2021年1月27日水曜日

【読書感想文】食生活なんてかんたんに変わる / 石川 伸一『「食べること」の進化史』

「食べること」の進化史

培養肉・昆虫食・3Dフードプリンタ

石川 伸一

内容(e-honより)
私たちがふだん何気なく食べているごはんには、壮大な物語が眠っている。食材を生産、入手するための技術、社会が引き継いできた加工や調理の方法、文化や宗教などによる影響…。人間は太古の昔から長期間にわたって、「食べること」の試行錯誤を重ねてきた。その食の世界が今、激変してきている。分子調理、人工培養肉、完全食のソイレント、食のビッグデータ、インスタ映えする食事…。こうした技術や社会の影響を受けて、私たちと世界はどう変わっていくのだろうか。気鋭の分子調理学者が、アウストラロピテクス属の誕生からSFが現実化する未来までを見据え、人間と食の密接なかかわりあいを描きだす。

 テクノロジーの発展にともない、「食べること」はどう変わってきたのか、そしてこれからどう変わってゆくのかを大胆に予想した本。

 この手の未来予測本は大好きなので、読んでいて楽しい。五十年後ぐらいに答え合わせをしたい。




 我々がふだん「食と健康」について考えるとき、「食べ物」と「ヒト」についてしか考えない。こういう人はこれを食べるといい、というように。
 だが、ヒトの体内で食物を分解・吸収するために働いているのは腸内細菌だ。
 だから将来、腸内細菌をコントロールする方向に進歩すると著者は指摘する。

 腸内細菌の人体への影響、健康との関わりが明らかになるにつれて、次はその腸内細菌をいかにコントロールするかというテクノロジーに注目が集まっています。腸内細菌のマネジメントは、日常的に口に入れるもの、つまり食べものなどによって、自分の健康に良い微生物の集団として制御することが、一番簡単で効果的です。ふだん私たちは、〝自分〟にとって都合の良いごはんを考えますが、健康維持のためには、「自分にとってのごはん」と同様に、自分のお腹にいる「腸内細菌にとってのごはん」も入念に考えなければならなくなるでしょう。
 ある種のオリゴ糖などの「プレバイオティクス」のように、腸内の善玉菌を増殖させる成分もすでに明らかになってきています。が、年齢や性別、体調や病気、さらには自分の遺伝子によって、腸内細菌の種類と割合などをよりきめ細やかにコントロールする時代がやってくるでしょう。そうなると健康は、これまでの「食べもの」と「ヒト」の二者の相互関係を考えるだけでは不十分で、「食べもの」「ヒト」「腸内細菌」の関係を〝三位一体〟で考えることが必要となります。

 ふうむ。たしかに腸内細菌のマネジメントは欠かせないよな。
 健康を考える上で「食べ物」と「ヒト」のことしか考えないのは、国家を考える上で「領土」と「資源や輸出入などモノの流れ」だけを考えて、国民を無視するようなものだよね。
 ぼくらの身体の国民は細菌だ。

 ヒトの成人の脳と腸は、重量がどちらも1キログラム程度で、ほぼ同じくらいの重さです。それに対して、ヒトと同じ程度の体重の哺乳類の大半は、脳の大きさがヒトの約5分の1程度なのに対し、腸の長さが人間の約2倍あります。つまり、ヒトは相対的に大きな脳と、小さな腸を持っている動物といえます。
 このヒト特有の脳と腸の大きさの比は、最初の狩猟採集民の登場とともに始まった、腸から脳への一大エネルギー転換の結果だという説があります。初期ヒト属は、食事に肉などを追加することによって、大きな腸よりも大きな脳をもつ種へと変わっていきました。つまり、腸にエネルギーが以前ほど使われなくなった分、そのエネルギーを脳の成長と維持にまわすことができるようになったといえます。

 他の動物にはないヒトの特徴、といえばまずは「大きな脳」が思いうかぶが、「短い腸」もヒトの特徴だ。加熱調理をすることでエネルギーを効率的に摂取することができ、食事に長い時間をかけなくても大きな脳を維持できるようになったわけだ。
 ってことは生野菜やフルーツばっかり食ってる人って脳の活動が鈍いのかな。たしかに極端な菜食主義者って脳の活動が鈍いイメージが




