2020年10月13日火曜日

斎場級に住みやすい 墓地墓地住みやすい

我が家から徒歩五分ぐらいのところに墓地と斎場がある。

で、おもったのだけど、墓地や斎場の近くって実は住みやすい場所なんじゃないかな。

そうおもった理由について。


 地価や家賃が安い

嫌がる人が多いからね。
たぶん安くなる。


 公共施設や商業施設に近い

墓地や斎場の真横に家やマンションが建てづらいからだろう、公共施設が多い(あくまで我が家の近くの場合だが)。

図書館や警察署や大きめの公園があり、大型スーパーがある。
便利だし治安もいい。
公共施設はだいたい夕方には人の出入りがなくなるので夜も静か。


 静か・陽当たり良好

墓地や斎場の近くは静かで陽当たり良好だ。

お通夜でも21時ぐらいには終わるし、基本的に夜中は静か。
(もしかしたら墓場で運動会してる連中がいるかもしれないが、ふつう目に見えないので大丈夫)

だいたい大声で騒ぐような場所じゃないし。
ヤンキーの溜まり場にもならないし。

墓地に高い建物が建つこともないから陽当たりもいい。
墓地の真横でも住みやすいかもしれない。


霊的なものを気にしない人にとっては、斎場や墓地の近くっていいことづくめなんじゃないかな。

昔は斎場から煙が出ていたんだろうが、今はまったくないし。

強いてデメリットを挙げるなら、墓地には草や水があるから虫が棲みつきやすいことぐらいかな。


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2020年10月12日月曜日

【読書感想文】事実は小説よりもえげつない / 櫛木 理宇『寄居虫女』

寄居虫女(ヤドカリオンナ)

櫛木 理宇

内容(e-honより)
平凡な家庭の主婦・留美子は、ある日玄関先で、事故で亡くした息子と同じ名前の少年と出会い、家に入れてしまう。後日、少年を追って現れたのは、白いワンピースに白塗りの厚化粧を施した異様な女。少年の母だという女は、山口葉月と名乗り、やがて家に「寄生」を始める。浸食され壊れ始める家族の姿に、高校生の次女・美海はおののきつつも、葉月への抵抗を始め…。


いるよなあ。こういう、人の弱みに付け入るのがものすごくうまい人間。

ぼくは直接的な被害に遭ったことはないのだけど(なぜなら優しい人間じゃないから)、ニュースやルポルタージュを見ると「この加害者もひどいやつだけど、被害者のほうもお人よしすぎやしないか。もっと早めに反撃するなり警察に行くなりすればいいのに」と言いたくなる事件がある。


十年ほど前、豊田 正義『消された一家 北九州・連続監禁殺人事件』という本を読んだ。ある一家に入りこんだ男が家族全員を監禁・虐待によって奴隷状態にし、家族同士の殺し合いまでさせた事件のルポルタージュだ。

犯人よりも、家族の心理に疑問を抱いた。
なぜ言いなりになったのか。
大勢の人間に監禁されていたとかならわかるが、相手はたったひとり。何人かでかかれば力で押さえつけられるはずだ。
ずっと監禁されていたわけではないので、反撃するなり、逃げて警察に駆けこむなりできたはず。孤島の一軒家とかではなく、マンションの一室だったのだから。

でも被害者家族はそれをしなかった。
穏便に収めようとして、ずるずると深みにはまり、気づいたときには抜けだせなくなり、結果的にすべてを失った。

人間の理性って案外かんたんに壊れるものかもしれない。
眠いとか暗いとか怖いとか、そんな些細なことで、かんたんにまともな判断ができなくなってしまうのかも。


あと「家族がそろいもそろって騙された」というより「家族だからこそ騙された」ってのもあるかもしれない。
海外旅行でも、ひとり旅よりもふたり連れの旅行のほうが危ない目に遭いやすいと聞いたことがある。ひとりなら警戒するのに、ふたりだとお互いが相手に判断を任せてしまって、危険な場所にも足を踏み入れてしまうからだとか。

