2023年3月6日月曜日

R-1グランプリ2023の感想

 

 M-1やキングオブコントに関してはほぼ毎回感想を書いてるんだけど、R-1はあんまり書く気がしなくて2017年以来ずっと書いてなかった。でも今年はひさしぶりに書く気になった。

 リニューアルしてからちょっとずつだけどいい大会になってきてる気がする。芸歴制限には賛成しないけど。



1. Yes!アキト (プロポーズ)

 ギャグの羅列なのにおもしろい、というのがYes!アキトさんに対する評価だったのだけど、今回はストーリー仕立て。緊張して「結婚してください」が言えない男が、ついギャグを言ってしまうという設定。

 なるほどね、「け」ではじまるギャグを次々に言っていくのね、これはわかりやすいし自ら制約を課している分乗り越えたときはおもしろくなるはず! と期待しながら観ていたのだが……。

 あれ。あれあれ。「け」ではじまるギャグ、という設定を早々に捨ててしまって、あとは好き勝手なギャグ連発になってしまった。当初の設定はなんだったんだ。「け」ではじまるギャグか、プロポーズにちなんだギャグにしてくれよ。

 こうなるとプロポーズできない男という設定が単なる時間の無駄でしかなく、これだったら潔くギャグだけを多く見せてくれたほうがよかったな。


2. 寺田寛明 (言葉のレビューサイト)

 ネタの内容がいちばんおもしろかったのはここ。よくできている。

 が、芸として見たときにどうなんだという疑問も生じる。フリップの内容自体が完成されていて、演者ははっきりいって誰でもいい。ちゃんと文章を読める人でさえあれば寺田寛明さんである必要がない。アナウンサーでもいい(そして寺田さんは何度か噛んでいたので実際そのほうがよかった)。このネタ、テキストで読んでも同じくらいおもしろいとおもうんだよね。

 ネタは高評価。でも芸の達者さ、という点で見るとな……。


3. ラパルフェ 都留 (恐竜と戦う阿部寛)

 阿部寛一本でいくにしては阿部寛ネタが弱かったなあ。大きいとかホームページが軽いとか、独創性がないもんね。ホームページネタなんて、知らない人にはさっぱりわからないだろうし、知ってる人からすると「それネタにされるの何十回目だよ」って感じでまったく目新しさがない。

 博多華丸やじゅんいちダビッドソンが「モノマネだけどネタとしてもしっかりおもしろい」ネタを見せた大会で披露するには、あまりに浅かったな。


4. サツマカワRPG (数珠つなぎショートコント)

 ひとりショートコントの羅列、でありながらそれぞれのネタが有機的につながっているという凝った構成(その中でひとつだけつながっていない冒頭の和田アキ子はなんだったんだ)。

 決してわかりやすくないし、無駄も多かった気がするけど、新しいことをやってやろうという意欲は買いたい。というより、今大会は他の人にチャレンジ精神をあまり感じなかったんだよなあ。


5. カベポスター 永見 (世界でひとりは言ってるかもしれないこと)

 寺田寛明さんの感想のとこで「テキストで読んでもおもしろい」と書いたけど、こっちはそれどころか「テキストで読んだほうがおもしろい」。じっさいぼくは永見さんのTwitterアカウントをフォローして「世界でひとりは言ってるかもしれないこと」を読んでいるが、そっちのほうが味わい深い。

 こういう一言ネタって、咀嚼する時間が必要なんだよね。すごくいい肉をわんこそばのスピードで提供されても味わえない。


6.  こたけ正義感 (変な法律)

 これまたフリップネタ。が、このネタの場合は「演者がこの人である必然性」がある。弁護士が言うからこそ説得力があるし、怒ったり嘆いたり表現も多彩。

 ただ、これ以外のネタを見たいとはおもわなかったな(ABCお笑いグランプリの2本目はぐっとレベルが下がってたし)。



7. 田津原理音 (カード開封)

 おもしろかった。カードの開封動画、というのがほどほどに新しくて、ほどほどになじみがなくて。

 何がいいって「触れないカード」があることだよね。せっかくつくったカードだから全部を見せたいだろうに、ちらっと見せるだけで特に触れないカードがたくさんある。あれで一気に引き込まれる。わからないからこそ見入ってしまう。

