十二人の死にたい子どもたち
冲方 丁
冲方丁さんといえば『天地明察』で骨のある時代小説を書いた人、というイメージだったので、こんな安いWebマンガみたいなタイトルの小説も書くんだーと意外な気持ちで手に取った。
タイトルからもわかるように『十二人の怒れる男』のオマージュ的作品でもある。もしかすると三谷幸喜の『十二人の優しい日本人』の影響もあるのかもしれない(筒井康隆の『12人の浮かれる男』はたぶん関係ない)。
集団自殺をするために廃病院に集まった十二人の少年少女。ところが実行直前になって、十三人目の死体があることに気づく。それでも予定通り自殺を実行しようとするメンバーだったが、ひとりの少年が異議を唱えだして……。
ここからは『十二人の~』の典型的パターン。一人 VS 十一人という構図からスタートし、議論を重ねるごとにひとりずつ賛同者が増えていき、徐々に場の流れが変わりはじめる……というストーリー。
【以下、ネタバレ感想】
これを小説でやるのはきついな、というのがいちばんの感想。動きの少ない密室劇。登場人物は十二人。これで十二人の個性を読者に印象付けるのはそうとうむずかしい。
それぞれのキャラクターを書き分けようとすると極端な性格にするほかなく、超傲慢、超バカ、超冷静沈着頭脳明晰、超日和見主義、超無口、超美人……などマンガチックなキャラクターになってしまう。
特に女性キャラはひどい。男性のほうは(考えは違えど)全員議論ができる他者への優しさを持っているのに、女性のほうはヒステリック、超バカ、傲岸不遜、視野狭窄、攻撃的でほとんどまともに会話が成り立たない。作者はよほどの女嫌いなのか?
そこまでしてもやはり十二人の個性を印象付けるのはむずかしく、案の定、読んでいてこいつ誰だっけとなってしまう。
おまけに病院の見取り図を利用したトリックなんかも出てきて、ややっこしいったらありゃしない。やはり〝十二人もの〟は映像作品だからこそできるものだよね。
「ゼロ番の死体」の正体については、納得のいく設定だった。
自分のせいで植物状態になってしまった兄。まあこれなら集団自殺の場に連れてきてもおかしくないとおもえる。
ただ、アンリとノブオが、彼を自殺の場に連れていった理由がいまいち腑に落ちない。見ず知らずの死体なのに。頼まれたわけでもないのに。ましてアンリは誰よりも自由な選択を重要視していたのに。
そして、誰ひとりとして彼が死んでいるかどうかを確かめようとしないのも不自然。シンジロウなんか細かいところはめちゃくちゃ気にして微に入り細を穿って調査するくせに、肝心なところはまったく調べない。
で、案の定「ゼロ番は生きている」という予想通りの展開。そりゃあね。物語冒頭から死体が出てきて、ろくに調べられていなかったら、実は生きてましたーパターンだよね。そうならないのは落語『らくだ』ぐらいだ。
話の展開自体はぜんぜん悪くなかったので、登場人物を減らして、ゼロ番移動のくだりをまるっと削除すればすごくおもしろい物語になったんだろうな、とおもう。いろいろ惜しかった。
結局自殺をやめるというのも予定調和ではあるが、これはいい予定調和だとおもう。
ただ、興醒めなのが大オチ。
実はサトシがこの集まりを開くのは三回目で、過去に二回参加者たちの自殺を止めていたという設定。
これ、いらなかったんじゃないかなあ。よくあるよねという仕掛けで意外性はないし、驚きをもたらす効果よりも「ここまでの物語の価値を貶めてしまう効果」のほうが大きい。
さんざん熱い議論を見せられたあげく、これじつはサトシくんのてのひらで転がされてただけでしたーって言われちゃうと、あの話し合いはなんだったんだって気になっちゃう。あれで一気に作品全体への評価が下がってしまった。
なんか不満点ばっかり書いてしまった。でも一応書いておくと、ぼくは本当につまらない小説を読んだときにはあんまり感想を書かない。特に心動かされないから。不満を書く気にすらならない。
不満を書きたくなるのは「あとちょっとですごくおもしろくなっただろうに」という作品に対して。アイデアは良くて、キャラクターも良くて、細かいところまで気を配っていて、だったらあとここだけ変われば完璧だったのにー!って作品に対してはあれこれ言いたくなってしまう。
ということで、いろいろと「惜しい!」と言いたくなる作品だった。そもそも小説に向いてなかったようにおもう(この作品は映画化もされてるみたいね)。
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