 ヒトにはわずかな遺伝子の違いがあり、その個体差は「遺伝子多型」とよばれています。この遺伝子多型が、アレルギー体質や薬に対する効きやすさなどの違いを生み出しています。
 医療から始まった個別化、すなわちテーラーメイド化は、現在、栄養分野にも波及しており、個人個人の体質や遺伝子多型に合った栄養指導としての「テーラーメイド栄養学」があります。薬だけでなく、食品がヒトの身体に及ぼす影響の程度も、人によって違うことがあります。これは、遺伝子多型によって、栄養素の消化、吸収、代謝、利用などに個人差があるためです。
 食品の摂取にともなって起こる遺伝子発現を網羅的に解析する手法は、「ニュートリゲノミクス」とよばれ、個人の「体質」を調べるのに用いられています。個々人の遺伝子多型を考慮した適切な食事を摂ることで、「個の疾病予防」や「個の健康増進」に有効な役割を果たすことが期待されています。ニュートリゲノミクスによる遺伝子多型研究や、胎児期のエピジェネティクス研究などにより、ふだんの生活から、個人に最適な食のデザインを目指す「テーラーメイド栄養学」にますます注目が集まっていくでしょう。

 ぼくは太らない。
 炭水化物が大好き。甘いものも好き。たいして運動もしない。
 でも太らない。昔からずっと痩せ型で、四十手前になった今でもほとんど体重が変わらない。そういう体質なのだ。エネルギーの貯蔵ができないし消費カロリーが多い(=燃費が悪い)タイプ。
 現代ではお得な体質だが、食糧不足の時代には真っ先に死んでしまうタイプだ。

 だから「太らないためには糖質や炭水化物を控えましょう」なんて聞くと、アホじゃねえのとおもう。
 もちろんダイエットには運動や食事制限が重要だが、それ以上に「体質」も大きな要素だ。

 すぐ太るタイプと、ごはんや甘いものを食べても太らないタイプがいる。それを無視してダイエットや食事療法を語るなんて無意味。
 未来では、「21世紀前半までの人はすべての人にいい食事があるとおもってたんだって。ライオンとシマウマに同じ餌を与えとけばいいとおもってたのかな」なんて言われてるかもね。



 食生活が変わることに抵抗を感じる人も多いだろう。
 コロナ禍で会食を控えましょうと言われていても、なかなか変えられない政治家も多い。

 でも、人間の食生活なんてかんたんに変わるものだ。
 我々は「家族そろって食事をするのが正しい姿」とおもいこんでいるが、「家族そろって食事」の歴史はすごく浅い。

 家族関係学が専門の表真美氏は、日本の家族団らんの歴史的な変遷を調べています。その調査によれば、近代までの一般的な家庭の食事は、個人の膳を用いて家族全員がそろわずに行われ、家族がそろっても食事中の会話は禁止されていました。では、食卓での家族団らんは、どのように始まり、どのように普及していったのでしょうか。
 かつて、団らんの移り変わりには、「欧米からの借りものとしての団らん」「啓家としての団らん」「国家の押しつけとしての団らん」があったことが知られています。
 食卓での家族団らんの原型が誕生したのは、明治20年代でした。教育家・評論家の蔵本善治が、食卓での家族団らんを勧める記事を書き、キリスト教主義の雑誌にも同様の記述が複数登場しました。その後、国家主義的な儒教教育と結びついた記事により、家族そろって食事をするべきだという意見が広がっていきました。
 その後、家族団らんが、一般的な家庭の食事風景になったのは1970年代頃でした。NHKの国民生活時間調査によると、この頃、家族で食事している家庭は約9割に達しています。共食が常識だったこの時代の家庭科の教科書には、家族一緒の食事を促す記述はほとんどみられません。

「最近の家族は子どもの塾通いなどでみんなばらばらに食事をとっている! 個食だ! けしからん! 子どもの正常な発達が!」
なんて人がいるけど、一家そろって食事をしていた時期なんて日本の歴史からしたらごくわずかなのね。

「昔はよかった」系の人が理想とするのは昭和時代が多いけど、日本の歴史において昭和ってすごく異常な時代なんだよね。
 専業主婦が主流だったのは昭和だけ、自由恋愛で結婚するのが多数派になったのも昭和、自分で職業を選ぶようになったのも昭和、人口が増えたのも経済が成長したのも二十世紀だけが異常なスピードだった。そもそも「伝統」を意識するようになったのが近代以降。

