2018年8月24日金曜日

寄附したのに満足感がない


最近、二回寄附をした。

ひとつは、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)への寄附。世界各国の難民援助に使われるのだという。
駅前で寄附を呼びかけていたので、ちょうどシリア難民の本を読んでいたこともあり、月々2,000円ずつ寄附をする手続きをした。

もうひとつは、娘の通っている保育園。
園舎が老朽化しているが保育料だけでは改修・補強費用を捻出するのが厳しいので5,000円の寄附をお願いします、というお便りが来た。5,000円を支払った。

どちらも自分で意志でしたことだ。お願いはされたが断っても良かった。
でも、少しでも貢献できるなら、という思いで寄附をした。自己満足のためだ。

しかしどうも満足感が得られない。自己満足のためにやったのに。
後悔しているわけではないが、「やった! いいことした! ぼくえらい!」という感触が得られない。

「おかげで難民の家族で二ヶ月分食べていく食糧が手に入りました」
 とか
「保育園の階段のこのくずれかけていた部分は〇〇さんの寄附金で修復しました」
 みたいな成果がわかりやすく目に見えればいいんだけど。

が、まあそれはむりな話だ。
難民がぼくと会うことはないだろうし、難民だっていちいち寄附した人に感謝なんかしてないだろう。ぼくも道路を歩くたびに納税者に感謝なんかしない。


思うに、何ももらえないのが「満足感のなさ」につながっている気がする。
いや寄附ってそういうもんでしょと言われたらそれまでなんだけど、やっぱり何かほしい。

「寄附してない人と寄附した人が同じ」ってのが嫌なんだろうな。なんか損した気分になる。

市場経済にどっぷり浸かって暮らしているぼくとしては、お金を払った以上は何かもらいたい。品物なりサービスなり。
「何ももらえないけど2,000円寄附する」よりも「UNHCR限定ボールペンを3,000円で買う」のほうが心理的抵抗が少ない。100円で売ってるような安いボールペンでもいいから。
ほら、赤い羽根共同募金みたいなの。あんなんでいいのよ。赤い羽根。あんなのべつにいらないでしょ? あんなのつけてるの小学生と代議士だけでしょ。でもあれをもらえることで、寄附への抵抗がぐっと下がる。

海外の映画を観ていると、子どもたちが「恵まれない子どもたちのためにクッキーを買ってください」なんて言いながら家をまわるシーンが出てくる。
あれ、すごくいい。「寄附してくれ」じゃなくて「クッキー買って」というのがいい。あれならお願いする側も卑屈にならなくてすむし、お願いされる側も応えやすい。
ハロウィンのトリックオアトリートとかどうでもいいから、ああいう習慣を日本でも取り入れたらいいと思う。


「いやいや見返りがないからこそ寄附という行為は価値があるのだ」と高邁な精神をお持ちの方はいうかもしれないけど、ぼくみたいな俗物はやっぱり見返りがほしいんだよ。
ああ、小さい人間さ。


2018年8月23日木曜日

【読書感想文】殺し屋.comという名発明/曽根 圭介『暗殺競売』


暗殺競売

曽根 圭介

内容(e-honより)
副業で殺しを請け負う刑事、佐分利吾郎。認知症の殺し屋のアカウントを乗っ取ったホームヘルパーの女。成功率100%、伝説の凄腕殺し屋ジャッカル。闇の“組織”へと肉迫する探偵、君島。暗殺専門サイト“殺し屋.com”をめぐり、窮地に追い込まれてゆく彼らを待ち受けるのは、希望か、破滅か。日本ホラー小説大賞、江戸川乱歩賞、日本推理作家協会賞、史上初の3冠を達成した異才が放つ、奇想天外の殺し屋エンタテインメント!

