2025年5月7日水曜日

小ネタ 34 (説明しすぎる安西先生 / 説明しなさすぎる三井寿 / 宇宙船ドッキリ)

 

説明しすぎる安西先生

もう勝てないと諦めて逆転に向けて努力することをやめたらもう逆転することはないだろうからその時点で勝敗は決まってるようなもので、それってつまりそこで試合終了したのと同じだと言っていいとおもいますよ。


説明しなさすぎる三井寿

したいです……したいです……したいんです……したいんですよ……したいんですってば! だ・か・ら! したいんです!!


宇宙船ドッキリ

 宇宙船の乗組員になったらやりたいこと。ネジをひとつ船内に転がしておく。

 無重力になったらネジがふわふわと漂ってきて、「どこのネジが外れたんだ!?」とみんながパニックになるだろう。



2025年5月1日木曜日

【カードゲームレビュー】アップんダウン

アップんダウン

内容説明(Amazonより)
「アップんダウン」はモザイクゲームズがデザインしたオリジナル・カードゲーム。1から100までの数字カードと8枚の特殊カード、合わせて108枚のカードで構成されています。
ルールはとても簡単です。親は全員に5枚のカードを配ります。手番のプレイヤーは5枚の手札から1枚を場に出し、山札から1枚を補充します。つまり手札は常に5枚で変わりません。手札から出すカードは前の人の出した数字より大きな数のカードでなければなりません。ただし、1の位の数字が前と同じカードがあれば、小さな数字に下げることもできます。出せるカードが無い人はゲームから脱落します。こうして最後にひとり残った人がゲームの勝者です。それだけの単純なルールなのに、とてもスリリングなゲーム展開が味わえます。
1から100までの数字が読める人なら、年齢・言葉の違い・障がいのある無しを問わず誰でもすぐに遊ぶことができます。初心者向けの基本ゲームのほか、ギャンブル要素を盛り込んだ上級ルールや、パズル要素のある協力ゲームもあります。ぜひ「アップんダウン」をあなたの遊びのコレクションに加えてください。

 ルールは非常にシンプル。

「1~100のカードの中から5枚ずつ所持する。前の人が出したカードより大きいカードを出さなくてはならない。ただし1の位が一緒であれば小さいカードでも出せる(99の後に9を出す、など)」

 あと「パス」「逆回り」「自分以外の誰かを指名してその人の番にする」の特殊カードもある(2名でプレーするときはこれは全部同じ効果になる)。


 いろんなカードゲームで遊んだけど、ここまでシンプルなルールもめずらしい。六歳の娘でもすんなり理解できた。それでいて、かなり奥が深い。じっくり考える余地がある。


 また、ルールはほぼ一緒だが、3種のゲームが楽しめる。

 基本的な対戦ゲーム『ベーシック』

『ベーシック』とほぼ一緒だがチップを賭ける『キャリーオーバー』

 プレイヤー同士で協力してカードを使い果たすのを目指す『カルドサック』


 うちの家では、主にカルドサックをやっている。ちなみにカルドサックとはフランス語で「袋小路」の意味らしい。なんでこれだけフランス語なんだ。

 このゲーム、対戦にはあんまり向いてないんだよね。なぜなら運次第で一瞬で決着がついてしまうことがあるから。たとえば最初の人が「100」を出したら、次の人は下1桁が「0」のカードか特殊カードを持っていなければその時点で負けてしまう。カードを1枚も出すことなく。

 これはつまらない。なのでもっぱら、みんなが長く楽しめるカルドサックを遊んでいる。


 カルドサックの目標は、108枚のカードをすべて場に出すことだ。他のプレイヤーの手札を見ることもできる。

 公式ルールでは相談禁止となっているが、うちでは相談アリにしている。それでもむずかしい。何度かやったが、108枚すべて出し切ったことは一度もない(最高は107枚!)。

 パーフェクトを目指そうとおもったら、これまでに出したカードを覚えておく必要がある。「まだ97が出てないから7を置いといても大丈夫だな」みたいに。それかよっぽど運に恵まれるか。