同じように、ひとり暮らしの家に誰かがやってきたら警戒する。ちょっとでもおかしなところがあれば追いだそうとするなり警察に相談するなりする。
ところが家族だと「なんか怪しいけど、ほんとにやばかったら自分以外の誰かがなんとかするだろ」とおもってしまって早めの防衛対策をとれなくなる。

頼れる人がいるときこそ気を付けなくてはならない。



『寄居虫女』では、巧みに家族の中に入りこみ、中からじわじわと家族関係を腐食させてゆく不気味な女の姿を丁寧に描いている。

「なぜなの」
 ビスケットと牛乳の盆を持って部屋を訪れた葉月に、震える声で美海は訊いた。
「なぜ、わたしのうちが狙われたの。――教えて。わたしたち、いったいあなたになにをしたの」
 葉月は首をすくめた。
「べつに、なにも」
 平坦な声だった。冬になったというのに、やはり彼女は長く薄い手袋をはめている。顔だけでなく首やデコルテに至るまで、こってりと白く塗りたくっている。目のかたちをアイラインで描き、唇を真っ赤な口紅で描いた仮面から、地の顔はうかがいようもない。
「ただ、とてもいいおうちだと思ったの。それだけよ。いいおうちには、誰だって住みたくなるものでしょう」
「そんな、――……」
「またね」
 ぱたりとドアが閉まった。

この女の存在は不気味ではあるんだけど、ぼくとしてはぜんぜんこわくなかった。

ひとつは、この女が計算づくで動いてること。
本物のサイコパスって本能的に人を操る方法を心得てるんじゃないかとおもう。計画的に動いているので、得体の知れなさが薄れてしまっている。

もうひとつ、こっちが最大の理由なんだけど、現実に負けていること。
事実に忠実に書いたルポルタージュである『消された一家 北九州・連続監禁殺人事件』のほうがよっぽどこわかった。

『寄居虫女』は北九州連続監禁殺人事件を下敷きにしているらしいのだが(ストーリーはだいぶちがうが)、実際の事件を小説に仕立てるんなら現実を越えなくちゃだめだとおもうんだよね。
実際の殺人犯のやりかたのほうがもっと巧妙で、もっと得体が知れなくて、もっとえげつないことやってたからね。どうしても見劣りしてしまう。

あと、このラストは嫌いだなあ。
とってつけたように「いろいろあったけどちょっとだけ救われました」「犯人のほうにもこんな事情があったんです」ってつけてむりやり希望のあるまとめかたをしているようで。

ほんのわずかな救いを用意したところで「ああ、よかった」とはならないわけで、だったらとことんまでえげつない展開にしたほうがよかった。

『少女葬』のほうは最後まで容赦のない展開だったのでそれぐらいの強烈さを期待したのだが、ちょっと期待外れだったな。


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2020年10月9日金曜日

【読書感想文】老人の衰え、日本の衰え / 村上 龍『55歳からのハローライフ』

55歳からのハローライフ

村上 龍

内容(e-honより)
晴れて夫と離婚したものの、経済的困難から結婚相談所で男たちに出会う中米志津子。早期退職に応じてキャンピングカーで妻と旅する計画を拒絶される富裕太郎…。みんな溜め息をつきながら生きている。ささやかだけれども、もう一度人生をやり直したい人々の背中に寄り添う「再出発」の物語。感動を巻き起こしたベストセラーの文庫化!

小説のうまい現代作家は誰かと訊かれたら(誰がそんなこと訊くんだ)、ぼくは村上龍氏だと答える。
特に短篇のうまさには舌を巻く。『空港にて』は目をひくような派手な仕掛けはないが、ぼくの好きな短篇集のひとつだ。

『55歳からのハローライフ』もやはりすばらしい出来だった。
アールグレイ、ミネラルウォーター、コーヒー、プーアル茶、日本茶といった飲み物がそれぞれの中篇でいい小道具として機能している。うまいなあ。

