2021年9月13日月曜日

冗談みたいな漫画喫茶

 冗談みたいな漫画喫茶があった。


 大学四回生のときだ。ひとり暮らしをしていたマンションの近くに漫画喫茶ができた。チェーン店ではなく、個人経営の漫画喫茶。おばちゃんふたりぐらいでやっていた。漫画は何百冊かはあったが品揃えはあまりよくなかった。

 冗談みたいというのは、利用料金の安さだ。
 なんと何時間いても780円。24時間営業ではなかったが、朝から晩までいても780円。
 そしてドリンク飲み放題。
 さらに驚くことに。なんと食べ物も食べ放題だったのだ。

 置いてあったのは手作りのカレーとかチャーハンとか。たぶんおばちゃんが作ったのだろう。大鍋にどんと作って置いてあった。


 はじめて友だちと行ったときのことをおぼえている。
 え? 何時間いても780円? ドリンク飲み放題? えっ、ご飯も食べられるの? しかも冷凍のやつじゃなくて手作りの料理じゃん。ほんとに780円? だってこんなの一食食べるだけで元取れるじゃん。お代わりしたらもう黒字じゃん。だまされてない?

 だがだまされてはいなかった。何時間か滞在して、漫画を読んで、飯を食ったけど、請求されたのは780円だけだった。さらにおばちゃんは笑顔で「また来てね」と言いながら次回半額券をくれた。
 こんなに安いのにまだ値引くの!? いったい何が目的なんだ!?


 数日後、また行った。
 なにしろこちらは金のない貧乏大学生だ。たらふく食えば自炊するより安いぐらいだ。そのときもやはり780円。カレーを三杯ぐらい食ったのに。

 だがぼくがその漫画喫茶に行ったのはその二回だけ。
 卒論を書いていて忙しかったのもあるし、なにより安すぎてなんだか申し訳なかったから。
 ぼくが行けば行くほどあの気のいいおばちゃんたちは苦しむんじゃないだろうか。こちらが得をするということは向こうは損をするということだろう。べつにこっちが心配する必要はないのだが、あまりに常軌を逸した価格設定に心配になったのだ。

 もしかしたら漫画喫茶というのは表の顔で、ヤバい商売でもやってるんじゃないだろうか。
 おばちゃんに「ゴルゴの79巻さがしてるんだけど」と秘密の合言葉をいえばこっそり奥の部屋に通されてそこは札束が飛びかう裏カジノルームになっているとか……。
 いやいや。もしそうだとしたら、余計に漫画喫茶の価格設定はふつうにしたほうがいい。手作りカレーなんか出して目立たせないほうがいい。

 はっ、まさか。あのカレーに依存性のある香辛料でも入っているのか。
 そして中毒者がさらなる強烈なスパイスを求めたとたんに「これ以上はグラム5万だ」と言われるとか……。


 だがぼくの心配は杞憂に終わった。
 漫画喫茶はほどなくしてつぶれたのだ。二ヶ月ぐらいの命だった。

 あの漫画喫茶はほんとうにあったのだろうか。もしかして狐にでもだまされていたのだろうか。
 だがいっしょに行った友人も〝冗談みたいに安い漫画喫茶〟のことをはっきりおぼえていた。現実にあったことなのだ。

 なんのことはない、「あまりに商才のないおばちゃんたちによる道楽経営」だったのだろう。
 ああよかった。それにしてもほんと冗談みたいな漫画喫茶だったなあ。


2021年9月10日金曜日

やめるほどでもない組織

 最近気付いたんだけど、「組織に属す」ことに関しては始めるよりやめるほうがエネルギーを必要とする。




 小学二年生のとき、サッカーチームに入っていた。
 サッカーおもしろそうとおもって入ったのだが、すぐに気づいた。ぼくはうまくない。練習してもうまくならない。元々うまいやつはどんどんうまくなるので差は開く一方。
 うまくなければおもしろくない。
 努力が大事とかいう人もいるが、そこそこ得意だから努力できるのだ。偏差値70の人が75を目指してがんばることはできても、偏差値30の人が35を目指して努力するのはむずかしい。がんばって偏差値35になったとて。

