ネットで検索してここにたどりついた君、もう大丈夫です。
自由研究だね? 何から手をつけていいかわからなくて困ってるんだね?
うん、わかるよ。
ぼくもかつては困っていた。困っていたなんてもんじゃない。途方に暮れていた。
でももう困っていない。
なぜかって?
学校を卒業したからだ。
そうだね、身も蓋もないね。
でもふざけてるわけじゃない。そのとおりなんだ。大人になったら自由研究で困らないんだ。
大人が
「学生の頃、ちゃんと英語やっとけばよかったなー」とか
「もっと歴史の勉強をしっかりやっておけばよかった」とか言っているのを聞いたことがないかい?
あるだろう。大人はいつも「もっと勉強しておけばよかった」とおもいながら、けれど勉強しない生き物なんだ。最高だね。
じゃあ大人が
「学生の頃、もっとちゃんと自由研究をしておけばよかったー!」
と嘆いているのを聞いたことがあるかな。ないよね。
それは、自由研究は何の役にも立たないからだ。
学生のときに自由研究に力を入れようが入れまいが、将来にはなんの影響もないんだ。
自由研究は役に立たないのに、どうしてやらなくちゃいけないのかって?
それは、役に立たないことをやる訓練のためだ。
大人になったら何の役にも立たないことをいっぱいしなくちゃいけない。
上司のつまらない話を興味深そうに聞くとか、断られるとわかっているのに電話で営業をかけるとか、妻の愚痴につきあわされた結果自分の意見を述べたら「そういうの求めてないから」と言われるとか。
大人は役に立たないことを我慢する対価としてお給料をもらったり、家庭内の平穏を保ったりしているわけだ。
君たちぐらいの年齢のうちから自由研究のように役に立たないことをやっていると、大人になって役に立たないことを押しつけられても動じなくなる。
だからこれはとても大事なことなんだ。
野球部がでかい声を出しながら走ったり、朝礼で校長先生が長いお話をしてくださったり、卒業式の練習にたっぷり時間をかけたりするのも、みんな「役に立たないことの修行」のためだ。
そこに疑問を持って「これに何の意味があるんですか」なんていうのは、君がまだまだ子どもだからだ。意味がないことに意味があることを大人は知っている。
【ここまでのまとめ】
自由研究は役に立たないことをする修行
君たちが「自由研究って何をやればいいの?」と困るのは、役に立つことをやろうと考えているからだ。
まずその前提を捨てよう。
自由研究は役に立たないことをする練習のためにあるんだから、研究の内容も当然ながら役に立たないものでなくちゃいけない。
たとえば「町内の道路標識の数をかぞえてみた」とか「神社の前に一日立って何人の人が訪れるか調べた」みたいなのがいい。
小学校低学年のとき、朝顔の観察日記をつけさせられなかったか? あれなんて「役に立たないこと」の代表みたいなものだ。
全国の小学生が何十年も観察しているものをいまさら観察したって新たな発見があるはずがない。キング・オブ・無用だ。
みんな朝顔の観察日記を入口にして「役に立たないこと」の第一歩を踏みだすんだ。
いくら役に立たないからといっても、おもしろいものはダメだ。
「コーラの缶をどれだけ振れば爆発するかやってみた」みたいなやつ。YouTuberがやっているようなやつだね。
おもしろいものは、先生から「こいつは自由研究を楽しんどるな。けしからん」とおもわれる。
さっきも言ったように、自由研究は精神を鍛えるための修行だ。
先生は、生徒が勉強を楽しむのが嫌いなんだ。
だから自由研究のテーマはつまらなければつまらないほどいい。
おすすめは、「誰でもやれるけどめんどくさいし何の役にも立たないから誰もやらないこと」だ。
そんなのつまらないよ、とおもうだろう。
でも研究というのはそういうものだ。
君たちは知らないとおもうけど、世の中にはたくさんの研究者がいる。たくさんのおじさんやおばさんが大学や大学院で一生懸命研究をしている。
研究者と呼ばれるおじさんやおばさんが何をしているかというと、ほとんどが
「誰でもやれるけどめんどくさいし何の役にも立たないから誰もやらないこと」だ。
考えてみてほしい。
役に立つことならとっくに他の誰かが研究しているはずだよね。
だから、ユニークな研究をしようとおもったら、誰でもやれるけどめんどくさいし何の役にも立たないことを研究しなくちゃいけないんだ。
先生の立場にたって考えてみよう。
めんどくさいことをした = がんばった
誰もやらないことをした = ユニーク
何の役にも立たないことをした = この子は自由研究の目的を正しく理解している
君の二学期の評価は爆上がりまちがいなしだ!