登場人物は、夫と離婚して結婚相談所に登録した女性、ホームレスになった旧友と再会する男性、早期退職後に再就職をめざすがうまくいかない男性、夫の代わりであるかのように愛情を注いでいたペットの犬が死んでしまう女性、トラック運転手として働いていたが今は孤独を抱えて暮らす男性。主人公はいずれも五十五歳ぐらい。村上龍氏と同世代であり、団塊の世代でもある。

老後、経済状況、健康、仕事、夫婦関係、家族、介護、生き甲斐。事情は異なるがみんなそれぞれ不安や悩みを抱えている。
そのどれとも無縁で生きられる人はいないだろう。ぼくはまだ三十代で今のところは大した悩みもなく生きているが、あと何十年かしたら確実に同じ問題に直面することになる。いやひょっとしたら一年以内に悩むことになるかもしれない。

『55歳のハローライフ』は、こうした悩みに対してハッピーな解決も明確な答えも出してくれない。
それでいい。答えなんかないし、解決することもまずない問題なのだから。



高齢者の悩みが深刻である最大の理由は、この先よくなる見通しが立たないことだろう。

若ければ貧乏でも仕事がなくても病気になっても恋愛がうまくいかなくても家族とうまくいかなくても、いつかは好転する可能性がある。
だが歳をとると、たいていの物事は悪くなる一方で良くなることはまずない。
高齢者の自殺が多いというのもわかる気がする。クサいことを言いたくないけど、やっぱり〝希望〟がないと人は生きていけないものだ。

『55歳のハローライフ』で描かれる閉塞感は、高齢者の閉塞感であると同時に、今の日本の閉塞感であるように感じる。

55歳の悩みが好転する可能性がほぼないのと同じように、高齢化した今の日本の問題が好転することもまずありえない。
経済、人口構成、財務状況、仕事、国際競争力、都市の老朽化……。今後よりいっそう悪くなることはあっても、長期的に改善することはまずないだろう。
この先、生きづらい国になることはほとんど宿命づけられている。

『55歳のハローライフ』で描かれる問題は、日本全部の問題だ。
すっかり年老いて、これから衰退していく一方であることがわかりきっている国。

『55歳のハローライフ』に出てくる人たちは、まだ幸せなのかもしれない。自分の老いの問題だけを抱えていかなくてはならないのだから。
それより下の世代は、国の老いもいっしょに背負いながら老いていかなくてはならないのだ。



『キャンピングカー』より。

 富裕の計画とは、中型のキャンピングカーで、妻と日本全国を旅することだった。夢といってもよかった。アメリカの映画などを観ると、退職したあと、キャンピングカーを大自然の中を旅する夫婦がよく登場する。単なる観光旅行ではない。思うままに好きなところを訪ね、美しい山や海や湖を眺めながら時を過ごすのだ。計画は、妻には内緒にしていた。びっくりさせようと思ったのだ。(中略)妻はもともと温泉好きだったし、喜ぶに違いなかった。絵が趣味で、何度も美術団体展で入賞し、友人が経営する喫茶店などを借りて個展を開くほどの腕前だった。子どもたちが働きはじめてからは、近所の文化センターで水彩画と油絵を教えている。北海道ニセコや九州阿蘇の雄大な風景を前にして、スケッチしている妻と、その素子を救笑みながら見守りコーヒーを沸かす自分の姿を、富裕は何度となく思い描いた。

この文章を読んで「あーこれはだめなやつだ……」とおもわなかった人は離婚に気を付けたほうがいい。

結婚生活でいちばん大事なことは「ひとりの時間をもつこと」だとぼくはおもう。自分が結婚してよくわかった。
結婚前は四六時中ずっといっしょにいられたが、それは一日二日のことだからだ。毎日いっしょにいるのはきつい。
「ひとりの時間」というのは自分ひとりの時間でもあるし、妻ひとりの時間でもある。

うちの家の土曜日の夜の過ごし方。
子どもが寝た後、ぼくは本を読んだりパソコンでブログを書いたり。妻は別の部屋でアニメを観たり手芸をしたり。まったく干渉しない。「何してるの?」とか「それなんて本?」とかの会話もない。
同じ家にはいるが、極力関わろうとしない。電車のボックス席にたまたま乗り合わせた他人と同じだ。
この「お互い口を聞かない時間」がすごく大事なのだ。