 食生活なんか数十年でかんたんに変わる(その上さもずっと昔からそれが続いていたと信じこんでしまう)のだから、今世紀後半にはまったく別の食生活になっているかもしれないね。
 すでにコロナ禍のせいでずいぶん変わったし。


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2021年1月26日火曜日

【読書感想文】ご都合のよいスタンド能力 / 東野 圭吾『ラプラスの魔女』

ラプラスの魔女

東野 圭吾

内容(e-honより)
ある地方の温泉地で硫化水素中毒による死亡事故が発生した。地球化学の研究者・青江が警察の依頼で事故現場に赴くと若い女の姿があった。彼女はひとりの青年の行方を追っているようだった。2か月後、遠く離れた別の温泉地でも同じような中毒事故が起こる。ふたりの被害者に共通点はあるのか。調査のため青江が現地を訪れると、またも例の彼女がそこにいた。困惑する青江の前で、彼女は次々と不思議な“力”を発揮し始める。


(ネタバレ含みます)

「ラプラスの悪魔」という概念がある。
 ピエール=シモン・ラプラスによって提唱されたもので、「初期状態がすべてわかればその後何が起こるかわかる」という考え方だ。
 たとえば坂道の上にボールがあり、坂の角度、ボールの質量、摩擦の大きさ、大気圧、風向きと風速などがわかっていればボールがどこまで転がるかは事前に予測できる。それと同じように、宇宙誕生の瞬間の状況を理解できれば、未来も含めこの宇宙で起こる出来事すべてを言い当てることができる、というわけだ。

 たしかに理論上は可能かもねーという気になるが、この考え方は現在では否定されている。カオス理論なるものによって複雑な事象の未来余地ができないことがわかった(らしい)のだ。もっとも、カオス理論について書かれた本を何冊か読んだが、ぼくにはさっぱり理解できなかったが。


 まあそんな「ラプラスの悪魔」の能力、つまり物理的な動きを予見する能力を人間が手に入れたら……というSF小説だ。

 SFには説得力が必要だ。嘘をもっともらしく見せるハッタリ、といっていい。『ラプラスの魔女』は残念ながら、そのハッタリが弱かった。

 能力を獲得した経緯については冗長といってもいいほどの理由付けをおこなっている(はっきりいって能力が説明されるまでがものすごく長い。読者はとっくにわかってるのに)。脳の損傷、天才的外科医による手術、損傷した部位を補うための超常的な回復……。
 それはいい。「こういうわけで物理的な動きを予想できるようになりました」これは納得できる。たとえば一流アスリートは一般人よりもボールの動きを読む力に長けているわけだから、「それのもっとすごい版」を獲得するのであれば「まあそんなこともありうるかもしれないな」とおもえる。

 ただ、この小説に出てくる「ラプラスの悪魔」の能力は度が過ぎる。紙片の落ちる位置や気体の流れる方向を予測したりするのはいいとして、「人間の行動もだいたい予測できる」「その場にいない人間の行動まで読める」「話術によって他人の意思を操れる」といった能力まで付与されている。それラプラスの悪魔の能力をはるかに超えてるやん……!

 当初は「物理的な変化を予測する」能力だったのに、いつのまにか未来予知能力に進化しているのだ。能力が進化するってもはやジョジョのスタンドやん。
 あと「奇跡的に獲得した」はずの能力だったのに、あっさりと別の人物にコピーできてるし。エンヤ婆の弓矢かよ。




 そして……もっとも興醒めだったのは、ぼくが大嫌いな「真犯人が訊かれてもいないのに過去の犯行や自分の内面をべらべらとしゃべる」があること。『プラチナデータ』もそうだったけど。
 おしゃべりな犯人を登場させる小説ってダサいよね。最後に犯人が敵を相手に一から十まで言っちゃうやつ。犯人は冷酷非情で頭脳明晰なはずなのに、なぜか最後だけ親切なバカになって自分にとって不利なことをべらべらとしゃべっちゃう。火曜サスペンスか。

 ああ、やだやだ。もう「訊かれてもいないのにべらべらとしゃべる犯人」は条例で禁止にしてほしい!