まずどうでもいいことを書くと、表紙が嫌いだ。文字の縦横比率をつぶすのがイヤなんだよね。見ていてすごく気持ち悪い。

それはそうと、本文はおもしろかった。曽根圭介氏らしい「よく作りこまれているけどでもちょっとゆるいサスペンス」という感じ。
曽根圭介作品って粗だらけなんだよね。伏線は回収するけど手つかずのまま残すものもあるし、会話はハードボイルド風で現実離れしてるし、キャラクターはステレオタイプだし。

でもぼくは好きなんだよね。小説としてはうまくないけど、それが逆にストーリー運びの邪魔をしてなくていい。漫画的だから漫画化すればすごくおもしろくなりそう。
乾いた残酷さやブラックユーモアも好み。警察署のマスコットキャラクターが「パクルくん」とか殺し屋向け暗殺道具のオンラインショップが「昇天市場」とか。

"殺し屋.com" というサイトが小道具として登場する。
殺し屋.comにはターゲット・殺し方・期日などを指定した暗殺依頼が掲載されており、会員である殺し屋たちが案件入札をする。逆オークション形式で、いちばん安い値をつけた殺し屋が落札。暗殺に成功すれば入札した報酬がもらえ、失敗すれば運営組織から追われることになる。
これ、なかなかいい仕組みだよね。金を払ってでも殺しを依頼したい人と金のためなら殺人をしてもいい人をマッチングするサービス。運営者は手数料で稼げるし、同時に運営している"昇天市場"で銃やスタンガンを売ることでも利益が出る。いやあ、いい仕組みだ。非合法ということを除けば。
ただ、暗殺に失敗した場合に組織から残虐な殺され方をするってのがいまいち腑に落ちない。そんなことしても組織にはコストがかかるだけでメリットないのに。「失敗したときは報酬を受け取れない」だけでいいんじゃないかな。貴重なお客様をわざわざ減らさなくていいのに。

"殺し屋.com"の運営者の正体は最後まで明らかにならない。裏切者への始末の理由もいまいちよくわからない。いろんな謎が残されたまま物語は終わってしまう。
"殺し屋.com"はいいアイデアだから、もしかしたらこの設定を活かした続編もあるのか……?


【関連記事】

【読書感想文】曽根 圭介『鼻』

【読書感想文】曽根 圭介『藁にもすがる獣たち』

陰惨なのに軽妙/曽根 圭介『熱帯夜』【読書感想】

冤罪は必ず起こる/曽根 圭介『図地反転』【読者感想】



 その他の読書感想文はこちら



2018年8月22日水曜日

替えどきがわからない


「爪伸びてるね」と人から言われる。
「髪伸びてきたね」と人から言われる。

言われてようやく気づく。自分ではなかなか気がつかない。

切り替えるタイミングが人より遅いようだ。
ぼくの歯ブラシはだいたいボロボロだ。古いのを捨てて新しいのに替えるタイミングがわからず、ヤスデの脚のように左右に広がりきった歯ブラシを使いつづけてしまう。

パンツを買い替えるタイミングもわからない。靴下のように穴が開いてくれたらそれを機に捨てられるのだけれど、靴下とちがってパンツはめったに破れない。粗相をしてしまうことでもないかぎり、「今こそ買い替えどき!」とならない。

靴も履きつづけてしまう。もう皺が寄って変色して、見た目はずいぶんボロくなっているが、足を守るという機能的には問題ないので捨てられない。

以前は「ものもちがいい」という美徳によるものだと思っていたが、「爪を切るのが遅い」「髪を切るのが遅い」と同じく、切り替えるタイミングがわからないだけなのではないかと気づいた。三十歳を過ぎてから気づくのだから、これに気づくのも遅い。

身のまわりのことに、極力脳のリソースを使わないようにしているせいかもしれない。「そろそろ歯ブラシ買い替えたほうがいいかな?」と考えるのは疲れる。昨日と同じ歯ブラシを使っていれば頭を使わなくて済む。

明日も今日と同じ日でありますように。今日と同じ髪の長さ、爪の長さでいられますように。


2018年8月21日火曜日

親が子に伝えること


子どもに伝えたいことはたくさんある。

でもそれってだいたいかつて自分の親に言われたことだ。

親から口うるさく言われて、でも聞き流して、大人になってから「ちゃんと聞いときゃよかった」と思う。

背筋を伸ばして座りなさいとか、ちゃんと歯みがきしなさいとか、使い終わったら元あったところに片付けなさいとか、他人の失敗は許してやりなさいとか。

言われるたびに「あー、はいはい」と聞き流していた。


娘に「まっすぐ座ってね」「他人ができてないことは言わなくていいから自分のことをやりなさい」と言うたびに、かつて同じことを言われていたことを思いだし、ぼくが伝えていることもどうせ聞き流されるんだろうなと思う。

