2016年1月12日火曜日

【エッセイ】墓地散歩のすすめ その3

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ぼくの行きつけの墓地には、殉職した警察官の墓コーナーがある。

ここは他の墓よりも見ごたえがある。
というのは、墓の側面に死因を書いてくれているのだ。
「君ハ昭和○○年○月○日ニ□□ノ路上ニテ暴漢ニ襲ワレ非業ノ死ヲ遂ゲル」
ってなぐあいに。
ぼくのように無関係の墓を見るのが好きな人に親切な設計だ。

警察官の殉職といっても、そのすべてがジーパン刑事のようにドラマチックなわけではない。
パトロール中に車にはねられて死んだとか、警らをしていて風邪をひき肺炎をこじらせて死んだとか、それって殉職にカウントするの?みたいな死因もある。
だが、華やかさ(といっていいのかわからないが)に欠ける死だからこそ、よりその文章が現実感をともなって胸を打つ。
映画や小説ではほとんど描かれることのない、交通事故や肺炎による警察官の殉死によって我々の暮らしは支えられているのだ。
この殉職墓コーナーは、警察のPRのためにももっと広く知られてもいいと思う。


ところで疑問が一点。
殉職した警察官にも、ほとんどの場合は家族がいたはずだ。家があれば、墓もあるだろう。
殉職した場合、そっちには入らないのだろうか?
それとも分骨して、殉職墓コーナーと家の墓と、半分ずつ入れるのだろうか。
だとすると魂の行方はどうなるのだろうか?
霊魂も半分に引き裂かれるのか?

ってな疑問を、知り合いの坊さんに訊いてみた。

「魂の居場所には現世的な場所なんか関係ないね。だから墓がふたつあったって、両方に魂は存在するのさ」
と坊さんは云った。
なるほど。
もっともらしい答えだ。

でも、ちょっと待ってくれ。
魂の居場所に現世の場所が関係ないんだったら、そもそも墓なんかいらなくない?


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