ここは退屈迎えに来て
山内 マリコ
地方都市の15~30歳くらいの女性の、不満や焦燥感や都会へのあこがれなどを描いた連作短篇集。連作といってもそれぞれ主人公は異なっており、どの話にも「椎名」という男が出てくる点だけでつながっている。
ぼくは十八歳まで郊外で育って、大学時代は京都市で暮らし、卒業後はまた実家に戻り、三十歳で結婚を機に大阪市に引っ越した。
だから都市に住む人の気持ちも、郊外に住む人の気持ちも、どっちもわかる。
両方住んだ上で語るなら、個人的には郊外のほうがずっと好きだ。あまりに不便なところは住みづらそうだが、常に山が見えてて、ちょっと足を伸ばせば自然に近い川や森がある環境のほうが落ち着く(ちなみに京都市は都市だが近くに川や山や森があるのでその点ではいい街だ。ただ気候や交通はひどい)。
ただ、食事をしたり、遊びに行ったり、文化に触れたりする上では圧倒的に都会のほうが便利で、特にぼくは車の運転が嫌いなので今は徒歩と電車でどこでも行ける都市の生活を満喫している。ちょっと郊外に行くと、車なしで生活できないとまではいわないが、車がないとできることが極端に少なくなるもんね。
都市も郊外もどっちもそれぞれ良さはあるよね、という考えなので「東京にあこがれる」人の気持ちはどうも理解できない。
高校の同級生にもいた。こんな街じゃ何にもできない、何かやろうとおもったら東京に行かなくちゃいけない、と語っていた女の子が。
彼女ははたして高校を卒業して東京に行き、なんとかという劇団に入り、女優としては芽が出ず、会社員と結婚したらしいとSNSで知った。それが東京に行かないとできなかったことなのかどうかは知らない。
でもまあ、よほど特殊な職業の人を除き(たとえば有名な芸能人になろうとおもったらやっぱり東京に行かないと相当むずかしいだろう)、東京に向かうのは「東京に何かをしにいく人」よりも「ここじゃないどこかに行きたい人」なんじゃないかとおもう。
「ここじゃないどこかに行きたい人」、言い換えれば「どこかに私が輝く場所があるはず」という気持ちってみんな多かれ少なかれ持っているものかもしれないけど、その意識が強い人って生きるのがたいへんだろうな。
今の私がぱっとしないのは今の状況が悪いんだ、って思考はある意味ラクかもしれないけど、それって終わりがないというか。たぶん東京に行ったってニューヨークに行ったって満たされることはないとおもうんだよね。「ここじゃないもっといい場所」は無限にあるわけだから。ずっと「ここは本来の私の居場所じゃない」と考えるのってしんどそうだ。究極的には「ここじゃない別の人生」を求めるしかなさそうだし。
ずっと「ここじゃないどこか」を夢見る人生を送るぐらいなら、ぼくは生まれ育った地元で近い人たちと楽しく生きていくマイルドヤンキーでありたい。
両方に住んでわかるのは、都市にも郊外にもそれぞれ良さはあるが「都市の良さ」のほうがずっとわかりやすいということだ。
〇〇がある、〇〇が近い、〇〇が多い……。
他方、郊外の良さは数えあげづらい。「あることの価値」はわかりやすいが、「ないことの価値」は気づきにくい。
また、郊外は「住み慣れた人には住みやすい」ことが多いが、都市は「住み慣れていない人にも(郊外よりは)住みやすい」ようにできている。
わかりやすい「都市の良さ」「田舎のイヤさ」を感じている人にとっては刺さる小説かもしれない。
ぼくはまったく共感できなかったな。ここは退屈、って感じる人はどこに行っても退屈なんじゃないのかなあ。
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