結婚相手に求める条件として「趣味が合う」はよく言われることだが、趣味は合わないほうがいいとおもう。
「嫌いなタイプが一緒」「好きな味付けが一緒」という意味での趣味が合うことは大事だけど、「登山が好き」とか「映画鑑賞が好き」とかの趣味はむしろ合わないほうがいい。

夫婦で旅行なんてぞっとする。
妻は妻で友だちと旅行、夫は夫で友だちと旅行。そんな夫婦のほうがうまくいく気がする。

この小説の「妻とのキャンピングカー旅行を計画。しかも妻には内緒で」なんて最悪だ。
これで喜んでもらえるとおもっているのがどうしようもない(実際この後妻から断られる)。
こんなことするぐらいなら、まだ「女ともだちと旅行」のほうがマシなんじゃないかとおもうぐらい。


ぼくがこの世でもっとも理解不能な職業のひとつが夫婦漫才師だ。
家でもいっしょにいて、ふたりで仕事をする。
よく発狂しないものだとおもう。
ぼくだったらぜったい無理だ。
桑田佳祐と原由子がソロ活動したくなるのもわかる。


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2020年10月8日木曜日

【読書感想文】もはやエロが目的ではない / JOJO『世界の女が僕を待っている』

世界の女が僕を待っている

WORLD SEX TRIP

JOJO

内容(e-honより)
マネしたくてもマネできない!エロをテーマに世界100か国超を旅する人気ブロガー・YouTuberが、日本人が足を踏み入れないローカル風俗に突撃!


著者は世界中をまわり、風俗店や出会い系で各国の女(とオカマ)とエロいことをしているブロガーだそうだ。
そんな著者による、世界各国の風俗エピソードがてんこもりの〝クレイジージャーニー〟な旅日記。


ぼくは海外風俗はおろか国内風俗ですら「なんか怖い目に遭いそう」と尻込みしてしまう小心者なので、『世界の女が僕を待っている』に書かれているのはまったく未知の世界の出来事でおもしろかった。
アジア、ヨーロッパ、アフリカ、中東。100か国以上の風俗店をまわっている。
読んだだけでお腹いっぱいという感じで、真似しようとはおもわなかったが。

しかしこの人すごいなあ。尊敬はできないが感嘆する。
世界中あちこちまわって、危険な地域にもエロのためならとずんずん入っていって、エロいことをしている。
風俗にも行くし、非合法な風俗にも手を出すし、外国人の素人もナンパするし。
非合法風俗もそうだけど、イスラム圏で女性を口説いたりしているのも読んでいてハラハラする。へたしたら逮捕されたり命をとられたりするんじゃないの。
ただただ感心するばかりだ。

しかしこの人、行動力はあるし、外国語は堪能だし、マメだし、めちゃくちゃモテるだろうな。エロいし。




沿ドニエストル共和国(国際的には承認されていない国家なので形式的には東欧・モルドバの一部)を訪れたときの話。

バーの店主に、娼婦のところへと連れていってもらったそうだ。

 彼の車に乗り込み、心当たりがあるというスポットへ向かった。出発して2、3分で減速した。旧ソ連スタイルの団地の前の公園あたりでキョロキョロしている。
「いないか」
 ここに女の子が立っていることがあるらしい。また少し車を走らせ停車した。車から降りると、店主は薬局の方に歩いていった。
 そこはロシアホテルという名前のホテルの前。薬局の入り口に女性が数人立っていた。どう見ても一般女性が雑談しているようにしか見えない。店主は彼女たちに話しかけている。まさか、これが立ちんぼ? 知らないと絶対に気づくわけがない。彼はしっかり値段交渉までしてくれて、50ドルで話がついた。
 女の子は3人いたが、彼女たちを取り仕切ってるらしいおばさんがひとりの名前を呼んだ。選ぶ権利はないらしい。30代後半、いや40くらいだろうか。少し年増だったが、この際、年齢なんてどうでもいい。未承認国家で風俗を体験することに意義がある。

