2025年11月10日月曜日

【読書感想文】江崎 貴裕『数理モデル思考で紐解くRULE DESIGN ~組織と人の行動を科学する~』 / 「集合知」はみんなで話し合うことじゃない

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数理モデル思考で紐解くRULE DESIGN

組織と人の行動を科学する

江崎 貴裕

内容(e-honより)
なぜ、人は想定通りに動かないのか。経営戦略/ビジネスモデル=ルールデザイン?AIで社会のルールはどう変わる?人を活かすルールデザインとは?経営科学、行動経済学、複雑系科学、機械学習・AI、etc.分野横断で「ルール」をとらえる。

 こないだ読んだ松岡 亮二『教育格差 階層・地域・学歴』 に、2000年頃に実施されたゆとり教育の話が載っていた。

 詰め込み教育からの脱却を目指し、子どもたちが自ら考える力を養おうということでスタートしたゆとり教育。

 ゆとり教育では学校での授業時間が減らされた。その結果何が起こったかというと、教育熱心で経済的余裕のある親は、子どもを塾に通わせるようになった。授業時間の短い公立校が避けられ、私立校受験の競争が高まった。

「ゆとり」を目指した結果、余計に受験競争は白熱し、成績上位層はよりゆとりがなくなった。その一方で、元々勉強していなかった下位層はさらに勉強しなくなった。

ゆとり教育は大失敗に終わった(少なくとも「勉強しすぎな子どもたちにゆとりを与える」という目的の達成においては)。失敗に終わったのは、データではなくえらい人(ただし賢くはない)の思いつきで実施された結果、ルールの設定を誤ったからである。


 世の中には、そんな「賢くないけど権力だけはある人」のいいかげんな思いつきでまともに機能していないルールがたくさんある。機能しないだけならまだしも、ゆとり教育のように逆の効果を生んでしまったり、適切でないルールのせいでとりかえしのつかない重大な事故を引き起こすこともある。

 ルールの失敗はなぜ起こるのか、防ぐにはどうしたらいいかを数々の事例から説明した本。理論よりも実践向けです。



 たとえば人に何かをさせるためにインセンティブ(動機づけ)ルールを設定することがある。

 企業における成果報酬型給与なんかがわかりやすい例だ。「鼻先にニンジンちらつかせればやる気出すだろ」とはバカでもおもいつく発想だ。バカでもおもいつく発想なので、当然ながらうまくいかないことが多い。

 報酬は、成果に見合った形で与えられないと逆効果になってしまうということが知られています。社員の成果に応じた給与を支払おうと思っても、業務の内容が多岐にわたる場合、その人の貢献を正しく測定することができずに、逆に不満につながったり、内発的動機づけによる頑張りをやめさせてしまう恐れもあります。したがって、納得感のある成果報酬を与えられる状況であることが重要となります。
 報酬はうまく与えられれば、その人のパフォーマンスを大きく上げることができますが、一方で安易に設定してしまうと意外な落とし穴にはまり、全くの逆効果になってしまうことを是非覚えておいてください。

 そうなんだよねえ。ぼくが前いた会社でもインセンティブ制が導入されていたが、その査定基準が不透明で、身も蓋もない言い方をしてしまえば「上司に気に入られたら高い評価を受けて給与が上がる」というシステムだった。

 これでやる気が上がるわけがない。かえって逆効果だ。みんながまったく同じ仕事をしていれば「こいつは同じ時間で平均より高い成果を上げたから高評価」と判断できるが、たいていの会社では人によってやる仕事がちがう。同じ仕事でも条件がちがう(担当エリアが違うなど)。誰もが納得する公平なジャッジなど不可能だ。

 では査定基準を明確にすればいいのかというとそうともかぎらず、ルールが明確だとそれをハックするやつが現れる。たとえば「1ヶ月に500万円の売上を上げたら給与アップ」というルールがあれば、500万円の売上を達成した人はそれ以上売上を伸ばそうとせず、超過分は翌月に回したりする。

