2018年1月21日日曜日
創作落語『行政書士』
『代書』(または『代書屋』)という落語を現代風にアレンジ。
えー昔は代書屋という商売がございました。
まだ字の書けない人の多かった時代には、転居届や婚姻届といった書類を代筆することが商売として成りたったんですな。
今でも行政書士が代書をしてくれますが、これは登記簿や遺産分割協議書といったお堅い書類が中心で、ふつうの人はそんなに頻繁にお世話になるもんではありませんな。
「もしもし」
「どうぞ。お入りください」
「あのー、こちらは嬌声女子の事務所だとお聞きしたんやけどな」
「そんないやらしい名前の事務所がありますかいな。ここは行政書士の事務所です」
「あーこれはえらい失礼を。なんでもこちらでは書類の作成を代わりにやってくれるとか」
「ええそうですよ。まあまあどうぞ。こちらへおかけください。
しかし行政書士の事務所に飛び込みのお客さんとはめずらしいですな。たいていは予約があるもんですが。いえいえ、いいんですよ。ちょうど暇をしておりましたもので飛び込みのお客さんも大歓迎です」
「さっそくやが、代筆をお願いしたいんやけどな」
「もちろんです。登記ですか?」
「トウキ? いえ、お皿じゃなくて紙に書いてほしいんや」
「いやいや、お皿の陶器やなくて登記簿の登記です。不動産の所有者を示す書類。
登記じゃない? じゃあ建設関係の許可証かな。それとも飲食店の営業許可証? まだ若いから遺言書ではないでしょうし……」
「いやいや、書いてほしいのは履歴書や」
「履歴書? 履歴書ってあの就職とか転職に使う……?」
「そうそう、その履歴書」
「履歴書みたいなもん、自分で書いたらよろしいですがな」
「それが書けないからこうして来とんねん。自慢じゃないが、履歴書を書いたことなんかいっぺんもない」
「たしかに何の自慢にもなりませんわ」
「字もめちゃくちゃへたやしな。おまえの字はアートや、って褒められたこともあるぐらいで」
「それは褒められとるんとちゃいますがな」
「今、転職活動しとってな。応募しようと思ってるところが履歴書を手書きで書けと、こない生意気なことを言いよるんや。ずいぶん頭の固い職場やで」
「まあときどきそういうところもありますわな。手書きの文字には人柄が出ますからな」
「せやから代筆を得意としてる人はおらんかいなと思ってよっさんに訊いたら、それやったら行政書士の先生がええんちゃうかって言われてここに来たんや。ほんまよっさんは何でも知っとるで」
「お友だちですかいな」
「そうそう、おれらの間では物知りのよっさんで通っとる。なんせ高校のテストで五十点もとったことあるんやからな」
「そんなもん自慢になりますかいな」
「五十問全部四択のテストやってんけど、ようわからんから全部勘で答えたらしいわ」
「それで五十点ってある意味すごいですな」
「ほら、履歴書の紙は買うてきたで。あとは書くだけや。ほな頼むで。おれはそこのパチンコ屋で時間つぶしてくるから」
「ちょっとちょっと! あかんあかん、あんたがおらなんだらあんたの履歴書なんか書けませんがな」
「そこをなんとかするのが行政書士の先生ちゃうんかいな」
「無茶言うでこの人は。知らん人の履歴書どうやって書けって言うんや……。
そこに座って。
まあ人の履歴書書くってのも話のタネにはなるな。やってみましょか。
まず、お名前は何ですかいな」
「ヨシダヒコジロウ」
「ほう。今どきめずらしい古風なお名前やな。吉田彦……。ジロウという字はどう書きますのや。数字の"二"か"次"か"治める"か」
「数字が名前に入ってるわけないやないか」
「その2やない。こう、二本線の二や」
「ああ、それか。その字とちゃう」
「ほな、次ですか」
「三でもない」
「二の次やから三、やありませんがな。"次"という漢字ですかと訊いとりますのや」
「ああ、たしか左側がその次に似とるな。せやけど右がちょっと違うな」
