2022年1月17日月曜日

【DVD感想】ロングコートダディ単独ライブ『じごくトニック』

内容紹介(Amazonより)
『キングオブコント2020』決勝に進出した実力派コンビ・ロングコートダディの単独ライブをDVD化。7月に行われた東阪ツアーの大阪公演より、「厳格お父さん」「時をかける兵藤」ほか新作コント7本と東京公演限定コントほかを収録。

厳格お父さん

 犬を拾ったので飼いたいと言う息子に対して父親が放つ言葉が……。


 基本的にはひとつのボケ。それも大ボケではなく「ちょっとした違和感」程度。オープニングアクトにふさわしい上品なコント。


時をかける兵頭

 職場の先輩に後輩が誕生日プレゼントをあげる。お礼を言う先輩。なんのへんてつもないシーンだが、なぜか同じようなシーンが延々くりかえされる……。


 違和感だけが残る前半。後半の説明で前半の謎が解け、続きが気になる展開に。謎のちりばめかた、最小限の説明、そして何とも言えない絶妙なボケ。

 いやあ、これはロングコートダディらしさがあふれているなあ。ボケらしいボケがほとんどない。プレゼントの内容自体で笑いが起きるのだが、冷静に考えるとぜんぜんおかしなプレゼントじゃないんだよね。どっちもおかしな人じゃないしふざけてもいない。なのに絶妙におもしろい。

 この、説明のしようのない笑い。センスあふれるコントだ。


カットステーキランチ

 ファミレスで話すバイトの同僚。どうということのない職場のうわさ話なのだが、徐々に片方の価値観のずれが目立ってきて……。


 これまた大掛かりなボケはないものの、じわじわとおもしろい。「気にするところ、そこ!?」と言いたくなる。なのにコント中では誰も指摘しない。

 そして秀逸なのが、カットステーキランチの使い方。序盤のカットステーキランチがずっと気になってたんだけど、もっとも効果的なタイミングで登場。ほんとにファミレスでカットステーキランチが焼かれるぐらいの時間なのがたまらない。


ランプの精

 願いを三つ叶えてくれるランプの精を呼び出した男。彼の願いを聞いたランプの精はなんともいえない顔をして……。


 個人的にいちばん笑ったのがこのコント。男の倫理観や価値観が狂ってる。それも、わかりにくく狂ってる。わかるようでわからない。でもちょっとは理解できるのかなーとおもったら、やっぱり理解できない。

 コントや漫画で「三つの願い」って定番の設定だけど、キーとなるのはやっぱり「三つ」をどう使うか。三段落ちにするとか、一つめと二つめを三つめで使うとか、三つだからこその笑いを作らないといけない。
 その点、このコントでは「三つ」をうまく処理している。「三つめ」がアレだからこそ、男の狂気性がよりいっそう浮かび上がる。ディズニー版『アラジン』を観てからこのコントを観ることをお勧めします。


脱がせてもらっている時間は時間に含まれていないと思っていたでござる

 もうこれはタイトルがすべて。ほぼ出オチのコント。
 一分もないコントなので説明のしようがない。


魔物

 甲子園を目指すエースと、お互いに好意を持っているらしいマネージャー。地方予選決勝前日にいちゃついていたのが原因でエースが指を怪我してしまい……。


 十年ほどの時間の経過を見せてくれる、スケールが大きいようで小さいコント。「指の怪我をマネージャーに知られるとあいつが責任を感じてしまうから隠し通さないと」というエースの優しさが哀しい笑いを生む。


じごくトニック

 小説家が自殺をすると、そこに死神のような存在が現れる。死後の行き先は天国か、地獄か、はたまた転生か。転生先は選べないが、その三つのどれでも好きに選んでいいという。はたして男が選ぶのは……。


 三十分を超す大作コントだが、個人的にはあまり好きになれなかった。他のコントはどれも人生におけるある一瞬を切り取ったものだが、このコントだけは起承転結がしっかりしていてちゃんとした芝居である。それが逆に性に合わなかったというか、ロングコートダディにはもっと「人から見ればどうでもいいような一瞬」をすくいあげるコントを期待してしまう。