 友人に誘われて野球をやってみたらおもしろかった。毎日のように友人と野球をしていた。自主的にサッカーの練習なんてしたことがないのに野球は練習していた。

 それでもぼくはサッカーチームに所属していた。十二人しかいないチームで、後ろから二番ぐらいの実力だったけど。周囲との差は離れるばかりだったけど。サッカーより野球のほうが好きだったけど。

 脱退するのが怖かったんだとおもう。「チームに入らない」はかんたんだが、「入ったチームを抜ける」のは容易ではない。
 結局六年生になってやめたけど、元チームメイトからの「裏切者」という視線におびえていた(たぶん他のメンバーは何も気にしていなかったとおもうが)。




 中学校では陸上部に入っていた。嫌なこともあったけど、ほぼ毎回練習には参加していた。早起きして朝練もやっていた。

 走るのが好きだったわけじゃない。速かったわけでもない。長距離の選手だったが大会ではいつも後ろから数えたほうが早かった。予選を通過したことなど一度もなかった。
「全員何かしらの部活に所属しなければならない」という中学校なので入部したのだが、辞める生徒や幽霊部員の生徒もいた。陸上部の顧問も先輩も厳しくなかったので、辞めようとおもえばいつでも辞められた。
 それでも三年の夏まで辞めなかったのは「辞めるほどの理由がなかった」だけだ。

 もしぼくが「部活辞める」といえば、教師や親から「なんでや、どうしたんや」と質問攻めにされていただろう。それが面倒だった。「続けた」というより「辞めなかっただけ」というほうが正確だ。




 高校ではバドミントン部に入ったが、これは一週間ぐらいで辞めた。「なんとなく楽そう」という理由でバドミントン部に入ったのだが、顧問でもないコーチ(非常勤講師)がやたらいばって怒鳴り散らしていたので「こりゃあかんわ」とおもってすぐに辞めた。本気でバドミントンをやっている人には申し訳ないが、たかが羽根つき遊びなのに青スジ立てて怒鳴る人と同じ空間にいるのは耐えられなかった。

 辞めたら辞めたでぜんぜんなんともなかった。夏休みなんかはひまをもてあましたが、そのおかげで本をいっぱい読めた。
 高校にもなると「帰宅部のやつ」や「幽霊部員のやつ」や「ふだんあまり活動しない部活(軽音部など)のやつ」なども増えて、〝部活やってない友だち〟ができた。友だちと川で遊んだり公園で野球やサッカーをしていた。
 〝部活やってない友だち〟とは高校卒業から二十年たった今でも付き合いが続いているので、部活をやめてよかったと心からおもっている。




 大学生のとき、お好み焼き屋のバイトを数ヶ月でやめた。店主の嫁が嫌いだったから、というのが最大の理由だ。
「家の事情で急に引っ越すことになり……」と嘘をついてやめた(たぶん店主もぼくの嘘に気づいていた)。

 大学卒業して就職した会社は数ヶ月でやめた。
 体調を理由にして(体調が悪かったのは事実だが続けられないほどではなかった)。

 その次の会社をやめるときは退職者が相次いでいたのでちょっと揉めた。

 次の会社は揉めないように半年以上前から根回ししたので比較的円満にやめることができたが、それはそれで大変だった。やめる社員には容赦なく賞与を減らしてくる会社だったので、会社にばれないようにしながらそれとなく周囲に引き継ぐのはしんどかった。


 組織をやめる経験をいくつもしてわかったのは、「やめるほうが加入するより大変」ということだ。

 手続きや新たに覚えることは加入するときのほうが多い。でも新規加入時はこちらの気力も充実しているし、周囲の人たちも歓迎ムードだ。前向きな気持ちで乗り切れる。

 でもやめるときは「一日でも早くやめたい」とおもっているものだし、周囲もなんとなくよそよそしい(少なくともそう感じてしまう)。居心地は決して良くない。あたりまえだ、居心地が良ければやめたりしない。




 だから、ぼくが特に好きでもない陸上部を「やめるほどでもないから」という消極的な理由で続けたように、ただ慣性の法則で組織に所属しつづけている人はいっぱいいるとおもう。

