吉村 昭
今からちょうど百年前に関東地方を襲った大地震。
その直前、地震発生当日、そしてその後の関東の様子を描いたノンフィクション。
大正12年9月1日午前11時58分に発生した大地震により、東京大学地震学教室の地震計の針が一本残らず飛び散り、すべて壊れてしまったという。ああいうのってだいぶ余裕を持たせて作ってるはずなのに。
当時の建物は木造や石造りで耐震強度も低かったので、地震による揺れで多くの命が失われた。
が、関東大震災の被害の多くは揺れが収まった後に発生した。
これは……この世の地獄だな……。
この被服廠跡では、35,000人ほどが死んだという。しかもこの人たちは地震で助かった人たち。地震で助かり、被服廠跡という広大な避難所に逃げてきて、一息ついていたところを火災旋風に襲われたのだ。
地震で倒壊した建物の下敷きになって死亡するのは、ある意味しかたがない。不運でしかない。しかし、地震後に発生した火災による死については、正しい知識があれば防ぐことができたかもしれない。
たとえば、火災の原因のひとつが避難者が持ち出した家財道具だったという。
よく「地震が起きても家財道具を取りに家に戻ってはいけない」という。それは倒壊のおそれのある建物に入るのが危険というだけでなく、家財道具はそれ自体が危険を招くからだ。
先に書いた被服廠跡でも、避難者が運びこんだ家財道具に火が付き、それが火災旋風の原因になったという(他に、当時の人が髪につけていた鬢付け油もよく燃えたそうだ)。
また、家財道具が川を越えての延焼の引き金になったという。
家財道具が燃え、その火が橋に移り、さらには対岸まで移って焼いたという。財産を守ろうとした行為がその人物だけでなく街まで焼き尽くしてしまうのだ。おそろしい。
そういえば、数年前の大雪のとき、ノーマルタイヤで出勤しようとした人が途中で身動きとれなくなり車を置いて出勤 → 放置された車が道をふさいで緊急車両が通れなくなったという事件があった。
自分の都合で動いた人が周囲に甚大な迷惑をかけてしまう。それでも自分だけはいいだろうと動いてしまう。人間の本性は百年たってもたいして変わらない。
この本の中でいちばん多くのページが割かれているのが、地震直後に広がったデマ、特に「朝鮮人が日本人を襲っている、家から物資を掠奪している、井戸に毒を投げた」の類のデマだ。
火のない所に煙は立たぬというが、後から検証しても、まったくといっていいほど「地震に乗じて朝鮮人が犯罪行為をした」という証拠は見つからなかったそうだ。
いや、一応デマの原因となったような事件はあった。が、それをおこなったのは日本人だった。
地震後、火事場泥棒を働いたり、食糧や金品を掠奪したり、詐欺をしたりする者が多くいたという(日本人だ)。その話と、当時多くの日本人がうっすらと持っていた「虐げている朝鮮人に復讐されるんじゃないか」という不安が結びつき、朝鮮人が残虐な行為をしているというデマとなりあっという間に広がった。
地震発生直後は警察や政府までがそのデマを広めることに加担した。後に虚偽の情報だとわかってからは警察や政府がデマの打ち消しにつとめたが、いったん広まったデマはいっこうに消えず、数万人の朝鮮人が殺される、朝鮮人とまちがわれた日本人が殺される、朝鮮人を捕まえない警察が襲われる、など大混乱に陥った。
一度デマが広まってしまうと、デマをばらまいた本人にも止められなくなってしまうのだ。
この光景は、今でもよく見られる。いや、今のほうが多いかもしれない。一度誤った情報が流れてしまうと、当人がいくら訂正してもいつまでも修正されない。平凡な事実よりも、ショッキングなデマのほうが広めたくなるから。
地震発生後の混乱の様子を読んでいておもうのは、百年前の人も、現代人も、たいして変わらないなってこと。今、大地震や大火災が発生したら多くの人がデマに飛びつくだろう。東日本大震災のときも新型コロナウイルス騒動のときもそうだった。不確かな情報に右往左往していた。ぼくも含めて。
ちなみに、このデマによる大混乱はその後の新聞報道にも影響を与えたようで……。
新聞がデマの拡散に加担したことで、政府機関による記事原稿の検閲を許すこととなった。「新聞はデマを拡めるから治安維持のために検閲してもいい」という大義名分を与えちゃったわけだ。
その後、戦争が激化するにつれて新聞報道に対する検閲が厳しくなり、政府や軍にとって都合の悪いことが書けなくなったのはご存じの通り。
もしかすると、関東大震災によるデマ拡大がなければ、新聞のチェック機能がもうちょっとはたらいて、その後の破滅的な戦争ももうちょっとマシな展開をたどっていたのかもしれないなあ。
その他の読書感想文は
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