2026年9月3日木曜日

【読書感想文】木谷 恭介『死にたい老人』 / 人は断食では死ねない

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死にたい老人

木谷 恭介

内容(e-honより)
もう充分に生きた。あとは静かに死にたい―。83歳の小説家は、老いて身体の自由がきかなくなり、男の機能も衰え、あらゆる欲望が失せ、余生に絶望した。そして、ゆるやかに自死する「断食安楽死」を決意。すぐに開始するや着々と行動意欲が減退、異常な頭痛や口中の渇きにも襲われ、Xデーの到来を予感する。一方で、テレビのグルメ番組を見て食欲に悩まされ、東日本大震災のニュースにおののきつつも興味は高まり、胃痛に耐えられず病院に行く。終いには、強烈な死への恐怖が!死に執着した小説家が、52日間の断食を実行するも自死に失敗した、異常な記録。

 断食により餓死しようとした作家の手記。

 ぜんぜん理解できなくておもしろかった。こういう、自分とはまったく考え方がちがう、理解できる気すらしないぐらいぶっとんでいる人の本はおもしろい。


 もう年老いて、身体にもあちこちガタがきて、もうすぐ仕事もできなくなり、介護が必要になるかもしれない。同居する家族もいない。世の中に迷惑をかけるだけの存在になるぐらいならいっそ自分で命を絶ったほうが……。

 ここまでは理解できる。ぼくもこの状況になったら同じように思うかもしれない。むしろ、「ただ介護されるだけでこれ以上良くなる見込みもない老人って何を楽しみに生きてるんだろう」とすら思っている。

 だが、「だから断食で餓死しよう」という発想になるのは理解できない。なんで断食? ぜったい苦しいし大変じゃん。

 筆者は自然に死にたいって言ってるけど、餓死って自然な死じゃないし。動物だって餓死するのはごく一部でしょ。そもそも自死が不自然な死なのに、「自然に死にたい」って何言ってんだ……。



 特に理解できないのが、断食で死のうとしているのに、薬は飲み続けていること。

 2月27日 断食13日目
 体重47kg
 
 今日は昨日にくらべて倦怠感がつよい。
 朝、起きるときは気分がよかったが、1時間ほどして、倦怠感が襲って来た。
 完全断食(といっても、のど飴や生姜湯は口にしていたが)にはいって10日以上がすぎた。
 体調のよい日と悪い日がチャンポンにやって来るのだろう。
 現在の最大の関心事は薬の服用をどうするか、ということ。
 去年の11月1日から断食を実行する予定だったが、利尿剤を4日間、飲まなかったため、心不全の発作を起こし、入院騒ぎになった。
 今回はその失敗をしたくない。
 だが、もう10日以上つづいている腹痛。
 胃が荒れているだけのことならいいが、胃酸の加減で胃穿孔の兆候があったり、胃潰瘍になりかかっていたりすると、また前回の轍を踏むことになる。
 といって、医師に診断してもらうこともできない。
 ネットを検索して、よい方法を探すのだが、ぼくのしていることが、常識外のバカな行為だから、解決方法がみつからない。

 一度、断食をして薬を飲むのもやめたところ、心臓発作を起こして入院することになったから、というのがその理由らしい。

 うーん、わからん。心臓発作で死ぬならそれでいいんじゃないの? 心臓発作も苦しいだろうが、餓死ほどは長く苦しまないわけだし。断食で死にたいけど心臓発作で死にたくないという感覚がまったく理解できない。心臓発作のほうがよっぽど自然な死だとおもうんだけどなあ。


 で、断食しているのに「食後の薬」を服用するものだから、胃が痛めつけられ、胃が痛いと手記に書いている。そりゃそうだろう。何がしたいんだこの人は……。



 この人は、断食で死ぬために周到な準備をしている。

 死のうとしていることを知り合いに知られると、止められてしまうかもしれない。止めなかった場合、その人が保護責任者遺棄致死に問われる可能性が出てしまう。なので誰にも言わずに断食を実行しようとしている。

 連絡がないのを不審におもって知り合いが様子を見にきたら困るので、わざわざ引越しまでしている。高齢者の一人暮らしなんて賃貸物件を見つけるのもたいへんなのに。

 首尾よく(?)死ねたとして、発見が遅れると遺体処理がたいへんだし借りている家にもダメージを受ける。そのため死ぬ寸前に知り合いに連絡をして、死んだら速やかに発見してもらえるようにする。

 ……と、あれこれ気を配ってスムーズに死ねるよう算段している。

 ここまで配慮できる人が、なんで「断食しているのに薬を飲んでいるせいで胃が痛い」なんてことで困惑しているのか、ほんとによくわからない。



 結果的に、この人は断食では死ねなかった(Wikipediaによると断食失敗の翌年に病院で心不全で亡くなったらしい)。

 しっかり覚悟を決めて、盤石の態勢で臨んでも、人が断食で死ぬのはむずかしいらしい。ま、そりゃそうだろう。


 山口良忠氏という裁判官がいた。戦後の食糧難時代、人々は闇市で食べ物を買って生きていた。厳密には食糧管理法違反だが、政府からの配給だけでは生きていけないので闇市で買っていたのだ。

 だが山口氏は「闇米を取り締まる裁判官である自分が、闇米を食べるわけにはいかない」と闇市での買い出しを拒否し、配給の食糧を子どもに与え、自分はわずかな食べ物しか口にしなかった。

 そして彼は死んだので「信念のために命を捧げた立派な裁判官」として有名になっている(もちろんこれを聞いて「なんてばかな人なんだろう」と感じる人もいるだろう)。「悪法もまた法なり」と言って死刑になったソクラテスに重ねて「昭和のソクラテス」とも言われる。

 だが山口氏の死因は肺結核である。食べていなかったので栄養失調になったことが間接的な原因だが、餓死したわけではない。もし山口氏が結核にならず、「今日食べなきゃ死ぬ」という状況に追い込まれていたら、それでも信念を貫いていただろうか。生物の生存本能というのはそう弱いものではないだろう。



 興味深いのは、筆者が死ぬことを決めてからも政治のことについて怒っていること。この本の随所に、政治に対する怒りが書かれている。

 どうせ死ぬんなら政治のことなんてどうでもいいじゃない、と読んでいる側からしたらおもうんだけど、死を目前にしても義憤って抑えられないんだなあ。


 人間、死期が近づいたらありとあらゆるものに感謝をして、穏やかに眠るように息を引き取る……というわけにはいかないもんなんだなあ、やっぱり。


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