2018年4月10日火曜日

【読書感想】毎日新聞取材班『枝野幸男の真価』

このエントリーをはてなブックマークに追加

『枝野幸男の真価』

毎日新聞取材班

内容(e-honより)
野党の混迷に終止符を打ち、政権交代も視野に入れる代表・枝野幸男のビジョンとは?徹底取材によるドキュメント。

毎日新聞取材班ということで客観的なドキュメントを期待していたのだが、前半は枝野氏に肩入れしすぎ。ファンブックみたいだったのでもうちょっと引いたスタンスで書いてほしかった。
ただ第4章『離合集散の野党史』と第5章『立憲民主党を待つ試練』は読みごたえがあった。新進党や民主党の躍進と没落の原因を分析することで、立憲民主党がなぜ支持を集めたのか、そして今後何をしたら零落するのかが理解できた。歴史はくりかえしているんだねえ。



「権力は憲法によって制約される、これが立憲主義です。立法権、内閣総理大臣の権力は何によって与えられているか。選挙と言う人がいるかもしれません。でもそれは半分でしかない。選挙で勝った者に権限を預けると憲法で決められていると同時に、無条件で預けるのではない。こういう規制の中でしか権力を使っちゃいけない。この両方を憲法で決めてセットで私たちは委ねられている」
「立憲主義とセットになって初めて民主主義は正当化されます。多数の意見でものを決める考え方は、それだけでは決して正義ではありません。多数の暴力によってこそ、少数者の人権侵害が生じるからです」

昨年秋、この演説を聴いたとき、ぼくも「これだよ! このあたりまえのことを言う人を待ってたんだよ!」と思った。
立ち上がったばかりの立憲民主党はまたたくまに支持を拡大していったところを見ると、同様に感じる人が多かったのだろう。

いやほんと、至極当然のことなんだけどな。政治家、内閣の権力には憲法による制限があるなんて、あたりまえすぎて誰も言ってなかった。そして誰も言わないうちに、いつしかその重要性が忘れられ、権力者が立憲主義を軽視するようになった。

権力は憲法によって制約される、こんなあたりまえのことを言う政治家が大きな支持を集めるのだから、いかに現在民主主義が危機にさらされているか。



ぼくは立憲民主党のすべての政策に賛成なわけではないし、現政権の政策に賛同する部分もある。
けれど、ぼくが投票時にもっとも重視するのは「現行法を守ろうとしているか」だ。重視というかすべての根本だと思っている。
だから憲法を解釈でねじ曲げようとする政権は、その一点をもって打倒すべきだと思っている。たとえ他の政策がどんなにすばらしくても。
スポーツ選手がどれだけすばらしい成績を残してもドーピング使用が発覚したらすべての実績がゼロになるように、法律、特に憲法を守ろうとしない政権は何も信用することができない(憲法改正に反対しているわけではない。憲法に定められた正当な手続きに従って改正することには何の異論もない)。

まあここまで書いたから言わずもがなだとは思うが、ぼくは現政権に早く退陣してほしいと思っている。それは政権全体として法に対する誠実性が感じられないからだ。「結果さえ良ければ法の枠からはみだしてもいい」と考えているようにしか見えない。
「権力に対して抑制的であるかどうか」という問題に比べれば経済政策や外交なんて屁みたいなものだ。


ときどき現首相をアドルフ・ヒトラーのような独裁者と重ね合わせる意見が見られるが、ぼくはその意見には賛成しない。良くも悪くも、歴史に名を残した残虐な独裁者と肩を並べられるほどの資質は現首相にはない。
ただ、現政権は「いつか邪悪な独裁者が現れそうになったときにそれを阻止する制度」を破壊することにためらいがない。
もっと邪悪でもっと能力の高い人物が政権を握って「過去にも『解釈の違い』で乗り切ったことがあったから今回も少々法の枠からはみだしたっていいよね。一定数の民意さえ集めれば法で定められた手続きを少しぐらい省略したっていいよね」という論理をふりかざす日のことをまるで考えていない。



