体操服を着ているおじさんを見た。
淀屋橋で。
体操服のおじさんは、
体操服を着ているからといってラジオ体操をするでもなく、ジョギングをするでもなく、なんでもない顔をして歩いていた。
歳は五十歳くらいだろうか。
わら半紙を丸めたような顔をした、どこにでもいるおじさんだ。
オフィス街を闊歩する体操服姿のわら半紙。
その姿に途方もない違和感を覚えると同時に、ぼくはなぜか懐かしさも感じていた。
あれ。
この感じ、知っている。
昔どこかで見たことある。
そうだ、あれだ。
遠足が中止になったのを知らない子だ。
雨で遠足が中止するなったのに、根拠不明の自信で遠足は決行されると信じ込み、ひとりだけ体操服でリュック背負って来ちゃった子。
スーツ姿に囲まれた体操服のおじさんは、教室にただひとり、体操服で授業を受けている子を思い起こさせた。
もしかしたらこのおじさんは、遠足が中止になったことをまだ知らないのかもしれない。
中止になったことを知らずに学校に来て、遠足が中止になったことを知らないままおじさんになっちゃった人。
だとしたら、とってもすてきなことだ。
だっておじさんにとっては毎日が遠足の日なのだから。
体操服のポケットにしまいこんだ遠足のしおりがくしゃくしゃになり、おじさんの顔のわら半紙がくしゃくしゃになるぐらいの年月が経っても、おじさんの胸は今も遠足の朝の高揚感で高鳴りつづけているのだ。
ああ。
遠足ピーターパンのおじさんよ。
あなたは自由の羽根という体操服を身にまとい、
永遠の冒険心が詰まったリュックサックを背負い、
夢と希望と200円分のお菓子を持ってビジネス街を軽やかに進んでゆく。
あなたの足取りのなんと軽やかなことか。
ぼくは自分が失ったものの大きさを思い知り、めまいを起こさんばかりだ。
ああ。
遠足ピーターパンのおじさんよ。
ぼくにその酔いどめ薬を分けてはくれないか!
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