この本の端々から感じたことだけど、もはやエロいことするのが目的じゃないんだろうね。

エロが目的であれば、気に入ったところに腰を据えて何度も通うほうがいい。
この人はもう「できるだけいろんな地域の女とヤる」という使命感で動いているように見える。
でなきゃ、わざわざ危険な地域、不衛生な店、レベルの低い女性のいる風俗店に行く必要がない。

いかに「気持ちいい思いをしたか」ではなく「いかに危険な場所、ヤバい場所、めずらしい場所でセックスしたか」が目的になっている。
変態と言わざるをえない。




ぼくが十数年前に中国に留学したときに、現地に長く住んでいる日本人のおじさんから「こっちじゃ床屋で売春やってるんだよ」と教えてもらった。

言われてみればなるほど、ごくふつうの床屋もあるが、薄着の女性が店内のソファで数人寝そべっている床屋もある。後者は風俗店なのだ。

そんな床屋が大学の近くとかレストランの隣とかにあるので、それだけでもうドキドキしてしまった。
日本の風俗店は、いかにもという場所に固まって存在しているので、日常の中にごく自然に溶けこんでいる中国の風俗店はたまらなく刺激的だった。

性欲をもてあましている若い男だったのでもちろん興味はあったが、「中国マフィアが出てきたら」「変な病気に感染したら」「中国警察に捕まって帰国できなくなるんじゃ」などと考えてしまい、店の前からちらりと中をのぞくことぐらいしかできなかった。

今おもうと、ものはためしで行ってみてもよかったなーとおもう。
商店街の中にあるような風俗店なら、よほどのことをしないかぎりは警察に捕まったり身ぐるみはがされたりする危険性は低かっただろうし。

しかしそれで味を占めてすっかり海外風俗にハマってしまい……となっていたかもしれないのでやっぱり行かなくてよかったかな。




ウクライナの「自宅に出張してくれて下着姿で料理をしてくれる風俗」の体験談。

 約束の時間を5分ほど過ぎたところで、「女の子が到着した」と連絡が入った。民泊予約サイトのエアービーエヌビー(Airbnb)で借りていたアパートの下まで降りると、女の子の姿が見えた。
 身長175㎝、体重47㎏。小さな顔、高身長、細身。そのままモデルで通りそうなスタイルの子がスマホ片手に立っていた。特別美人というわけでもなかったが、これだけのスタイルで顔まで綺麗な若い子がエロマッサージで仕事しないだろう。そもそも裸で料理してくれるだけで十分面白い。見た目は問わないと覚悟していた。性格も良さそうで、ずっとニコニコしていて英語力もまずまず。
「綺麗だね」と褒めると「もちろんよ。私ウクライナ人だし」と。インスタグラムやマッチングアプリが普及した今、ウクライナ人女性は自分たちが世界中の男から注目される特別な存在だと理解している。デートした女の子たちには、こういった高飛車なスタンスの子が多かった。実際綺麗なので文句はないのだが。
「私、キッチンになんか立たないのよ。今日が初めてだわ」
 なんと、料理未経験。料理なんてしたくないのにマネージャーに頼まれて断れなかったと。服を脱いだ彼女は、下着姿で料理をはじめた。真っ白な下着がよく似合う。
 なんていい眺めなんだ……。そしてややシュール。ワインを飲みながら下着で料理するスタイル抜群の金髪女子を眺める。最高だ。まじまじと見てるとだんだん面白くなってきてニヤついてしまう。
 15分ほどで完成。皿に盛られたのはボソボソのスクランブルエッグ。YouTubeで勉強してきたと。リクエストしたのはオムレツだが、まぁ問題ない。
「ちょー美味しい! 本当にはじめてなの? 天才!?」
 まったく美味しくなかったが残さず食べきった。

シチュエーションにこだわる風俗って日本に多そうだけど、外国にもあるんだね。


こういう話はたしかに刺激的でおもしろいんだけど、読んでいるとだんだん辟易してくる。
この本はほんとにエロのことしか書いてなくて、せっかく外国に行っているのに近くの観光スポットのこととかはほとんど書いてない。
エロい話はたしかに興味深いんだけど、ずーっとエロいともうイヤになってくるんだよね。