 心の底から部活動を愛している人もいるだろうが、ほとんどの人は辞めると居場所がなくなるとおもってなんとなく続けているだけだとおもう。
 PTAとか町内会もそうだ。やめると角が立つから続けているだけ。99%の人は積極的に所属していない。
 仕事もそう。「あなたが転職しない理由はなんですか」と訊かれて即答できる会社員はそう多くないだろう。
 プロ野球球団だってヒーロー戦隊だってプリキュアだって世界征服をたくらむ悪の秘密結社だって、ぜがひでも続けていきたい意欲にあふれているのはほんの一握りで、ほとんどのメンバーは「やめるのも角が立つから」ぐらいの気持ちで続けているのかもしれない。


 案外世の中って「まあやめるほどでもないし」という気持ちのおかげでまわっているのかもしれないね。


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サッカーがへただったサッカー少年


2021年9月9日木曜日

【読書感想文】藤岡 拓太郎『夏が止まらない』

夏が止まらない

藤岡拓太郎作品集

藤岡 拓太郎

内容(ナナロク社HPより)
2014年から2017年の間にネット上で発表した1ページ漫画、およそ500本の中から厳選した217本と、「あとがき」を含めた書き下ろしの文章5編を収録。


 おもしろかった。

 二コマ~十コマぐらいのショート不条理ギャグマンガ集。

 一作ずつタイトルがついてるんだけど、まずタイトルがおもしろい。そんで漫画本編でちゃんとタイトルのおもしろさを超えてくる。
 すごいものになるとタイトルがおもしろくて、一コマ目がもっとおもしろくて、二コマ目でさらにおもしろいという、二コマ漫画なのに三段跳びみたいな作品もある。跳躍力がすごい。

 ぼくはかつて仕事もせずに朝から晩まで大喜利やっていたことがあったぐらい大喜利が好きなんだけど、大喜利でお題それ自体がおもしろいときって、だいたい回答はおもしろくならないんだよね。
「ヤクザの親分がギャル神輿大好きだとバレた理由とは?」みたいな狙いにいったお題はおもしろくない。お題が回答のじゃまをするんだよね。お題はつまらないほうがいい。

 だけど『夏が止まらない』はお題もおもしろいのに、本編はそれを軽く超えてくる。
「適当に捕まえたおばさんに、自販機の飲み物をおごるのが趣味のおっさん」なんてタイトルだとそれ以上おもしろくするのむずかしいはず。でもそれをやってのけている。すごい。


 ちなみにぼくがいちばん好きだった漫画は
「仲直りをしたらしい小学生をたまたま見かけて、適当なことを言うおっさん」

 このお題に対して提示された漫画が、これの他はない、ってぐらい鮮やかな回答。
 ぜひ漫画を読んでみてください。




 大喜利っぽい漫画だなとおもって読んでいたのだが、案の定だった。

(途中にある著者のエッセイより)

 インターネット大喜利にどっぷりと浸かっていた。
 二十歳のころ。ネット上にはいろんな大喜利サイトがあり、そのいくつかに投稿をしていたのだが、自分が一番入れ込んでいたのはあるチャットルームで夜な夜な開催されていた大喜利。
 その部屋には毎晩七時ぐらいから人が集まりだし、くだらない話から始まり、誰かがお題を出すと、皆、思い思いにボケる。お題を出した人が、よきところで締め切る。そして全員、自分以外のボケの中から一番面白かったと思うものを一つ選ぶ。最も多くの票を集めた人が優勝となり、次のお題を出す。それを延々繰り返す。多い時には五十人以上が集まっていた。
 大学やアルバイト先では居場所がなく、ギャグ漫画もうまく描けなかった当時、いちばん笑い、笑わせ、息ができていたのはその部屋にいる時だった。
 猿だった。
 ネット大喜利という温泉に引きずり込まれた猿だった。その温泉はぬるま湯だから、いつまでも浸かっていられた。
 夜が深まるにつれ、部屋から人は減ってゆき、明け方近くになると再び雑談に切り替わり、やがて自然とお開きになる。そんな時間までディスプレイに照 らされていたときは、ウケた日であろうとスベッた日であろうと、いつも自己嫌悪を身にまとって布団にもぐり込んだ。
「今日もペンを握らなかった……」
 それでもまた夜が来ると目を血走らせてボケ狂う。