立憲民主党は広報戦略が非常にうまいと言われている。Twitterの使い方が実にうまい。

広報だけでなく、党執行部も「どう見られているか」「何が求められているか」を的確に把握している。

 市民団体の集会に野党の党首が参加する形式で、志位と社民党の吉田忠智党首は壇上で並んで演説した。しかし枝野は、直前までNHKの番組出演で2人と一緒だったにもかかわらず、あえて2人が立ち去った後に会場に到着するように時間を調整した。
「社民党さんも共産党さんもそれぞれ、決めている候補者を下ろすのがいかに大変か、私もよーく分かっています。それぞれの立場を超えて努力された両党の皆さんに、私は敬意と感謝を申し上げたい」と候補取り下げへの謝意を示したものの、自らとのスリーショットの写真は撮らせなかった。
 枝野自身は、希望の党という保守系野党と、共産党の「間」の政策を求める有権者のニーズを意識していた。その受け皿となるために、共産党と同一視されるリスクを徹底的に回避していた。

インターネットを見ていると先鋭化した右派と左派が活発に論争をくりひろげているけど、左右に分けるのであれば世の中の人の大半は「やや右」か「やや左」だと思うんだよね。かつては自民党と社会党がそれぞれの人の受け皿になってきたんだろうけど、55年体制崩壊後はそうかんたんにはいかなくなってしまった。
自民党には幅広い議員がいるけど最近は右派が多数を占めている(ように見える)。政権を握ったときの民主党も似たような状況だった。
そして2017年の衆院選挙時には民主党の中の右派が希望の党と合流し、中道左派、リベラル派の受け皿がなくなってしまった。
親しい人と話していても「安保法案や海外派兵には反対。だけど共産党は嫌」という人はすごく多い。感覚的にはいちばん多い層なんじゃないかとさえ思う。特に女性に多い。
ぼく自身もその考え方に近い。で、選挙のたびに「特にどこも支持したくないけど『たしかな野党』も一定数いたほうがいいから……」という消極的な理由で共産党や社民党に票を投じていた。

そういう層に立憲民主党はぴったりとはまった。そこを理解しているから、共産党や社民党とは選挙協力はするが近づきすぎないようにしている。希望の党や旧民進党と合流すると「結局政権を狙うための烏合の衆か」と思われて支持者が離れていくのを知っているから、距離を保っている。
こうした立ち位置のとりかたがすごくうまい。


ただ、政権交代を狙うと、政策の異なる政党とも協力関係を築かざるをえなくなる。ここの戦略を見誤ると有権者に愛想を尽かされることになる。

「少なくとも(下野後の)この5年間自分が思っていたことが、いかに間違いだったかを痛感する(選挙戦の)日々だった。こんなに政党の合従連衡が嫌われていた、こんなに『政権交代のために一つにまとまる』のが嫌われていたのか、と。1+1がせめて1.5なら(合併も)考えるけど、今は1+1が0.8になる状況だ」

一度政権をとると、ポジションを守ることが自己目的化して、当初の方針は二の次になってしまう。自民党、民主党、公明党、みんな同じ道をたどっている。

いつか立憲民主党が政権をとったとしても、同じことが起こるんじゃないかと思う。党が力を持てば持つほど、政権を狙えるという理由で様々な考え方の人が入ってくるから。そうなったら立憲民主党も終わりだろうね。民主党と同じ道をたどって見放されてしまうだろう。
ぼくは今は立憲民主党を応援しているが、第一党になってほしいとは思わない。少なくとも数年間は。「発言力のある野党」としての立ち位置を期待している。

つくづく二大政党制って良くない制度だと思う。小選挙区制も。これに関してはこのブログでも何度か書いているから詳しく書かないけど、たったふたつの政党に民意が拾えるとは到底思えないんだよね。



最後に、ほんまかいなと言ってしまったエピソード。

枝野氏と前原誠司氏はカラオケ友達なんだそうだ。

 それから半月が過ぎたころ、2人は知人を交えて久しぶりに歌おうと計画した。臨時国会の開会を10日後に控えた9月18日にセッティングされた。しかしその前日の17日、「月内に衆院解散」という情報が永田町を駆け巡る。前原は会合を欠席。枝野は「選挙前の歌い納め」のつもりで短時間参加した。歌ったのは欅坂46の「不協和音」である。

 ここで同調しなきゃ裏切り者か
 仲間からも撃たれると思わなかった

この直後に前原誠司氏は希望の党への合流を決め、枝野幸男氏は新党立ち上げを決意する。そして希望の党は立憲民主党の候補者に対して刺客候補者を擁立する……。

ちょっと話ができすぎじゃない?


【関連記事】

【読書感想】バク チョルヒー 『代議士のつくられ方 小選挙区の選挙戦略』



 その他の読書感想文はこちら

このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