2023年10月18日水曜日

子どものころ怖かったもの

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しゃぼん液

 しゃぼん玉遊びをするときに母が洗剤でしゃぼん液をつくってくれたのだが、“しゃぼん液は飲み物ではない”と伝えるために母は「これ飲んだら死ぬよ!」と言っていた。

 幼いぼくはそれを真に受け、しゃぼん液が逆流して口に入ってしまったときは「さっき飲んでしまったかもしれない。このまま死ぬんだろうか」と恐怖にかられた。

 

海外の迷子

 九歳のとき、家族で香港に旅行した。ぼくにとっては生まれて初めての海外旅行だった。

“ひとりで勝手な行動をしないように”と伝えるために、母はぼくを「ここは日本じゃないからね。ここで迷子になったらもう一生日本に帰れないよ!」と脅した。

 親とはぐれてしまったらもう二度と会えない、日本にも帰れない、この言葉も通じない未知の国で生きていかないといけないのか、と恐ろしくなった。満州引き上げ時の残留孤児のように。

 旅行中ずっと怖かった。


踏切の溝

 幼いころ、踏切を渡るときに母に言われた。

「ここに電車が通るための溝があいてるでしょ。昔、ここに足が挟まった子がいて、抜けなくてもがいてるうちに電車が来て、ひかれて死んじゃったっていう事件があったの。だからここにはぜったいに足を入れちゃだめ」

 脅しのための作り話か、ほんとにあった出来事なのかわからなかったが、とにかく怖かった。ぜったいに足を入れたらだめだとおもい、溝の近くに足を置くことすら怖かった。

 そのせいで、ぜったいに溝にはまらないぐらい足が大きくなった今でも、踏切を渡るときは大股で溝をまたいでいる。

※ ちなみに今調べたら、1982年5月8日に東北本線踏切溝挟まれ事故という事故が起こっている。ぼくが母から脅されたのが1980年代後半なのでほぼまちがいなくこの事故を指していたのだろう)。その事故の後、挟まることがないよう踏切の溝にはゴムが設置されたとか。



 結局、子どものころに怖かったのは「母の脅し」に尽きる。



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