「はぁ……」
「どうしたの。なんか悩みでもあるの」
「じつはさいきん、包丁の切れ味がよくないんだよね……」
「ため息をつくような悩みかね。ストーカーにつきまとわれているのかと思うぐらいの深いため息だったよ」
「わたしにとっては大事なことなのよ」
「誰に」
「誰にって……。研ぎ師の人に」
「誰よそれ。研ぎ師ってどこにいるの」
「スーパーの前にいるの見たことあるよ。ときどき出張してくるんだよ」
「どこのスーパー? いついるの?」
「いやそれはわからないけどさ。何度もスーパーに通ってたらそのうちめぐりあえるよ」
「幻のポケモンかよ。仮に何度も通ってやっと出会えたとしてもさ、そのとき包丁持ってなかったら研いでもらえないじゃない」
「いつか出会う人のために常に持っとけよ」
「謎の研ぎ師に出会うために常に包丁をかばんに忍ばせて何度もスーパーに通わなくちゃいけないの。あぶない人じゃん」
「べつにかばんに忍ばせなくてもいいじゃん」
「包丁むきだしで持ちあるくの。研ぎ師に出会うまでに二百回職務質問されるよ」
「じゃあスーパーの前じゃなくて直接研ぎ師のところに持ちこんだらいいんじゃない」
「だから研ぎ師ってどこにいるのよ。店構えてるの見たことないよ」
「イメージ的には人里離れた山奥で、偏屈なじいさんが窯をかまえて灼熱の炎の前でカンカンカンって金属を叩いてる印象」
「それ刀鍛冶と混ざってない?」
「そうかも。でも刀鍛冶でも包丁研げるんじゃない?」
「できるかもしれないけど刀鍛冶がどこにいるのよ。それに法外な料金を請求されそうじゃない」
「でも高くても名刀が手に入るんだったらいいんじゃない」
「わたしはよく切れる包丁がほしいだけなの。だいたいうちの包丁は数千円で買ったやつなんだから、それを何万円もかけて研いでもらうのはおかしいでしょ」
「じゃあもう新しく買えよ。買ったほうが安いだろ。消耗品と思って毎年買い替えていけばいいじゃないか」
「それはそうかもしれない。でもさ、買うとなったらべつの問題があるんだけど」
「なに」
「今使ってる包丁はどうしたらいいの」
「捨てればいいじゃん。料理人じゃないんだから同じような包丁何本もいらないでしょ」
「包丁ってなにゴミ? 持つとこは木だけど刃は金属だし、燃えるゴミでも資源ゴミでもないような」
「じゃあプラゴミ?」
「ぜったいちがうでしょ」
「もうそのへんに捨てちゃえば。公園にぽいっと」
「だめすぎるでしょ。見つかったら逮捕案件だよ」
「じゃあ人目につかない山奥に夜中こっそり捨てにいく」
「ますますやばいよ。犯罪のにおいしかしない」
「いいじゃん、人里離れた山奥の刀鍛冶のところに行くついでに」
「いつ行くことになったのよ。包丁は買うことにしたから刀鍛冶に用はないの。いやどっちにしろ刀鍛冶に用はないけど」
「じゃあもう捨てずに置いておけば。包丁なんてそれほどかさばるものじゃないし」
「そりゃあ一本ぐらいならかさばらないけどさ。でも毎年買い替えていくんでしょ。十年たったら包丁が十本。台所の扉裏の包丁収納スペースにも収まりきらないよ」
「じゃあべつのとこにしまっておけよ。どうせ切れ味悪くなった包丁なんだし」
「包丁なんてどこにしまうのよ。あぶないし」
「針山みたいなのをつくればいいんじゃない」
「針山?」
「大きめのぬいぐるみを買ってきてさ、そこに毎年包丁を一本ずつ突きさしていけば……」
「でもそれぐらい威圧感あるもの置いといたら、ストーカーもびびって離れていくんじゃない?」
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