名づけることで見えてくるものがある。
たとえば『トマソン』。赤瀬川源平氏が、街中にある役に立たない建造物などを「トマソン」と名付けた(名前の由来は鳴り物入りで来日したけどまったく活躍しなかった外国人野球選手)。
どこにもつながっていない階段とか、何も防いでいない塀とか、開けられない位置にあるドアなどが『トマソン』だ。
この命名により、多くの人が「これはトマソンだ」「あれはトマソンじゃないか」と次々にトマソンを発見した。トマソンの命名は今から五十年前だが、今でもTwitterなどで「トマソン」で検索すると、多くの人が「トマソン発見!」とつぶやいている。
もちろん、命名以前にもトマソンは存在していた。人々は「なんでこんなところに階段があるんだろう」とか「あんなところにドアをつけても無駄じゃないか」とおもっていたはずだ。
だが、赤瀬川源平氏が『トマソン』という名前を与えたことで、トマソンはより鮮明に人々の前に立ち上がってきた。『トマソン』という言葉を知っている人は、そうでない人に比べて「街の中にある何の役にも立たない建造物」の存在に気づきやすいはずだ。
これはいいトマソン。
— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) August 25, 2019
無用扉。#トマソン pic.twitter.com/bpEjoF8DUH
トマソン(無用扉)発見!
— 犬犬工作所 (@dogdogfactory) October 25, 2019
無用どころか看板の邪魔をしてる。 pic.twitter.com/yqUihLlnZ8
『レトロニム』という言葉がある。名付けたのはアメリカのジャーナリストだそうだ。
- 携帯電話が主流になったので、それまで電話と呼んでいたものを「固定電話」と呼ぶようになった
- 新幹線ができたので、それまでは鉄道と呼んでいたものを「在来線」と呼ぶようになった
これも、言葉を知らないと気づきにくい。
ぼくは『レトロニム』という言葉を知っていたせいで、コロナ禍に生まれた〝オフライン飲み会〟や〝ノーマスク会食〟という言葉を聞いて「レトロニムだ!」と気づけた。気づいたからなんだって話だが。
「今までみんなの目に入っていたけど特に意識されなかったもの」に名前をつけるのがうまいのが、みうらじゅん氏だ。
有名なところだと『マイブーム』『ゆるキャラ』『クソゲー』など。言われてみれば、そういうのってあるよねとおもわせるようなものを見事にカテゴライズして名前を与えている。『ゆるキャラ』なんて、名前を与えられたことで認知されたどころか増殖した。
『クソゲー』もいい。「つまらないゲーム」だと誰も見向きもしないが、『クソゲー』という名前を与えておもしろがったことで逆に愛着が沸くようになった。
『いやげ物』『ムカエマ』なども、誰もが一度は見聞きしたものだがほとんど気にも留めなかっただろう。だがネーミングを与えることで改めてその存在に気づかされる。
よく言われることだが、日本語には「梅雨」「小雨」「にわか雨」「霧雨」「雷雨」「五月雨」「氷雨」「長雨」「豪雨」「時雨」「春雨」「秋雨」など雨に関する言葉が多いという。だから日本語が豊かだとかいうことはぜんぜんなくて、単に季節の変化がはっきりしていて湿度の高い国だからそうなっただけで、緯度の高い国なら雪に関する言葉が多いだろうし、小島で暮らす民族なら海の状態を指す言葉をたくさん持っているはずだ。
語彙が増えると、世界の見え方が変わる。いわゆる〝解像度〟が高くなるという現象だ。
ぼくのおばあちゃんは、名前をつけるのが好きな人だった。無灯火の自転車で走る見知らぬ人を勝手に「ムトウさん」と呼び(ムトウカ走行なので)、ケチな知人のことは「高月さん」(「高くつく」が口癖なので)、うるさい人は「大越(オオゴエ)さん」、強情な人は「片井(カタイ)さん」と呼んでいた。
きっとおばあちゃんには、街ゆく人々のことがずっと身近に鮮明に見えていたことだろう。
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