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【読書感想文】犯人が自分からべらべらと種明かし / 東野 圭吾『プラチナデータ』



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2021年1月25日月曜日

夫婦間の負担が公平であってはいけない


■増田やはてブの年長者の方にお知恵をお借りしたいです


 これを読んでいろいろ考えた。
 ぼくは生まれ育った実家を除けば、二回他人との共同生活を送り、一度は失敗して一度は今のところうまくいっている。

 一回目は大学生のとき。姉の通う大学とぼくの大学が近かったので、2LDKで3年間いっしょに暮した。
 これは失敗した。そこそこうまくやってたのは最初の半年ぐらいで、最後の一年ぐらいはほとんど口も聞かなかった。

 姉弟だから実家生活の延長でうまくいくだろうとたかをくくっていたのだが、姉弟だからこそうまくいかなかったのかもしれない。遠慮の無さが悪いほうに転がった(今の関係は良好だけどね)。


(以前書いた記事)  姉との二人暮らし

 うまくいかなかった理由はいろいろあるけど、よく衝突したのは家事の負担をめぐってだった。
 はじめは料理や洗濯や掃除の分担を決めていたのだが、求める水準が姉とぼくとではずいぶんちがった。ぼくはだらしない人間なので部屋が汚れても平気だし洗濯物が溜まってもいいし料理も食えて腹が膨れりゃなんでもいい。姉は全般的にきっちりしている。

 そういうふたりが「家事を半分ずつこなそう」なんて無理がある。姉はぼくのやりかたに文句をつけ、そのたびにぼくはやる気をなくてしてますます家事を雑にやるようになった。


 二度目の共同生活は、九年前から。結婚して妻と暮らすことになった。
 これも最初はいろいろとぶつかった。やはりぼくのやりかたが気に入らない妻が不満を抱えた。特に、「妻が先に住んでいた家にぼくが後から転がりこむ」という形だったので、妻はそれまでのやりかたを変えなければならないことがあったし、ぼくはぼくで既にあるルールを押しつけられる形だったので気に入らないことも多かった。

 いろいろぶつかったが、ぼくにとって助かったのは、妻があきらめてくれたことだ。
「この人が洗い物を丁寧にやることを期待するより自分がやったほうが早いしストレスも少ない」
とおもってくれたことだ。
 幸か不幸か妻のお父さんがまったく家事をしない人だったそうなので、「それよりはマシ」とおもってくれたらしい。

 そんなわけで妻がぼくに期待する家事負担は50ではなく10か20ぐらいになった。
 子どもができ、妻が産休・育休をとったことで、妻のほうが家にいる時間が長くなったこともある。

 その代わりといってはなんだが、生活費はぼくのほうが多く入れているし(妻は時短勤務なのでその分給料も減っているので)、ぼくはぼくの得意なことをやっている。休日はほぼずっと子どもといっしょにいる。その間妻は昼寝や趣味に時間を使っている。




 で、冒頭の記事の話に戻るけど。
(3歳が書いたとかいうのはめんどくさいから無視する)

 たった二例ではあるが、ぼくが共同生活に失敗と(今のところ)まずまずうまくいってる経験からいうと、この人みたいにきっちり家事の分担を分けて50:50にもっていこうとするとまず失敗する。

 55:45だからダメとかそういう問題じゃなくて、そもそも「どうやったら損をしないか」って考えてる時点でもうダメ。

 人間関係はファジーなほうがうまくいく。貸し借りとか損得をあいまいにしとくほうがいい。
 お隣さんからリンゴをおすそ分けしてもらったとき、そのリンゴの市場価格を調べてその日のうちに同額の現金または商品でお返しする人はうまく近所付き合いができない。
 友だちや恋人に
「あの飲み会のときは自分が〇円多く出した。旅行のときは向こうがガソリン代を払った。こっちは引っ越しの手伝いをしてあげた」
と勘定を口にする人からはみんな離れていく。
「ああこの人は自分のことを損得の対象としてしか見てないんだな」っておもうから。


 ぼくの友人夫婦の話をする。
 妻のほうが重い病気になり、遠くの病院に入院することになった。結局一ヶ月くらい入院していた。その間、夫のほうは大変そうだった(もちろん妻のほうも大変だっただろうが)。仕事をしながら、入院にまつわるあれやこれやをして、子どもたち(ふたりとも保育園)の面倒も見なければならない。子どもたちのおじいちゃんおばあちゃんに来てもらったりもしていたが、負担は相当大きかっただろう。フルタイムで働きながら家事と育児を一手に引き受けていたのだから。