 パーフェクトはかなりむずかしいけど、何度かやっていたら残り10枚ぐらいまでならなんとかなる。数手先まで読む力が鍛えられる。


 間口が広くて、奥が深い。

 理想的なゲームだ。誰でも遊べてずっと遊べる。


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ハンバーガーの値段、牛丼の値段

 ぼくが高校生のとき、マクドナルドのハンバーガーは59円だった。デフレどまんなかの異常価格だ。

 高校生といえば、行動範囲が広がって外食の機会は増え、けれど金がない時代。マクドナルドにはお世話になった。


 それもあって、ハンバーガーといえばいちばん安くて59円、トッピングをしてもせいぜい200円か300円ぐらいのもの、という“基準”ができてしまった。

 この“基準”はかなり長いこと残った。さらにマクドナルド以外にも適用されて、専門店の「ハンバーガー1,000円」なんて値段表示を見るたびに「200円か300円ぐらいで買えるハンバーガーに1,000円も出すなんて!」という気持ちになった。

 そのくせ、洋食屋の「ハンバーグ&パンのランチセット」だと1,200円であっても高いとはおもわない。ちょっとした洋食屋でランチを食べたらそんなもんだろうな、という気になる。

「ハンバーガー」も「ハンバーグ&パンのランチセット」もほとんど同じものなのに、前者は“マクドナルド基準”が適用されて「200円か300円ぐらいが相場」とおもってしまう。


“基準”は牛丼にも適用される。

 牛丼というと、吉野家やすき家や松屋の牛丼を想像してしまう。400円ぐらいのもの、という感覚だ。牛丼に1,000円は出さない。

 でも、ちょっといい感じの定食屋に「牛煮つけ定食 1,000円」というメニューがあったら特に抵抗なく頼める。牛丼なら600円でも高いとおもうけど牛煮つけ定食なら1,000円でも高くない。ほとんど同じものなのに。

 牛丼チェーンのせいで“基準”ができているのだ。これはぼくだけでなく、世間一般に広く認められている“基準”だろう。


 逆のパターンもある。寿司だ。

 寿司ははじめに高級感を持たせることに成功した。2個1,000円を超える寿司もめずらしくない(話はそれるが、堀井 憲一郎 『かつて誰も調べなかった100の謎』によれば寿司が1貫、2貫と数えられるようになったのは平成初期だそうだ。この後付けの伝統感も高級路線に一役買っているにちがいない)。

 だから回転寿司で1皿100円とか150円とかの値を見ると、すごく安いような気がする。寿司の“基準”はもっと高い位置にあるからだ。

 でも寿司ってそんなに高級であるべきものだろうか。たとえばコンビニおにぎりと比べても、入っているものもマグロ(ツナ)とかサーモンとかそんなに差はない。なんならおにぎりのほうがずっとご飯の量も多くて食べごたえがある。

 なのにおにぎりは庶民色の代表みたいな感じでいて、寿司の方は高級食でございという顔をしてふんぞりかえっている。これは最初の“基準”の設定に成功したからだろう。


 まったく新しい料理を開発したときは、まず最初は1食5,000円とかのべらぼうな値をつけて“基準”を引き上げておいて、それから「なんとあのホゲホゲ丼が1,000円で食べられます!」みたいにお得感を与えてやるほうがいいね。


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【読書感想文】堀井 憲一郎 『かつて誰も調べなかった100の謎』


【読書感想文】吉田 修一『逃亡小説集』 / アクセルを踏んで逃亡したくなる気持ち

逃亡小説集

吉田 修一

内容(e-honより)
「もう、逮捕でもなんでもしてくれ」高校卒業後、地元の北九州を出て職を転々としてきた福地秀明。特に悪いことをした覚えもないのに不幸続きで、年老いた母親と出口のない日々を送る秀明は、一方通行違反で警察に捕まった時、ついに何かがあふれてしまった。そのまま逃走を始めた秀明は…(「逃げろ九州男児」)。職を失った男、教師と元教え子、転落した芸能人、失踪した郵便配達員―日常からの逸脱を描く4つの物語。


 恋愛関係に落ちてしまった女教師と男子高校生が沖縄への逃避行をする『逃げろ純愛』、覚醒剤使用が明るみに出て逃走する元アイドルとそれをかくまうファンの心理を描いた『逃げろお嬢さん』、網走のショーパブで働く男のもとに元妻の弟が郵便配達中に失踪したというニュースが飛び込む『逃げろミスター・ポストマン』など、「逃亡」を元にした短篇集。