 個人的な好みの話になってしまうが、「単独ライブのラストに収められているちょっと人情的なコント」があまり好きではないのだ。ラーメンズのライブ『鯨』のラストである『器用で不器用な男と不器用で器用な男の話』はたしかに素晴らしかった。あの一作によって『鯨』というライブ自体がすごく引き締まった。ただそれは『器用で不器用な男と不器用で器用な男の話』が非常によくできたコントだったからである。

 特にオークラさん(バナナマンや東京03のライブにもかかわっている人)がその手のコントを好きらしく、彼が手がけたライブのラストはたいてい「しんみりコント」だ。もちろんその中にはたいへんすばらしい作品もあるが、中には「しんみりさせようとすればいいってもんじゃないよ」と言いたくなる作品もある。「ラストにしんみりするコントを入れておけば、観終わった後に『ああいいものを観た』という気になるだろう」という狙いが透けてしまうというか。ああいうのはたまにやるからいいのであって、毎回毎回松竹新喜劇みたいになられても「お笑い」を観にきている側としては醒めてしまう(松竹新喜劇観たことないけど)。

 そんなわけで、当然ながらラーメンズやバナナマンや東京03がコント界に与える影響はすさまじいものがあるから、昨今はなんだか「コントライブのラストは笑いあり涙ありの人情派コントにしなくちゃいけない」かのような風潮まで感じてしまう。考えすぎかもしれないが。

『じごくトニック』の話に戻るが、せっかくここまでナンセンスな笑いを披露してきたのに最後にストーリー性豊かなコントを見せられると「出来は悪くないんだけど今求めているのはそれじゃないんだよな……」という気になってしまう。




 なお、本編もさることながら幕間映像もおもしろかった。

 特に、堂前・ビスケットブラザーズきん・kento fukayaが18禁のゲーム『話れ』をやる映像は声に出して笑った。
「一生懸命話をしてくれていますが話が入ってきません。アイテムをゲットして話が入ってくるようにしよう!」というさっぱり意味のわからない説明でゲームがスタート。だが次の映像を観ると、一瞬にして説明の意味が理解できるようになる。

 すばらしくばかばかしい。18禁どころか、何歳でもアウトだろ、これは!


 他にも、YouTube動画の編集をする映像、『兎の好きな食べ物ランキング』、『阪本と中谷が近づいたらマユリカの漫才が聞こえてくる動画』などナンセンスな笑いに満ちた映像がたくさん。これに関しては、DVDでツッコミを入れながら観るほうがだんぜん楽しい。舞台で観たら「ツッコミたいけど声を出すわけにはいかない……」というもやもやが残りそうだ。




 全篇通してまずおもうのが、金と時間のかけ方が贅沢だということだ。

 たとえば『脱がせてもらっている時間は時間に含まれていないと思っていたでござる』なんて、そこそこ大掛かりなセットや衣装を用意しているが、コントの時間はおそらく1分にも満たない。セッティングや片付けのほうがはるかに長い。もちろんその時間は幕間映像でつないでいるけど。

 ふつう、これだけのセットを用意するのであれば、もっと展開を持たせて長いコントにしようとか、あるいは準備のコストに対して得られる笑いの量が見合わないからこのコントはボツにしようとか考えそうなものである。

