或るろくでなしの死
平山 夢明
とにかくグロテスクで救いようのない物語が続く短篇集。
作者によるあとがきにはこうある。
まともな人はほとんど出てこない。浮浪者、浮浪者にことさら厳しい警察官、他人をモノのように扱うクズ男、息子の死をきっかけに発狂した母親、殺し屋、娘を虐待する親、小動物を虐殺する子ども、痴呆老人をからかいにいく男、自死願望のある女とそれを利用して保険金を手に入れようとする親……。
ひどいやつらばかり出てきて、ひどい行動ばかりとって、ひどい目に遭う。いやあ、救いがない。
特にぼくの気が滅入ったのが「或るごくつぶしの死」。
田舎から出てきた浪人生が幼なじみのおつむの足りない女と再会して、そのままヒモのような生活を送り、妊娠させて、どっちも責任感も決断力もないからずるずる中絶することなく日を過ごしてそのまま出産し、当然ながらふたりとも子どもを育てる気もないので劣悪な環境で放置され……というどうしようもない物語。どうしようもないけれど、こんなことって世の中には履いて捨てるほど転がってる話なんだろうな。
「やらなきゃいけないとわかってるのにどうしてもやる気がしなくて後悔するとわかっていながら先延ばしにしてしまう」って多かれ少なかれ誰にでも経験のあることだとおもう。
小学四年生のときのこと。習字の宿題が出た。いついつまでに作品を提出せよ、と言われた。習字が大嫌いだったぼくは書く気がしなくて、ずっと提出しなかった。担任の先生が「提出されてる数がクラスの人数より五点少ないです」「まだ三人出してません」と言い、とうとう「一人だけ出してません」になった。ぼくだけだ。
先生が「出してない人、手を挙げて」と言った。ぼくは手を挙げなかった。なんとかやりすごせないかとおもっていた。あたりまえだが、ごまかせるはずがない。先生はクラス全員を立たせ、ひとりずつ作品に書かれた名前を読み上げていき、呼ばれた人から座っていった。立っているのはぼくひとりだけになった。
先生に「どうせわかるんだから正直に言いなさい」と怒られた。その通りだ。どうせ数分でばれることだ。でもその数分を、ぼくは先延ばしにしたかった。
何年か前に、ある芸人が税金を滞納していたことが明らかになり、しばらく謹慎を余儀なくされていた。彼は「どうしようもなくルーズだった」と語っていた。たぶんその言葉は本心だったのだろう。ぼくには彼の気持ちがわかる。
たぶん彼にはわかっていたはずだ。絶対に払ったほうがいいことを。ごまかせるはずがないことを。いつかはやらなくちゃいけないことを。後に延ばせば延ばすだけ状況が悪くなることを。
でもやりたくない。このままずっと先延ばしにしていたら、万に一つ、うやむやになってしまうんじゃないか。
そんな心境だったんじゃないかと想像する。
今ではぼくは心を入れ替えて、「やらなきゃいけないこと」はなるべく早く終わらせる人間になった。夏休みの宿題は七月中に終わらせるタイプだった。
でもそれはぼくがちゃんとした人間だからではなく、むしろ逆で自分の中に「どうしようもなくルーズ」な部分があることを自覚しているからこそだ。未来の自分を信じられないから、なるべく早く片付けてしまう。締切ギリギリになったら「万に一つ、うやむやになってくれるんじゃないか」という考えが首をもたげるかもしれないから。
幸いぼくは今、定職について、所帯も持って、一応社会的にちゃんと生きているけど、ちょっと環境が変わったりしたら「或るごくつぶし」になっていたかもしれないとおもうんだ。
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