人は科学が苦手
アメリカ「科学不信」の現場から
三井 誠
世界でいちばん多くノーベル賞受賞者を輩出し、科学の分野でトップを走るアメリカ。
その一方で「地球温暖化は陰謀」など誤ったことを四六時中垂れ流すドナルド・トランプ氏を大統領に選ぶ国でもある。
アメリカ特派員となった科学を愛する著者が見た「アメリカ人の科学に対する考え方」とその背景とは――。
「アメリカでは進化論を否定していて、神が全生物を創造したと信じている人が多くいる」という話を聞いたことがある。
んなアホな、とおもった。
そりゃあどの国にだってアホな人はいるだろう。日本人だって進化論をきちんと理解している人は少ない。現生のサルが進化してヒトになったと勘違いしている人も多い。
でも、どうやら「どこにだって一定数のアホはいるよね」という話でもないようなのだ。
神が1万年前に人類(今の人類と変わらないヒト)を創造したと考える人が4割近く。進化したことは認めつつも生存競争と自然淘汰によるものではなく神のお導きによるものだと考える人も4割近く。あわせると4人に3人が神の介入を信じている。
アメリカには「創造博物館」なる博物館もあり、そこでは進化論をまっこうから否定して、「恐竜と人類が同じ時代に生きていた展示」などがおこなわれているらしい。
まあ日本にも「南京大虐殺はでっちあげ!」派など歴史捏造が好きな人たちがいる。たぶんどこの国にもそういう人はいるのだろう。
アメリカがすごいのは、この手の「創造論支持者」が政治的な力を持っていて、「学校で進化論を教えるな! 創造論を教えろ」という運動になり、州によっては州法で「創造論を教えること」「進化論に対する懐疑的な姿勢を育てるように」などと定められたこと。さすがは自由の国。自由の国にするということはこういうことも引き受けないといけないってことなんだなあ。
「創造論支持者」の考えは、何度読んでも理解しづらい。
日本にも熱心な仏教徒やクリスチャンはいるが、科学を否定する話は聞いたことがない。
生まれ変わるとか天国や地獄があるとか、科学と矛盾することについては「それはそれ、これはこれ」って感じで、わりと割り切っている。たぶん僧侶ですら、経典の教えを文字通り信じているわけではないだろう。「こう考えたほうがよりよく生きられますよね」ぐらいの考え方だとおもう。
大半の人は、信仰を持っていたとしても、信仰と科学は分けて考えている。でもアメリカには信仰で科学を上書きしている人が多いらしい。
「アメリカ人の多くが進化論ではなく創造論を信じている。人類と恐竜が同時代に生きていたとおもっている」と知ると「アホなんだな」とおもうかもしれない。
が、どうやらそういうわけでもないらしい。
知能が高く、かつ、十分な知識もある人でも、「人間の活動が地球温暖化を引き起こしているという話は陰謀だ!」と信じている人が多くいるという。
それは、知性や、科学に対する知識よりも、党派性のほうが強い影響を持つから。
具体的にいえば共和党支持であれば、温暖化に関する知識の多い人ほど「地球温暖化陰謀論」に傾き、逆に民主党支持者は温暖化に関する知識が多いほど「地球温暖化は人間の活動が引き起こした」と考えているらしい。
お互いに「あいつらは知識が足りないからまちがった情報を信じているのだ。理解が深まればおれたちの考えに同意するに違いない」と信じている。ところが実際は逆で、知識が増えれば増えるほど溝は深まっていくのだ。
「自分の信条と異なるデータ」を見せられて、計算問題を出題されると、なんと正答率が下がるという。「こんなはずはない」という思いが計算能力を狂わせるのだろう。
単純な計算ですら、党派性の影響を受けて揺らいでしまうのだ。まして「総合的にどちらが正しいか判断する」なんて問題では、党派性で目がくらんで正確に判断できなくなるのは明らかだろう。
政治家が、自分の推し進めている政策を批判されたときによく、「丁寧に説明して理解を深めていきたい」と口にするじゃない。
反対する側としては「いやいや、理解していないから反対しているわけじゃなくて、理解しているからこそ反対してるんだよ」とおもう。万博の良さを知らないから反対しているわけじゃなくて、知った上でそれを上回る万博の悪さを知っているから反対しているんだよ、と。
ぼくは政治家の「丁寧に説明して理解を深めていきたい」はその場しのぎの言い訳だとおもっていたんだけど、あれは本気で信じているんだろうなあ。本気で「反対するやつは理解が足りないから反対しているのだ」とおもっているのだ。どうしようもねえな。
タイトルの通り、人は科学的に判断するのが苦手らしい。
知能が足りないとか、知識が足りないとかいう理由もないではないが、それより「科学よりも感情や好き嫌いや思想信条を優先させてしまうから」らしい。だから科学者であってもよく間違える。いや、むしろ科学を生業にしている人のほうが、正誤が自身の人生の評価に直結する分、まちがいやすいかもしれない。
この本には、地球温暖化対策で石炭の使用量が減り、仕事がなくなって困っていた鉱山労働者たちが地球温暖化を否定するトランプを支持した、なんて話も出てくる。こういうのはわかりやすい。その“科学”がまかり通ると自分が困る。だから“科学”を否定してしまう。
己の損得が科学的な目を曇らせてしまう。それはまだわかる。誰しも陥る罠だ。
ただ問題は、「科学が苦手」ではなく「科学を悪用する人」もいることだ。
人々の経済活動が地球温暖化を引き起こしているとなると、活動が規制されてしまい、儲けが減る。だから「温暖化は陰謀だ」と主張する。
タバコ業者が「タバコが健康に悪いという決定的なデータはない」と言い逃れをおこない(ほんとはデータがあるのに)、タバコに対する規制を先延ばしにする。
公害問題が明らかになっても、原因物質を排出している企業が「この物質が原因だという決定的な証拠がない」と言い(たとえどんなに可能性が高くても)、対策を遅らせる。
原発推進しないと利益が得られない人が「原発は絶対に安全だ」と嘘をつき、強引に稼働させようとする。
その手の、意図的に誤った結論に誘導しようとする人に対しては、そもそも科学的な議論が成り立たない。なぜならその人や会社にとっては結論が決まっているのだから。どうあっても「だったら二酸化炭素排出の規制を強化しよう」「いったん原発の稼働は見送ろう」という結論に至るつもりはないのだから。だからあるはずのリスクをゼロに見積もってしまう。
「科学は苦手」はアメリカだけではなく、どの国にもあてはまることなんだろうね。ぼくも気をつけねば。
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