 なのに、数十秒であっさり終わらせている。贅沢だ。

『厳格お父さん』も非常に短いし、『ランプの精』だってあんなにドライアイスをたく必然性はない。劇団四季ばりにふんだんにもくもくもくもくやっている。

 手間や金のかけかたと笑いの量が比例していなくて、そこがまた単独ライブらしくていい。いろんな芸人が出るライブでこんなことをやったらきっと怒られるだろう。

 この贅沢さ、現実的な枠組みにとらわれない、自由な発想ができるからこそなのだろう。「もったいない」ともおもうが、その贅沢さがなんとも上品。

 聞けば、ドリフのコントや、『ごっつええ感じ』のコントでも、たった数分のコントのためにものすごい金をかけて豪華なセットを組んだという。

 きっと、一流のクリエイターには、頭の中にビジョンがあるのだろう。そのビジョンに現実を近づけていく作業がコント作りなのだ。だから、観ている側にとっては「もったいない」とおもえるようなコストのかけかたになるんじゃないだろうか。想像上の絵を描くときに「ここにこんな建物があったら建築費が高くつくな」とはいちいち思わないのと同じで。


 ただ、気になったのが女装のクオリティ。『脱がせてもらっている時間~』と『魔物』で堂前さんが女装しているのだが、そのクオリティが低いのだ。まったくもって女性に見えない。ただカツラをかぶって女の服を着ただけ、という感じ。美人である必要はないけど、女性らしさがまったくない。

 いや、いいんだよ。コントだから女装のクオリティが低くても。バカリズムなんて女性を演じるときにカツラすらかぶらないし。
 ただ、ロングコートダディのは中途半端なんだよね。やらないんならやらないで「観客に想像させる」でいいし、やるならメイクとか小道具にもこだわって徹底的に女性らしさを出してほしい。半端な女装のせいでコントの世界に入りづらかったのが残念。ここはもっとコストをかけてもいいとこだとおもうぜ。


 どの作品もおもしろかった。でも、「お笑いDVDを観て大笑いしたい」という人には正直いってお勧めしない。爆笑するようなコントはほとんどないからだ。作品性は高いが、笑いを取りにいく姿勢はいたって控えめだからだ。

「じんわりおかしい」を味わいたい方にはおすすめ。



【関連記事】

座王

【DVD感想】東京03『自己泥酔』

2022年1月14日金曜日

【読書感想文】テッド・チャン『息吹』~17年ぶり2作目~

息吹

テッド・チャン(著)  大森 望(訳)

内容(e-honより)
「あなたの人生の物語」を映画化した「メッセージ」で、世界的にブレイクしたテッド・チャン。第一短篇集『あなたの人生の物語』から17年ぶりの刊行となる最新作品集。人間がひとりも出てこない世界、その世界の秘密を探求する科学者の、驚異の物語を描く表題作「息吹」(ヒューゴー賞、ローカス賞、英国SF協会賞、SFマガジン読者賞受賞)、『千夜一夜物語』の枠組みを使い、科学的にあり得るタイムトラベルを描いた「商人と錬金術師の門」(ヒューゴー賞、ネビュラ賞、星雲賞受賞)、「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」(ヒューゴー賞、ローカス賞、星雲賞受賞)をはじめ、タイムトラベル、AIの未来、量子論、自由意志、創造説など、科学・思想・文学の最新の知見を取り入れた珠玉の9篇を収録。


 デビュー作『あなたの人生の物語』からなんと17年ぶり(!)となる作品集。

 17年で2冊しか発表していない超寡作作家ながら多くのSFファンから評価されているのだから、それだけでも作品のクオリティが高いことがよくわかる。

 ぼくも前作『あなたの人生の物語』を読み、この想像力の豊かさに驚かされた。「知能がものすごく高くなったら」「宇宙人が地球にやってきてファーストコンタクトをとることになったら」といったごくごくシンプルな発想なのに、とことんまで突きつめて細部を想像しているから説得力がすごい。

 「こんなにシンプルなのにおもしろい話を、どうしてこれまで誰もおもいつかなかったんだろう」とうならされたものだ。

 今作ももちろんすばらしかった。

「機械の身体を持った生命が跋扈する世の中になったとしたら」「過去の言動すべてが記録されていつまでも残るとしたら」「創造説の通りに、ある瞬間に世界のすべてが神によって作られたとしたら」といったシンプルな設定からとんでもない飛躍をみせてくれる。

