2018年1月20日土曜日

バカ舌のしあわせ

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大学時代、自称食通の友人がいた。
彼と食事に行くと、「これは化学調味料の味が強くて食えたもんじゃない」とか「これはまあいける」とか言っていた。
当然ながら、彼と食う飯はまずかった。そりゃそうだ。自称食通に「これは食えたもんじゃない」と判定された料理を「うまい、うまい」と食えるわけがない。
ぼくは彼と一緒にご飯を食べに行っても楽しくないので「飯食いに行こうぜ」と誘わなくなった。彼自身もぼくが誘うような安い店に行っても楽しめなかっただろう。



ぼくの姉は栄養士をやっている。
学生時代、姉とふたりで下宿をしていた。姉は料理が好きなので、たいてい食事を作るのは彼女の役割だった。
あるとき、姉がいなかったのでぼくは冷蔵庫の残りもので納豆チャーハンを作った。食べてみて、なかなかよくできたじゃないかと悦に入っていた。
そこに姉が帰ってきた。姉はぼくがつくった納豆チャーハンを見て「ちょっとちょうだい」と言って一口食べ、「イマイチやな」と言った。
それ以降、ぼくが姉の前で料理をすることは一度もなかった。ひとりで料理をしても必ず全部ひとりで食べ、姉のために残すことはしなかった。



幼なじみの友人と食事に行った。彼は板前修業を経て、今は一流ホテルでフレンチのシェフをやっている。
「どこにする?」と言うと、彼は「おれ金ないからあそこでいい?」とある店を指さした。
指さした先にあったのは緑の看板に赤い店名。サイゼリヤだ。

彼は五百円ぐらいのパスタを、うまいうまいと言って食べていた。ぼくが頼んだドリアも少し食べて「やっぱりサイゼリヤはどれもうまいなー」と言った。
「よく来るの?」と訊くと、彼は「ファミレスは安い価格でおいしい料理を出してるからすごく勉強になるよ」とシェフの顔で答えた。



「舌が肥えている」ことは美徳とされているけど、味の違いのわからないバカ舌のほうが人生楽しめると思う。
食品開発の仕事をしている人やソムリエや東西新聞社の文化部記者でないなら、安い料理で「おいしい、幸せだ」と思えるバカ舌のがよっぽど美徳だと思う。

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