 なつかしい。ぼくがいたのはチャット大喜利ではなかったけど、だいたい雰囲気は同じようなものだった。

 ぼくがネット大喜利にどっぷり浸かっていたのは、新卒で入った会社をあっちゅうまに辞めて、無職~フリーターだった頃。
 当時は「ぼく無職なんです」とは言えなくて、仕事の合間に大喜利をやっているふりをしていたけど、ほんとは大喜利の間に呼吸しているような生活だった。
 こうやって大喜利をやっている人はいっぱいいるけど、自分だけが明日が見えない生活をしているんだろうとおもっていた。

 でも、それから十数年経って「いろんな事情で不安定な生活をしていたけど大喜利に救われていた」という人の話をちらほら読むようになった。
 こだまさんとかツチヤタカユキさんとか藤岡拓太郎さんとか。他にもいろいろ。

 ネット大喜利って、バックボーンとか一切関係なく、おもしろい回答をすれば評価してもらえるんだよね。無職で怠惰でモテなくて金がなくても、大喜利でおもしろい回答をすれば他者から認められて一位になれる。だから救いになっていたんだとおもう。

 もしかしたらあの頃ネット大喜利をやっていた人たちは、みんな病んでいたのかもなあ。いやじっさい病みすぎてあっち側に行ってしまった人もいたし。




 著者あとがきより。

片手間にイラスト付き大喜利や一コマ漫画をこさえていたのですが、ある時、たわむれにニコマ漫画を描いてみると、「!」と思いました。

 一コマからニコマにするだけで、ただの絵が、ぐっと「映画」になるんやな、ということに改めて気がついたのです。いや「映像」と言ってもいいんやけど、なんかかっこいいので「映画」と言わせてください。その、つまり、たとえば一コマ目で豚にかまれているおっさんを、ニコマ目で、顔をどアップにすることもできるし、ヘリコプターからの視点でとらえることもできる。あるいはニコマ目で時間を飛ばして、少年時代のおっさんを描いてもいい。石器時代のおばさんが寝ているところを描いてもいいし、まったく脈絡なくオムレツだけを描いてもいいのです。ニコマあれば、時間が表現できたり、カメラの動きが付けられるようになったりするということです。

 この人の作風は二コマ漫画にあっているとおもう。
(この本には十コマぐらいの漫画も収録されているが、二コマ漫画のほうが圧倒的におもしろい)

 二コマ漫画を自由自在に使いこなしている。二コマなのに奥行きがある。正確にいうと、タイトルのつけかたも秀逸なので、タイトル+二コマ。

 ぜひともこの道を究めて、二コマ漫画界の巨匠になってもらいたい。


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2021年9月8日水曜日

【読書感想文】伊藤 計劃『ハーモニー』

ハーモニー

伊藤 計劃

内容(e-honより)
21世紀後半、「大災禍」と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、見せかけの優しさや倫理が横溢する“ユートピア”。そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した―それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰にただひとり死んだはずの少女の影を見る―『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。第30回日本SF大賞受賞、「ベストSF2009」第1位、第40回星雲賞日本長編部門受賞作。


『虐殺器官』がめっぽうおもしろかったので読んでみた。

 ……これはあれだな。ぼくが読み方をまちがえたな。
 寝る前に布団の中で毎日ちょっとずつ読んでたんだけど、そうやって読む小説じゃなかった。まとまった時間をつくって一気に読まなきゃいけないやつだった。


『ハーモニー』はかなり難解な小説だった。

『虐殺器官』のほうは、ただ単純に暗殺集団に属す主人公の描写がおもしろくて、わくわくするストーリー展開を追ってるうちに壮大なSF的仕掛けが浮かびあがってくるという小説だった。

 だが『ハーモニー』のほうは、あまり動きはない。
 仲間といっしょに自殺未遂をしたり、同時多発事件があったり、主人公が命を狙われたりする。これだけ書くと波瀾万丈な小説みたいな気がするが、実際はそんなことはない。概ね静かな小説だ。説明や思索や回想が物語の大半を占めている。

 あとこれはいいところでもあるんだけど、直接的な説明が少ない。「今こうなってるんですよ。これが課題ですよ。だからこれをするためにここに向かってるんですよ」という説明がない。そこがおしゃれなんだけど、集中して読まないと「今この人はどこで何のためにこの人と会ってるの?」となってしまう。就寝前に読むもんじゃなかった。




