2026年2月27日金曜日

【読書感想文】畑村 洋太郎『失敗学のすすめ』 / 「絶対に失敗しない人」にならないために

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失敗学のすすめ

畑村 洋太郎

内容(e-honより)
恥や減点の対象ではなく、肯定的に利用することが、失敗を生かすコツ。個人の成長も組織の発展も、失敗とのつきあい方で大きく違う。さらに新たな創造のヒントになり、大きな事故を未然に防ぐ方法も示される―。「失敗は成功の母」を科学的に実証した本書は、日本人の失敗に対する考えを大きく変えた。

 工学博士である著者が、自身が見聞きした数々の“失敗”を学問に昇華させた本。

 失敗を単なるマイナスととらえるのではなく、多くの学びを与えてくれる成功の種と考える。現実的で、非常に有意義な考え方だ。


 常々書いているが、ぼくは「失敗しない人」を信じない。よくいるよね。己の失敗を認めない人。自分の功績だけを喧伝して失敗については口が裂けても語らない人。「あれはそのような意図ではなかった。誤解を与えたのであれば申し訳ない」と言い訳に終始する人。特に政治家に多い。最近も、自分の過去のブログと最近の発言の矛盾を指摘されて、あわててブログを削除したみっともない総理大臣がいた(おまけにブログを削除したことにも「HPをシンプルにした」という言い訳をして恥の上塗りをしていた)。

 とあるドラマで、主人公が「私、失敗しないので」を決め台詞にしていた。最も信用してはいけない人だ。「絶対に失敗しない人」=「絶対に失敗を認めない人」である。当然ながら学びも成長もない。一生他人のせいにして生きていくだけだ(なのに人々はこういうダメな人を“強いリーダー”と勘違いしちゃうんだよな。バカなだけなのに)。

 そんなどうしようもない「絶対に失敗しない人」にならないためには、失敗から学ぶ姿勢を身につけなくてはならない。



 『失敗学のすすめ』では、失敗が起こる原因をいくつかの分類に分けている。

 そのうちのひとつ。

⑧価値観不良……自分ないし自分の組織の価値観が、まわりと食いちがっているときに起きる失敗です。過去の成功体験だけを頼りにしたり、組織内のルールばかりに目を向けていると、経済、法律、文化などの面からいわゆる常識的な評価がきちんとできなくなり、この種の失敗に陥りやすいのです。
 価値観不良による失敗は、とくに最近の行政機関に見られがちで、薬害エイズ問題などはその典型例です。本来、国の機関は、国民の利益を優先させるのが鉄則のはずですが、患者側の立場に立たず、製薬会社など商売を行う側の営業や利益を考えて対処した結果、HIV(エイズウィルス)に汚染された血液製剤の流通を許して傷口を広げてしまいました。企業の指導という役割以前に、国民の利益を優先する前提があるという価値観が国の機関に欠落していたのです。

 よく「組織単位の不祥事」がニュースになっている。

 会社ぐるみで犯罪行為に手を染めるような行為だ。最近も「不動産を買うために上司の命令で放火した」という事件がニュースになっていた。

 ふつう、いくら上司に命令されたからってそんなことはしない。上司の命令よりも法律のほうが優先されるに決まっている。誰だってわかる。

 でも。法律や社会のルールよりも、狭いコミュニティのルールを優先してしまうことがよくある。特別な人間だけではない。実に多くの人が過ちを犯す。

 街中で子どもを殴る大人はほとんどいない。でも、学校の中、部活の中ではそんな大人は山ほどいる。街中で他人を大声で罵倒しない人が、会社の中では部下を大声で人格否定をして恫喝する。

 特に「いいことをしている」と信じている人は危険だ。ボランティアスタッフが、通行の妨げとなる場所で活動をする。ボランティアをするという大義名分が、社会のルールを守るというあたりまえのことを上回ってしまうのだ。

