ブログに好き勝手なことを書いているようでも、書きたいことをなんでも書いているわけではない。
共感してもらいたい、炎上してほしくない。
そういう思いが遠慮を生む。
「〇〇って知性のかけらもないよね」
心の中で思うことはあっても書くのを控えてしまう。
たとえ名前や顔を出していなくても自重してしまうのはぼくだけではなさそうだ。
匿名掲示板ですら身勝手な主張というのは存外少ない。
一見乱暴に見える主張であっても書いた人なりに支持を求めようとしている。差別的な発言、暴力的な発言も、それなりの論拠を示されている(その論拠に正当性があるかどうかはべつにして)。
「ジジイやババアに金を遣うのは税金の無駄遣いだから病院にかからずに死ね」と書く人はいても「ジジイやババアは嫌いだから死ね」という主張はめったになされない。
もっともらしい大義名分が付けくわえられる。年金がどうだとか医療費負担がどうだとか安楽死の権利がどうだとか。
もっと自由でいいじゃないか、と思う。
ジジイやババアを殺したらいかんけど、死ねと思うのは自由だ。書くことだって禁止されていない。
身勝手で、感情的で、正義をふりかざしていない文章がぼくは読みたい。
そういう文章が読めるのがインターネットの魅力だ。
とは思うのだがいざキーボードに指を乗せてみると、倫理観やら虚栄心やらがじゃまをして、こざかしい理屈をふりかざした文章を書いてしまう(この文章がまさにそうだ)。
だだーんと「あいつ嫌い。嫌いなものは嫌い」みたいな文章を書いてみてえな。
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