2023年10月5日木曜日

テストステロンと大相撲を結ぶもの

 大竹 文雄『競争と公平感 市場経済の本当のメリット』という本に、こんな話が紹介されていた。

「男性ホルモンであるテストストロンという物質が多く分泌される人ほど、手の人差し指に比べて薬指が長い傾向にある。テストストロンは筋肉量や瞬間的な判断力をもたらすので、優れたスポーツ選手は人差し指よりも薬指が長い傾向にあるはずだ」

という説があった。

 この説を証明するために、スポーツ選手たちの指の長さを測りたい。だが多くのアスリートたちに会って指の長さを測らせてくれというのはかんたんではないし、また現役選手の場合は評価がむずかしい。今は大した選手ではなくてもこれから大成するかもしれないからだ。また、何をもって優れた選手とするかもむずかしい。陸上競技などであれば記録で単純に比べられるが、球技などの場合はひとつの指標で優劣を比べにくい。


 できるだけ多くの選手の、さらにはできれば引退した選手の指の長さを測る手段はないものか……と考えた著者がたどりついた方法がこちら。

 私が思いついたのは、大相撲である。大相撲の力士なら、色紙に手形を押す慣行がある。神社に昔の力士の手形が奉納されていることも多い。そこで、大阪大学大学院の田宮梨絵さんと共同で、力士の手形を集めるプロジェクトをはじめた。東京・両国の国技館にある相撲博物館には力士の手形が収集されている。江戸時代の第四代横綱・谷風の手形からあるということだ。戦後の幕内力士については、原則的に全員の手形があって、平成以降は、十両力士の手形もある。そこで、相撲博物館にお願いして、最高位が十両、前頭下位、関脇、大関、横綱であった力士を選んで、色紙や掛け軸に押された手形の写真を撮らせていただいた。全部で二二〇人分である。そのうち指先と指の付け根が鮮明に移っている手形は約一〇〇枚だったので、そのデータを分析した。
  結果は、予想どおり十両や前頭下位で引退した力士よりも、横綱や大関といった上位に昇進した力士のほうが、平均的には薬指が人差し指より相対的に長く、その差は統計的にも有意であることが明らかになった。瞬間的な判断力を必要とする職種では、テストステロンの量が重要な資質として機能するようだ。
 すでに紹介したように、女性ホルモンが競争を好まないことと関係しているのと同様、男性ホルモンは、競争を好むということとも関係があるかもしれない。


 なるほどなあ。

 たしかに大相撲の力士はしょっちゅう手形を押すから、指の長さを調べる資料には事欠かない。手形なので引退した力士のデータもとれる。

 また、たとえば野球であれば打率、長打率、出塁率、OPS、本塁打数、盗塁数、勝率、防御率、奪三振数、セーブ数、失策率などいろんな指標があるけど、相撲の場合は基本的に勝ち負けだけなので成績もデータとして扱いやすい。

「人差し指と薬指の長さの比」と成績の相関を調べるには、大相撲ほど適した競技もないわけだ。


 おもしろいね。これまで何万枚という力士の手形がとられただろうけど、誰一人それが後世の研究資料になるなんておもってなかっただろうね。

 本の本筋とはあまり関係ないんだけど、こういう逸話を知っておもわずにやりとしてしまうのは読書の楽しみのひとつだ。


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2023年10月4日水曜日

【読書感想文】リチャード・プレストン『ホット・ゾーン ウイルス制圧に命を懸けた人々』 / 狂暴すぎて拡がらないウイルス

ホット・ゾーン

ウイルス制圧に命を懸けた人々

リチャード・プレストン(著) 高見 浩(訳)

内容(e-honより)
1989年、米国の首都ワシントン近郊にあるサルの検疫所をエボラ・ウイルスが襲った。致死率90%、人間の脳や内臓を溶かし「崩壊」に至らしめるエボラ出血熱のパンデミックを阻止すべく、ユーサムリッド(米陸軍伝染病医学研究所)の科学者たちが立ち上がる。感染と隣り合わせの極限状況で、彼らは何を思い、どのように戦ったのか?未曾有のウイルス禍と制圧作戦の全貌を伴いた、世界的ベストセラー。


