2021年6月3日木曜日

【読書感想文】最後にいきなりカツ丼出されるような / 桐野 夏生『夜の谷を行く』

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夜の谷を行く

桐野 夏生

内容(e-honより)
山岳ベースで行われた連合赤軍の「総括」と称する凄惨なリンチにより、十二人の仲間が次々に死んだ。アジトから逃げ出し、警察に逮捕されたメンバーの西田啓子は五年間の服役を終え、人目を忍んで慎ましく暮らしていた。しかし、ある日突然、元同志の熊谷から連絡が入り、決別したはずの過去に直面させられる。連合赤軍事件をめぐるもう一つの真実に「光」をあてた渾身の長編小説!

 はじめにことわっておくと、山岳ベース事件(凄惨な事件なので苦手な人は閲覧注意)を知らない人には何が何だかわからない小説だとおもう。

 山岳ベース事件の生き残りの四十年後を書いた小説だが、事件に関する説明はこの本には書かれていない。事件の内容を知っていることを前提に書かれているので、この本を読む前にWikipediaでもいいから事件の概要を知っておくことをお勧めする。




 山岳ベース事件にはなぜか惹きつけられる。
 事件はぼくが生まれるより前の事件だが、知れば知るほど「特殊な状況に置かれた人間がいかに異常なふるまいをするか」ということをまざまざと見せつけてくれる。
 『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』のDVDも買った。フィクションだとわかっていても身の毛がよだつほどの生々しさを感じた。
 人間ってこんなにかんたんに狂えるのか。思考能力はこんなにたやすく奪われてしまうのか。

 ちなみに、「山岳ベース」よりもその後の「あさま山荘事件」のほうが有名だが、あれは追いつめられた人間が人質をとって立てこもっただけなので異常性は感じない。
 「山岳ベース」事件は怖い。
 人間が潜在的に持っている残酷性をはっきりとつきつけられるので怖い。人間って集団になるとこんな残酷なことをやれるのか。三十人近くいて誰も止めないのか……。

 もし自分が山岳ベース事件の場にいたらどうしていただろう……という考えを拭い去ることができない。戦ったり逃げたりできただろうか。殺されていただろうか。それとも、殺す側にまわっていただろうか。

 自分がどうしていたかはわからない。
 ただ「おれは絶対その場にいてもリンチには加担しなかった」というやつだけは信用できないとおもう。真っ先にリンチに加担するのはそういうやつだ。きっと。


 少し前に清水潔『「南京事件」を調査せよ』という本を読んだ。
 南京大虐殺と山岳ベース事件は似ているとおもう。命令されれば(場合によってははっきりと命令されなくても)、人間はどこまでも残虐になれる。特別に凶暴な人でなくても、ごくふつうの人がかんたんに他人を殺してしまう。




『夜の谷を行く』は、山岳ベース事件の生き残りである西田啓子(架空の人物だがおそらくモデルはいる)を主人公にした小説だ。
 舞台は二〇一一年。東日本大震災の前後。
 西田啓子は指導部ではなかったもののリンチに加担したため服役し、学習塾講師を経て、今ではひとりで暮らしている。ジムに通うのと焼酎を飲むのが好きな、老婆の静かな暮らしだ。
 しかし彼女の生活に四十年前の事件はずっとついてまわる。親戚の縁を切られ、唯一付き合いのある妹とは四十年たった今も事件をめぐって諍いが絶えない。姪の結婚にも啓子の過去が影響を及ぼす。

 彼女は「あの事件はすべてまちがいだった」とおもっているわけではない。もちろんすべてを肯定しているわけではないし、誤ちを犯したことは認めている。とはいえ、すべてが誤りだったとおもっているわけでもない。しかたなかったことや、正しいこともあったとおもっている。

 このへんの心の動きがすごくリアルだ。
 人間って、そんなにかんたんに過去の自分を全否定できるものじゃない。
 戦争に行って戦った人が、終戦後に「あの戦争はすべてまちがいでした」と言われても全面的に受け入れられたわけじゃなかっただろう。まちがいもあったけど、彼らが国や家族を守るために戦いに挑んだことまでもが誤りだったと受け入れられた人は少なかったんじゃないだろうか。

 山岳ベース事件は、外にいた人からしたら
「なんでそんなことしたんだ」
「自分だったらぜったいにそんなばかなことはしない」
と言いたくなることばかりだ。

 でも当事者である西田啓子にはそうおもえない。過去に対して線を引いてきれいさっぱり忘れることができない。
「間違いだったとされていることをしてしまった」とはおもっているが、「間違ったことをしてしまった」とはおもっていない。

「心からの反省」だとか「過去を悔やんでの改心」なんてしたことがあるだろうか。
 ぼくはほとんどない。
「もっとうまく立ちまわればよかった」ぐらいのことは考えるが、「あのとき自分はなんであんなばかなことをしてしまったんだろう」とまではおもわない。それをしてしまうと今の自分の存在が揺らいでしまうから。

 裁判所や刑務所で改悛の意志とかいうけど、あんなの噓っぱちだよね。まあ一パーセントぐらいは本気で改悛する人もいるのかもしれないが、ほとんどは「へたこいた」ぐらいにしかおもっていないとおもう。




 この小説、わりと平坦に話が進んでいくんだけど最後に大きなどんでん返しがある。
 たしかにびっくりしたんだけど、そういう小説だとおもってなかったのでかえって肩透かしを食らったような気になる。
「ははあ、元連合赤軍メンバーの心情を静かにつづる小説なんだな」とおもっていたら最後の最後で急にミステリになるというか。
 コース料理でスープと前菜と魚と肉を味わって「そろそろデザートかな」とおもってたら、突然カツ丼が運ばれてくるような。
  えっ、あっ、いや、たしかにカツ丼好きですしすごくおいしそうなカツ丼ですけど、今はそんなの求めてないんですけど。


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