ルポ車上生活
駐車場の片隅で
NHKスペシャル取材班
車上生活を送っている人たちを取材したルポ。
日本には、車で生活している人たちが少なからずいる。が、その実態についてはほとんど何もわかっていない。
ホームレスの概数調査はおこなわれているが、車上生活をしている人は調査そのものがおこなわれていない。車の中で生活していても、ほとんどの場合は外からわからない。だから我々が気づかないだけで、じつは周囲にもけっこういるのかもしれない。
そういやこないだ読んだ『特殊清掃 死体と向き合った男の20年の記録』という本にも、車内で生活していてそのまま亡くなった人のケースが載っていた。
車上生活はたいへんだろうが、ホームレスに比べればはるかに楽だろう。雨風はしのげるし、冬の寒さも車外よりはマシ。荷物を持って移動するのもかんたん。
「ホームレスになるほどではないけど生活が苦しくて車を所有している」人であれば、車上生活に行きつくのはそう不自然なことではないのだろう。
しかしこの本を読むかぎり、意外と「食うに困って車上生活をするしかなくなった」以外の車上生活者もいるらしい。
こんな感じで、「車上生活が好き」「車に大切な思い出がつまっている」「家にいたくない」「家庭の事情で家にいづらい」といった理由で車上生活を選んでいる人もいるようだ。
また、年金をもらっていたり、仕事をしたりして、収入がある人もいるそうだ。さらに自宅があるのに車上生活を送っている人も。
まあ深刻な悩みを抱えていない人のほうがインタビューに答えてくれる率は高いだろうから、取材をすると〝そこまで困ってない人〟の割合が実態よりも高くなるのかもしれないけど。
たしかに、車上生活をしたくなる気持ちはわからなくもない。ぼくは運転が嫌いだけど、もしも家族がいなくて、一箇所にとどまらないといけない仕事もないのであれば、あちこち移動しながら生きていくという暮らしにあこがれる部分もある。フーテンの寅さんだって免許と車を持っていれば車上生活を送っていたかもしれない。
人によっては「移動もできるワンルーム」に住んでいるぐらいの感覚なのかもね。
とはいえ、もちろん食うに困って車上生活を余儀なくされている人もいる。さらに単身ではなく、夫婦や家族で車上生活を送る人も。
子どもと共に車上生活を送っていた家族の話。
これを読んで「なんて身勝手な親だろう」とおもった。
自分が車上生活を送るのは好きにしたらいい。頼れる人がいない、生活保護に頼りたくない、親戚との関係がよくない、仕事がない、いろんな事情があるだろう。
でも、こんな生活を送りながら「子どもと離ればなれにならない」ことを選ぶのは、親のエゴでしかないとおもう。そりゃあ子どもは親といっしょにいたがるだろう。親といっしょの生活しか知らないんだから。
けど、命の危険にさらしてまで子どもといっしょに車上生活を送る権利はない。子どもだけでも行政に任せるべきだろう。
なにが「想像以上につらい選択だったに違いない」だよ。ただの虐待親じゃねえかよ。こんなもんは親の愛じゃねえよ。
車上生活を送っている人のいろんな面を見ているうちに「必ずしも車上生活って不幸でおないのかもしれないな」とおもうようになった。
もちろん不幸な人はいるが、それは車上生活にかぎらない。自宅があっても不幸な人もいれば、車でそこそこ幸福な生活を送っている人もいる。
こういう道があってもいいとおもう。道の駅のように、車上生活を送っている人が過ごしやすい場所があればいい。
彼らに住居をあてがうことだけが福祉ではないとおもう。放っておいてやるのもまた優しさなんじゃないだろうか。放っておいてほしいから車上生活をしている人が多数派なんじゃないかろうか。
いろんな記者が交代で書いているのだが、謙虚な人もいれば傲慢な人もいる。傲慢というか、「善意の押し付けがすぎる」というか。
「おれたちジャーナリスト様が社会正義のために取材してやってんだぜ」臭がぷんぷんする。
さっきも書いたように「放っておいてやるのも必要」とぼくはおもうのだが、「こんな生活を送る人がいてはならない! 救済すべき! 『NHKスペシャル』で取りあげてやって社会問題にすべき!」みたいな気持ちが行間から漂ってくる記者もいる。
熱いね。
でもさ。ぼくが車上生活者だったら、ぜったいに社会問題なんかにしてほしくないとおもうんだよね。「『NHKスペシャル』で取りあげます」なんて言われたら「大きなお世話だやめろ」とおもうだろう。社会とかかわりたくなくて車上生活をしているんだから。社会のほうから近づいてこないでほしい。
だから、仮に取材するとしても「野次馬根性丸出しで申し訳ないですけど、なんとか取材させていただけないでしょうか」という姿勢で近づくべきだとおもう。それなのに、「我々が取り上げてやることで彼ら彼女らのためになるはず! だからなんとしても取材せねば!」みたいな気持ちが文章から伝わってくる。押しつけがましいったらありゃしない。
社会的弱者のレッテルを貼られたくないから取材拒否しているんだということも想像せず、しつこく追いかけまわしている。
記者の書いたものを読んでいるだけでも「強引な取材だな」と感じるのだから、こういう記者に追いかけまわされたほうからしたらたまったもんじゃないだろうな。
「どうやったら心を開いてもらえるだろうか」じゃないんだよ。心を開きたくないから車上生活をしてるんだよ。
NHKの記者をやってると、自分が正義の味方だとかんちがいしちゃうのかな。しょせん我々視聴者の野次馬根性を満たすためにやってることなのにさ。
いや、いいんだよ。野次馬根性で。おもしろいもん、変わった生活を送っている生活をのぞき見するのは。人間として、自然なことだとおもう。
でもそれはどこまでいっても野次馬根性なんだよ。結果的に社会がいいほうに変わることはあるかもしれないけど、それは偶然の結果であって目的ではない。
なのに、やれジャーナリズムだ、やれ社会的意義だ、やれ視聴者へのメッセージだのとほざいちゃあいけない。おまえらが扱っているのは生身の人間なんだよ。ただ車に住んでるだけで、犯罪者でもなんでもないんだよ。生きた人間を「視聴者へのメッセージ」の材料にするなよ。材料にしたいんだったら、フィクションを書けよ。
こうやって舞台裏を書いてるから本のほうはまだ良心的だけど、番組のつくりかたとしてはひどいものだ。「こんなところを放送したら、この人が不幸に見えなくなってしまう。だからカット。ですってよ。不幸に見えないことの何が悪いんだよ。「支援が必要」かどうかはおまえや視聴者が決めることじゃないんだよ。
いろんなことを考えさせられてたいへん意義深い本だったけど、同時にNHK記者の傲慢さも目に付いた。
そのジャーナリズムは、今ここで困ってる人じゃなくて、NHKさんが仲良うしてはる政府のほうに向けてくださいね。政府がまともに仕事してたら「支援が必要な人」は減るんだから。
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