 幸い妻の病気は治り、今は何事もなく暮らしている。そして大変な局面を乗り越えたこの夫婦は、入院前よりも仲良くなったらしい。
 もしも夫のほうが「どんなときでも家事は半分ずつ」とか「入院中は自分が全部やってたんだから退院後はそっちの負担を大きくするべき」とか言ってたら。まちがいなく、夫婦仲は修復不能なほど壊れていただろう。


 夫婦は持ちつ持たれつであるべきだが、それは何もすべてを50:50でやるということではない。家庭への貢献は、生活費とか、家事とか、育児とか、介護とか、高額な生命保険に入るとか、食卓でおもしろい話をするとか、いるだけで場がなごむとか、いろいろあるはずだ。当然ながら全部を数値化して貢献度合いを半分ずつにすることは不可能だ。


 だから冒頭の相談についてもしぼくがアドバイスするとしたら、「そんなこと気にするな」としか言いようがない。気にすること自体がまちがいなんだから。
 身も蓋もない結論になっちゃうけど。


2021年1月22日金曜日

【読書感想文】江戸時代は百姓の時代 / 渡辺 尚志『百姓たちの江戸時代』

百姓たちの江戸時代

渡辺 尚志

内容(e-honより)
江戸時代の人口の八割は百姓身分の人々だった。私たちの先祖である彼らは、何を思い、どのように暮らしたのだろうか?何を食べ、何を着て、どのように働き、どのように学び、遊んだのか?無数の無名の人々の営みに光をあて、今を生きる私たちの生活を見つめなおす。

 江戸時代の人々、と聞いて我々がイメージするのは将軍、武士、商人、町人などが多い。歴史の教科書でも時代劇・時代小説でも舞台になるのはたいてい町か城。農村が舞台になることはほとんどない。
 庶民の娯楽である落語でも、農村が出てくるのは『池田の猪買い』『目黒のさんま』などほんのひとにぎりの噺だし、それらも主役は町人や武士であって百姓は脇役だ。

 だが江戸時代、人口の八割以上は農民だった。江戸時代の庶民とはつまり、農民なのだ。我々も祖先をたどればほぼ間違いなく百姓にいきあたるだろう(ぼくは二代前であたる)。

 圧倒的多数が農民であったにもかかわらず、ぼくらは江戸時代の農民の暮らしを知らない。
 小学校の社会の教科書に「千歯こきなどの道具が広まって農業が便利になった」とか書いてあったぐらい。あとは「飢饉のときは娘を売った」「厳しい年貢の取り立てで食うや食わずの生活を送っていた」「米などめったに食えずあわやひえを食っていた」といった〝過酷な生活〟のイメージしかない。




『百姓たちの江戸時代』では、当時の文献をもとに江戸時代の農民の生活を暮らしをしている。

 この本によると、一般的なイメージよりずっと豊かな生活が浮かびあがってくる。
 けっこう米を食べていた。頻繁に貨幣を使って買物をしていた。農業だけでなく金融や投資で稼いでいる農家もあった。寺子屋で勉強して読み書きのできる農民も少なくなかった。

 意外といい暮らしをしている。

 信濃国(今の長野県)の農家であった坂本家という家の文書によるデータ。

 坂本家の年中行事と交際をみましょう。元旦に賽銭の記載があり、行き先は不明ですが初詣に行っています。年始・年玉の記載もありますが、数は多くありません。年始には、柿やするめを持参しています。二月には、初午(二月の最初の午の日に、稲荷社で行なわれる祭り)・二ノ午への小遣いがあります。桃の節句には、離・離菓子を買い、文政八年(一八二五)には、離餅を作って、他家にも配っています。また、慶応元年(一八六五)には、端午の節句のために、五月三日に飾り鯉一枚を買っています。一二月には、歳暮・門松・羽子板を買っている年があり、海老や田作を買っているのも正月用でしょう。餅は、文政七年(一八二四)一二月に餅米四斗、粟四升、文政八年末に餅米三斗二升、餅粟四升をついています。今日につながる、各種の年中行事が行なわれていたのです。