昔のエロ本って、エロい写真や記事だけじゃなくて、ぜんぜんエロくないコラムがあったり妙に社会派の記事があったりしたけど、あれはあれで必要だったのかもしれないなあ。


そもそも、他の男がかわいい女の子とうまいことやった話なんか読んでも楽しくないんだよね。

こっちは失敗談が読みたいわけ。
とんでもないオバサンが出てきたとか、怖いおじさんが出てきて法外な料金を請求されたとか、身ぐるみはがされて這う這うの体で逃げてきたとか。

失敗談もないではないが、基本的には知らない男がうまいことやった話だからなー。




読んでいておもうのは、どんな国でも売春ってあるんだなーってこと。

もちろん非合法の国も多いが、形を変えてこっそりやっていたりする(中国の床屋みたいに)。
厳しい国でも「女の子は隣国の風俗に働きに出る」「男たちは隣国の国境の街まで行って女を買う」みたいな形でそれぞれの欲求を満たしている。

まったく売春が存在しない地域なんか地球上で南極ぐらいかもしれない(ちなみにこの本には砂漠で女を買う話も出てくるからもしかしたら南極にもあるかもしれない)。

世界最古の職業は娼婦だ、なんて話もあるぐらいだから古今東西どんな社会にも売春は存在したのだろう。
恋愛にだって打算や金品の受け渡しがからんだりするから、セックスと金を完全に切りはなすことはきっと不可能なんだろう。

だったら、もういっそ合法化しちゃえばいいのに。
『世界の女が僕を待っている』では、世界最強の風俗はFKKというドイツの風俗だと書いている。

ドイツは売春が合法なので、きちんと売春のルールが決められていて、FKKではルールに則って売春がされている。
利用者にとっては危険な目に遭ったりぼったくられたりする心配がないし、働く女性にとっても安全だ。他の国から働きに来ている女性も多いらしい。
いい制度だとおもう。

もういっそ競馬みたいに国営化したらいいのに。公娼制度を復活させて。

営業場所や時間を定めて、年齢制限もして、税金もとって、衛生面や健康面のチェックもきちんとして、労働者は社会保険にも加入させて……とすれば、国も儲かるし、女性も公務員として安心して働けるし(もちろん男性が働いてもいい)、利用者も安心だし、三方良しだとおもうのだが。


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2020年10月7日水曜日

【読書感想文】貧すれば利己的になる / 藤井 聡『なぜ正直者は得をするのか』

なぜ正直者は得をするのか

「損」と「得」のジレンマ

藤井 聡

内容(e-honより)
財布を拾っても交番に届けない人や、チップ式トイレでお金を払わない人が跡を絶たない。本書では、そんな利己主義者が損をして不幸になり、実は正直者が得をして幸せになることを科学的に実証!さらに、利己主義者が正直者のふりをしても簡単に見透かされる心のしくみを解き明かす。どんな性格の人が結果的に得をし、幸せになれるのか。生きる上で重要なヒントを与えてくれる画期的な論考。

藤井聡さんの『超インフラ論 地方が甦る「四大交流圏」構想』や『クルマを捨ててこそ地方は甦る』はおもしろかったのだが、これはイマイチだったな……。
都市工学を語らせたらおもしろい人なんだけどな……。


本の内容としては、
「正直者が馬鹿を見るというけれど、じつは利己的な人は長期的には損をするんですよ。昨今の日本では利己的な人が生きやすいように制度設計されているのでますます利己的な人が増えて社会全体が衰退に向かっているけど、正直者が得をするという前提で制度設計していけば全体としてハッピーになるよ」
ってなことを書いている。

主張自体は納得いくし個人的にはおおむね賛同できるんだけど、どうも結論ありきでそれに合致する実験例などを持ってきている感がする。
希望的観測が含まれすぎているというか。

