2021年6月23日水曜日

【読書感想文】理想の女友達 / 角田 光代『対岸の彼女』

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対岸の彼女

角田 光代

内容(e-honより)
専業主婦の小夜子は、ベンチャー企業の女社長、葵にスカウトされ、ハウスクリーニングの仕事を始めるが…。結婚する女、しない女、子供を持つ女、持たない女、それだけのことで、なぜ女どうし、わかりあえなくなるんだろう。多様化した現代を生きる女性の、友情と亀裂を描く傑作長編。第132回直木賞受賞作。

 この小説には、二組の〝女の友情〟が描かれる。

 ひとつは、専業主婦・小夜子と女社長・葵。
 もうひとつは、高校生時代の葵と同級生のナナコ。

 どちらも構図は似ている。
 いろんなしがらみに縛られて生きている小夜子は自由闊達に生きているように見える葵にあこがれ、人間関係のわずらわしさに苦悩していた高校生時代の葵もまたしがらみとは無縁のナナコにあこがれる。

「ねえ、アオちん、あんな場所でなんにもこわがることなんかないよ。もしアオちんの言うとおり、順番にだれかがハブられてったとして、その順番がアオちんになったとしても、あたしだけは絶対にアオちんの味方だし、できるかぎり守ってあげる。ね、みんなが無視したって、たったひとりでも話してくれたらなんにもこわいことなんかないでしょ?」
 葵は何も言わなかった。ただドーナツの輪から空を見続けていた。
「でもこれは、協定でも交換条件でもなんでもない。もしあたしが無視とかされても、アオちんはべつになんにもしないでいいよ。みんなと一緒に無視しててほしいくらいだよ、そのほうが安全だもん。だってあたしさ、ぜんぜんこわくないんだ、そんなの。無視もスカート切りも、悪口も上履き隠しも、ほんと、ぜーんぜんこわくないの。そんなとこにあたしの大切なものはないし」
 葵は頭上にかざしたドーナツを顔に近づけて、一口囓った。それをまた空にかざす。アルファベットのC形ドーナツから空を見る。輪のなかの青色が、空に溶けだしていくようだと葵は思った。

 誰しもこんなふうに生きていたいと願うだろう。だけどたいていの人はそうはできない。周囲の顔色をうかがいながら、嫌われないように、目立たないように生きる。


 ……と書いたものの、じつはぼくはそういう窮屈な生き方はあまりしてこなかった。
 学生時代は目立つことが大好きで、生徒会長になってふざけたスピーチをしたり、浴衣を着てうろうろしたり、学ランなのにネクタイをしたり、授業中に大きな声を出したりしていた。
 とはいえぼくの場合は「自由気ままに生きていた」というよりは「自由気ままに生きている人のふりをしていた」というほうが近かった。浴衣を着たかったというより、〝浴衣を着る変なやつ〟とおもわれたかったのだ。

 それでも、平均的な高校生に比べればずっと人目を気にせず生きていたとはおもう。
 周りの人たちのほとんどはおもしろがってくれたが、一部の心ない人から「きもい」「調子乗ってる」なんて言葉をぶつけられたこともある。もちろん心は痛んだけど、ぼくにとってはおもしろがられることのほうが大事だったから「変なやつ」として生きていくことを選んだ。

 でもそういう生き方ができたのは環境のおかげだったとおもう。
 高度経済成長期に開拓された新しい町だったとか、校則の厳しい学校ではなかったとか、学校にヤンキーが少なかったとか、ぼくの母親も「変な息子」に困りながらちょっとおもしろがっていたとか、そういう環境があったからこその話だ。

 そしてなにより、ぼくが男だったというのが大きいとおもう。


 特に十代ぐらいの頃は女子の友情を見ていると「窮屈な関係だなあ」とおもっていた。
 どこへ行くにも何をするにも決まったグループ。誰かがトイレに行くときはついていく。別のグループに出入りすることは、元のグループとの決別を意味する。同じようなファッションをして同じマンガを読み同じ音楽を聴いて同じテレビ番組を観る。
 耐えられん。

 ぼくにも仲のいいグループはあったけどメンバーは固定ではなかった。
 サッカーをするときはこのメンバー、野球をするときはこのメンバー、漫画の貸し借りをするのはこいつ、こいつとはちょっと真面目な話をすることもある。そんな感じだった。

 女子のグループは何をするにも一緒のくせに、クラス替えとか進学のタイミングであっさりつながりが切れる。あんなにずっと一緒だったくせに、嘘のようにつながりが切れる。
 なんなんだあの関係は。

 もちろん女子のグループにもいろんな関係性があるんだろうけどさ。


 小田扉『そっと好かれる』という、ぼくの大好きなマンガがある。短篇集だが、このマンガに出てくる女性はみんな他人の目から自由だ。
 自分のやりたいことだけをやっている。他人からどうおもわれようと一切気にしない。

 すごいなあとおもうと同時に、でも現実にはこんな女性いないよなとおもう。だからこそギャグマンガになるのだ。
(現実にもいるけどたいていアブない人だ)

『対岸の彼女』に出てくる葵(大人時代)とナナコも、〝理想の女友達〟を体現している。
 フィクションの世界にしかいない、人の評価から自由な女性だ。




 とはいえ、〝理想の女友達〟に見えた葵とナナコも、いろいろな事情を抱えていることが中盤以降明らかになる。決して悩みのない順風満帆な日々を送っているわけではないことがわかる。

 彼女たちの暗い過去を読んで、ぼくは逆に安心した。
 ああ、やっぱりふつうの人だったんだ。

 特に若い頃は人目を気にせずに生きていくのはむずかしいよね。歳をとるといろんなことがどうでもよくなってくるんだけどね。




 ぼくは「自分は社交的な人間ではないし、今後もそうだろう。友人はいるけど、今後新たに友だちができることは期待していない。歳をとったら寂しいジジイになるんだろう」とおもって生きている。
 自分自身についてはもう覚悟もできているし、諦めも持っている。

 だからそれはいいんだけど、自分の娘のこととなるとそうはおもえない。

「だけど、友達、たくさんできたほうがやっぱりいいじゃない?」耳に届く自分の声は、みっともないくらい切実だった。けれど小夜子は知りたかった。あかりの未来か、自分の選択の正否か、葵の話の行き着く先か、何を知りたいのかは判然としなかったが、しかし知りたかった。
「私はさ、まわりに子どもがいないから、成長過程に及ぼす影響とかそういうのはわかんない、けどさ、ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね」
 小夜子は正面に座る葵をじっと見つめた。目の前でぱちんと手をたたかれたみたいに思えた。そうだ、あかりに教えなければならないこと、それは今葵が言ったようなことなんじゃないか、泣きわめくあかりを保育士さんに預け、まだ友達ができないのかとじりじり焦り、迎えにいったあかりから友達の名がひとりも出ないことにまた落胆するのは、何か間違っているのではないか……葵を見つめたまま、小夜子は考えた。

 下の子は二歳なのでまだ性格はわからないけど、上の子はだいぶ性格が見えてきた。人見知り、頑固、他人に厳しい。おせじにもみんなから好かれるタイプではない。我が子を見ていて心配になる。
 なんとかして、周囲とうまく付き合っていってほしいなあとおもう。
 少々自分を押し殺してでも、周りと合わせて生きていってほしい。休み時間に一緒にトイレに行く友だちができてくれたらいいとおもう。

 自分は「親しくない人には好かれなくてもいいや」と生きてるのに、娘のことだと「無難に、ふつうに生きていってほしい」とおもう。
 我ながら、勝手な願いだけど。


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