2020年1月17日金曜日

【読書感想文】時代劇はいろいろめんどくさい / 大森 洋平『考証要集 秘伝! NHK時代考証資料』

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考証要集 秘伝! NHK時代考証資料

大森 洋平

内容(e-honより)
織田信長がいくら南蛮かぶれでも、望遠鏡を使わせたらドラマは台無し。「花街」を「はなまち」と読ませたり、江戸っ子に鍋料理を食わせようものなら、番組の信用は大失墜。斯様に時代考証は難しい。テレビ制作現場のエピソードをひきながら、史実の勘違い、思い込み、単なる誤解を一刀両断。目からウロコの歴史ネタが満載です。
NHKでドラマの時代考証を担当している著者による、時代考証資料集。
読み物ではなく製作者向けの手引きなので少々読みづらい(五十音順じゃなくてテーマ順にしてほしい!)が、素人が読んでも十分おもしろい。

時代も、戦国・江戸だけでなく、平安から昭和まで幅広い知識が紹介されている。
立ち上げる 【たちあげる】 これはパソコン用語で九〇年代前半から次第に使われ始め、九五年の「ウィンドウズ95」発売によって一気に広まった言葉で、それ以前には一切ない。台詞・ナレーションともに、「設立する」「生み出す」「編成する」「創立」「設置」等と正しく改める。
へえ。立ち上げるってそんなに新しい言葉なのか。
今じゃ「新規事業の立ち上げ」とかあたりまえのように使うけどね(逆にPC用語としてはほとんど使わなくなった。起動に時間がかからなくなったからかな)。

考えたことなかったけど、よく見たら「立ち上げる」って変な言葉だよね。自動詞+他動詞だもんね。
複合動詞って「立ち上がる(自動詞+自動詞)」とか「持ち上げる(他動詞+他動詞)」という形をとるもんね。「立たせ上げる」のほうが日本語として自然なんじゃないかな。



時代劇というと「言葉遣いに気をつけなくちゃいけないんだろうなー」と素人でも想像がつくが、言葉以外にも留意すべき点はいろいろあるようだ。
オーストラリア 【おーすとらりあ】 オーストラリアの発見は一七世紀初めであるから、戦国時代劇の「南蛮地球儀」に同地が描かれていたら間違いである。ドラマのシーンで織田信長に地球儀を回させたい時は、オーストラリアが映る前にカメラを切り替える必要がある。織田武雄『地図の歴史─日本篇』(講談社現代新書、九一頁)によると、司馬江漢の『地球全図』(寛政四年:一七九二年)にはオーストラリアが出ているが、これが日本での最初の例である。小道具にはアンティークな地球儀がいくらもあるだろうが、使う前に必ずオーストラリアの有無をチェックすることが戦国時代劇の鉄則。
こんなのとか。
へえ。オーストラリアが発見されたのって、地球が丸いと明らかになったよりも遅かったのか。
こんなの言われなかったら思いもよらないよなー。

冲方丁『天地明察』に渋川春海が地球儀を水戸光圀に贈るというシーンが描かれていたけど、あれにもオーストラリアはなかったんだな。

小説なら「地球儀を見せた」で済むことも、時代劇なら現物を用意しないといけない。オーストラリアが描かれていないものを。
あやふやなことがあっても、小説のように「書かずにごまかすというわけには」いかない。

時代劇を作るのってたいへんだなあ。



軍議・本陣 【ぐんぎ・ほんじん】 最近の戦国時代劇では、幕で四方を閉ざした本陣の中に諸将が座り、地図の上に駒をおいて作戦指揮をしているシーンが多いが、これは慣習に過ぎず、多分スタジオのセットの組み方等、収録上の制限から来たものだろう。関ヶ原古戦場の東西両軍の本陣跡に登ればすぐわかるが、実際には戦況を見ながら指揮をとる(ナポレオンの時代でも同様)。往年の大河『天と地と』の川中島合戦では、両軍ともちゃんと戦場に向かって視界の開けた本陣で指揮していた。「地図を見ながら大兵力の配置を考えつつ指揮する」というのは近代ヨーロッパの戦争方式で、電信機がない戦国時代にそんなことをしても無意味である。
「幕で四方を閉ざした本陣の中に諸将が座り、地図の上に駒をおいて作戦指揮をしているシーン」
たしかに観たことある気がするわ、これ。
言われてみれば意味ないよね。戦闘がはじまってから現場を見ずにあれこれ策を練っても。
大将は絶対に戦況が一目で把握できる場所(山の上とか)にいなきゃいけないよね。電話もモールス信号もないんだから。

しかし戦場がよく見える場所ということは、裏を返せば戦場にいる兵士たちからも容易に見つかる場所だ(しかも肉眼で見ているわけだからそう遠くないはず)。
飛び道具の発達した近代戦だったら「超危険な場所」だから、まずそんなところに本陣を置かない。
現代の感覚だとまちがえちゃうよね。

おつかれさま 【おつかれさま】 これは日本の一般的伝統的なねぎらいの言葉ではない。時代劇なら「ご苦労様でございます」「お役目ご苦労に存じまする」、旧日本陸軍なら「ご苦労様であります!」等が適切である。大河『篤姫』で「ごくろうさまでございます」という台詞がでた時、視聴者から「『おつかれさま』でないと失礼だろう」という批判があったが、そういうことはない。 一例をあげると、劇評家でエッセイストの矢野誠一著『舞台人走馬燈』(早川書房、二四頁)に、俳優の長谷川一夫が隣に住んでいた少年時代(一九四六年)の思い出として「私は隣家でもって交わされる、『おつかれさま』という挨拶語を生まれて初めて耳にした。いまでこそ立派に市民権を得ている『おつかれさま』だが、その時分はもっぱら藝界や水商売の世界で用いられていて、少なくとも山の手の生活圏には無かった言葉だ」とある。
「目上の人に“ご苦労さま”は失礼。“おつかれさま”と言いましょう」
と何度となく聞いたことがあるけど、“おつかれさま”は水商売の言葉だったんだね。

言葉は変わるものだから「だから“おつかれさま”は失礼!」とは言わないけど、「“おつかれさま”じゃないと失礼」も同様に間違いだよなー。



この本の端々に、時代劇を観た視聴者から「この時代に〇〇はおかしいだろ!」という電話がかかってくることが書かれている。

まあ誤りに対する指摘なら「ありがとうございます」といって拝聴すればいいけど、まちがった認識で電話をかけてくる人がたくさんいるらしい。

「江戸時代に〇〇はなかったはずだ!」
「いやあるんですよ。文献に出てきます」
なんてことが多々あるようだ。

自分の思いこみだけで他人の仕事にケチをつける人って……なんていうか……頭おかしい自己肯定感が高いんだなあ。

テレビで時代劇が減った理由のひとつに「めんどくさい人の相手がたいへんだから」ってのもあるかもしれないね。


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