囚人のジレンマゲームなどを引き合いに出して
「利己的な者ほど損をする選択をする」
って主張してるんだけど、それって因果関係が逆なんじゃないの? とおもう。

利己的な者が損をするんじゃなくて、貧しくなれば利己的な行動をとるようになるんじゃないかとおもうんだよね。

経済的に余裕があれば
「信頼して金を貸してあげるよ」「友だちが困っていたら助けてあげるよ」「人助けのために金を使う」
といった選択ができる。
ギリギリの状況で生きている人は余裕がないから
「自分さえよければいい」「失うものはないんだから今さえよければ後がどうなったっていい」「自分の選択で社会がめちゃくちゃになってもかまわない。むしろ自分を苦しる社会なんか壊れたほうがいい」
って選択になる。
ぼくは毎月、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)にわずかばかりの寄附をしてるけど、これは自分の生活に余裕があるから自己満足を買うためにやっているだけだ。
自分の生活が傾いたら真っ先に切る出費である。金に余裕があるから利他的な行動をとれるのだ。

もちろん世の中には困窮しても襟を正して人道的に生きる人もいるし、困ってないのに助成金など使えるものはなんでも使うぜっていう性根が卑しい人もいる。
けどやっぱり一般的な傾向としては、貧すれば利己的になる。

それをもって「ほら利己的な人ほど貧しいデータがあるんですよ」っていうのは、あまりにも貧乏人に厳しい。




 以上のような背景から、「人間は純粋なる利己主義者である」という前提に立つミクロ経済学の論理を信じる人々は、市場原理主義に陥り、公営企業の民営化や、規制緩和、構造改革を推し進めるべし、という意見を持つに至るのであるが、もし仮にミクロ経済学について全く無知であったとしても、「人間は純粋なる利己主義者である」と強固に信じれば、それだけで民営化論や規制緩和、構造改革の推進に、大いに賛同するようにもなり得る。なぜなら、「人間は純粋なる利己主義者である」と信じる人間は、「公共のために働く人や組織が存在する」ということそのものを信じることが不可能であり、行政不信にならざるを得ないからである。

(中略)

 したがって、公務員が仕事をする基本的な動機は、利己的なものではなく、あくまでも公的なものなのである。  しかし、「人間は純粋なる利己主義者である」と信じている人には、「公務員が、公共的な動機に基づいて、行政上の判断を行っている」というこの事実が、どうしても受け入れられない。それゆえ、彼らは、公務員が様々な行政活動を行っている背後にも、必ず何らかの利己的な動機が潜んでいるだろうと「勘ぐる」ようになる。

藤井聡さんは橋下徹氏とよく喧嘩してるらしいけど、その根底にはこういう考えがあるからなんだろうな。
維新の会って「人間はすべからく利己的である」という思想に基づいて政策決定してるもんね。そりゃぶつかるわ。


いっときほどではないが、今でも「公務員叩き」は存在する(十数年前はほんとひどかった)。
特にぼくの住んでいる大阪は、〝お上嫌い〟の風潮が根強いので、よりその傾向が強い(だから大阪維新の会が人気があるんだろう)。

じっさい公務員の中には不祥事をする人もいる。
けど、総じてみれば公務員は民間企業にいるより優秀な人が多いし(なにしろ公務員試験をくぐりぬけているのだから)、仕事熱心な人も多い。
できる範囲でいい世の中にしようとおもって働いている人がほとんどだ。

それを「公務員はノルマがないから放っておくとすぐにサボる。監視を厳しくしよう」なんてしたら、監視コストはかかるし、公務員のモチベーションは低下するし、いいことなんかない。

「おれはバレなければすぐにサボる」という利己主義者は、他人も自分と同じにちがいないと思いこんでしまう。
あんたがなくしたがっているズルは己の中にあるんだぜ。


よく考えてみたら、公務員が問題を起こしたときだけ「税金返せ!」と声高に叫ぶのはヘンだよね。
お菓子メーカーの社員が不祥事を起こしたからって「おれが払ったお菓子代をそんなことに使いやがって! お菓子代返せ!」とは言わないのに。