 ただ、個人的には『あなたの人生の物語』に比べると設定がこみいりすぎていたように感じる。もちろん本格SFファンにとってはそれぐらいのほうがいいのだろうが、ぼくのような軟弱SFファンには設定を理解するだけでせいいっぱい、みたいな短篇が多かったぜ。




 好きだったのは冒頭の作品『商人と錬金術師の門』。

 アラビアンナイトの語りを借りた時間旅行もの。SFの定番中の定番・時間旅行だが、この作品では「過去や未来を変えることができない」というのがミソ。
 主人公もそれはわかっている。だが過去へと旅立つ。やはり過去を変えることはできない。だが主人公はそれでも過去に行ったことで深い満足を味わう。歴史を改変することはできなくても、主人公の心中にはたしかに変化が起こるのだ……。

『ドラえもん』でもくりかえし語られるテーマだよね。『ドラえもんだらけ』『ぼくを止めるのび太』『タイムマシンで犯人を』『無事故でけがをした話』など、「タイムマシンを使って過去を変えようとするも結局変わらない」話は枚挙にいとまがない。

『ドラえもん』でも扱われるぐらいのテーマなので、SF初心者にも易しい。




 表題作『息吹』は機械生命たちの世界で、医師が命の神秘について考察する話。同胞たちはほぼ不死で、解剖はタブーとされている。

 すこぶる忙しいときや、ひとりでいたい気分のときは、ただたんに、満杯の肺を保管場所からとりだして胸郭に装塡し、空になった肺を部屋の反対側に置く。ほんの数分でも時間の余裕があるなら、空の肺を給気口に接続して、次の人のために満杯にしておくのが一般的な礼儀だ。しかしなんといっても、いちばん一般的なのは、給気所に残って社交を楽しみ、その日の出来事について友人や知人と語り合ったり、また満杯になった肺を話し相手にさしだしたりすることだろう。厳密な意味での空気共有とは呼べないにしろ、われわれの空気すべてがおなじ源から発していると実感することで、仲間意識が生まれる。なぜなら、給気口とは、地下深くにある貯蔵槽──世界の巨大な肺にして、われわれの栄養すべての源──から延びる給気管の末端にほかならないからである。

「機械が支配する世の中になったら」はよくあるアイデアだけど、その世界での「機械生命の疑問や悩み」についてここまでじっくり考察を深められるのはさすがテッド・チャン。
 知性と空想の極限を極めた逸品だ。





『偽りのない事実、偽りのない気持ち』は、「リメン」と呼ばれる映像記録装置によって見たもの話した内容などをすべて記録できるようになった世界の話。

 リメンはユーザーの会話を監視して、過去の出来事についての言及を見つけると、視界の左下隅にその出来事の映像記録を表示する。「覚えてる? あの結婚式でコンガを踊ったの」といえば、リメンはそのときの動画を再生する。話している相手が「こないだいっしょに海に行ったとき」といえば、リメンはその動画を再生する。だれかと話しているときだけではない。リメンはユーザーの声に出さない言葉も監視している。もしあなたが「はじめて行った四川料理店」という文章を読むと、その文章を朗読しているときと同様にあなたの声帯が動き、リメンは関連する映像を再生する。
「鍵をどこへやったっけ?」という声に出さない質問にすぐさま答えてくれるソフトウェアが役に立つことは否定すべくもない。しかしウェットストーンは、リメンを便利なバーチャル・アシスタント以上のものと位置づけている。リメンが人間本来の記憶にとってかわることを望んでいるのだ。

 これは近い未来に実現しそうな技術だ。というか技術的には今でも可能なんじゃないだろうか(検索はまだ難しいだろうが、記録だけなら可能だろう)。というか今でも予定や日記をクラウド上に記録している人や、片時もスマホを手放さずにSNSにひっきりなしに投稿していう人は、ほとんどこれに近いことをやっている。

 ぼくだって、読んだ本をほとんどこのブログに書いているので「あの本なんだったっけ」と自分のブログを検索することがある。Kindleで読んだ本は本の内容もかんたんに検索できるし。読書だけに限定した「リメン」を使っているようなものだ。