 小説とはいえどれもモデルとなった実話があり、どれもいつかのニュースで耳にしたことがあるような気がする(覚醒剤使用で逃亡した元アイドルはかなり大きなニュースとなった)。


 強く印象に残ったのは『逃げろ九州男児』。

 些細な交通違反で警官に呼びとめられた男は、ふいに何もかもがどうでもよくなり警察官の制止をふりきって車で逃走してしまう。どんどん増える警察の追っ手をかわしながら、無茶ともいえる運転で暴走をする男。後部座席には母親を乗せたまま……。

 逃走しながら男は人生を回想する。高校卒業後に製鉄所に就職したがすぐにやめたこと、先輩の連帯保証人になって借金を背負ったこと、暴力団に入った友人から声をかけられたが助けを求めずまじめに働いて借金を返済したこと、体調を崩して仕事をやめたこと、転職したものの契約解除され住んでいるアパートも立ち退かねばならなくなったこと……。

 ほどほどに道を外れたものの、総じて見ればまっとうに生きてきたと言える男。だが様々なめぐりあわせて市役所に生活保護の申請をすることに。

 その帰り道に交通違反で捕まり、張り詰めていた糸が切れてしまったかのようにアクセルを踏みこんでしまう。逃げたところでどうなるものでもない、状況は悪くなるだけだとわかっているのに――。


 この心境、なんとなくわかる気がする。幸いにしてぼくは今のところ何もかも放り出して逃げだしてしまったことはないけれど。

 思いだすのは小学生のときのこと。書道の宿題が出た。作品展に飾るので、クラス全員提出すること。

 ぼくは提出していなかった。担任の教師が毎日催促する。提出してないのはあと六人だぞ。あと三人。そしてとうとう、あと一人になった。

 担任が言う。「一枚足りないぞー。出してないの誰だー」

 もちろんぼくにはわかっている。出していないのは自分だけだと。でも手を挙げることができなかった。わかっていた。作品には名前が書いてあるので、調べたら出していないが誰かなんてすぐにわかると。それでもぼくはすっとぼけた。このまま知らぬ顔をしていたらひょっとしてどうにかなるんじゃないかと。何かのまちがいで提出しなくてもよくなるんじゃないかと。

 もちろんそんな奇跡は起こらず、みんなの前で叱られた上に結局家で書道の作品を書いてくることになった。もしもあのとき自動車と運転技術があったなら、アクセルを踏んで逃亡していたことだろう。


 面倒なこと、やらなきゃいけないこと、嫌なことから逃げ出したくなることはよくある。

 突然バイトや仕事に来なくなる人を何人も見てきた。どう考えたって、何も言わずに行かなくなるより、おもいきって「辞めます」というほうが後々のことを考えればずっと楽だ。今は退職代行会社が流行っているが、よほどのブラック企業を除けば、ふつうに退職するほうが楽だ。代行会社を使ったってやらなきゃいけない手続きはどうせ一緒だもん。

 それでも多くの人が逃げ出してしまう。逃げない方が楽な場面でも。きっと誰の心にも逃避願望があるのだろう。




 しかし吉田修一さんって逃亡する小説が好きだよね。

『元職員』は横領した公社の職員がタイを訪れる話、『怒り』『悪人』でも殺人を犯して逃亡する男が書かれる。

 そしてぼくはこれらの小説が好きだ。逃げる、追われるという行為に何か惹きつけられるんだよね。

 ぼくはときどき追われる悪夢を見る。「悪いやつに追われる」夢ではない。「自分が悪いことをして追われる」夢だ。なんかずっと後ろめたさが脳内にこびりついてるんだよね。追われるほどの悪事はしてないはずなのに。

 吉田修一作品は、そんな「いつか逮捕されるかもしれない」と考えている人間にぐっと刺さるんだよね(くりかえすけどほんとに逮捕されるようなことはしてないんだよ、まだ)。


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吉田 修一 『怒り』 / 知人が殺人犯だったら……



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2025年4月28日月曜日

【読書感想文】ジェイン・マクゴニガル『幸せな未来は「ゲーム」が創る』 / 「ゲームはいい。なぜならゲームはいいから!」

幸せな未来は「ゲーム」が創る

ジェイン・マクゴニガル(著) 妹尾堅一郎(監修)
藤本徹(訳) 藤井清美(訳)