【ここまでのまとめ】
めんどくさいし何の役にも立たないから誰もやらないことを研究しよう
めんどくさいし何の役にも立たないから誰もやらないことをするのがいい、ということは理解してもらえたとおもう。
では具体的な研究方法について説明しよう。
たとえば
「コンビニの商品の数をかぞえてみる」
というテーマを選んだとしよう。
君は近所のコンビニに行く。
店員の目を盗んで、品数を数えはじめる。
断言しよう。
十分でめんどくさくなる。
もちろん、退屈な作業を根気強く続けられる人もいる。
だけどそういう人は夏休みの宿題をぎりぎりまでためこんで、あわててネットで検索したりしない。
つまり君たちはまちがいなくすぐに飽きる。
しかしピンチはチャンスだ。
人間はずっと面倒なことを乗りこえるために科学を発展させてきた。
すべてを数えるのが面倒なら、一部だけ数えるのはどうだろう。コンビニの棚の高さはだいたいどこも同じだから、一部だけ数えてそれを(数えた分の床面積/店全体の床面積)で割れば、概算ではあるが店全体の商品数がつかめるじゃないか!
……とはならない。
そういう知恵をはたらかせることのできる子はそもそも夏休みの宿題をためこんで(以下略)。
お店の人に聞く、チームを作って手分けして数える、コンビニ本部に問い合わせる……。
何度も言うけど、そういった気の利いた方法は君たちの仕事じゃない。七月中に自由研究に取り組む優秀な子たちの仕事だ。
だから君たちはただただ端から順番に商品を数える。
そして店員さんに言われるだろう。
「ごめん、他のお客さんのじゃまになるから買わないんだったら出ていってくれるかな」と。
ここで、あちこちのコンビニをまわって
「何分までなら店員に注意されないのか」「店員が注意するときの言葉はどんなものが多いのか」「セブンイレブン、ローソン、ファミリーマートなどの店によって注意のしかたにちがいはあるのか」「注意されても無視しつづけたらどうなるのか」
を調べれば立派な研究報告になるんだけど、まあ君たちには無理だろう。
きっと君たちは注意されたことで、やめるためのいい口実ができたとおもって家に帰るだけだろう。
【ここまでのまとめ】
めんどくさいことはすぐに飽きる
結局、ほとんど何も調べられなかった。
君の手元にあるのは
「ジュース:40種類 コーヒー:13種類 お酒:33種類 何かよくわからない飲み物:2種類」
みたいなメモだけだ。
もう一度調べにいく気力はない。さっき店員に注意されたところだし、なにより外は暑い。一度家に戻ったら、もう二度と外には出たくない。
この一枚のメモをもとに自由研究レポートを書くしかない。
調査内容を適当にでっちあげるという方法もあるが、これはおすすめしない。
嘘をつくのがよくないからじゃない。嘘をつくのはたいへんだからだ。
それらしい嘘をつくためには知識や想像力や論理的思考力を必要とする。君たちにはないものだ。
もっともらしい嘘をつくぐらいなら、ほんとうのことを書くほうがずっとかんたんだ。
だから書こう。ほんとうのことを。
自由研究のテーマを決めたこと。コンビニまで行ったこと。はじめはちゃんと調査する気だったこと。すぐに飽きたこと。店員から注意されたこと。そのときの心境の変化。気恥ずかしくなってアイスを買って帰ったこと。暑さですぐに溶けてきたのでアイスを食べながら帰ったこと。溶けたアイスが手についてべたべたしたこと。とりあえず家に帰ったこと。家に帰ったらもう調べる気がなくなったこと。そのときの心境の変化。
これぐらい書けば、レポート用紙はそこそこ埋まるはずだ。
残すは、結論だけ。
結論、これが大事だ。
これがなければただの日記に過ぎない。だけど中盤がひどくても結論がそれっぽければ、一応研究レポートとしての体裁が整う。
それが書けないんだよ、とおもうだろう。
よしっ、特別だ。
ここまで読んでくれた君だけに、どんな研究にも使える万能の結論をお教えしよう。
このまま書き写してくれてかまわない。
どうだい。
気づき、もっともらしい小理屈、先生への媚び。どれをとっても完璧な結論だね。
ぜひ、この手法で自由研究のレポートを作ってくれ。
もちろん成果は保証しないよ。
【まとめ】
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