2026年9月28日月曜日

【読書感想文】宮本 常一『山に生きる人びと 』 / ダムに沈んだ村には帰りたくない

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山に生きる人びと

 宮本 常一

内容(e-honより)
山には「塩の道」もあれば「カッタイ道」もあり、サンカ、木地屋、マタギ、杣人、焼畑農業者、鉱山師、炭焼き、修験者、落人の末裔…さまざまな漂泊民が生活していた。ていねいなフィールドワークと真摯な研究で、失われゆくもうひとつの(非)常民の姿を記録する。宮本民俗学の代表作の初めての文庫化。

 常に未読の本が十冊以上ある状態なので、いざ読もうと手に取ったときに「かつての自分はなんでこの本買ったんだろう……?」とおもうことがときどきある。

 これもそのうちの一冊で、ほんとになんで興味を持ったのかわからない。民俗学にまるで関心いないんだけど……。


 読んでみてもやっぱりわからない。古来日本の山中で生活していた人たちの様子をただそのまま描写しただけで、全体を通して何かが見えてくるというわけでもない。うーん、ほんとになんで買ったんだろう。

 そもそも山中で暮らしていた人たちに興味を持ったこともなかったので「イノシシとか山菜とかをとって生活していたのかな」ぐらいのぼんやりとしたイメージしか持っていなかった。ぼくの「昔の庶民の暮らし」って落語によって形成された部分が大きいんだけど、落語って町人の文化なので農村部や山間部はほとんど出てこないんだよね。『池田の猪買い』ぐらいか。

 山で暮らしている人は文書で記録を残すことも少なかっただろうしな。だからこういう資料は貴重なんだろう。


『山に生きる人びと』を読むと、山中で暮らす人たちも平野の人たちとまったくつながりを断って生きていたわけではないことがわかる。

 猟師にしても、農村の人たちのために農作物を野獣の被害から守ることを引き受けていたとか。炭焼きで木炭を作っていた人も、その木炭は鉄・銅・銀などの精錬に使われていたとか。小泉武夫『猟師の肉は腐らない』という本に、山奥にたった一人で暮らしている猟師が出てくるが、彼にしてもときどき町に下りて獲ったイノシシやドジョウを現金化し、調味料を買ったりしているらしい。完全な自給自足というのはできないものらしい。



 興味深かったのが、1186年にはじまった東大寺(奈良県)再建の記録。

 東大寺に使われた木材は、なんと周防の国(山口県)から持ってきたのだという。

 道すらない山中に入って100尺(約30メートル)以上の丈夫な材木をさがし、それを斧で伐り倒す。そこからがまたたいへんだ。

 さて、この伐り倒した木を運び出すのがたいへんな作業である。ろくろを二張つけて、七〇人あまりの人で一本の木をひいたという。この木をひくための綱も径六寸・長さ五〇〇尺、それを柱の本末に二本つけてひくのである。綱そのものの重さだってたいへんなものであるから、人力だけで一本の木をひくとなれば一〇〇〇人の人を必要としたであろうが、ろくろを用いることによって七〇人ですんだのである。しかしそれだけでは材木を運び出せない。谷をうずめ、岩を割って道をつくり、木を倒して橋をつくり、佐波川の本流まで運ばねばならぬ。そこからは流水を利用して下すことができる。材木を運び出すために山中につけた道は三〇〇丁にのぼった。

 道をつくり、橋をつくり、とんでもなく重い木を運ぶ。これを800年以上前、車も電気もない時代にやっていたのだ。

 さらにさらに。山口県から奈良県まで運ぶという大事業が残っている。

 重源は後白河法皇の命をうけて、とるものもとりあえず周防国へ下ってきて十分用意もととのわないなかにあって、とにかくこれだけの材木をまず奈良へ運んできた。大きな木であるから川を下して海へ出しても船に積むことはできない。これを船にひかせて瀬戸内海を東へのぼってきた。風力を利用して帆を張ってくればすこしはらくであろうが、なにぶんにも大きな木である。波のあるなかをひいてくるのは困難だから、風のないとき、橈でこぐ船でひいてこなければならない。そして淀川をさかのぼって山城の木津まで持ってきてそこから大八車にのせて牛にひかせた。牛の数は一二〇頭にのぼったといわれる。

 ひゃあ。材木を用意するだけでこの苦労。とんでもない公共事業だ。今のオリンピックや万博など比較にならないぐらいの大工事だったはずだ。ピラミッドや万里の長城の建設にも匹敵するぐらいの難事業だったはず。

 人間って(牛も使ってるけど)電気がなくてもこんなにすごいことができるんだなあ。つくづく、集団になった人間の力はすごいと感じさせられる。



 なんかおもしろかった話。
 ダムで沈む村の人たちが絶対反対して移住をこばんできたのが、新しい移住さきへおちついてみると、もうもとの山への愛着はほとんどなくなったという話はよく聞く。昭和三六年七月の集中豪雨で大きな災害に見まわれた長野県天竜川東岸山中の村々でも、そこにはとうてい住める見込みもなくて、天竜川西岸の駒ケ根市や伊那市へ移住した者もすくなくなかったが、それらの人を移住さきにたずねてみて、いずれも移住してよかったという感慨をもらしているのは印象にのこった。わずかばかりの畑を耕し、山林労務にしたがっているよりも、土地を持たず、その日働きの生活に不安はあるとしても、ここにおれば子供を一人前に学校へ通わすことができるだけでもありがたいといっていた。

 ふふふ。よく漫画とかで「ダムに沈んだ村」が感傷的に語られたりするけど、いざ移り住んでみると「こっちのほうがいいや」となるようだ。

 そうだよねえ。一度便利な生活を知ってしまうとなかなか戻れないよね。


 転居でも転職でも、躊躇する理由の多くは「今より悪くなったらどうしよう」という不安なんだよね。戦わせているのは「転居するメリット」と、「転居することのデメリット」+「最悪の事態になったときの不安」なんだよ。

 人は変化を恐れる。変化にともなうマイナスを、プラスよりもずっと大きく見積もる。生まれてから一度も村を離れたことのない人ならなおさら。

 ぼくもそうだったからわかる。高校生になるまで生まれ育った街を離れるのはすごく嫌だったし、できることなら戻ってきたいとおもっていた。でも故郷よりずっと人の多い街に住んでみると、ここを離れる選択はしたくない。故郷は故郷で今も好きだけど、今の生活を捨てて移り住みたいとはおもわない。

 立ち退きに反対している人とかも、いざ引っ越してみたら、一年後に「元の家に戻りたいですか?」と訊かれても首を横に振る人が多いんじゃないだろうか。


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