 いっとき、アフリカで大流行したとして話題になったエボラ出血熱。最近ではあまり話題にならないが(新型コロナウイルスが流行ったからね)、2019年にも流行しているし、いまだ治療法も予防法もわかっていない。いつまた広がっても、そしてアフリカ以外の地域で感染者が出てもおかしくない病気なのだ。

「すごく怖い病気」ということしか知らなかったが、この本を読むと、エボラ出血熱のおそろしさは想像をはるかに上回っていたことがわかる。

 いったい何がモネを殺したのか、彼らにはさっぱりわからなかった。死因の見当がまるでつかない──不可解な死、というほかなかった。モネは検屍のために解剖された。まずわかったのは腎臓が破壊され、肝臓も壊死していたことだった。モネの肝臓は死亡する数日前からすでに機能を停止していたのだ。それは黄色く変色しており、融解した部分もいくつかあった──全体として、死後三日を経た死体の肝臓にそっくりだった。モネは死ぬ前からすでに死体に変わっていたかのようだった。臓器の内層が剝離するのも、死後三日ほど経た死体に通常見られる特徴の一つである。いったい、正確な死因は何だったのだろう? それを断言するのは不可能だった。考えられる原因がたくさんありすぎたからである。モネの体内ではすべてが、ありとあらゆる組織が異常を呈していたのだ。そのどれ一つをとっても致命的だったろうと思われた。血栓、大量出血、プリンのように変質した肝臓、それに血が充満した臓器。

 生きながらにして、内臓を破壊し、溶かしてしまう病気。感染した人はまるでゾンビのような見た目になるという(本物のゾンビは誰も見たことがないけど)。内臓が先に死んでしまうのだから、それも当然だろう。


 ところで、タガメって昆虫知ってる? 田んぼとか小川にいるやつなんだけど。

 こいつの餌のとりかたってのがほんとにおそろしくて、オタマジャクシとかフナとかにしがみついて、口から針みたいなのを刺して消化液を注入するのね。で、獲物の肉とか内臓を溶かして(骨まで溶かすそうだ)、それをちゅうちゅう吸うのだ。ああ、おっそろしい。

 このタガメの捕食方法を知ったのは子どものころだったので身震いするほどおそろしくて、つくづくフナやドジョウに生まれなくてよかったとおもったものだ。生きたまま身体の内部を溶かされる死に方なんて最悪だもの。

 その、フナにとってのタガメに相当するのがエボラウイルスだ。ヒトの身体にとりついて内臓を溶かしてしまう。おまけにタガメとちがってエボラウイルスは目に見えず、どんどん増殖してあっという間にヒトからヒトへと渡り歩く。

 エボラウイルスの感染率は極めて高く、発病した場合の致死率は50%を超えるという(90%を超えたこともあったとか)。




 感染しやすい、感染経路もよくわからない、かかったらとんでもない苦しみとともにほぼ死なせる、とどこをとっても最悪なエボラウイルスだが、これまでのところ、世界中に広がるような流行は見せていない。