内容(早川書房HPより)
近年、世界のオンラインゲーマーのコミュニティは数億人に達し、莫大な時間と労力がヴァーチャルな世界で費やされている。これは現実に不満を持つ人々による「大脱出」にほかならない。 なぜ人々は「ゲーム」に惹かれるのか? それは現実があまりに不完全なせいだ。現実においては、ルールやゴールがわかりづらく、成功への希望は膨らまず、人々のやる気はますますそがれていく。 そんな現実を修復すべく、ゲームデザイナーの著者は、「ゲーム」のポジティブな利用と最先端ゲームデザイン技術の現実への応用を説く。コミュニケーション、教育、政治、環境破壊、資源枯渇などの諸問題は、「ゲーム」の手法で解決できるのだ


 ゲーム(ビデオゲームだけでなくボードゲームなども含む)は楽しいだけでなく、生活の向上やビジネスや環境問題など様々なことにプラスに働くんだよ、と語った本。


 ぼくもゲームは嫌いじゃないけど、この本はいただけない。

 ゲームをすると、みずからの意志でハードな仕事に励めるので私たちは幸福になります。よい仕事に忙しく励むこと以上に、私たちを幸せにしてくれるものはほとんど存在しないことがわかります。
(中略)
 医学的な定義によれば、抑うつ状態になると、ふたつの兆候、自信のない悲観的な気持ちと、活気のない沈んだ気持ちに苦しめられます。このふたつの兆候をはね返すためには、自分の能力に対する楽観的な気持ちを高めて、活動への爽快な高揚感を得る何かを見つける必要があります。このような前向きな心的状態を示す臨床心理学用語はありません。ですがこの状態は、まさにゲームがもたらす感覚を完璧に表しています。ゲームは、しつこいほどに楽観的な気持ちで、自分が得意(または得意になろうとしている)で好きなことに活力を集中する機会を与えてくれます。つまり、ゲームプレイは絶望の対極にあると言えます。
 私たちが優れたゲームをプレイしているとき──越える必要のない壁に立ち向かっているとき──、前向きな感情を最大限まで高めるべく積極的に活動しています。私たちは、激しく没頭していて、精神的にも肉体的にもあらゆる前向きな感情や経験を生み出す望ましい状態に身を置いています。ゲームをプレイすることで、あらゆる幸福感の根底にある神経組織、生理的組織──注意力に関する組織、報酬を司る中枢、意欲に関する組織、感情や記憶の中枢まで──が完全に活性化されます。
 この極度な感情の活性化こそが、今日のもっとも成功したゲームで気持ちが中毒的に高揚する根本的な理由です。生物学的な観点から言っても、私たちは楽観的な気持ちで没頭しているとき、前向きなことを考えたり、社会とのつながりを持ったり、自分の長所を強めたりする可能性が突如として高まるのです。心と身体が幸福になるように、積極的に条件づけているのです。

 この文章が象徴的なんだけど、結論ありきで議論が進んでいて、論拠がぜんぜんないんだよね。


 まともな本ならこの文章の後に「それを裏付ける実験・調査がある。〇〇の条件下で□□をしたところ、有為に△△が多かった。だからゲームをすると幸福になれるのだ」と続くだろう。だがこの本にはそれがない。

「ゲームはいい。なぜならゲームはいいから!」みたいな文章が延々と続く。

 いろんなゲームの例を挙げてあれこれ語っているけど、ずっとこの調子。どこまでいっても「私がいいとおもうからいいの!」レベルだ。


 著者はゲームデザイナーだそうだ。そんな人がゲームを悪く書くはずがない。ゲームはいいという結論が先に決まっている。

 それ自体は悪くない。たいていの科学は仮説からスタートする。問題は、仮説を裏付けるデータや実験結果がまるでないことだ。

 なんの論拠もなく、「失敗しても楽観的でいられるのはゲームに身につく精神的強さです」とか「ゲームによって得られる達成感、高揚感はビジネスにも好影響をもたらす」みたいなことが垂れ流される。

 は?

