なぜ日本人は間違えたのか
真説・昭和100年と戦後80年
保阪 正康
昭和史を改めて見つめなおした本。
読んでいて感じたのは、左派による左派批判という感じ。この人自身は太平洋戦争を間違いだったと認めているし、戦争をくりかえしてはいけないと感じている。たぶん。でもそんなことは書かない。むしろそういう人を批判している。
「戦争はいけない。再びあの愚かな過ちをくりかえしてはいけない」と言うことで平和に対して貢献した気になった人を批判している。
戦争に対する反省ってのはそういうことじゃないだろ。いつどこで誰が何をした、それに対して周囲の人間や国民はこんな反応をした、それに対して他国はこういう行動をとった、その結果こうなった。こうした歴史に対する正しい向き合い方から反省や改善は生まれるのだろう。これが著者の主張だ。
そうだよね。左派だからこそ左派のダメなところを直してほしいんだよね。
「平和は大事! 戦争はいけない!」って教わって、そういうものなんだ平和は大事なんだな、って信じてる人って「天皇は神! おまえらは神のために死ね!」って言われて信じていた人たちと大差ない。
でもこういうことを言うと「おまえはどっちの味方なんだ!」「極右め!」とか言われちゃうんだよね。特に政治的に熱くなっちゃってる人に「その目的を達成したいのならそっちよりこっちの道を選んだ方がいいですよ」って言うと、全部否定されたとおもって反発しがちだ。耳に痛いアドバイスをしてくれる人こそ大事にしたほうがいいのに。
筆者の歴史研究に対するスタンスは、なるべく生の声を集めるというもの。
裁判記録というのはオフィシャルなものなので(ほとんどの場合)間違いではないのだけれど、それだけが正解かというとかなり怪しい。
現在ですら、政府が発表していることはかなり不正確だ。さすがにあからさまな嘘は少ないが(ときどきあるけど)、あえて書かないことは山ほどある。黒塗りだらけの開示資料を見れば明らかだ。オフィシャルな記録なんてものは一面的なものの見方でしかない。
市民たちの生の声というのは誤りや記憶違いも多くて信頼性には欠けるけど、公的な史料からはこぼれ落ちる事実を拾ってくれることもまた事実。
戦場で生死を分けるのは、人徳でも努力でもない。運だけだ。運が悪かったやつは死に、運が良かったやつは助かる。彼我の間に運以外の差はなく、だからこそ生還した者は死者の言葉を代わりに語る。
これを読んでぼくは、中島 岳志 『100分 de 名著 オルテガ 大衆の反逆』を思いだした。中島岳志氏はこう書いている。
「死者の声」に耳を傾ける必要がある、現代人の考えだけで正しさを決定することなどできない、という考え方だ。保阪正康の主張ともよく似ている。
このように、ぜんぜん別のテーマを扱った別の著者の本を読んでいても、驚くほどよく似た主張をしていることにぶつかることだ。読書の悦びのひとつだ。
死者の声に耳を貸す。現代では忘れられがちだが、重要な考え方だとおもう。歴史を見ればわかるように、人間はずっと間違いつづけてきた。今の政治も正しくないし、これから先も間違える。我々は必ず間違える。独裁制だろうが共和制だろうが間違える。
と考えれば「選挙で勝利したから民意を得た。我々が正しいと考える政策を進めていい」なんて愚かな考えには至らないはずだ。我々は間違える、という謙虚な考えを持つことが特にトップにとっては大事な資質だ。残念ながら人々はその逆の「私失敗しませんから」と考えるバカをリーダーに選んでしまうものなんだけど。
歴史は権力者や歴史学者が作るものではない。死者の声の中にこそ歴史があるはずだ。
日中戦争の話になると、すぐに日本軍の行動の是非の話になってしまう。
筆者は、そうした善悪思想から離れた分析をやるべきだという立場をとる。このリアルな姿勢、嫌いじゃないぜ。
「あの戦略はどこが間違いだったか」と考えることはべつに反戦思想と矛盾しない。なのに戦略の分析をしたら「そうやって戦争の研究をしてまた戦争を始める気なのか!」と言いがかりをつけてくる人がいることは容易に想像できる。
そうやって戦争について本当にじっくり考えることを避けてきたことこそが、著者の語る「日本人は間違えた」ポイントなのだ。
日中戦争において、中国は内陸へ退却した。日本軍はそれを追いかけてどんどん内陸に進軍していった。そこに戦略はなく、ただ逃げる敵を追いかけたに過ぎない。
そもそも日本よりはるかに広くて人口もずっと多い国を制圧できるはずないなんて、誰でもわかることなのに。イギリスがアヘン戦争の後に要所の上海に租界を置いて効率的に統治したのとは対照的だ。
つまり日本軍は何も考えてなかったわけだ。ただ追いかけた。その結果、食料や物資が枯渇し、民間人から掠奪することになった。非軍人からの抵抗を受け、虐殺をした。国際的な非難を受けた。日本軍にとって、すべてが悪い方に転がった。
著者は「中国の巧妙な罠に嵌まった」と書く。はたして中国がそこまで見通して退却をしたのかはわからないが、日本軍の戦い方がまずかったのは間違いない。
これを「日本軍は虐殺という悪いことをした」と教えるだけでは真の反省にならない。当時の軍人だって「民間人から虐殺、掠奪しよう!」と思って進軍していったわけではない。彼らには彼らの事情があった。その理由を検討しなければ、また同じ状況になれば同じことをくりかえすことになる。
「侵略戦争だった。侵略戦争はいけないこと!」というイデオロギーからはこういう考察は生まれない。
反省は必要だが、それと冷静な分析は切り分けて考えなければならない。戦争に反対する者こそ戦争について知る必要がある。目を背ける人が多いけど。
戦争の文脈でよく語られる「反省」について。
ぼくは、右も左も外国の反応を気にしすぎだと思っている。
少なくとも国民の単位では、他国民に対して謝罪する必要なんてない(出兵した人は別にして)。かといって必要以上にはねつける必要もない。
ずっと昔、ぼくが中国に行ったときに出会ったある中国人から「おまえら日本人は中国人からたくさんのものを奪った」と言われたことがある(言っておくがそんなことを言ってきたのは大勢出会った中国人のうちひとりだけだ)。で、ぼくは「たしかに悪いことをした日本人はいた。それに対してはぼくも胸を痛めている」的なことを言った。
同じ日本人だからというだけの理由で過去のあやまちの責任をこっちに持ってこられても、知らんがな、である。そんなこと言ったら中国人が過去にどれだけ
とはいえ相手を怒らせていいことなんてないので「ひどいことだよね。私も心を痛めている」ぐらいは言ってあげたらいい。つまり「ナチスにひどいことをされたユダヤ人の子孫」に対するのと同じ態度をとればいい。
戦争に対する知識も思考もない反省なら、しないほうがマシかもしれない。
もう終戦から81年。戦争を体験した人がいなくなる時代になった。そろそろ「脊髄反射的な反省」をやめて、リアルな分析をできる時代になっているかもしれない。
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