 これまで何度も流行したが、暴風雨のように人々を殺した後、しばらくすると消滅してしまう。なぜか。

 エボラ・スーダン・ウイルスがなぜ消滅したのか、考えられる理由はほかにもある。それはあまりにも獰猛すぎたのだ。最初にとりついた宿主を殺すのに急で、ほかの宿主に乗り移る暇がなかったのである。おまけに、このウイルスは空中を飛び移ることはなかった。それはあくまでも血を媒介にして伝染した。そして、出血した犠牲者たちは、多くの人間と接触する間もないうちに死亡したため、ウイルスが新しい宿主に飛び移る機会もあまりなかったのだろう。もし患者たちが咳きこんで、ウイルスを空中に吐き出していたら──その結果はまた違ったものになっていたかもしれない。いずれにせよ、エボラ・スーダンは、火が藁の束をなめ尽くすように中部アフリカの数百の命を焼き殺した。そのうち、炎は中央で燃え尽き、灰の山となって終息した。それは、いままさしくエイズの流行に見られるように、消火不可能な炭鉱の火事さながら、いつまでも地上でいぶりつづける、というようなことにはならなかった。エボラ・スーダンは密林の奥に撤退したのだ。が、そこで死滅したわけではない。未知の宿主の中で何代も循環を繰り返しながら、それは今日まで生きつづけているにちがいない。それは自らの形を変え、別の形態に変身する能力を持っている。いつの日か、それはまた新しい形態で人類の間に潜入してこないとは、だれも断言できない。

 エボラウイルスは狂暴すぎて拡がりにくい。なぜなら感染者がウイルスを別の人間に運ぶ前に死んでしまうから。皮肉なことに。

 その点、数年前に大流行した新型コロナウイルスは、拡大するのにはちょうどよかった。致死率が低く(エボラウイルスに比べるとゼロみたいなもの)、潜伏期間が長く、感染者が別の個体へと運びやすかった。おまけに空気感染する。

 ウイルスからすると「ヒトは生かさず殺さず上手に利用するのがいいぜ」ってな感じなんだろうね。


 ただ、これまでエボラウイルスが世界中に大流行しなかったのはあくまで結果の話であって、今後も流行しないという保証はない。もっと感染力が高くて、空気感染するタイプの新種が出てきて、あっという間に全世界を覆いつくす可能性はある。




 エボラウイルスは、アメリカでも感染拡大しそうになったことがあった。

 研究所で飼われていたサルからエボラウイルスが見つかり、さらにそのサルに触れたり嚙まれたりした研究者に感染したのだ。

 だが彼らは発症せず、感染もそれ以上拡がらなかった。

 レストン・モンキー・ハウスの従業員たちが感染したのは、病状の出ないエボラ・ウイルスだった。なぜこのウイルスは彼らを殺さなかったのだろう? 今日に至るまで、その疑問に明快に答え得る人間はいない。病状の出ないエボラ──彼らのかかったのは、〝エボラ風邪〟とでも言うべきものだった。おそらくは、このウイルスのごく微小な遺伝子コードの相違が、このウイルス粒子中の七つの謎の蛋白質の一つの形態を変えた。それがたぶん、人間に与える効果を劇的に変えて、サルには致命的でも人間にはほとんど無害なウイルスを誕生させたのではあるまいか? いずれにしろ、このウイルス株がサルと人間の相違を知っているのは事実である。そしてもし将来、このウイルスがまた別の方向に突然変異したとしたら……。

 感染拡大しなかったのは、防疫努力もあったが、「運が良かったから」という理由も大きい。ということは、もしも運が悪ければ感染拡大していた可能性もあったわけで……。


 人類はほとんどの病気をある程度コントロールできるようになったとおもってしまいがちだけど、ぜんぜんそんなことないんだよね。このさきどんなに医学が進んでも、永遠に病気には悩まされることだろう。新型コロナウイルス流行のときもおもったけど。

 まあ老人がいつまでも死なない世界もそれはそれで悲惨なので、悪いことばかりではないけどさ。


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2023年10月3日火曜日

7200

多くても千羽までにしとこうぜ……。

千羽でもいらないのに。



2023年9月29日金曜日

いちぶんがく その21

ルール


■ 本の中から一文だけを抜き出す

■ 一文だけでも味わい深い文を選出。



ハンカチを持っていないことに、泣く予定はなかったんだな、という事情がうかがえる。

(津村記久子『この世にたやすい仕事はない』より)




「おかげさまでいま最悪な気分です」

(沢村 伊智『ぼぎわんが、来る』より)



「そんなに同情するなら、どこかバナナの国の大使にでもすればよかったのだ」

ミハイル・ゴルバチョフ(著) 副島 英樹(訳)『我が人生 ミハイル・ゴルバチョフ自伝』より)