『ハーモニー』は、健康を司る〝生府〟が人々の健康を管理する社会を舞台にしている。

 一度、わたしのぜんぜん知らない料理らしきものが延々と映し出されているメディアチャンネルを見かけたことがある。あれは何、と父に訊くと、ああ、あれは二分間憎悪、って言うんだ、と父は答えた。ああいう、脂肪過多、コレステロール過剰、塩分過多──健康に良くない、リソース意識に欠けた食事を摂っていた最後の世代が、ああいう画面を見つめながら、俺はあれを食べてはいけない、あれを口にするのは社会的存在として最低だ、リソース意識の欠如だ、公共的身体の損耗だって自己暗示をかけるんだよ。

 これは明らかな『一九八四年』へのオマージュだが、恐怖ではなく健康によって支配された世の中だ。
 これをディストピアと見る人もいるだろうが、ユートピアとおもう人のほうが多数派なんじゃないだろうか(二分間憎悪はやりすぎだが)。不健康になる自由よりも、誰もが健康でいる社会を望む人のほうが多いはず。


 だがその世の中で同時多発自殺が起こり、さらには「殺さなければ殺される」という予告が全人類につきつけられる。

「わたしたちは新しい世界をつくります。
 そのためにはまず、それができる人を選ばねばなりません。
 これから一週間以内に、誰かひとり以上を殺してください。
 手段は何でもかまいません。
 自分自身のためならば、他者などどうでもいいということを証明してください。
 いちばん大切なのは自分の命だという感情を、解放してください。
 それができない人には、死んでもらいます。
 先程も言いましたが、それをわたしたちが実行できる力があることは、この前の事件でわかったと思います。
 もしあなたが、他の誰かの命を奪うことを躊躇したら。
 たとえ自分が助かるためですら躊躇したとするなら。
 そのときには、わたしたちは容赦なくあなたを殺します。
 自分で自分の命を奪うように仕向けます。
 繰り返しますが、わたしたちにはボタン一個でそれができるのです。
 まだ信じない人のために、もうすぐそれを実証する映像をお見せします。
 おそらくは一瞬しか映りません。
 目をこらして、見逃さないようにしてください」

 はたして予告は本当なのか、本当なら誰が何のためにおこなったものなのか、どういう手段を用いるのか、そして結果は……。

 この予告がおこなわれるのが本の中盤なのだが、このへんからやっと物語が動きだす。それまではプロローグみたいなもの。プロローグなげえ。

 そこからは物語も動きだすし、いろんな謎が解けていくのでやっとおもしろくなる。
 安易な「主人公が世界を救う」系の結末にならないのもいい。


 感心したのが、ずっとHTML構文のように書かれている文章。

 〈uncomfortable〉テキスト〈/uncomfortable〉みたいな感じで。

 なんだよこれじゃまくせえ、HTMLおぼえてばかりの中学生かよ、とおもって読んでいたのだが、最後の最後で謎が解けた。なるほど、そういうことね。こういう仕掛けはおもしろい。




 よくできてるSF小説だなとはおもうけど、SF好きがSF好きのために書いた小説みたいだなー。そこまでSFファンでない者からすると、ちょっとついていけない。
 そう、「難しいことやるからがんばってついてこいよ!」って感じなんだよね。SF予備校の上級クラスの授業。
 いやこっちはそこまでの意気込みがあるわけじゃないんすよ。


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2021年9月7日火曜日

【読書感想文】ライアン・ノース『ゼロからつくる科学文明 ~タイムトラベラーのためのサバイバルガイド~』

ゼロからつくる科学文明

タイムトラベラーのためのサバイバルガイド

ライアン・ノース(著)  吉田 三知世(訳)

内容(e-honより)
残念です。私たちは紀元前XXXXXX年にいて、タイムマシンFC3000は、完全に故障してしまいました。でも、肩を落とすことはありません!必要なものは、このガイドに全て載っています。荒野に農業をスタートさせ、初めて電気の明かりを灯し、最初の飛行機で青空を飛び、みずから交響曲を作曲して、文明を、あなたの手に取り戻しましょう!本書は、皆様にあらゆるモノの発明方法をご紹介する科学本です。


