ヘレン・E・フィッシャー(著) 吉田利子(訳)
1993年刊行(邦訳版)。
居間において置いたら妻からいらぬ誤解を生みそうなタイトルだったので、カバンに入れておいて外出時にこそこそ読んだ。
「ヒトはなぜ愛しあった相手と別れるのか」を、生物学、人類史の観点から読み解いた本。すごくおもしろかった。
「愛はなぜ終わるのか」を考えるために、まずは「愛はなぜ終わらないのか」を考えなくてはならない。
オスとメスが一対一で結びつく動物は多くない。一回限りの関係、乱婚、ハーレム、出会いと別れをくりかえす……。「決まった相手とペアになり一生過ごす」なんて動物は他にいない。
「おしどり夫婦」で知られるオシドリのように夫婦で子育てをする動物はいるが、これも繁殖期間だけの関係で、毎年相手を変えている。
そう、相手を変えるのが自然で、一生連れそうほうが不自然なのだ。
実際、人間社会でも何年かしたら相手を変える文化がある。
ここに書いているのは女にとってもメリットだが、男にとっても同様のメリットがある。逆に、繁殖のパートナーを変えないことのメリットは特にない(パートナーが一途であることのメリットはある。いちばんいいのは自分だけ浮気をして、パートナーは浮気をしないことだ)。
著者が様々な文化での「結婚から離婚にまで要した期間」を調べたところ、離婚を許されているほとんどの文化に共通して、「結婚してから四年ほど」で別れる割合が最も多かったという。
この四年という期間は、妊娠・出産をして、子どもが乳離れする期間にあてはまる。子どもが乳離れすれば母親は自分で食べ物を捕りにいけるし、ということは父親なしでも子育てができるわけだ。
だからヒトの異性に対する求愛が成功した場合、四年ほどで愛情は冷める。次の相手を探したほうが遺伝子を残す上でメリットがあるからだ。よく「男が浮気をするのは遺伝子で決まっている」なんてことを言うが、それは間違いだ。なぜなら女も浮気をしたほうが遺伝子を残す上で有利だから(上で引用した文章は女の浮気のメリットを書いている)。
パートナーを選び、セックスをし、子どもを産み、ある程度の大きさまで育て、パートナーとは四年で別れて新たなパートナーを見つける。それが遺伝子を残す上で最良(に近い)戦略であり、それこそが自然な生き方だ。だからこそ結婚後四年で離婚する夫婦が多いのだ。
では、四年で別れるほうが遺伝子を残す上で有利なのに、多くの文化では夫婦が一生添い遂げるのが基本になっているのか。
つまり考えるべきは「愛はなぜ終わるのか」ではなく「愛が終わってもなぜ別れないのか」だ。
その転換点になったのは、意外にも「鋤」の発明だと著者はいう。土を耕すのに使う、あの鋤だ。
農耕が広がり、女が独身で生きていくことがむずかしくなった。木の実や野草を集めてくるのは女だけでもできるが、鋤を引き、家畜を飼うのはひとりではむずかしい。また、夫婦が別れたときに財産を分割できなくなってしまった。集めた木の実を半分に分けることはできるが、耕作地や牛を分けることはできない。
農耕の広がりにより、離婚がしづらくなり、男の立場が強くなった。
つまり、男女の愛は四年ほどで終わるのが自然(ただし愛情は冷めるが愛着は強くなるので必ずしも別れたくなるわけではない)。農耕により離婚がをして生きていくことがむずかしくなり、離婚は悪であるという価値観が強くなった。
ただし人類の歴史としては狩猟採集で生きていた時代のほうが圧倒的に長いので、パートナーへの愛情が覚める、浮気をしたくなる本能はなかなか抜けない。そのギャップのせいでいろんなトラブルが起きている。
おもしろい本だった。人間に対する理解が深まった気がする。
古い本なので最新の知見とはちがう部分もありそうだけど。
その他の読書感想文は
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