2010年になくなった井上ひさしさん。
小説家、戯曲作家、『ひょっこりひょうたん島』を手がけた放送作家など幅広く活躍されたが、本の界隈ではとんでもない読書家としても有名だった(遅筆家としても有名だった)。
ぼくは中学生のとき年間300冊ぐらい本を読んでいて、世間知らずだったので「こんなに本を読むやつは他にまずいないんじゃないか」と悦に入っていたが、その頃井上ひさしさんのエッセイを読んで、自分なんて読書家として「中の下」ぐらいだということを思い知らされた(読書量だけが大事なわけじゃないけど)。
井上ひさしさんの「本を積みすぎて自宅の二階の床が抜けた」というエピソードにあきれながらもちょっとあこがれたものだ。
井上ひさしさんの本の読み方(というか買い方)はもう常軌を逸している。
『本の運命』にこんな話が出てくる。
とんでもない買い方だ……。
調べたら『吉里吉里人』が刊行されたのは1981年。当時の大卒初任給は12~13万円だそうだ(参考リンク:年次統計)。
2016年度の大卒初任給が20万円くらいだそうだから(参考リンク:厚生労働省 賃金構造基本統計調査結果)、物価は今の6割くらいかな。
ってことは今の金銭価値だと月に1,000万円近くを本代にしていたということになる。
作家だから経費として認められるんだろうけど、それにしても多すぎる。ぼくが税務署員だったら「いくらなんでもこれは本代としてありえない」って朝イチで監査に入るね。
ところで「最近、時間なくて本読んでないなー」って言う人いるじゃない。
あれぜったいウソだよね。そんなはずない。
「時間なくてゴルフ行ってない」ならわかるよ。何時間か要する遊びだから。
でも本を読むのにまとまった時間なんていらない。1分の空き時間があれば読める。なんなら空き時間がなくても読める。ぼくは風呂に入りながら読むし、歯磨きをしながらも本を読んでいる。こないだスカイダイビングしたときも読書しながら落下してきましたし、っていうのと同じくらい「時間なくて本読んでない」はウソだ。
本をよく読む人ならわかると思うけど、むしろ忙しいときほど読書ははかどる。まとまった時間があったら出かけたり人と会ったりしちゃうからね。
本を読むと心を落ち着かせることができるから、忙しいときのストレス解消にいいんだよね。本を読みながら激怒している人を見たことある?
ぼくがいちばん本を読んでいたのは中高生のとき。さっきも書いたように年間300冊くらい読んでいた。
部活で朝練に行って、学校で授業を受けて、また部活して、夜はテレビを観たり勉強したりして、休みの日には友人と遊びにいっていたのに、いったいいつ読んでいたのか今思うとふしぎ。でも本って知らない間に読んでいるもんなんだよね。
逆に人生でいちばん本を読む量が減ったのは、本屋で働いていたとき。
激務だったからね。おまけに郊外型書店だったので車通勤をせざるをえず、通勤途中にも読めない(信号待ちのときに少し読んでましたけどやっぱり集中できない)。
ある日急に「本屋がいちばん本を読めないってどういうことだよ!」ってめちゃくちゃ腹が立って、本屋を辞めた(それだけが理由じゃないけど)。
忙しいときほど読めるっていったけど、さすがに1日15時間働いて、月に休みが3日だったら読めるわけない。
中崎タツヤさんという漫画家がいる。彼のエッセイ『もたない男』には、ひたすら物を持たない人間の生活が描かれている(なにしろ彼は、読みおわったページを捨てながら本を読んでいく)。
おもしろいエッセイなんだけど、同時に異常性を感じてうすら寒さを感じる。あらゆる物を捨てずにはいられないというのはきっと何かの病なんだろう。
そして、井上ひさしさんのエッセイにも似たものを感じる。
何にも持たないということと集めすぎるということは正反対に見えて、じつは表裏一体で、モノに執着しすぎるという点で同じ病なのかもしれない。
井上ひさしさんは、幼いころは本や映画に囲まれて育ったのに、父親が死に、母親とも離れて児童養護施設で暮らしていた。そういった生い立ちが異常とも思えるほどの本の収集癖につながったのだと自分で分析している。
そして収集癖が高じて、ついには故郷の町に大きな図書館を建てるということまでしてしまう。話のスケールがすごい。
図書館をつくるにあたって、海外の図書館を視察したことが書かれている。
以下は、シアトル市立図書館についての記述。
ぼくも娘が生まれてから本屋や図書館の児童書コーナーによく行くようになった。
娘も本が好きなので、絵本を1冊持ってきて「次これ読んで!」と差しだすんだけど、娘がとってくるのはきまって、棚に並べている本ではなく、平台に積んであったり展示台に置かれている絵本。
子どもは字が読めない(読めても早くは読めない)から、書棚にたくさん並んでいる本の背表紙だけを見て、おもしろそうな本を見つけることができない。
だから表紙が見える本しか目に入らない。
これって考えてみたらあたりまえのことだけど、大人は意外と気づけないよね。ぼくも本屋のときは、背表紙を向けて書架に絵本を詰めこんでいた。
子どもと本を読んでいると、本ってただの情報源じゃなくて、アートであり、インテリアであり、おもちゃであり、アルバムなんだということを改めて気づかされる。子どもって、さわって、ひっぱって、投げて、ときにはなめて、本を楽しむからね。
手ざわりやにおいや重さも、本を構成する大事な要素だよね。
置き場所の事情もあって最近は電子書籍を買うことが多いだけど、やっぱり読みやすいのは紙の本(引用は不便だけど)。
許されるならばぼくも床が抜けるぐらいの紙の本を集めたい!
その他の読書感想文はこちら
0 件のコメント:
コメントを投稿