2026年6月12日金曜日

【読書感想文】岸本 佐知子『あれは何だったんだろう』 / 私の中に住んでいるホームレスのおじさん

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あれは何だったんだろう

岸本 佐知子

内容(e-honより)
日常は不思議、不思議が日常。虚実のへだてを乗り越えてどこにも行かずにどこまでも行く。翻訳家のささやかな大冒険はつづく。お待ちかね、『ねにもつタイプ』第四弾!

 ぼくがいちばんおもしろいと思っているエッセイの書き手(本業は翻訳家)による待望の新作。


 第四弾だが岸本さんのエッセイのおもしろさはちっとも鈍っていない。むしろ円熟味を増している。

 ○月○日
 AさんからのメールをBさんに転送しようとして、間違ってAさんに返信してしまうというヘマをする。しかも「こんなの来たけど、どうする?」というコメントつきで。「穴があったら入りたいです」とAさんに詫びのメールをしてしばらくしてから、だんだんとその穴のことが気になりだす。
 それってどんな穴だろう。人ひとりが中でうずくまれるぐらいとなると、やはり直径七十センチ、深さ一メートルぐらいは必要だろうか。
 蓋もあったほうがいい気がする。外光を遮断したほうが反省の機運が高まるし、人が落ちたりしたら危険だ。
 内部の材質とかも気になる。冬はフリース素材にしてあたたかく、夏は通気性よくさらりとした麻素材。
 そうなってくると、意外と居心地がいいんじゃないか、この穴。
 ましてや穴を出れば、そこは自分がしでかしたヘマの恥が待ち受ける元の世界なのだ。自分だったらそのまま穴に住みつくだろう。
 そう考える人は他にもいて、穴人口はどんどん増えていく。だんだん穴と穴がつながって人の行き来がはじまり、経済が生まれ、地下に巨大な穴帝国ができあがり、ついには穴世界の人口が外の世界のそれを凌駕する日がやってくる。そのとき世界は。
 などと考えているうちに年が明ける。

 これぞ岸本佐知子氏エッセイ(エッセイか?)の真骨頂。

 身辺雑記からいつの間にか空想の世界に連れていかれ、空想が空想を呼び、空想世界に秩序が生まれる。あんなに狭い入口だったのにこんなに広い世界につながっているなんて。

 岸本さんのエッセイを読むたびに、エッセイってこんなに自由なものだったのかと感心する。



 めずらしく(?)翻訳家ならではの話も。

 May you grow like an Onion with your head in the ground ! (お前が頭を地面にめりこませて、タマネギみたいに逆さに生えますように!)
 調べてみたら、これはイディッシュ語の有名なののしり文句で、一言でいえば「くたばれ」となるところを、わざわざこういう回りくどい、ちょっと笑える言い方をしているところがいかにもユダヤ流だ。
 さらにもっと調べてみると、イディッシュ語はどうやらこの手のののしりフレーズの宝庫であるらしく、
――お前の歯が一本だけ残して全部抜けますように、そしてその一本が虫歯になりますように!
――お前がうんと金持ちになって、お前の寡婦の新しい夫が一日も働かなくて済みますように!
――お前が百軒の家を持ち、その一軒ごとに百の部屋があり、その部屋ごとに二十の寝台があり、お前が高熱に苦しんでその寝台を転々としますように!
――お前が百足になって、全部の足が巻き爪になりますように!
――お前が悠々自適の身分になって毎日昼寝をしているあいだに、お前のシャツのシラミとマットレスのトコジラミが結婚して、子々孫々がお前のパンツの中で繁栄しますように!
などの古典から、新しいところでは
――お前が億万長者になること間違いなしの素晴らしい企画書を書きあげた瞬間にパソコンがクラッシュしますように!
 みたいなのまで、枚挙に暇がない。
 英語にも、たとえば May you step on a Lego bare foot ! (お前が裸足でレゴ踏んづけますように!)のようなのがあるが、じゃあ日本語はどうなんだろう。「タンスの角に小指ぶつけろ」ぐらいか。でも足りない。「死ね」とか「くたばれ」とか「ぶっ殺す」みたいな直截的で殺伐としたのじゃない、皮肉で辛辣なんだけれどどこか可愛くて、それゆえに決定的な殺し合いは回避できる、そんな今の日本に何より必要なはずのののしりフレーズが、圧倒的に足りない。
 私か。私が考えるしかないのか。

 ただの罵り言葉ではなく、一度祝福の言葉をかけてから呪ったりするのがウィットに富んでいておもしろい。

「お前がうんと金持ちになって、お前の寡婦の新しい夫が一日も働かなくて済みますように!」なんて、一瞬悪口を言われたと気づかないもんな。そのときは「ああどうも」なんて言って、後から「よくよく考えたらめちゃくちゃひどい言葉ぶつけられてるじゃねえか」と気づくやつだ。

 日本語の定番の言い回しだと「豆腐の角に頭をぶつけて死んじまえ」が近いかな。でも「死ね」って言っちゃってるしなー。



 わりと共感できる話。

 今年もまた冬が来た。
 冬は嫌いだ。寒いからだ。
 冬は寒いというその事実を、何年たっても受け入れることができない。
 ときおり、冷え込みのきびしい日にやむを得ず外に出なければならないことがある。地面からしんしんと冷気が上がってきて、頭皮、顔、手、外気に触れているすべてが冷たい。そんなとき、体のどこかから声がする。
〈ああ、これではこの冬はとても越せん〉
 私の声ではない。初老の、しわがれた、男の声。私の中に住んでいるホームレスのおじさんの声だ。
 いつごろから住み着いたのかはわからない。もうかれこれ二十年にはなると思う。この人のせいで、私はつねにホームレス目線で世界を見てしまう。
 街を歩いていても、植え込みや、ビルとビルの隙間や、駅構内のちょっと奥まったスペースなどに自然と目が行く。
〈あそこなんか、風が防げて暖かそうだな〉
〈おっ、あの段ボール、いい具合に厚みがあるぞ〉
 寒い外から家の中に入ると、
〈ああ、ありがてえありがてえ、屋根があるってのはいいもんだ〉
 このおじさんは極度の寒がりであるらしく、現れるのはもっぱら冬だ。温かくなるとぱったり声が聞こえなくなり、そうするとちょっと寂しい。

 これはぼくもけっこう考える。街を歩きながら、自分がホームレスだったら、野宿をするなら、どこに寝るだろうかと考える。地下街とかにちょっとした隙間を見つけると「おお、ここなら安心して寝られそうだな。あとはどうやって警備員の巡回をやりすごすかだよな……」とか考えてしまう。

 他にもこんなこと考えてる人いたのかー。もしかしてわりとポピュラーな妄想なのかな。



 アピヨンポンポンについて。

 年とともにだんだんと、「アピヨンポンポン」は私ひとりが知らない、そしてそのためにいろんな場面で人生に不具合を起こさせるものの象徴のようになっていった。親しい友人たちの会合に一人だけ呼ばれなくなったのはアピヨンポンポン。私が気に入った商品が必ず廃番になるのはアピヨンポンポン。いくら考えてもわからない、この英文もアピヨンポンポン。
 自分には永遠に謎の、それゆえに美しいものの代名詞のようにそれを使うことさえある。あの映画はアピヨンポンポンみたいに良かったな、とか、この料理はアピヨンポンポンの味がする、とか。

 アピヨンポンポンが何なのか、それはぜひこの本でお確かめください。


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