2017年11月10日金曜日
記憶喪失に浮かれていた
クラスメイトが記憶喪失になった。高校生のときのことだ。
担任から「昨日クラスメイトのKくんがラグビーの試合中に激しくぶつかって、その衝撃で記憶喪失になった」と聞かされたときの衝撃は忘れがたいものがある。
「心配だ」という気持ちも1%はあったが、その99倍の好奇心が胸のうちを占めた。
みんな等しくきょろきょろと周囲を見まわし、落ち着かない様子で「記憶喪失?」「記憶喪失になったの?」と担任から言われていたことをおうむ返しにしていた。
みんな同じ気持ちを持っていたのだと思う。
「あの、ドラマや漫画でおなじみの記憶喪失が、現実に……!?」という興奮だ。
"白馬に乗った王子様" や "青い光とともに降り立つ宇宙人" と同じくらい非現実的な「ここはどこ? 私はだれ?」がまさか現実に……。
もし担任が「昨日Sさんのもとに白馬に乗った王子様が迎えに来ました」と言ったとしても、きっとぼくらは同じような反応をしていただろう。
ぼくらははじめて遭遇する記憶喪失に浮かれていた。完全に浮かれていた。
だって未知との体験なんだもの。
そんなぼくらに向かって釘を刺すように、担任は云った。
「思いだしたくても思いだせない状態やからな。刺激やストレスを与えたらあかんらしい。だから無理に昔のことを思いださせようとしたらあかんで」
記憶は失ったもののそれ以外に大きな問題はなかったのだろう、一週間くらいでKくんは学校に復帰した。
ひさしぶりに登校してきたKくんを、ぼくらは遠巻きに眺めるだけだった。
「昔のことを思いださせたらいけない人」と何を話せばいいというのだろう。
以前からの知り合いが何を話したって「刺激やストレス」になるんじゃないのか。
だからといって「はじめまして」というわけにもいかないし。
腫れ物にさわるように遠くからKくんを見つめるだけのクラスメイトたち。
そこに、Nくんが登校してきた。
Nくんはとても優しい男だったのだが、ひとつ大きな問題があった。
心がきれいすぎるあまり、まったくデリカシーがなかったのだ。
友人がとある女の子にひそかな恋心を抱いていると聞いて、「よし、〇〇と××ちゃんが仲良くなれるよう協力しようぜ!」と当の女の子にも聞こえるぐらいの大きな声で言っちゃうぐらいデリカシーがないやつだった。
Nくんは、ひさしぶりに登校してきたKくんの姿を見つけ、一片の躊躇もなく彼の席に近づき、
「おうK、ひさしぶり! おまえ記憶喪失になったんやって? おれのこと覚えてるー?」
満面の笑顔で話しかけた。
遠くからその様子を見ていたぼくらは凍りついた。
こいつ……。なんてデリカシーのないやつ……。
「刺激を与えてはいけない」「無理に昔のことを思いださせようとしてはいけない」という掟を、いともかんたんに背面跳びで飛び越えてしまった。
言われたKは、泣きそうな顔を浮かべて困ったように小さく首を振った。
「そっかー。早く思いだしてくれよ!」
一切の屈託もない笑顔でさわやかに手を振るNくん。
こういうやつが、サボテンに水やりすぎて枯らしちゃうんだろうな、とそのときぼくは思った。
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