やめてくれ、話さないでくれ、何も言わないでくれ、そんな物語のようなことをこれ以上しないでくれ。

(朝井リョウ『スペードの3』より)




それにしても、あなたはしょうもない世界に生まれてきました。

鳥羽 和久『君は君の人生の主役になれ』より)




「片腕もがれたとしても、左手だけで弾ける曲もありますし」

(二宮 敦人『最後の秘境 東京藝大 〜天才たちのカオスな日常』より)




Nさんのお父さんの「電話」は永遠に音量調節できず、私の母の「蟹」の殻は永遠に硬く、私の「スパゲッティ」は永遠に長い。

(穂村 弘『野良猫を尊敬した日』より)




「この鉄砲玉坊主(キャノンボール)ときたら」

(リチャード・マシスン(著) 尾之上浩司(訳)『運命のボタン』より)




「だって、もし勝てなかったらギャンブルが合法になるわけないでしょう?」

(チャールズ・デュヒッグ(著) 渡会 圭子(訳)『習慣の力』より)




ミニオンズみたいな生き物だ。

(サンキュータツオ『これやこの』より)




 その他のいちぶんがく


2023年9月27日水曜日

【読書感想文】吉村 昭 『関東大震災』

関東大震災

吉村 昭 

内容(e-honより)
大正12年9月1日、午前11時58分、大激震が関東地方を襲った。建物の倒壊、直後に発生した大火災は東京・横浜を包囲し、夥しい死者を出した。さらに、未曽有の天災は人心の混乱を呼び、様々な流言が飛び交って深刻な社会事件を誘発していく―。二十万の命を奪った大災害を克明に描きだした菊池寛賞受賞作。

 今からちょうど百年前に関東地方を襲った大地震。

 その直前、地震発生当日、そしてその後の関東の様子を描いたノンフィクション。




 大正12年9月1日午前11時58分に発生した大地震により、東京大学地震学教室の地震計の針が一本残らず飛び散り、すべて壊れてしまったという。ああいうのってだいぶ余裕を持たせて作ってるはずなのに。

 当時の建物は木造や石造りで耐震強度も低かったので、地震による揺れで多くの命が失われた。

 が、関東大震災の被害の多くは揺れが収まった後に発生した。

 地震発生後、附近の人々は続々と被服廠跡に避難してきた。かれらは、家財を周囲に立てて、その中に家族がゴザなどをしいて寄り集っていた。
 地震が正午前であったので、遅い昼食をとる者もあって広大な空地に避難できた安堵の色がかれらの表情に濃く浮んでいた。
 そのうちに近くの町に火災が起りはじめ黒煙もあがったが、不安を感じる者はいなかった。難者の数は時を追うにしたがって激増し、やがて敷地内は人と家財で身動きできぬほどになった。町々が徐々に焼きはらわれて、被服廠跡にも火が迫った。そして、火の粉が一斉に空地にふりかかりはじめると、一瞬、家財や荷物が激しく燃え出した。
 たちまち空地は、大混乱におちいった。人々は、炎を避けようと走るが、ひしめき合う人の体にぶつかり合い、倒れた者の上に多くの人々がのしかかる。
 炎は、地を這うように走り、人々は衣服を焼かれ倒れた。その中を右に左に人々は走ったが、焼死体を踏むと体がむれているためか、腹部が破れ内臓がほとばしった。
 そのうちに、烈風が起り、それは大旋風に化した。初めのうちは、トタンや布団が舞い上っていたが、またたく間に家財や人も巻き上げられはじめた。
 大和久まつさん(当時十八歳)は、眼前に老婆を背負った男がそのまま空中に飛び上るのを見たし、荷を積んだ馬車が馬とともに回転しながら舞い上るのも見た。

 これは……この世の地獄だな……。

 この被服廠跡では、35,000人ほどが死んだという。しかもこの人たちは地震で助かった人たち。地震で助かり、被服廠跡という広大な避難所に逃げてきて、一息ついていたところを火災旋風に襲われたのだ。

