2020年1月28日火曜日

考えないための傘

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いつからだろう、天気について考えるのをやめたのは。

はじめは「雨が降るかもしれないから」だった。
降水確率が五十パーセントぐらいのときに、念のためにとおもって鞄に折り畳み傘を入れた。

そんな日が続き、ぼくは天気のことを考えるのをやめた。
いまやぼくの鞄には毎日折り畳み傘が入っている。入れているのではない。入っている。

雲ひとつない絶好の快晴であっても鞄には折り畳み傘があるし、朝から雨が降っていて傘を持って出かけるときにも折り畳み傘が入っている。

折り畳み傘は重い。重い鞄を持つと肩がこる。
でも傘について考えるほうがめんどくさい。天気予報を見て「今日は傘いるかな」と頭をはたらかせたくない。だから折り畳み傘がずっと入っている。
濡れないための傘というより、考えないための傘。


天候全般に対して関心がなくなった。梅雨も夕立も気にしない。今降っていれば折り畳み傘をさすし、降っていなければささない。それだけ。
十分先の天気も気にしない。空を見上げることがなくなった。

狩猟採集民族でなくてよかった。

ぼくが狩猟採集民族だったら、天気を読み誤ったせいでずぶぬれになっている。遭難して体温が冷えて死んでいた。
ワナをしかけてからしばらく悪天候で出かけられず、久しぶりに見にいったら獲物がかかった形跡はあるのにとっくに逃げていた。飢えて死んでいた。
収穫した果実がカビだらけになっていたこともある。もっと早く収穫しておけばよかった。しかたなくカビだらけの果実を食べたらおなかをこわして死んだ。
もう三回も死んだ。
折り畳み傘にどんどん命が削られてゆく。


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