「リメン」によって浮かび上がるのは、人間の記憶がいかに不確かなことかということだ。なにしろ正確な過去がいつまでも形を変えずに残り続けるのだから。

 だが、『偽りのない事実、偽りのない気持ち』では正確な記憶は必ずしも良い結果ばかりをもたらすものではないことを突きつける。人間の記憶は不正確だからこそ良好な人間関係を築けるのだ、と。

 たしかになあ。ぼくは家族や友人たちから言われた言葉で傷ついたことがあるし、それ以上に心無い言葉で傷つけてきた。それでもそこそこ良好な関係を築けているのは、お互いに嫌な過去を忘れてきたからだ。嫌な過去が永遠に鮮明に残るとしたら、関係を続けることはできないかもしれない。

 記憶はあてにならないからこといいんだよね。

「中二病」とか「黒歴史」という言葉があるけど、あれは自分の記憶の中にだけあるからまだ笑い話になるけど、過去のイタい行動が全部どこかのデータサーバに残って誰にでも参照可能だとしたら……。おお、考えただけでもぞっとする。

 思春期に世界とつながれる(そしてその痕跡がいつまでも残りつづける)今の若い人は不幸なのかもしれない。




 ということでおもしろかったんだけど、ちょっと重厚すぎたというか、ぼくには『あなたの人生の物語』のほうが性に合ってたな。

 物語としては『息吹』のほうが高い完成度を持っているのかもしれないけど、『あなたの人生の物語』のほうがワンアイデアをどこまでも推し進めるパワフルさがあって好きだったな。豪速球ストレートって感じで。


2022年1月12日水曜日

【読書感想文】知念 実希人『ひとつむぎの手』

ひとつむぎの手

知念 実希人

内容(e-honより)
大学病院で激務に耐えている平良祐介は、医局の最高権力者・赤石教授に、三人の研修医の指導を指示される。彼らを入局させれば、念願の心臓外科医への道が開けるが、失敗すれば…。キャリアの不安が膨らむなかで疼く、致命的な古傷。そして緊急オペ、患者に寄り添う日々。心臓外科医の真の使命とは、原点とは何か。過酷な現場で苦悩し戦う医師のリアルが胸に迫る感動のヒューマンドラマ。

 主人公は大学病院の心臓外科医・平良。三人の研修医を心臓外科医に入局させれば希望の病院に出向できてキャリアアップが望める。だが三人中二人入局させることに失敗すれば、心臓外科のない病院に飛ばされて心臓外科医としての道が実質絶たれることになる。そんな中、医局の最高権力者に論文不正疑惑が湧いて出る……。

 医師でもある著者ならではの設定。仕事周りのうんちくがふんだんに散りばめられた、ここ二十年ばかりの定番ジャンル〝お仕事小説〟だね。

「まあ、なんでそこまで心臓外科にこだわるのか知りませんけど、それにかんしても割に合わないと思うんですよ。先輩、心臓外科に入局したドクターのうち、一人前の執刀医になれるのってどれくらいの割合なんですか?」
「……十人に一人っていうところだな」
 痛いところを突かれ、また声が小さくなってしまう。
 心臓外科に入局した医師の多くは、あまりにも過酷な勤務に耐えられず他科に移っていく。そして、たとえその勤務に耐えても一人前の執刀医になれるとは限らなかった。
 心臓外科の手術の件数はそれほど多くはなく、その大部分は一部の一流心臓外科医が執刀するのだ。
 心臓手術の執刀医になるためには、手術数の多い病院に勤務して、『一流心臓外科医』たちから直接手ほどきを受ける必要がある。その立場をつかみ取れる者は、決して多くはなかった。
「そう、たった十人に一人ですよ。馬車馬のように何年も働いても、執刀医になれるとは限らない。そんなの不条理すぎると思いませんか?」