 地震で倒壊した建物の下敷きになって死亡するのは、ある意味しかたがない。不運でしかない。しかし、地震後に発生した火災による死については、正しい知識があれば防ぐことができたかもしれない。

 たとえば、火災の原因のひとつが避難者が持ち出した家財道具だったという。

 よく「地震が起きても家財道具を取りに家に戻ってはいけない」という。それは倒壊のおそれのある建物に入るのが危険というだけでなく、家財道具はそれ自体が危険を招くからだ。

 先に書いた被服廠跡でも、避難者が運びこんだ家財道具に火が付き、それが火災旋風の原因になったという(他に、当時の人が髪につけていた鬢付け油もよく燃えたそうだ)。

 また、家財道具が川を越えての延焼の引き金になったという。

 もともと河川は、広い道路や高架鉄道線路などと同じように火の流れを阻止する防火線の役目をもっていたが、その上に架かった橋が焼けることによって対岸へ火はのびた。
 神田区の俎橋や月島の相生橋は、燃えた舟が橋の下に流れてきて焼けたが、それは特殊な例で、大半が避難者のもつ荷物に引火して焼け落ちたのである。
 地震につぐ火災で、人々は炎に追われて道路を逃げまどった。と同時に、それは家財の大移動でもあった。
 当時の避難地の写真を見ると、どのようにして運び出したのかと思われるほど大きな荷物を背負った人の姿が数多く見える。馬車、大八車にも荷が満載され、人々は荷物の間に埋もれていた。辛うじて持ち出した家財の焼失を恐れるのは当然の人情だが、それらが道路、空地、橋梁などをおおい、その多量の荷物が燃え上って多くの焼死者を生むことになったのである。
 道路、橋梁が家財で充満したために、人々は逃げ場を失い、消防隊もその活動をさまたげられた。関東大震災の東京市における悲劇は、避難者の持ち出した家財によるものであったと断言していい。

 家財道具が燃え、その火が橋に移り、さらには対岸まで移って焼いたという。財産を守ろうとした行為がその人物だけでなく街まで焼き尽くしてしまうのだ。おそろしい。


 そういえば、数年前の大雪のとき、ノーマルタイヤで出勤しようとした人が途中で身動きとれなくなり車を置いて出勤 → 放置された車が道をふさいで緊急車両が通れなくなったという事件があった。

 自分の都合で動いた人が周囲に甚大な迷惑をかけてしまう。それでも自分だけはいいだろうと動いてしまう。人間の本性は百年たってもたいして変わらない。




 この本の中でいちばん多くのページが割かれているのが、地震直後に広がったデマ、特に「朝鮮人が日本人を襲っている、家から物資を掠奪している、井戸に毒を投げた」の類のデマだ。