 数十年前に「日本企業は年功序列制だからダメなんだ! 成果報酬型にすればうまくいく!」という言説が流行った。さすがに最近ではそんなことを言う人も減ってきた。成果報酬型給与はよほどうまく運用しないと機能しないということがわかってきたのだろう。失敗から学ぶのはいいことだが、その失敗が与えた傷は大きい。



 ルールの作成手順について。

 次に、集団のルールをその構成員で決めることについて考えてみましょう。選挙で投票を行なったり、組織の構成員の待遇を決めたりすることもこれにあたります。こうした状況では、一見「全員にとってフェアな決め方」でも、実際にはそうなっていないケースがよくあります。
 少子高齢化の進行で、日本を始めとする先進諸国では選挙における世代間格差が問題となっています。高齢者が有権者の人口に占める割合が大きいと、高齢者向けの政策が優先される「シルバー民主主義」と呼ばれる状態になります。こうなると、特に子育て世代への福祉が手薄になり、さらに少子化に拍車をかけます。
 実はこの問題は、「もっと若者が選挙に行けば解決する」といった単純な話ではないのです。2020年の統計によると、日本で選挙権を持つ人口は約1億400万人です。この中で、18歳から29歳までを合わせた人口は約1400万人と、全体の約15%にすぎません。一方、5歳以上の高齢者は約3600万人と全体の34%を占めています。さらに、有権者の平均年齢(中位年齢と言われ、選挙公約で重要なターゲットになります)はなんと約52歳です(なお、若い世代の投票率の低さを考慮すると、実際に投票を行なった人の平均はさらに上昇し、50代後半となります。)。つまり、若者の投票率が100%だったとしても、全体に占める割合は小さく、その意味では「若者を優遇する政策」が優先されることはないのです。
 
 さて、高齢者が優遇されても、人口の年齢割合がずっと変化しないのであれば、さほど問題ではないということもありうるでしょう(「若い世代に負担がかかっても、やがその世代が高齢者となったときには恩恵を受けられる社会」を目指すという形も選択肢としてはありえます)。しかし、実際に起きているのは強烈な少子化です。人間は残念ながら若返ることができないので、自分よりも上の世代が優遇されることには寛容(いつか自分もその世代を経験する)ですが、自分より下の世代が優遇されることには反発しがちです(自分が恩恵を受けることができない)。さらに、若い有権者世代より下の年齢(17歳以下)の国民には選挙権が無いので、政治家には彼らが18歳になったときに得をする政策を提示するメリットが少ないのです。その結果、若い世代の低所得化婚化・未婚化が進み、出生率が低下する事態となっています。
 
 こうなってしまうと、将来の世代の人数が減り、さらにこの傾向に拍車がかかるという悪循環に陥ります。ここでは、「将来の世代を代表する人がルール決めに参加できていない」ということが、1つの問題となっています。
 諸外国では、これを是正するためにさまざまな対策が検討されています。例えば、ドイツやハンガリーで検討された「デメーニ投票」という投票方法があります。これは、18歳未満の子供にも選挙権を付与し、その選挙権を親が行使できるようにするというものです。これによって、若者世代にとって有利になる政策を推進することができるのではないかというアイディアでした。ちなみに、同様の制度は日本でも「ゼロ歳選挙権」として注目を集めたことがあります。
 また、投票の世代間格差を是正するための別のアイディアとして、平均余命に応じて投票を重みづけするというものもあります「余命投票」)。余命の期待値が長い若者は多数の票を、短い高齢者は少数の票を投じることができるという制度です。
 いずれの方法も世代間格差を縮小するためのアイディアとして有望ですが、「一人一票の原則が保たれない」、「高齢者という理由だけで選挙権を制限することが許されるのか」といった議論があり、未だ実現していません。

 そう。今の中年以下って高齢者から搾取されてるわけだけど、そのルールって自分たちで決めたものじゃないんだよね。知らない間に決められたルールで知らない間に給与のうちのかなりの部分を高齢者へと回されている。