 なるほどね。心臓手術をするってことは当然大手術になるだろうから件数は多くないだろうし、生命に直結する機関だから経験の浅い人に手術させたくない。自分の心臓を手術されるときに「医療の未来のために、はじめての医師に執刀させてください」と頼まれたって「いやそれはべつの機会にしていただけませんか……」ってなるもんね。

 そうなるとトップの医師にばかり手術の機会がまわってきて、他の医師との差は広がる一方。ほんとは体力もあって成長の余地の大きい若手を育てたほうがいいんだろうけど。




「それぞれ問題を抱えた研修医」「主人公の過去」「医局内の権力争い」「教授の不正疑惑」「主人公の出向先」といろんな要素があるが、ラストには全部きれいにまとめられる。物語の構成はよくできている。「感動的なラスト」も用意されている。ただ個人的には心を動かされなかった。

 登場人物が漫画のキャラクターみたいなんだよな。すぐ怒って感情を表に出す、たったひとつの出来事をきっかけにころっと心変わりする、悪いやつはわかりやすく権力者にこびへつらう……。素直すぎるというか、もっと率直にいえば単純すぎる。

 少年漫画ならこれぐらい単純でもいいけど、小説としては物足りないな。「物語を動かすためのコマ」感が強くて。


 以前読んだ『祈りのカルテ』のほうは、話のスケールが大きくなかったので人物造形が深くなくても不自然ではなかったんだけどね。短篇のほうがいいなあ。


【関連記事】

【読書感想文】知念 実希人『祈りのカルテ』~かしこい小学生が読む小説~

【読書感想文】久坂部 羊 『ブラック・ジャックは遠かった』



 その他の読書感想文はこちら


2022年1月11日火曜日

【読書感想文】『あやうしズッコケ探険隊』『ズッコケ心霊学入門』『とびだせズッコケ事件記者』

 中年にとってはなつかしいズッコケ三人組シリーズを今さら読み返した感想。

 今回は4・5・7作目の感想。

(1~3作目の感想はこちら


『あやうしズッコケ探険隊』(1980年)

 子どもの頃に好きだったズッコケシリーズベスト3を選ぶなら、『うわさのズッコケ株式会社』『花のズッコケ児童会長』そしてこの『あやうしズッコケ探険隊』だ。

 中盤のズッコケシリーズは幽霊に取り憑かれたりタイムスリップしたりはては宇宙人に連れ去られたりとずいぶんぶっとんだ設定のものが多いが、ぼくは地に足のついた作品が好きだった。この『あやうしズッコケ探険隊』は、リアリティを持たせながらもわくわくさせる大冒険を見せてくれる。

 モーターボートで海に出た三人組。すぐ近くの島まで行くはずだったが、燃料がなくなったために漂流。そのうち救助されるさとたかをくくっていたらどんどん流され夜を迎える。翌朝、流れ着いたのは絶海の孤島。幸い三人組はこの島で生きていく決意をする……。

 当時はよくわかっていなかったが、細かい設定がしっかりと書かれている。愛媛県伊予灘から出航して漂流、そのまま太平洋に流されたと三人組はおもうが、じつは瀬戸内海をぐるぐる回っていただけで大分県・国東半島のすぐ近くの島だった。

 石川 拓治『37日間漂流船長』(感想)という本に、実際に漂流した人の体験談が出てくるが、ズッコケ三人組の漂流の様子もそのときの状況によく似ている。はじめはなんとかなるさとたかをくくり、助かるチャンスがあっても本気で手を打とうとはしない。そうしているうちにどんどん流されて取り返しのつかない事態になるところがまったく同じ。
『あやうしズッコケ探険隊』の漂流シーンはリアリティのある描写だったんだなあ。

 またハカセが太陽の南中高度や北極星の位置から緯度と経度を天測するシーン。小難しい上に長いので小学生のときは読み飛ばしていたけど、今読むとあれは必要な描写だったのだとわかる。あそこに十分ページを割くから「太平洋のど真ん中だ!」という勘違いに説得力が生まれるんだよね。まあ、おバカ小学生からすると太平洋も瀬戸内海も違いがよくわかんないんだけど。