 ええと、どういう本か説明するのがちょっとややこしい。
 著者の説明を信じるなら「マニュアル(取扱説明書)」ということになる。
 タイムマシンで過去にいったもののタイムマシンが壊れた人のための「新たに文明を再構築するためのマニュアル」だそうだ。
 ちなみにこの本は著者が書いたものではなく、タイムマシンを発明した世界線の人が書いたものを著者が偶然見つけたもの、ということらしい。
 うん。めんどくさいね。しゃらくさいね。

 まあ要するに、「人類が今まで発明したあらゆるもの(はさすがに言いすぎだが主要なもの)をゼロから発明するにはどうしたらいいか」を説明する本だ。

 飲料水を確保するには、農業をやるには、ウマやヒツジを家畜化するには、鉄を精製するには、紙をつくるには……と、とにかくありとあらゆる発見・発明・技術が詰め込まれている。いや、詰め込まれすぎている。

 そう、詰め込みすぎなのだ。

 ほんと、後半は読むのが苦痛だった。無駄に長いんだよね。紙の本で573ページもある。そしてつまらない記述が多い。
「心肺蘇生法をやるときに歌うべき1分間に100拍のテンポの曲のリスト」とか「有名な曲の楽譜」とか「三角関数表」とか、無駄にページ数を引き延ばそうとしているとしかおもえない。なんだそれ。
 しかも説明が長いわりに図解が少ない(図で説明したほうがはるかにわかりやすい事柄でも)。

 前半の「見つけたものが食べられるかどうかの見分け方」「役に立つ動植物」「さまざまな道具を作る方法」なんかはサバイバル術としておもしろいけど、後半は、哲学、音楽、コンピュータなど、サバイバルからは遠く離れてしまっている。
 まだ「とにかく生き延びる」に絞っていればなあ。

 この本のピークは最初だった。




 一冊の本として見たときはまとまりがなくて冗長なんだけど、断片的にはけっこうおもしろい(ところもある)。

 書くことの背後にある考え方──目に見えない音を目に見える形に変えて保存しよう──は至ってシンプルですが、じつのところ書き言葉の発明は、人類にとって極めて困難でした。あまりに困難で、人類史全体でたった2度しか起こっていません。

 ・エジプトとシュメールで紀元前3200年ごろ
 ・メソアメリカで紀元前900年から紀元前600年のあいだ

この2回です。
 書き言葉は、ほかの場所でも出現します。たとえば紀元前1200年の中国ですが、これはエジプト人に中国人が感化されたからです。同様に、エジプトとシュメールの書き言葉はほぼ同じころ登場し、見た目はまったく異なるものの、両者には多くの共通点があります。これらの文明のいずれかが書き言葉を発明し、おそらく、それがいかに有用な発明かを見て、もう一方がそのアイデアをまねたのでしょう。

「言葉を文字にする」なんて現代人からしたらあたりまえの話なんだけど、人類は長い間それをおもいつかなかった。
 5万年ほど前に話し言葉は誕生していたのに、文字が発明されたのは5000年ほど前。長い間人類は書き言葉を持たなかった。
 それは「思いついたことを、同じ時代・同じ場所にいる人にしか届けられなかった」ということでもある。
 もしかしたら数万年前の人類は、めちゃくちゃおもしろい物語とかすばらしい音楽とか現代人より優れた技術を持っていたかもしれない。でも時代を超えてそれを伝える手段を持っていなかったがために、廃れてしまった。なんともったいない。

 もしも現代人が5万年前に行って「話していることを粘土とか板とか石とかに記しておけば、知り合い以外にも伝えられるよ」とだけ教えれば、数万年分のアドバンテージを得られることになる。初期から文字を持っていれば、科学は今よりずっとずっと進歩していることだろう。




 様々な発見・発明の歴史を見ていると、昔の中国ってすごかったんだなあとおもわされる。
 羅針盤・火薬・紙・印刷の四大発明が有名だが、絹、ニワトリの家畜化、低温殺菌技術、麹の利用、製塩、サングラス、舵、傘、車輪など、実に多くのものが中国で発明されている。

 とはいえ近代の歴史を見ると、中国は決して世界のトップを走ってきた国ではない(最近またトップに返り咲こうとしているが)。
 なぜ最も科学技術が発展していた中国が、ヨーロッパ諸国に抜かれ、水を開けられたのか。
 そのヒントとなるのが印刷だ。