 この坂本家は村の中ではトップクラスの裕福な農家だったらしいが(収支を記録して文書にして残しているぐらいだから当然だ)、とはいえ桁外れな金持ちというほどではなく、村に数軒あるレベルの家だった。今でいうなら年収1000万ぐらいの層だろうか。

 これを見ると、けっこう生活に余裕があるなという気がする。雛人形や鯉のぼりや羽子板や、季節ごとの食べ物といった縁起物を頻繁に買っている。

 さらに坂本家では農地を人に貸して小作料をとったり、農具や種子や馬を売買したり、お金のやりとりを頻繁にしている。
 江戸時代というと遠く離れた昔という気がするが、じっさいは百年前(大正時代)の農村とそう変わらない生活をしていたのかもしれない。

 都市の生活は近代以降で一変しただろうが、農村の暮らしはあまり変わっていないかもしれない。ぼくの父(昭和30年生まれ)も家で牛を飼ってたらしいし。




 江戸時代の土地・財産に関する考え方について。

「どの農家にも、先祖から譲り受けた耕地や財産がある。それらを自分の物だと思うことは、最大の誤りである。ゆめゆめ自分の物だとは思うな。それらは、家を興した先祖の耕地・財産であって、先祖からの預かり物である。大切に所持して、子孫に伝えるべきだ。……家の先祖は主人、現時点での家長は手代・番頭のようなものだ。時の家長は、主人の宝を預かって家を経営しているのであり、生涯に一度は功績を立てて家を発展させることが、父母・先祖への孝となるのだ」(『農業要集』)。
「家督相続について。先祖より代々伝わった家財・田畑・山林などは、皆預かり物である。預かり物はすべて大切に手入れし、損じた品は補充し、一品たりとも不足のないようにして子孫に譲るのが、家長の第一の務めである」(『吉茂道訓』)。
 以上の例からわかるように、江戸時代においては、村の耕地は個々の家のものであると同時に村全体のものでもあり、耕地の所有は村によって強い規制を受けていました。百姓たちは、土地を排他的・独占的に所持しようとするのではなく、村に依拠し村の力に支えられつつ所持地を維持していこうと考えていたのです。
 こうした土地所有のあり方は、近代以降のそれとは大きく異なっています。しかし、多くの百姓たちは、自分の所持地について独占的な権利を主張するだけでは所持地を維持していくことは難しいと考えていました。他者を排除して土地を囲い込むことだけを考えていては、経済的困難から所有権を手放さなければならないような危機的状況におかれたとき、誰も助けてはくれません。逆に、共同所有(共有)と個別所有(私有)が重なり合ったような江戸時代の所有形態であれば、個々の百姓が困窮したときには村が援助してくれます。そこで、江戸時代の百姓たちは、前記のような所有のあり方を主体的に選択したのです。
 われわれは、他者を完全に排除するほど所有権が強固になると考えがちですが、江戸時代の百姓たちは、村の共同所有のもとで、村の保護と規制を受けたほうが、家の所有権が確かなものになると考えました。村、すなわちほかの村人たちの総意を受け入れるなかで、自家の永続を目指したのです。個と集団の共生の思想だといえるでしょう。

 村に所属する家が、家や田畑を村外の人間に勝手に売ってはいけないことになっていたそうだ。

 この考え方、非合理的なようですごく理にかなった考えかもしれない。

 資本主義社会では、基本的に「取引は自由である」という考えにのっとって動いている。当事者間の同意さえあれば、法に触れないかぎりはどんな契約をしても自由。
 資本主義社会では「個人の土地売買を村が制限する」ことは、自由な取引を阻害するものとして悪とみなされる。

 だが、自由な取引がおこなわれた結果どんな世の中になったかというと、富める者がますます富み、貧しい者はどんどん奪われる社会だ。当然だ。「なくなっても生活に困らない金がふんだんにある者」と「明日の生活に困っている者」が対等の契約を結べるわけがないのだから。

 たとえば古い商店。商店街組合に属していて、何をするにも組合のお伺いを立てないといけない。他との兼ね合いもあるので勝手に安売りをすることもできない。不自由だ。
 ところが組合がなくなって競争が完全自由化されると、大手資本のショッピングモールがやってきて、資本にものをいわせた価格と品揃えで古い商店を軒並みつぶしてしまう。
 これと同じことが様々な業界でおこなわれている。小資本は根こそぎつぶされて、大手資本の言いなりになる以外の生きる道は絶たれてしまう。