 サザエやゆり根をとって食べたり、ゆり根から団子を作ったり、住居やトイレまで作ったりと、三人組のサバイバル生活はなんとも楽しそう。このへんは児童文学の都合のいいところで、苦労らしい苦労はほとんど書かれない。まあ三人組がサバイバル生活をしたのは実質三日ぐらいなので、水と食糧さえ豊富にあればキャンプみたいなもので楽しいかもしれない。

 無人島サバイバルだけでなく、もうひと展開あるのがいい。なんと島の中で三人組はライオンに遭遇するのだ。なぜこの小さな島にライオンが? そして出会った謎の老人の正体は? と、次々に新しい謎を提示してくる。さらに三人組はライオンを生け捕りにすることに……とハリウッド映画もびっくりの息もつかせぬ展開。

 ラストはすべて丸く収まり大団円となるのだが、とうとう最後まで老人がなぜ島にひとりで住んでいるのかがはっきりと書かれていないのが味わい深い。想像はさせる材料は与えるけど、はっきりとは書かない。文学だなあ。

 ところで、中盤に島の地図の挿絵が入ってるんだけど、そこに「老人の家」とか「助けの船がやってきたところ」とか書いてあるんだよね。まだ無人島だとおもっていたところなのに。地図をよく見たら「人が住んでいるのか」とか「船で助けが来るのか」とかわかっちゃう。挿絵でネタバレしちゃだめだよ。



『ズッコケ心霊学入門』(1981年)

 1970年代に心霊写真ブームがあったそうで、その流行りに乗っかった一冊。ハチベエが雑誌に投稿するために心霊写真を撮ろうと奮闘。空き家となっている屋敷で撮った写真には奇怪なものが写っており、さらに幽霊研究家の博士とともに降霊実験をおこなったところほんとうに怪奇現象が起こり……という話。

 ハチベエが使っているのはフィルムカメラ、しかも白黒カメラとなんとも時代を感じさせる。そもそも〝心霊写真〟が今となっては絶滅寸前だ。デジカメになってフィルムカメラのように光が入りこんだりピントがずれたりしにくくなったのと、誰でもかんたんに画像の加工がおこなえるようになったことで心霊写真の怖さがなくなったのだろう。

 この物語のキーマンとなるのが、四年生の浩介少年。おとなしいのになぜかハチベエになついていて、俳句好きという個性的な少年だ。
 屋敷についている地縛霊だとおもっていたのが、浩介のマンションでも異常な現象が次々に起こりはじめる。じつは浩介の潜在能力によって引き起こされたポルターガイスト現象だということをハカセが「ヘビの種類やサイズ」をヒントに見破る。ここまではおもしろい。

 だが、その後がなんとも残念。三人組が超常現象を解決するのではなく、三人がいないところで精神科医が解決してしまうのだ。三人組は「もう手を打ったから安心だよ」と聞かされるだけ。えええ……。『幽遊白書』の魔界統一トーナメントかよ……。
 この尻すぼみ感ったらない。「もう解決しときました」と聞かされるだけだなんて。せっかくハカセが原因を突き止めたのに、それが治療に活かされていない。

 他にも、空き家の主人がすんなり降霊実験の許可を出してくれたり、悪霊が霊媒の身体に入りこむという危険な降霊実験なのに小学生の参加が許されたり、非科学的なことは信じないはずのハカセが幽霊博士が出てきたとたんころっと信じたりといろいろと粗の目立つ作品。



『とびだせズッコケ事件記者』(1983年)