「ほな"治"ですな。で、ロウはどう書きますのや。"おおざと"か"月"か」
「何をわけのわからんことを言うとるんや」
「"郎"と"朗"のふたつがありますやろ。ほら」
「なんや、同じようなもんやないか。どっちでもええで」
「どっちでもええことありますかいな。名前やねんから」
「ほなこっちにしといてんか」
「そんなんでええんかいな……。まちがってても知りませんで。吉田彦治郎、と。
ほんなら吉田さん、住所は」
「誰が吉田さんや」
「さっき言いましたがな、吉田彦治郎って」
「それは物知りのよっさんの名前や」
「あんたの名前やないんかいな!」
「さっきよっさんの話しとったから、てっきりよっさんの名前訊かれたんかと思ったわ」
「あーあ。もう書いてしもたがな。しゃあない、書き直しや」
「新しい紙出さんでも消して書き直したらよろしいがな」
「万年筆で書いてるんや、消えるかいな」
「ほんならぐちゃぐちゃぐちゃっと塗りつぶして、横の隙間に書いて……」
「自分の名前を派手にまちがえた履歴書なんかどこに出しても落とされますで」
「そうそう。おれ宛てに届いた手紙を持ってきたんや。これ見たら名前わかるやろ」
「はじめから出しいな。これあったら名前も住所もわかるわ。
ほう、中央区にお住まいですか」
「そうそう、郵便局の向かいや。そう書いといて」
「いらん、いらん」
「書いといたほうが道に迷わんですむやろ。地図も書いといたほうがええんちゃうか」
「そんなもん履歴書に書かんでよろしいのや。
ほい、ほな次は年齢と生年月日。いくつですか」
「いくつやと思う?」
「合コンやないんやから、そんなんいりませんのや」
「今年で二十八やから……二十六にしといて」
「嘘を書いたらあかん。二十八、と。
生年月日は?」
「あんたなんでもかんでも聞いてばっかりで、ほんまに何も知らんねんな」
「知ってるわけありませんがな」
「生年月日ねえ。いつやったかな……。いつやった?」
「そんなもん、私に訊かれても知りませんがな」
「ちょっと待ってな。今からインターネットで検索するから」
「そんなもん検索してもわかるかいな」
「あっ、そや。免許証があったんや。昭和六十三年五月五日」
「ようそんなんで免許とれましたな。
昭和六十三年五月五日……と。
ん? 今年は平成三十年でっしゃろ。計算が合わんな」
「へへへ、ほんまは三十歳や」
「嘘かいな!
また書き直しやがな」
「若く見えるって言われるから、二十八でもいけるかなと思って」
「嘘ついたらあきませんのや。
ほんなら次は学歴や。学校は?」
「学校は、もう行ってない」
「わかっとります。どこの学校を出たのか訊いてますのや。学校の名前は?」
「ええと、たしか高等学校とかいう名前やったな」
「それは名前やない。何高校ですか」
「なんやったかな……。聞いたら思いだすと思うんやけど。先生、ちょっと日本にある高校の名前、順番に挙げてってんか」
「何個あると思ってるんや!
まあ住所から察するに、西高か南高かな」
「そうそう、西高や」
「何年卒ですか」
「二年で卒業した」
「それは卒業やなくて中退というんや。
西高等学校中退、と。
ほな次、職歴。今までにした仕事を教えてくれますか」
「まず最初はパチンコ屋」
「パチンコ屋ね。アルバイトですか、正社員ですか」
「自由業や」
「パチンコ屋で自由業とはどういうことや」
「好きな時にパチンコ打ちにいってたんや」
「それは仕事やありませんがな」
「いやでもそれでけっこう稼いでる日もあったんやで」
「そんなんは履歴書には書けませんのや」
「パチンコ屋があかんのやったら、最初にやったのはたこやき屋やな」
「たこやき屋の従業員ですな」
「たこやき屋ってかんたんやと思ってたけど、意外と疲れるもんやな。暑いし、立ちっぱなしで疲れるし、つまみ食いしたら怒られるし」
「あたりまえや」
「あんまりしんどいから、トイレに行くって言って二時間で逃げだした」
「そんなもん履歴書に書けませんがな!
