2019年8月21日水曜日

ジジイは変わる

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考えを変えることに対して厳しい人が多い。

特にインターネット上の言論だと、その傾向が強い。
過去の発言や著述をさくっと検索できるようになったからだろう。
「こいつはこんなこと言ってるけど五年前は反対のこと言ってたぜ!」
「それってあなたが以前にした発言と矛盾してますよね?」
なんてことを言う人がいる。

ええじゃないか。
考えが変わっても。

というか、変わるほうがいいでしょ。
たくさん本を読んで、他人の話を聞いて、あれこれ考えてたら、そりゃ考えが変わることもあるでしょ。
本を読むって少なからず自分の考えを変えるための行為でもあるわけだし。


生きていれば、持てる情報も変わるし、置かれた立場も変わる。自分が変わらなくても世界が変わる。

もしも石油がなくなったら原発反対派だって「ある程度は原発に頼らざるをえないよね」って考えになるかもしれないし、原発賛成派だって自宅の横に原発つくるって話になれば「ちょい待てよ」と言いだすだろう。

ぼくだって今は「年寄りに税金を使うな」とおもっているが、いざ自分がジジイになったら「年寄りを大切にしろ!」と言いだす可能性大だ。

自分がどんな立場に置かれても世界がどんなに変化しても主張が変わらないとしたら、それはもう主張というより信仰だ(信仰も往々にして揺らぐものだけど)。もしくは、はじめから何も考えていなかったか。



立場が変われば主張が変わるのも当然だ。
派遣社員だった人が経営者になれば、発言の内容も変わるだろう。

よく戦争反対を唱える人に対して
「敵国が攻めてきて自分の家族が殺されそうになっても同じこと言えるのか?」
なんて言う人がいるけど、そんな詭弁には意味がない。

「だったらあなたは戦争が起こったときはあなたがまっさきに徴兵されて最前線に送りこまれることになっても戦争できる国にしたいとおもいますか?」
と返されたら、そいつはきっと黙ってしまうだろう。

「〇〇になっても同じこと言えるのか?」は愚問だ。なんで異なる状況なのに同じこと言わなきゃいけないんだ。





考え方が変わるのは悪いことではない。いいことかもしれない。
「それってあなたが五年前にした発言と矛盾してますよね?」と言われたら、五年間で自分は成長できたのだと喜びたい。

ただ、変わった原因は自覚しておきたい。
本を読んだから変わったのか、人と会って新しい意見に触れたからなのか、自らの置かれた立場が変わったのか、環境が変わったのか。

そのへんの自覚なく変わるのは、思想をアップデートしたんじゃなくて流されてるだけだとおもうんだよね。
だから自戒を込めて。
油断しているとついつい「はじめからこうおもってましたけど?」って考えちゃうからね。

「ワシが若いころはお年寄りを敬う気持ちを持っておったもんじゃ」とか嘘八百を並べるジジイにならないように。
ちゃんと「若いころはジジババ早く天に召されろ!とおもっててすんませんでした」と言えるジジイになりたいとおもう。

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