 クラスの各班で壁新聞をつくることになり、ハチベエ・ハカセ・モーちゃんの三人は新聞記者に抜擢(というか押しつけ)される。

 前半は行動力あふれるハチベエの本領発揮、といった感じ。自分で名刺を刷り、ひとりでお寺に取材に行って談話をとってきたり、交番に突入して警官に名刺を渡したり。なんともたくましい。
 そういや小学生のときって、金にもならないことでめちゃくちゃがんばってたなあ。目の前のことに全エネルギーを注げるのって小学生の特権かもしれない。
 これが中学生になると照れが出てくるだろうし、小学校低学年だとここまで行動範囲が広がらない。小学校高学年という設定がここで活きている。

 ただ事件記者としての活躍を描くだけでなく、記者になったハチベエが私憤を晴らすための記事を書いたり、起こった出来事をおもしろく見せるために針小棒大に書いたりするところはさすがズッコケ。権力を手にしてえらそうにふるまう報道機関に対する風刺も効いている。


 小学生のときは気付かなかったが、今読むとおもしろいのはハチベエの班の班長・金田進の中間管理職っぷり。

 ハチベエをおだてて記者をやらせ、(書かれてはいないけどおそらく)編集会議では女子の言うことに賛同し、こっそりハチベエの記事の扱いを小さくする。ハチベエに文句を言われたら「おれはおもしろいとおもったんだけどなあ」と保身に走り、先生に褒められたら「八谷くんのおかげです」と手柄を譲る。調整役としての立ち居振る舞いが見事。こういう男子は稀少だ。

 もうひとり、重冨フサというコミカルなキャラクターが出てくる。通称、探偵ばあさん。推理小説が好きで、近所のうわさに精通していて、何にでも首をつっこむ人騒がせなばあさんだ。

 なかなか魅力的な人物で、ラストは三人組がこのばあさんの命を救うのだが、終盤でばあさんの台詞がないのが寂しい。助けてもらって感謝しながらも憎まれ口のひとつも叩く、といったシーンがほしかった。


  記者になったハチベエが張り切る
→ モーちゃん、ハカセも記者になり、三人が奮闘
→ だがおもったような成果を上げられずすっかり自信をなくす
→ 人命救助により一躍ヒーローに

と、絵に描いたような起承転結ストーリー。
 それぞれ追いかける記事が、ハチベエは恋愛ゴシップ、モーちゃんはグルメ記事、ハカセは重厚な歴史レポートってのもいいね。三人のキャラクターがよく出ていて、これぞズッコケ三人組という感じのお話だった。


【関連記事】

【読書感想文】『それいけズッコケ三人組』『ぼくらはズッコケ探偵団』『ズッコケ㊙大作戦』


 その他の読書感想文はこちら



2022年1月7日金曜日

満員電車で立っていて、眼の前の席が空いたのに座るわけでもなく移動して他の人が座りやすいようにするわけでもなくただそこに立ちつづけて他人が座るのを妨害する人間の思考


 おっ、目の前の席空いた。

 右のおっさん座りたそうだな。左のねえちゃんも座りたそうだな。

 だがダメだ! おれは立つ! だからおまえらも立て!


 おれはダイエット中だから座らない。電車内で立っているだけダイエットだ。

 でも、おれだけがつらい思いをするのは嫌だ。できるだけ多くの仲間がほしい。

 だからおれは席には座らんが、その前に立ちはだかって他の人が座るのも妨げる!


 よく見たら隣のねえちゃん、鞄にマタニティマークつけてるじゃないか。

 さすがのおれも心が痛む。

 だがここが我慢のしどころだ。おれは耐える。苦しいけど、座らない。苦しいけど、空いてる席の前に立って他の乗客の邪魔をする。


 わかってる。おれが右か左にちょっと移動すれば他の人が座れる。

 そうでなくても、おれが座ればその分スペースが空くからこのぎゅうぎゅう詰めがちょっとは緩和される。

 周囲の誰もが「あいつ座らないんだったらどけよ。どかないんだったら座れよ」とおもっているにちがいない。それはわかっている。

 でもおれは座らないし移動もしない。

 なぜなら、ただただ空席の前に立ちつづけて他人が座るのを妨害することこそおれの悦びだからだ!