 消費者にとっては一時的な恩恵があるかもしれないが、総収入が減ることは長期的には損だ。生産者もまた消費者なのだから。

 カルテルやギルドは不自由だが、すべてのメンバーが長期的に繁栄していくためには必要なものだったのだ。


 斎藤 貴男『ちゃんとわかる消費税』という本に、こんな一節があった。

航空機のキャビン・アテンダント(CA)が真っ先に契約社員に切り換えられていきました。もちろん当事者は怒ったけれど、世間は「企業にとってよいことなら労働者にとってもよいはずだ」というように受け止めたのです。
 これは労働組合のナショナルセンターである連合の人に聞いた話ですが、最初がキャビン・アテンダントだったことには大きな意味がありました。他にも、早くから派遣に切り換えられていったのは、女性の、当時で言うOLたちでした。男性の仕事はすぐには派遣にならなかった。今は性別に関係なくどんどん派遣や請負に切り換えられてしまっていますが、あの頃の連合は、女性について「主たる家計の担い手ではない」という古い認識から離れられずにいたのです。連合の組合員の圧倒的多数は大企業の男性正社員でしたから、「女性の労働者がいくら非正規になったところで関係ないし、社会全体にとってもたいした影響はないだろう」と放置してしまっていた。ところが、次第に製造業に派遣が広がって、主たる家計の担い手であった男性も同じような目に遭っていきます。新自由主義の搾取のスタイルに当事者として被害を受けるようになるまでは、労働組合も問題の所在に気づくことができなかったわけです。

 規制緩和がなされれば、当初は「ごく一部の人だけが大きく損をして、他の人たちはちょっとだけ得をする」んだよね。
 だから「規制緩和だ」「既得権益をなくせ」という為政者に民衆は喝采を送る。
 だが、はじめはごく一部だった「大きく損をする人」はどんどん広がる。CAだけだった派遣労働者が、他の業界にも拡がっていったように。


 様々な規制緩和の結果、日本の財産(土地とか労働とか種子とか水とか流通とか)はどんどん海外に売られている。

 江戸時代の農村のような「村人の財産は村のもの」という考えを守っていれば、防げていたかもしれない。今さらもう遅いのかもしれないけど。


 江戸時代の農村のやりかたのほうが百パーセントいいとは言わないけど、古くからあった(一見無駄な)システムには合理的な理由があると気づかされる話だ。


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2021年1月21日木曜日

いちぶんがく その3

ルール


■ 本の中から一文だけを抜き出す

■ 一文だけでも味わい深い文を選出。



「悪者退治をしたくてうずうずしてるやつらはわんさといるんだから、そいつらが大挙して押し掛けてくるよ」


(星野 智幸『呪文』より)




「イラクでのAV撮影」という、現地で死刑になってもおかしくないような仕事の依頼もあった。


(雨宮処凛『「女子」という呪い』より)




砂糖を腹一杯食べているアリを捨てる手があるか?


(高野 秀行『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』より)




事件後、彼らの暮らしていた部屋のベランダに置かれた洗濯機には、脱水をかけられたままの洗濯物が残されていたという。


(吉田 修一『女たちは二度遊ぶ』より)




二回目の西洋トイレの試みはさらに難解で、意表を突いたディズニーランドだった。


(M.K.シャルマ(著) 山田 和(訳)『喪失の国、日本 インド・エリートビジネスマンの「日本体験記」』より)




「あいつら人間の内側を金に変えよる」


(塩田 武士『騙し絵の牙』より)




ポケットにつっこんでいた手がマッチに触れたとたん、ぼくにはすばらしい思い付きが生れた。


(加賀 乙彦『犯罪』より)




20歳以上サバを読んでる人との会話ってものすごい大変だということを知った。


(田房 永子『男しか行けない場所に女が行ってきました』より)




お袋の口から出てくるべき音じゃないと思った。


(いとうせいこう『想像ラジオ』より)




「どう見ても、瓶の口が仔猫の頭よりも小さいのに、どうやって入れたっていうの?」


(道尾 秀介『向日葵の咲かない夏』より)




 その他のいちぶんがく