七歳の娘に、古いマンガばかり買い与えている。
ドラえもん、ちびまる子ちゃん、21エモン、パーマン……。ぼくが子どものころに読んでいたマンガばかりだ。
おっさんになると古いマンガが読みたくなる。新しいマンガもおもしろいけど、手を出すのに気力がいる。『鬼滅の刃』とか「あれだけ流行ってるんだからまちがいなくおもしろいんだろうなあ」とおもうけど、新たに読みはじめるのがなんとなく億劫だ。
「流行ってるから手を出す」って恥ずかしいし。
そんなわけで、娘といっしょに21エモンやパーマンを読んでいる。パーマンってもう五十年以上前のマンガなんだなあ。でも娘は楽しんで読んでいる。令和の子どもでも楽しめるのだ。
こないだAmazon Primeで『パーマン』の昔のアニメを娘に見せてやったら大喜びで観ていた。ギャグシーンでは笑いころげていた。
ぼくが昔読んでいたマンガやほしかったけど持っていなかったマンガを、娘のためと言いながら買い集めている。
そういやぼくも小学生の頃、母親から昔のマンガを買い与えられた。
べつにお願いしたおぼえもないのに、手塚治虫の『ブッダ』『三つ目がとおる』『火の鳥』『ブラック・ジャック』『鉄腕アトム』といったメジャーどころから『プライム・ローズ』『紙の砦』『日本発狂』『ルードヴィッヒ・B』などのマイナー作品までどっさり買ってくれた。『シュマリ』『奇子』『きりひと讃歌』など、性描写も多くてどう考えても子ども向けじゃないマンガもうちにあった(『火の鳥』や『シュマリ』は母が昔買ったものだった)。
家に遊びに来る友人からは「おまえんちめずらしいマンガあるな」と言われた。
手塚治虫が亡くなった数年後だった。ふつうの小学生の部屋には手塚治虫作品はなかった。
あと中学生のときに『サザエさん』全集が刊行されて、それも母からプレゼントされた。
正直『サザエさん』はマンガ自体がおもしろかったわけでもなかったが(新聞四コマなので時事ネタが多く後で読むとわかりづらい)、昔の世相が知れるおもしろさはあった。
どうせなら当時人気のあった『ドラゴンボール』などを買ってもらえるほうが当時のぼくはうれしかったが、それでもマンガをたくさん読めるのはうれしく、手塚治虫作品を何度もくりかえし読んだ。
当時は気づかなかったが、最近になってあの頃の母の気持ちがわかった。
我が子に、自分が読んだものを読んでほしいという気持ち。
特にぼくの姉は本を読まない人だったから(マンガもあまり読まなかった)、ぼくはいろいろな本を買い与えられた。
マンガだけではない。東海林さだおや群ようこのエッセイ、北杜夫のユーモア小説、椎名誠の私小説。母がぼくに買ってくれたものもあるし、母の本棚からぼくが勝手に手に取ったものもある。ジェフリー・アーチャーの短篇集とか。
母の少女時代のことはよく知らないけど、きっとサブカル少女だったのだろう(もちろん母が少女だった頃にそんな言葉はないが)。
だから母のふとした気まぐれで、ぼくは手塚治虫マンガを買い与えられたり、平日の昼間に落語会に連れていかれたりした(学校をサボって)。
こういう姿勢はちゃんと受け継いでいかないとな。
だからこれからもぼくは娘に昔のマンガを買い与えようとおもう。妻からの「部屋が散らかるから、マンガ買うんだったら片付けして」という言葉を聞き流しながら。
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