶつかるような喧嘩は数えるほどしかしなかったが、口も聞かない、同じ家に住んでいるのに顔も会わせようとしない日々が続いた(3LDKだったので姉がリビングにいるときは自室に閉じこもっていた)。

三年間暮らしたうちの最後の一年は、ほとんど口を聞かなかったんじゃないだろうか。




今ならわかる。

要は認識の違いだったのだ。

姉は「おかあさん」をやろうとしていたのに対し、ぼくは姉のことを「ルームメイト」だとおもっていた。

そのすれ違いは最後まで解消することがなかった。


姉が大学を卒業して、一年間だけひとり暮らしをした。

ものすごく快適だった。

好きなときに好きなものを食べて、好きなだけ部屋を汚くして、好きなときに好きな場所で寝た。

不衛生な部屋で暮らしたからか身体を壊したけど、置いていた服がカビだらけになったけど、それでも清潔なふたり暮らしよりずっと楽しかった。




そして距離を置いたことで、姉との関係も自然に修復した。

今は隣県に住んでいて年に数回顔を合わす。

子どもを連れて姉の家に遊びに行くこともあるし、実家に帰ったときは子育ての話などをしながら酒を酌み交わす。

あたりまえだけど、ぼくが姉を無視することもないし、姉がぼくの世話を焼くこともない(子育てをしているので弟のことなんてしったこっちゃないんだろう)。

お互い大人になったこともあるけど、距離を置いているのがいいんだろう。


ほどほどの距離って大事だなあ。

あの人とだってあの国とだって、距離が遠ければうまく付き合えるんだろうけど。