無駄だろなーと思いながら、でも一応言う。
せめて、娘が自分の子を持ったときにぼくの言葉をちょっとでも思いだしてくれればいいなと思いながら。


2018年8月20日月曜日

わかんないやつほど原因を知りたがる


以前の会社で、Web事業部という部署にいた。
ホームページの運営や広告の運用を担当する部署なのだが、営業職や事務職の人からすると「なにやらパソコンに強い人たち」というぐらいの認識しかなく、かなり専門外の質問をぶつけられた。
Excelの使い方を訊かれたり「Windowsの更新の案内が出てるけどこれって更新してもいいんですかね」と訊かれたり。
OfficeやWindowsの使い方はWebじゃねえよと思うんだけど、違いを説明するのもめんどくさいので、わかる範囲で教えてやった。

だがそういうバカはすぐに調子に乗るので、こっちがわざわざ業務の手を止めて善意で教えてやっているということを忘れて「早く教えてくださいよ」みたいな言い方もされた。
ぼくは優しくないので、せいいっぱい優しい声を作って
「ブラウザ、わかりますか? あなたがインターネットと読んでいるやつです。それでYahoo!でもGoogleでも開いてもらって、検索窓に『エクセル、スペース、平均』と入力してください。そしたらわかります」
なんて教えてやっていた。要するに「ググレカス」を丁寧に言っていただけなんだが。


ひどいやつだと「なんかFAXが送れなくなったんですけど、見てもらえます?」とか言ってきた。さすがにそのときはいつも心の中に押しとどめている「知らねえよ」という言葉が外に漏れた。
なんならWeb事業部がいちばんFAX使わない部署だからね。基本的に紙でやりとりしないんだから。
そのうち水道修理とか頼まれるんじゃないだろうか、と思っていた。「Web事業部なんだから水道のことぐらいわかるでしょ」なんて。


ときどき、社内で使っている顧客管理システムがダウンすることがあった。
そのシステムは外部業者に保守委託していたものだが、営業の連中はそんなことわからないから「顧客管理システムが開けない! Web事業部なにやってんだ!」みたいな怒りの電話をかけてきた。

知らねえよ、と思うのだけれど一応委託会社に「サーバーが落ちているようなので確認と復旧をお願いします」と電話を入れる。
その間にも、全国各地の営業部から電話がかかってくる。
その電話の内容にずいぶん差があった。

まれに営業部にも優秀な人はいて、そういう人は
「顧客管理システムにつながらないようですが、そちらでもですか。では委託会社側の問題ですね。いつぐらいに復旧しそうかわかりますか? そうですか、では他の作業を進めますので復旧したら連絡お願いします」
と、必要最小限のことを伝えてその状況下でできることをおこなっていた。

一方、わからないやつほど原因を知りたがる。
「なんかファイルが開かないんですけど、これってなんでですか? 動かなくなった原因はなんですか? どうやったら直るんですか?」
原因も修復方法もこっちは知ったこっちゃないし、それを今専門家が調べてるんだろうし、仮にわかったとしてそれをおまえに伝えて一ミリでも解決に近づくとは思えない。
わかんないやつほど、原因や対応方法を知りたがった。


行政機関や大学でトラブルや不祥事があると、抗議や質問の電話がひっきりなしにかかってくると聞く。体験したことはないが、迷惑この上ないだろう。
賭けてもいいが、電話をかけてくるやつの中に専門知識を持っている人はひとりもいないだろう。
専門家ほど知っているからだ、専門分野に素人が口を出して良くなることなどひとつもないと。
仮にあったとしても、それは今ではない。
問題がひと段落したときに改善策や防止策を話し合う上では「素人目線の意見」もひとつの参考になるかもしれないが、問題の解決に当たっている最中に素人意見はじゃまになるだけだ。

それに、抗議の電話を聞かなくてはならないのはまず問題の当事者ではなくただの窓口の人だ。何も知らない場合がほとんどだろう。
偉い人がやらかした問題に対して、ど素人が部外者に抗議をする。なんて不毛なんだ。

テレビのニュースでも「なぜこのような不祥事が起きたのか」なんて検証をやっているが、テレビのニュースはそんなことやらなくていい。
起こったことだけを淡々と伝えてくれればいい。原因を追究して再発防止策を講じるのはニュースキャスターの仕事でも視聴者の仕事でもない。

なんとなくわかった気になってすっきりしたいという気持ちもわかるけど、部外者の「原因追及」は問題解決を遠ざけているだけにしか見えない。