女の子はいつも秘密語でしゃべってる
ジョージー・ヴォーゲル(著) 木村 博江(訳)
「女性がどんな目的でどんなときにどんな話をしているか」について書いた本。
ちゃんとした学術書を多く出している草思社の刊行なので研究報告をまとめた本かとおもって手に取ったのだが、そんなことなくて、「私の周りの女性はこんなふうに語ってるわ」「私の場合はこうだった」というエッセイ的な内容がほとんど。
事実よりも感情を重視、サンプル数が少なくて偏っている、女について語っているのにそれと比較すべき男についてはまるで調べてない、とりとめのない話が続いて明確な結論はなくふわっと着地する……。
つまりこの本自体が“女性のおしゃべり”っぽい内容になっている。身をもって女性のおしゃべりはこういうものですと示してくれているのかも……。
一般的に、女の子はおしゃべりが好きだ。
十代どころか、三歳ぐらいでもう男女には差がある。保育園の子をよく見ると、言語の習得は圧倒的に女の子のほうが早い。言葉を話し出すのも早いし、男の子が単語で話しているのに女の子はもう大人みたいな話し方をしている(もっともこれは単に大人の口真似をしているだけだ。女の子のほうが真似が好き&上手なのだ)。うちの五歳児は、ひとりでシルバニアファミリーで遊んでいるときもずっとしゃべっている。声色を変えたりしながら一人何役も演じている。一人二役で喧嘩までしている。
「そしてお喋りだというだけで、十代の女の子は男の子にくらべてばかだと思われてしまう」はたしかにそうだよなあ。雄弁は銀、沈黙は金というように、ずっとしゃべっている人よりも寡黙な人のほうが深く物事を考えているように見えてしまう。
じっさいはそんなこともなくて、言語的なアウトプットをすることで学びが深まる分野と、そうじゃない分野があるんだろうけど(たとえばおしゃべりをしながら数学の複雑な問題を解くのは難しいとおもう)。
人との付き合い方も男女で異なる(傾向にある)。
女性同士が話しているのを見ると、十歳ぐらい歳が離れていても互いにタメ口でしゃべっているのをよく見る。男同士だとまずそんなことはない。たとえどんなに親しくなったって、十歳上の男性に対してタメ口で話しかけたらムッとさせるのではないだろうか。
十歳上の人になれなれしく話している女性は、男性から見ると「失礼だ」と映るかもしれない。でもそっちのほうが人との距離は縮められる。
少し前に、ビールのCMで「保育園で顔をあわせるお父さん同士がぜんぜん言葉を交わさないけどお互いに理解しあわっている」という状況が描かれていて、「そうそう、こんな感じ!」と話題になっていた。
ぼくも毎日保育園の送り迎えを担当しているのでよく顔をあわせるお父さんがいるけど、あいさつぐらいしか交わさない(よそのお母さんともだけど)。保育園でお母さん同士がおしゃべりをしている、というのはよく見るけど、お父さん同士が必要最小限以上のおしゃべりをしているのはまず見ない。
まだ親しくなってない人にぐいぐいと話しかけることができる人がうらやましい。男でもいないでもないけど、女のほうが圧倒的に多い(男のぐいぐいは警戒されるしね)。
これからはビジネスの世界でも女性的なやり方が主流になっていくだろうと著者は書く。
男性はわかりやすい役職・ポジションを欲しがるのに対し、女性は上に立つことを好まない。ただし上には立たないが慎重に仲間を増やしていき、自分の立場を強固なものにする。だから後に上に立った際にも地盤ができているのでやりやすい。
「新たに管理職についた人が、自分の手腕を見せつけるために前任者のやりかたを破壊して、部下との信頼関係もできていないのでむちゃくちゃにしてしまう」というシチュエーションがよくあるが(企業でもあるし、知名度のみで知事や市長になった人もよくやる)、あれは男性的な行動だね。あれをやって組織が良くなることはまずないので、女性式のほうがいいよね。
パワハラやセクハラなど“男性的”なやりかたのまずさが多く露呈してきている昨今だからこそ(“男性的”というのはイコール男性の、ということではない。宝塚音楽学校でのパワハラのような例もある)、今後はビジネスの分野でも「女性らしいやりかた」が主流になってくるかもしれないね。
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