 これを読んでいても「ゲームのことばっかり考えてると著者みたいに論理性がなくなってしまうのかな」としかおもえない。




 ゲームの話はまるで得られるものがなかったが、「からかいあう」ことに関するこの話はおもしろかった。

 近年の科学的な研究が示しているように、からかいあうことは、お互いの好意的な気持ちを高めるのにもっとも速効性があって効果的な方法のひとつとされています。カリフォルニア大学の向社会的感情に関する先駆的な研究者であるダチャー・ケルトナーは、からかうことの心理的な効用に関する実験を行った結果、からかい行為がポジティブな関係を築き維持していく上で重要な役割を担っていると考えています。
「からかうことは社交のワクチンのようなもので、受け手の感情システムを刺激する」とケルトナーは説明しています。からかい半分の他愛のないおしゃべりは、お互いのネガティブな感情をとても穏やかに引き出すことを許容し、ごく少量の怒りや痛みや恥ずかしさを生み出す刺激となります。この小さな挑発はふたつの強力な効果を持ちます。第一に、信頼を確かめあうことです。人がからかうのは、相手を傷つけることができることを示しながら、同時に傷つけるつもりはないということを示しています。これはちょうど犬が他の犬と友達になりたくて甘嚙みするようなもので、互いを傷つけることができても絶対に傷つけないことをわからせるために牙をむき出すようなものです。反対に、誰かにからかわれるのを許容することは、弱い立場に身を置く意思を示すものです。相手はこちらの感情的幸福に配慮してくれるはずだという信頼感を積極的に示しているのです。
 他の人にからかわれることで、からかう側に自分の強さを感じさせる手助けもしています。社会的関係性の中で、自分が高い地位にいる事実を享受するひとときを提供しています──そして人間は、社会的地位の変化にものすごく敏感です。他の誰かに高い地位を経験させることで、私たちはその人たちの好意的な感情を強めているのです。人には自分の社会的地位を高めてくれる人を好きになる性質があります。

 これは男同士のコミュニケーションで特によく見られるね。

 たまに、女性作家や女性漫画家が男同士の友情を描こうとして、登場人物に
「おまえはほんといいやつだよな」
「いや、おれこそおまえにいつも救われてるよ」
みたいなセリフを交わさせることがある。

 男ならまずそんな描写はしないだろう。親しくなるほどお互いのことを褒めないものだから。語らずとも分かりあうことこそが一般的な男の友情だ。もちろん例外もあるだろうが。

 なるほどね。信頼感を示すためにわざと甘噛みをするわけね。

 



 感心したのが、英国で政治家の不正をチェックするためにゲームの仕組みを使った例。

 議員たちに政治資金不正報告の疑いが持たれたが、証拠を探すには数十万枚の書類を一枚一枚チェックする必要がある。ジャーナリストでもとても調べられる量ではない。

 そこで、チェックをするためにゲームの機能を使った。

 一〇〇万枚の政府文書が手中にあるのに、どの文書がどの議員の不正の証拠になる可能性があるか見分けるすべがなかったのですから、多くの人から得られるかぎりの協力を得る必要があるのは明白でした。そこで、ガーディアンは、「群集の英知」を活用することにしたのです。ただし、同紙がそのために使ったのは、ウィキではなくゲームでした。
 ゲームの開発は、ロンドンを拠点に活躍している、若いながらも実績のあるソフトウェア開発者、サイモン・ウィルソンに依頼しました。ウィルソンの任務は、「スキャンされたすべての申請書とその裏付け書類を四五万八八三二件のオンライン文書に変換、圧縮し、不正の証拠を見つけるために誰でもこれらの公的記録を調べられるウェブサイトを設立すること」でした。開発チームのわずか一週間分の労働と文書をホスティングするテンポラリーサーバーのレンタル料五〇ポンドだけで、ガーディアンは世界初の大規模多人数参加型調査ジャーナリズムプロジェクト「地元選出議員の経費を調べよう(Investigate Your MP's Expenses)」を立ち上げたのです。

 このプロジェクトを立ち上げ、不正を見つけたらポイントゲットというゲーム感覚で誰でも参加できるようにしたことで、多くの市民が手分けして膨大な書類をチェックし、数々の不正申告を発見することができたという。

 いいなあ。日本でもやってほしい。

 でも日本政府の場合、まず書類を公開しないからな……。


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