どっちも同じことじゃない。
自分は被害を受けていない。
お菓子メーカーの社員が不祥事を起こしていなかったとても百円のポテトチップスが九十円になっていたわけではない。
それと同様に、公務員が問題を起こそうが起こすまいが自分の徴収される税金は変わらない。

なのに「税金返せ!」って言うのは、文句を言いやすいところに言ってるだけだよね。
(まあ政権政党にだけ極甘な検察はマジで国民全体の奉仕者じゃないので給料返上してほしいとおもうけど)

だいぶ話がそれた。
ま、公務員を叩いても誰も得をしないどころか全員が損をするのでやめましょう、ってことです(正確にいえば、公務員叩きで票を獲得する政治家のみが得をする)。あ




規制緩和、構造改革について。 

 これまで論じてきたことに基づけば、利己主義者を規制する社会的規範が存在しているなら、そのジレンマを回避することができるであろうことが、ごく自然に考えられるようになる。(中略)しかし、今日の日本では、構造改革や規制緩和という名称の下、様々な社会的ジレンマ問題における社会的規範が、一つひとつ撤廃されていったのである。
 もちろん、政府は日本社会を破壊しようと考えて、そうしたのではない。そうすることで市場が活性化するだろうと期待していたのであり、それはむしろ「よかれ」と思って実行したことだった。
 しかし、遺憾ながら、その期待は多くの場合、裏切られてしまった。タクシー問題において、そうであったことは述べたが、同様の問題が、都市計画の分野における自由化でも、派遣労働の自由化でも、そして、郵政の自由化においても、生じてしまったのである。ただし、こうした結果がもたらされるのは、社会的ジレンマ研究の見地から考えれば、当たり前のことであった。なぜなら、緩和されたその規制とは、そこに潜む社会的ジレンマを〝飼い慣らす〟ために、社会が長い時間をかけて編み出してきたものだったからである。それゆえその規制が撤廃されるや否や、それまでおとなしくしていた、様々な社会的ジレンマが〝暴走〟し、利己主義者が跋扈する事態を招いてしまったのである。

規制緩和だの岩盤規制改革だの構造改革だのといった言葉は、「なんかやってる感」を演出するのにうってつけで、派手なパフォーマンスを好きな為政者に好まれやすい。

こういう考えを、ぼくもかつては支持していた。
既得権益を吸ってうまいことやってるやつは許せない! と。

で、今世紀初頭ぐらいに流行って、いろんな規制緩和がなされて、その結果どうなったか。弱肉強食がいっそう進み、持てる者はさらに富み、持たざる者は搾取され疲弊していった。

業界内で「まあまあ持ちつ持たれつでやっていきましょう」というなれ合いの関係はたしかに公平ではないが、メリットもあった。横同士の競争にリソースを割かなくて済むことだ。

誰でも参入可能とするのは公平だが、小さいものが知恵や戦略で勝つ余地はほとんどなくなり、大資本を持つもの(そして多くは海外資本)が根こそぎ奪っていく世の中になった。
そして終わりなき価格競争にさらされて誰もが疲弊している。

はたしてその〝自由〟は幸福につながったのかというと、甚だ疑問だ。
世の中には自由じゃないほうがいいことはいっぱいある。


体重別の階級もなく、外国人力士の参入が容易になった大相撲のようだ。
力士の大型化が進み、でかくて力が強い者が勝つようになり、番付上位は外国人力士だらけになった。
それが悪いというわけではないが、軽量力士が技で勝てる時代はもうやってこないだろう。





この本でくりかえし語られる
「利己主義者は必ず敗北する」
という主張は楽観的なようで、まったくそんなことはない。

なぜなら、

非利己的な人々から構成される集団そのものが淘汰=消去されてしまうことを通じて、結局は、利己主義者が完全勝利することはないのである。
 ただし、残念ながら、彼らは、同一集団に居合わせた正直者や利他的な人たちを全員、〝道連れ〟にしてしまう。

だそうだから。

自由競争、規制緩和、構造改革、革新、刷新、維新。
こんな言葉に乗せられないように気を付けなければ。


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