 これを「ルールなんだから守れ」ってのはかなり横暴な話だよな。今の話を決めるのなら多数決で決めるのもまだ納得できる(多数決はぜんぜん公平な制度ではないが現実的には採用せざるをえない)が、数十年後の話を決めるのに「今いるメンバーでやりましょう」ってのはまったくもってフェアじゃない。

「投票の結果、あなたはクラスの学級委員に選ばれました」

  「えっ、そんな投票いつやったの」

「始業時刻の十五分ぐらい前です」

  「そんなの聞いてないよ」

「はい、あなたはまだ登校してきてませんでしたからね」

  「そんなの仕方ないじゃん。うちは家が遠いんだから始発に乗ってもぎりぎりになっちゃうんだよ」

「とにかくこれはみんなで決めたルールですから守ってくださいね」

  「その“みんな”の中に俺は入ってないんだけど。それなのに負担だけ押しつけられるのかよ……」

「嫌なら学級会で提案してもう一回投票するしかないですね。ただ早く来ていたおかげで面倒な委員から逃れられた過半数の生徒が賛同するとはおもえないですけど」

 年金とか社会保険制度ってこれと同じぐらい無茶なルールだよね。




「話し合って決める」ことの弊害について。

 集合知効果は、ある意味「3人寄れば文殊の知恵」とも言えそうですが、実は少し違っています。このことわざは、「愚かな者でも3人集まって相談すれば、素晴らしいアイディアが浮かぶものである」という意味ですが、「限られた範囲の中で正しい答えを出す」という課題においては、実は「集まって相談してはいけない」のです。既に説明した通り、「回答する人に多様性があることによって、間違った方向の意見が打ち消されて平均として正しい答えが浮き出てくること」がポイントとなるため、(前節で紹介したように)相談によって意見を集約してしまうと間違った意見に流されてしまう危険性が生じるのです。

 学校で「みんなで話し合って決めましょう」と言われるせいで勘違いしている人が多いが、話し合いは往々にして間違える。個々人がそれぞれ考えるよりも劣った結論に至ることも多い。

「三人が別々に(お互いの意見を知ることなく)意見を出す」は一人で考えるよりも優れた結論を出せるが、「三人がお互いの意見を聞いて話し合う」だと、誤った考えに引っ張られてやすくなる。

 後者を“集合知”だと勘違いしている人が多い。すぐに「その件は会議で話し合いましょう」と言ってみんなの時間を食いつぶすタイプの人だ。みんなで話し合えば正しい結論を導きだせる、なんてSNSでの議論を見ていたらどれだけアホな考えかすぐわかる

 必要なのは「会議で話し合いましょう」ではなく「各自の意見を出しあった後、会議で検討しましょう」だ。




 ほとんどが失敗する会議。そんな会議で成果を出す方法。

 さて、会議における集団思考を防ぐために、次のような対策が提案されています。
(1)メンバー各々に「評価する側」の役割を与え、反対意見や質問を言いやすくする
(2)リーダーが最初に自分の考える正解を示さない、また議論に影響を与えないように、会議に出すぎないようにする
(3)計画を策定するグループと評価するグループを分ける
(4)検討するグループを複数のサブグループに分ける
(5)同じ組織でグループ外の仲間や外部の専門家の意見を仰ぐ
(6)多数派の意見に反対や疑問を呈する役割(「悪魔の代弁者」)のメンバーを用意する
(7)まとまった時間を取って、ライバルや敵対する組織の分析を行なう
(8)一度議論がまとまったら第2ラウンドの会議を行ない、残された懸念事項についてチェックする
 例えば、ジョン・F・ケネディ大統領はキューバ危機の際に集団思考を避けるため、実際にこれらを実践し、外部の専門家を招いて見解を聴いたり、メンバーが所属する別々の部門でも解決策について議論することを奨励、またグループをさまざまなサブグループに分けて議論させたり、自ら意図的に会議に欠席するなどし、柔軟な意思決定を目指しました。

