2018年4月21日土曜日

子どもをのびのびと遊ばせる先生

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小学校四年生のときの担任は、三十代の男の教師。T先生。
ことあるごとに子どもたちを連れてどこかへ出かけたり、雪が積もったら授業をつぶして一日中雪遊びをさせたり(めったに雪が積もらない地域なので)、しょっちゅう冗談を言って生徒を笑わせたり、「子どもをのびのびと遊ばせる」ことに情熱を注いでいる人だった。

いい先生じゃないか、と思うかもしれないがぼくはT先生が苦手だった。
当時はうまく言葉にできずに「なんか好きじゃない」ぐらいにしか思えなかったけど、今ならなんとなくその理由がわかる。

T先生は「理想の子ども像」を強く持っていた。
彼は、勉強が嫌いで、野山で走りまわって遊ぶことが好きで、元気で明るく冗談に大笑いする子どもたちが大好きだったんだと思う。いわゆる「子どもらしい」子どもが好きだった。そして、そうでない子どもたちは好きではなかった。

ぼくは野山で走りまわることは好きだったが、勉強や本を読むことも好きだったし、明るくもなかったし、ひねくれたところがあったのでみんなが笑う冗談を「くだらない」とばかにするようなところもあった。
T先生はぼくのことを好きではなかったと思う。表立って態度に出すことはなかったが、自分が好かれていないことぐらい四年生になれば理解できる。

T先生の授業の進め方も「勉強ができない子向け」だった。問題を出して、答えられないであろうを指名し、間違った答えを引きだす。そこから「なぜ間違えたのか」「どういうところに気を付ければ間違えないか」といった指導をしていた。勉強のできない子にとってはありがたいやりかたかもしれないが、勉強の得意な子からするとつまらない授業だった。ぼくは後者だった。
ぼくが指名されることもあったが「誰にでもわかるかんたんな問題」を問われるのが不満だった。ぼくは「じっくり考えないとわからない難しい問題」を出してほしいのに。そして優越感に浸りたいのに。
つまらないので国語の教科書を先に読み進めたりしていると厳しく怒られた。「クラスがひとまとまりになって和気あいあいと授業をする」という形から外れるのを、T先生は何より嫌った。

休み時間に本を読んでいるとT先生は「天気がいいから外に遊びにいっておいで」と言う。
ノートを切ってつくったお手製のすごろくで遊んでいると「すみっこでこそこそそんな遊びをしてないでドッジボールでもしてこい」と怒られた。


T先生は塾を目の敵にしていた。
ことあるごとに「塾なんか行かなくても学校の勉強だけで十分」と口にしていた。
今はどうだか知らないけど、当時は塾に通うことを嫌う教師は多かった(学校の教師にしたら、自分の存在を否定されるような気持ちになるんだろう)。その中でもT先生は特に塾のメリットを否定していた。

ぼくは塾に通っていなかったが、四年生にもなるとクラスの何人かは塾に通っていた。ぼくの友人は塾に通っていたが、個人面談の場で「塾なんか辞めさせたほうがいいですよ」と言われたらしい。
彼らに対してT先生はことさら冷たく当たっていた。勉強のできない子がかんたんな問題を解けたときは大げさに褒める一方、塾に通う子らが難しい問題を解いても褒めなかった。彼らは居心地が悪かっただろう。


快活で勉強が苦手な子からは、T先生は大人気だった。そしてクラスの空気を支配するのはそういう子どもたちだ。だからT先生のことを悪く言いにくい雰囲気があった。
口うるさくて怒りっぽい先生のことなら「あいつむかつくよな」と言えたのに、「T先生嫌いだな」というと友だちから「なんで? めっちゃ遊ばせてくれるしおもしろいやん」と返ってくるので不満すらこぼしにくかった。

T先生は親からの評判はあまりよくなかったらしい。
まあ、授業時間をつぶして遊ばせてばっかりいたので、教育熱心な親からしたら気に入らない教師だっただろう(ぼくが通っていた小学校にはそういう親が多かった)。

でもT先生からしたら「もっと勉強させてほしいと願う親」の存在は、自分のやりかたを改める理由にはならなかっただろう。いや、それどころか「理解のない親から『子どもらしさ』を守らねば」と、自身の行動を正当化する材料になるだけだっただろう。

でも勉強をさせてほしいのは親だけじゃない。勉強したい子どももいる。
勉強が好きな子どももいるということは、T先生にとってまったく想像の外、想像すらしたくないことだったのだろうな。


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