 火のない所に煙は立たぬというが、後から検証しても、まったくといっていいほど「地震に乗じて朝鮮人が犯罪行為をした」という証拠は見つからなかったそうだ。

 いや、一応デマの原因となったような事件はあった。が、それをおこなったのは日本人だった。

 山口は、物資の調達が結局掠奪以外にないことをさとり、団員の中から体力に恵まれた者を選び出して決死隊と称させた。これらの男たちは、ただ騒擾のみを好む者たちばかりであった。いくつかの決死隊が編成され、山口は、かれらに赤い布を左腕に巻きつけさせ赤い布を竿にしばりつけさせて、物資の掠奪を指令した。
 かれらは、日本刀、竹槍、鉄棒、銃器などを手に横浜市内の類焼をまぬがれた商店や外人宅などを襲い、凶器をかざして食糧、酒類、金銭等をおどしとって歩いた。その強奪行動は、九月一日午後四時頃から同月四日午後二時頃まで十七回にわたって繰り返された。
 この山口正憲を主謀者とする強盗団の横行は、自然に他の不良分子に影響をあたえた。かれらは単独で、または親しい者を誘って集団で一般民家に押し入り、掠奪をほしいままにした。つまり横浜市内外は、地震と大火に致命的な打撃を受けると同時に強盗団の横行する地にもなったのだ。一般市民は、恐怖におののいた。かれらは、赤い腕章をつけ赤旗をかざした男たちが集団を組んで人家を襲うのを眼にし、凶器で庶民を威嚇するのを見た。市民には、それらの集団がどのような人物によって編成されているのか理解することは出来なかった。
 そうした不穏な空気の中で、「朝鮮人放火す」という風説が本牧町を発生源に流れてきただれの口からともなく町々を横行する強盗団が朝鮮人ではないかという臆測が生れた。
 日本人と朝鮮人は、同じ東洋民族として顔も体つきも酷似しているというよりは全く同一と言っていい。一般市民は、その臆測にたちまち同調した。そして、強盗団の行為はすべて朝鮮人によるものとして解され、朝鮮人の強盗、強姦、殺人、投毒などの流言としてふくれ上ったのだ。また朝鮮人土木関係労働者が二、三百名来襲の風説も、凶器を手に集団で掠奪行為を繰り返した日本人たちを朝鮮人と錯覚したことによって起ったものであった。

 地震後、火事場泥棒を働いたり、食糧や金品を掠奪したり、詐欺をしたりする者が多くいたという(日本人だ)。その話と、当時多くの日本人がうっすらと持っていた「虐げている朝鮮人に復讐されるんじゃないか」という不安が結びつき、朝鮮人が残虐な行為をしているというデマとなりあっという間に広がった。

 地震発生直後は警察や政府までがそのデマを広めることに加担した。後に虚偽の情報だとわかってからは警察や政府がデマの打ち消しにつとめたが、いったん広まったデマはいっこうに消えず、数万人の朝鮮人が殺される、朝鮮人とまちがわれた日本人が殺される、朝鮮人を捕まえない警察が襲われる、など大混乱に陥った。

 一度デマが広まってしまうと、デマをばらまいた本人にも止められなくなってしまうのだ。

 この光景は、今でもよく見られる。いや、今のほうが多いかもしれない。一度誤った情報が流れてしまうと、当人がいくら訂正してもいつまでも修正されない。平凡な事実よりも、ショッキングなデマのほうが広めたくなるから。

 地震発生後の混乱の様子を読んでいておもうのは、百年前の人も、現代人も、たいして変わらないなってこと。今、大地震や大火災が発生したら多くの人がデマに飛びつくだろう。東日本大震災のときも新型コロナウイルス騒動のときもそうだった。不確かな情報に右往左往していた。ぼくも含めて。




 ちなみに、このデマによる大混乱はその後の新聞報道にも影響を与えたようで……。

 大地震発生後新聞報道は、たしかに重大な過失をおかした。その朝鮮人来襲に関する記事は、庶民を恐怖におとしいれ、多くの虐殺事件の発生もうながした。その結果、記事原稿の検閲も受けねばならなくなったのだ。
 しかし、それは同時に新聞の最大の存在意義である報道の自由を失うことにもつながった。記事原稿は、治安維持を乱す恐れのあるものを発表禁止にするという条項によって、内務省の手で徹底的な発禁と削除を受けた。
 政府機関は、一つの有力な武器をにぎったも同然であった。政府の好ましくないと思われる事実を、記事検閲によって隠蔽することも可能になったのだ。

 新聞がデマの拡散に加担したことで、政府機関による記事原稿の検閲を許すこととなった。「新聞はデマを拡めるから治安維持のために検閲してもいい」という大義名分を与えちゃったわけだ。

 その後、戦争が激化するにつれて新聞報道に対する検閲が厳しくなり、政府や軍にとって都合の悪いことが書けなくなったのはご存じの通り。

 もしかすると、関東大震災によるデマ拡大がなければ、新聞のチェック機能がもうちょっとはたらいて、その後の破滅的な戦争ももうちょっとマシな展開をたどっていたのかもしれないなあ。


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