吉田 修一『元職員』
実在の事件である 青森県住宅供給公社巨額横領事件 を元にした小説。
事件のことを覚えている人は少なくても、当時ワイドショーをにぎわせた「アニータ」さんの名を覚えている人はけっこういるかもしれないね。
小説に"意味" や "楽しさ" だけを求める人にとってはキツい小説だろうね。
出てくるやつは主人公筆頭にクズばっかりだし、救いはないし、教訓もないし、楽しいストーリーも含蓄に富んだセリフも意外な展開もないし。
うわあ。なんでそんな小説読むのって言われそうだなあ。でも楽しいだけが小説じゃないからね。
嫌な話を追体験することこそ小説じゃないとなかなかできない。新聞やテレビには「救いのない嫌なだけの話」はないからね。
嫌な話は視野を広げるのに役立つって話もあるしね。今ぼくが作ったんだけど。
この本を読んだ後にAmazonのレビューを見たんだけど、小説の読み方を知らない人って多いよね。
いや小説に決まった読み方なんてないんだけど。
でもさ。「こういう行動をとるべきなのになぜ無駄なことばっかりしてるんだ」「あそこのエピソードがどう回収されるんだろうと思ってたら伏線ほったらかしかい」みたいなレビューが並んでるのを見て、がっかりしたというか。
本屋大賞とか芥川賞受賞作とか村上春樹のレビューだったらわかるんだけどね。ふだん本読まない人もいっぱい集まる場だから。
でも吉田修一のハードカバーを買うぐらいだからけっこうな本好きだろうに、そんな人でも「すべての本の登場人物は合理的で無駄のない行動をとらなくてはならないし、すべてのエピソードには意味がないといけない」と思ってるってことに、ため息しか出ない。
本格ミステリに関してはほぼその通りなんだけど、小説なんて無駄の積み重ねでしょ。そもそも小説自体が人生においてなくても生きていけるものなんだから。
ところで『元職員』だけど、まあ嫌な小説だねえ。悪口じゃなくて。
ぼくはときどき嫌な夢を見るんだけどね。だいたい、自分が悪いことをして追われているという夢。
万引きして、全国指名手配されるみたいな夢。「万引きでどうして指名手配なんだ。そのエピソードはどう伏線として回収されるんだ」とか言わないでよ、夢なんだから。
そういう夢を見て起きたときは、背中にじわっと汗をかいている。暑いのに、まとわりつくような悪寒がする。
『元職員』を読んでいるときの気分も、まさにそんな感じ。
じわりじわりと追いつめられてゆく気分。
どんどん逃げ場がなくなっていって、常におびえながら暮らさないといけない。ときどきふっともうどうにでもなれという気になるし、でもやっぱり逃げなくちゃとも思う。
ガス漏れしている部屋にいるように、気がつけば恐怖と不安と焦燥が充満している。
曽根圭介『藁にもすがる獣たち』(感想文はこちら)も嫌な小説だったけど、あれはまだ少しだけ救いがあったし、謎解きの快感があった。
でも『元職員』は、ただただ嫌な小説。
嫌な気分になるだけ。
タイのむわっとするような暑さの雰囲気も、嫌な気持ちになるための、ちょうどいい舞台装置の役割を果たしている。
なんでこんなもの読むんだ、という気になるけど、たまにこういう気分を味わいたくなるんだよね。
なんでかね。それだけ今幸せだってことを確認できるからかね。
その他の読書感想文はこちら
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