履歴書には何年から何年まで勤務って書かなあきませんのや」
「ほな、三時から五時までって書いといてんか」
「んなこと書けるかい」
「そんなことでも書かんと、読むほうがおもろないやないか」
「おもしろくなくてもええんですわ、履歴書やねんから。
で、他の仕事は?」
「他にもいろいろやったで。
ダフ屋にキャッチに賭け麻雀にキャバ嬢の犬を散歩させる仕事に……」
「履歴書に書かれへん仕事ばっかりやがな。もうよろしい、職歴なしのほうがマシや。
面接でなんで職歴がないのか訊かれたら資格取得に向けて勉強していた、とこない言うたらよろしいわ」
「ほな行政書士めざしてたことにしますわ。
先生見てたら、ええ仕事やなと思いましたんで」
「褒められてんのか馬鹿にされてんのかわからんな。
ええと、趣味はなんですか」
「昼寝」
「特技は」
「すぐ寝られること」
「採用される気ないんかいな、この人は。
無難に、読書と音楽鑑賞としときますで。
賞罰の欄は空欄でよろしいかな」
「ショウバツ? なんやそれは」
「なんや賞をもらったとか、悪いことをして捕まったとか」
「ああ、あるある」
「いつ逮捕されましたんや」
「なんで罰のほうって決めつけんねん。賞のほうや」
「これはえらい失礼を。
賞といっても、町内で一番になったくらいやあきませんのやで」
「そんなしみったれたもんやない。日本で一番になった」
「ほう、それはたいしたもんですな。スポーツですか」
「雑誌の懸賞で、一名様にしか当たらん賞品が当選したことがあってやな」
「それはただの運や。もうよろしいですわ。賞罰なし、と。
家族構成は?」
「ええと、父ひとり、母ひとり、兄ひとり、おれひとり」
「あたりまえや」
「それからじいちゃん、ばあちゃん、ひいじいちゃん、ひいばあちゃん……」
「今どきめずらしい大所帯ですな」
「まあじいちゃんばあちゃんはみんな死んでしもたけどな」
「死んだ人は言わんでよろしいんやがな。
両親、兄一人と。
ハンはお持ちですか?」
「ハン? パンなら今朝食べてきたけども」
「いやいや、印鑑、ハンコですわ」
「あーハンコね。そうそう、履歴書にはハンコがいるかもしれんって聞いたさかいな、ハンコを家中探したんやがどこにもない。しゃあないからよっさんにお願いして、借りてきた」
「あかんあかん。ハンコみたいなもん人に借りるもんちゃいまっせ。貸したほうもたいがいやで。
しゃあない、ハンコがないんやったら拇印でいきましょ。ほら、右手の親指貸して」
「返してや」
「しょうもないこと言いなさんな、はいペッタン。
ほな最後に顔写真は貼らなあきません。今、お持ちですか?」
「写真なんかあるかい。先生の写真、ちょっと貸してんか」
「あかんあかん、なんでもかんでもすぐに人に借りようとするな、この人は。
そこの角に証明写真機がありますから、後で撮って貼ってくださいな。
ほな、これで履歴書の代筆は終わりですわ」
「先生、おおきに!」
「こらこらこら、代金をまだいただいてませんで」
「おお、そうやった。いくらや?」
「代金といったものの、履歴書の代筆なんかやったことないしな……。
まあええ、二千円でよろしいわ」
「二千円? 千円しか持ってきてへんで。千円足らんな。
しゃあない、ほな履歴書半分に破ってこっちだけもらっていくわ」
「待て待て待て、破ったらせっかく書いた履歴書が台無しや。
半分置いていかれても困るし。
もうええ。千円に負けたりますわ」
「おおきに先生! これで採用まちがいなしや!」
と、できたばかりの履歴書をひっつかんで飛び出していった。
「はー疲れた。
しかしどえらい人やったな。履歴書は書いたものの、あんな人を採用する会社があるんやろか……」
行政書士の先生、一息ついてお茶なんか飲んでおりますと、ドンドンドン、とドアをたたく音がする。
ドアを開けると、立っていたのはさっきの男。
「おやあんたは先ほどの。忘れ物ですか」
「いやいや、先生の事務所に職員募集の貼り紙してますやろ。
あれ見て応募したんや。履歴書もありますで!」
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