 ぼくはかつて裁判員をやったことがある(一生のうちに裁判員に選ばれるのは60人に1人だそうだ。強運の持ち主!)。

 裁判官と裁判員が討議をするのだが、その討議の方法がまさにここに書かれているようなやり方だった。

  •  裁判長がうまく司会をして、発言の少ない人に意見を求める。
  •  素人である裁判員が先に意見を述べ、本職の裁判官は後に意見を述べる。その中でも裁判長は最後。
  •  裁判長はあえて少数派の立場に立って議論を活発にする。
  •  一度話し合った議題について、日を改めて見落としがないか検討する。

 おかげですごく話しやすかった。議論も深まった。裁判員制度ってよくできてるよ。



 後半はAI時代におけるルールのありかたについて。

 スコア化による差別や偏見の問題は、我々の身近にも存在します。
 2014年、アマゾン(Amazon)社が自社の採用活動に利用するために開発した採用AIツールが男女差別をしていたことが話題になりました。このツールは応募者の履歴書から、その人の職業適性をスコア化するものです。利用された機械学習モデルを詳しく調べると、履歴書に女性を想起させる単語が含まれているだけで、その候補者の評価が下げられていることが判明したのです。
 このAIは同社の社員のデータを元に作られましたが、その際「男性社員が多く、女性社員が少ない」という現実のパターンを学習し、「男性は多く、女性は少なく採用するようにスコアを調整する」ことが行なわれてしまったのです。
 計算機科学の世界では、"Garbagein,Garbageout.という言葉があります。これは、直訳すると「ゴミを入れると、ゴミが出てくる」という意味ですが、システムの入力として欠陥のあるデータを入れてしまうと、その出力は使い物にならないということを端的に表すフレーズです。
 AIを構成する機械学習のモデルにも同じことが言えます。機械学習モデルは「現実のあるべき姿」を出力するのではなく、あくまで「データとして与えられたパターン」を出力します。現実のデータには、既にさまざまな偏見や差別による偏りが含まれていることが多いため、それをそのまま学習させたAIを利用すると、そういった偏見や差別が維持・強化されてしまうリスクがあるのです。

 そうなのよね。ぼくも仕事でAIを利用しているけど、AIって過去から学習することは得意だけど、未来の変化を予測することはすごく苦手なんだよね。「これまでの傾向が今後も続くもの」として予測することしかできない。

 たとえば人材採用をしようとしてWeb広告を出稿する。最近のWeb広告は機械学習が進んでいるので、AIがターゲットを設定して予算を配分してくれる。

 でもそれだと、

高齢者が多く応募してくる(高齢者は採用されにくいので若い人より応募率が高い)
 ↓
AIが「高齢者は応募率が高い」と学習する
 ↓
高齢者に対して多く広告が出稿される
 ↓
ますます高齢者の応募が増え、AIがさらに「若い人より高齢者を狙ったほうがいい」と学習する


みたいなことが起こっちゃうんだよね。「応募しやすい人は採用されにくい人」ということが表面的な数字からはわからない。

 応募後の採用率も学習させればいいんだけど、あらゆるパラメータを入力するのは不可能だし、人間なら「若い人を集めたい」の一言で済む話なのに、AIに対してそのニュアンスを伝えるのはかなり手間がかかる。


 AIが犯罪捜査をすることもできるだろうが、それを進めると

ある属性(居住地や階層や家族構成)の人たちが犯罪率が高いことがわかる
 ↓
AIが、その属性に対して特に厳しくアラートを出すようになる
 ↓
その属性の検挙率が上がり、より犯罪率が上がる
 ↓
その属性の人たちが差別され、社会の中で不遇の扱いを受ける。そのため犯罪に手を染めやすくなる

……というループに陥ってしまう。犯罪率が高いことで差別され、差別されることでますます犯罪に近づいてしまうのだ。

「過去からの学習」を進めると、差別や格差がますます拡大してしまう。

 このへんはまだまだこれから考えていかなくちゃならない問題なので興味深い。「AI時代のルール設計」についてはそれだけで一冊の本にしたほうがいいぐらいのテーマだな。


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