 活字は、西暦1040年ごろの中国に存在しましたが、本当に軌道に乗ったのは、数世紀のちにヨーロッパにこの技術が到達してからのことでした。それは、もうひとつの画期的発明、アルファベットのおかげです。中国の表記法は、表音的な言語のように、音を表す限られた数の文字を使うのではなく、意味を表す膨大な数の文字を使うので、一冊の本に60,000種以上の異なる文字が使われています。どちらの文字体系にも長所と短所がありますが、活字を使う際の中国の文字体系の短所は深刻です。60,000種類の文字よりも、26種類の文字のほうが、保管し分類するのは、はるかに安価で簡単です。

 中国が製紙+印刷技術のおかげで、知識を広く伝達することができた。だがその恩恵をこうむったのは、活字にしにくい漢字を使う中国ではなく、26種しかないアルファベットを使うヨーロッパのほうだった。結果、ヨーロッパで産業革命が起こり、優れた科学技術を持っていた中国はヨーロッパ諸国に追い抜かれてしまった。
 中国が生んだ製紙と印刷が中国を(相対的に)衰退させたなんて、なんとも皮肉な話だ。

 もちろん他の要因もあるんだろうが、これはおもしろい話だ。




 テレビドラマにもなった『JIN-仁-』という漫画があった(読んだことないけど)。
 脳外科医が江戸時代にタイムスリップし、その医療技術を活かして多くの人の命を救うという話だそうだ(読んだことないのでまちがってたらスマン)。

 医師だから別の時代に行っても活躍できた……とおもいきや、特別な医療技術を持たない我々でも十分命を救える可能性はある。

・地球上で最も猛威を振るった伝染病は冬に起こりました。なぜでしょう? それは、死んだ人の衣服を着てしまう可能性が冬に最も高かったからです。衣服にシラミがたかっているひとりの人間が、町全体に疫病を広げる源になる可能性がありました。死んだ人の衣服は、熱湯で煮沸した後でない限り、絶対に身に着けないでください。病気で死んだ人のものならなおさらです。
 あなたが食べたい食物は、ほかの植物や動物もそれを食べはじめると、やがては、あなたが食べたくない食物になってしまいます。このプロセスは「腐る」、「傷む」、あるいは「ご飯が台無しになる」と呼ばれ、暮らしのなかの自然な出来事なのですが、食欲が削がれますし、有毒でもあります。そんなプロセス、できる限り遅らせたいですよね。ここに、あなたの秘密兵器をお教えしましょう。「地球上のすべての生き物は──食物を傷めてしまう微生物も含めて──、生存のために水が必要です。また、その水があったとしても、大部分の生き物は特定の温度と特定の酸性度の範囲内でなければ生き残れません」。このことに気づかれたなら──そして、私たちが今お話ししたので、あなたはこれに気づいたわけです──、ほかの生物から食物を自分で守り、保存することは可能だと納得されるでしょう。それにはこの、水、温度、酸性度というパラメータのいずれかひとつかふたつを極端な値にして、食物の上では生物が生きられないようにすればいいのです。それに、ひとつの保存手段だけを使い続ける必要はありません。食物を、乾燥させて塩漬けにしたり、燻製にして冷凍したり、ピクルス漬けにして缶詰にしたりしていいのです。そうすると、一層美味しくなることもありますし!

 我々は医師ではないけど、ほとんどの病気が細菌やウイルスによって引き起こされることを知っている。
 そしてそれらの多くが「汚い手で触らない」「きれいな水で手を洗う」「乾燥させる」などのごくごくかんたんな方法で防げることも。
(特に新型コロナウイルス流行以降の人間はよく知っている)

「食事前に手洗いうがい」「傷口は流水で洗う、汚い手で触らない」といったことを伝えるだけでも、多くの命を救えるはず。

 ぼくやあなたも過去に行けば名医になれるのだ(言うことを信じてもらえればだけど)。




 ということで、パーツパーツで見ればおもしろいところも多い本だった。

 だが一冊の本として見れば、とにかくまとまりがない。
 はあ疲れた。百科事典を読破したような気分だぜ。


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