2022年12月23日金曜日

【読書感想文】西 加奈子『漁港の肉子ちゃん』 / 狙いスケスケ小説

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漁港の肉子ちゃん

西 加奈子

内容(e-honより)
男にだまされた母・肉子ちゃんと一緒に、流れ着いた北の町。肉子ちゃんは漁港の焼肉屋で働いている。太っていて不細工で、明るい―キクりんは、そんなお母さんが最近少し恥ずかしい。ちゃんとした大人なんて一人もいない。それでもみんな生きている。港町に生きる肉子ちゃん母娘と人々の息づかいを活き活きと描き、そっと勇気をくれる傑作。


 映画化もされた、「笑って泣ける」ハートフルな小説……なんだろうな。きっと。そういうつもりで書いたんだろうな。作者は。


 なんていうか、ことごとく狙いが透けて見えるんだろうな。

 ああ、この肉子ちゃんの口癖や言動は「ユーモア」のつもりで書いてるんだろうなあ、ここで笑ってほしいんだろうな、とか。

 ああ、「人じゃない生き物の声が聞こえる」「死者らしき人の姿が見える」「問題を抱えた子」などを書くことで「単なる平和な漁港の日常」にさせないつもりなんだろうなあ、とか。

 ああ、明るく悩みなんてなさそうな人のつらい過去を書くことで感動を誘ってるんだろうなあ、とか。


 作者の意図がとにかくわかりやすい。この小説は国語のテストの文章題にしやすそうだ。

「作者はなぜここで肉子ちゃんに傍線部1と言わせたのでしょうか」

「この小説を一文で説明するとしたら次のうちどれでしょうか。正しいものを二つ選べ」

なんて問題をすごく作りやすそうな小説だ。作者の狙いがわかりやすいから。


 まあそんなことを言ったらほとんどの小説が、作者の意図の下に書かれたものなんだろうけど。どんな作家だって「ここで笑わせたい」「ここで驚かせたい」という意図をもって書いてるんだろうけど。でも、それが透けて見えちゃあだめなんだよね。やっぱり。

 漫才師のボケの人は「これで笑わせてやろう」とおもってわざと変なことを言って、ツッコミの人もどんなボケが来るかを知っているのにはじめて聞くような顔で驚いたり怒ったりたしなめたりする。そこがわざとらしいと、たとえどんなおもしろいネタでも笑えない。

『漁港の肉子ちゃん』は、ひとことで言ってしまうと「芝居の下手な小説」だった。

「さあここで笑うんやで!」という顔をしながらボケて、「そういうとおもってたわ!」という顔をしながらツッコむ漫才のような小説だった。




 何が良くなかったのか、自分でもよくわからない。文章も悪くないし、構成も悪くない。ギャグはぜんぜんおもしろくないけど、もともと小説のギャグにそこまで高いレベルを求めてはいない。

 これといって悪いところは見つからない。なのになんだか妙に「著者の意図」が透けて見える。


 仮にさ。全智全能の神様がいるとして。

 世の中の人間も動物もことがらもすべてそいつの思い通りに動いてるとして。

 そうだったとしても、人生は変わらずおもしろいとおもうんだよ。どきどきしたり、喜んだり、悲しんだり、笑ったりする。

 でも。それは全智全能の神様が見えない場合の話であって。

 もしもそいつの姿が見えたら、すべてが興醒めだ。ぼくらが恋愛を成就させても、がんばってきたスポーツで負けても、仕事で成功しても、愛する人を失っても、そのたびに全智全能の神が現れて「ほらね。ワシの想定通り」って言ってきたら、人生なんてなんにもおもしろくない。きっと自殺率もはねあがるだろう。


 小説における著者ってのはその世界の神様だから、ぜったいにその姿が見えちゃいけない。存在を感じさせてもいけない。

 なのに『漁港の肉子ちゃん』からは著者の存在がびんびんと伝わってきた。まるで読んでいる横に著者が立っていて(どんな人か知らんけど)、「そこはこういう意図で書いたんだけどおもしろいでしょ?」と逐一説明されているかのような気がした。

 脚本は悪くないけど演出がダメダメな芝居、って感じだったなあ。


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