 組織のローカルルールが強くなりすぎると、とりかえしのつかない大失敗を招いてしまう。



 先ほどの話にも通じるが、強い上下関係があると失敗は起きやすい。

 教授と助教授、あるいは教授と学生というように、上下関係がはっきりしている大学内の人間関係には、ともすれば上の者がいったことはそのまま通ってしまい、真のブラッシュアップができなくなり、組織の硬直化が起こりやすいという欠点があります。これを避けるためにはグループ内での徹底的な批判が大切です。そのために私は、助教授に向かって、
「私も思ったとおりのことをいうからあなたも自分の思ったとおりにいいなさい。お互いの意見が違ったときには、最後にはあなたの意見を採用するので、どんなときにでも遠慮せずに自分の意見をいいなさい」
 と念を押しています。その甲斐あってか、私が出したアイデアもいまでは助教授からずけずけと批判されています。
 正直にいえば、自分が創造したものがまわりの批判にさらされるのは、あまり気持ちがいいものではありません。「何だと!」と思うこともしばしばですが、この試練を経験したものは、研ぎ澄まされた形で世に出せるという大きなメリットがあるので、外に出たときに真の強さを発揮するのです。それに比べれば、まわりの批判に感じる一時の不快感など本当にとるに足らないものだと感じています。
 まわりの人間を巻き込む形で行う仮想演習で改良が加えられ、想定される問題点をほぼ克服したものは、それが企画であれ設計であれ、世に出てから本当の意味での強さを発揮します。批判を嫌ったところで、結局は問題点があれば世に出てから徹底的にたたかれ、大いに恥をかくことになりかねないのですから、仮想演習は早い段階で徹底的にやるのが一番です。

 成功者の周囲がイエスマンばかりになって、どんどん間違った道へ突き進んでしまう……。よく見る光景だ。

 人間誰しも批判されることは嫌いだ。でも批判を遠ざけてしまうと、間違った道に進んでも引き戻してくれる人がいなくなる。えらい人がそのえらさゆえにえらくなくなってしまう。

 部下から誤りを指摘されることを恥だと考える人は、誤りを修正する機会を失ってしまう。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥とはよく言ったものだ。



 失敗を起こしやすい体質について。

 会社を見分けるときに、概していえるのは、会議の多い会社ほど、失敗を起こしやすい体質を備えているということです。日本組織は、「決断力に欠ける」などという批判を海外から受けます。会社の中で頻繁に開かれる会議は、まさにその象徴といえます。
 会議の目的は、本来は議論により結論を得ることと、決められたことを連絡する場合の二種類に大別できます。ところが、参加する側にはその意識が希薄で、自分とは関係ないと思って聞いていない、居眠りをしている、定時に来ない、呼び出しがあると逃げるなどということがよくあります。日常的に見られる参加者たちのこうした行動は、意味のない、ムダな会議が多いという現実を如実に表しています。
 実際、会議の場での議論で重要な決定がなされることは、現実にはほとんどありません。むしろ審議をして決めたという既成事実づくりが目的で、これを盾に反対者の口封じを行ったり、失敗時の責任回避のための予防線にされているのが実態です。責任回避のための会議を頻繁に開く組織では、ひとりひとりの責任意識までが希薄になり、小失敗を見つけても、これに素早く対処する発想も出てきません。これがまさにダメ組織にありがちな姿で、放置された失敗がやがて致命的な失敗に成長し、組織に多大な被害をあたえることは想像に難くありません。

 そうなのよね。会議って最初は「様々な意見を聞きたい」「みんなで議論して思考を深めたい」みたいな意図で始まって、はじめはそこそこ効果を上げる。でも回を重ねるごとに意義は失われてゆき、「やめて文句を言われたらいやだから」「失敗の責任を押しつけられないようにみんなで決めたということにしたい」みたいな理由でだらだらと継続してゆく。さらには「あいつは俺に反対意見ばかり言うからメンバーから外そう」なんて動きをする人間まで現れて、広く意見を聞くどころか、多様な意見を封じるために会議が使われたりする。



 失敗から学ぶ、失敗の芽を早めに摘むための方法がいろいろ書いてあって参考になるんだけど、これを実践するのはむずかしそうだ。特に組織が大きくなればなるほど。

「失敗を防ぐよりも自分の評価を下げないことのほうが優先」という人がぜったいにいるからなあ。


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