 映像を使うのではなく、スライドを使用するのもよかった。映像だとどうしても対象との間に空間/時間的距離が生まれてしまうけど、スライドだと距離がなくて対象に触れられるからね。このネタにぴったり。

 そして凝った仕掛けではあるけど中身はあるあるネタなのでわかりやすい。すべてがちょうどいいバランス。


8. コットン きょん (警視庁カツ丼課)

 順番が良かったんだろうね。ギャグ、フリップ、モノマネコント、ショートコント、一言、フリップ、スライド、ときて、最後にしてやっと本格的なストーリーコント。こういうのを見たかった! という空気になってたもんね。

 とはいえ、個人的にはイマイチだった。一杯目のカツ丼がピークで、あとは右肩下がり。特にラストはひどかった。「容疑者の罪状にちなんだカツ丼を提供することで自白に持ちこむ」という設定でやってきたのに、最後は「外国人だから」という理由でつくったハンバーガー。罪状関係ないし。なんじゃそりゃ。それで済むならカツ丼課なんていらないじゃない。

 本格的な芝居をするならこのへんの論理が強固でないといけないよ。設定の根幹をぶち壊してしまう雑な展開だった。



 8人中、7番目と8番目にネタを披露した人が最終決戦進出。たまたまかもしれないけど、なんだかなあ。順番次第じゃん、という印象になってしまう。



最終決戦1.  田津原理音 (カード開封)

 ネタを見ながら、そういやこの素材は陣内智則さんのネタっぽいなあ、とふとおもった。ツッコミどころだらけの変な対象で笑いをとるという構成。ただしアプローチはまったくちがう。陣内さんがずばずばと切れ味鋭いツッコミを入れていくのに対し、田津原さんはあくまで愛でる。ずっとその立場を崩さない。変なものを切り捨てて笑いに変えるネタと、変なものを愛でて受け入れていくことで笑いを生むネタ。なんとなく時代の変化を映している感じがするよね。知らんけど。


最終決戦2.  コットン きょん (リモート会議ツール)

 これまた楽しめなかった。ZoomとGoogle Meetを使って別れそうになってるカップルの中を取り持つ、という設定。この設定であればこういう筋書きになるだろうな……と予想した通りの展開。意外性がまるでなかった。リモート会議が一気に普及した2020年頃ならともかく、2023年の今やるには題材としての新しさもないし。



 ネタの力よりも表現者として魅力的だったふたりが勝ち残って、その中でネタの強さが勝っていた田津原理音さんが優勝、という大会でした。

 はじめにも書いたけど、R-1は数年前に比べたらいい大会になってきてるとおもう。審査員が現役の芸人たち、ってのもいいんだろうな。

 あとはあれだな。「そのときの話題の人や他の賞レースのファイナリストだからといって安易に決勝に上げる」ところさえ直してくれたらな(去年はそういう感じじゃなかったのにまた戻ってしまった)。

 せっかく芸歴10年以内という縛りを課したんだから、人気の人を使うんじゃなくて、人気者を生みだしてやるぞという気概を見せてほしいな。結果的にはお見送り芸人しんいち、田津原理音という新しい才能の発掘ができているからいいけど。


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2023年3月3日金曜日

本を読まない理由

 そこそこ本を読むほうだ。

「読書が趣味なんですね。月にどれぐらい読むんですか」

「十冊ぐらいですね」

「へーすごい。私はぜんぜん読んでませんね。もっと読みたいんですけど、どうやったらそんなに本を読めるんですか?」

みたいな会話をよくするんだけど、最近気づいた。


 「どうやったら本を読めるんですか」という質問をする人は、「本を読む方法」じゃなくて「本を読まない理由」を探している。


 読まない人は「時間がなくて本が読めない」なんてことを言う。

 嘘だ。

 そりゃあ超大物政治家とか売れっ子タレントとかだったら「仕事と食事と風呂と睡眠と車移動が生活のすべて」みたいなスケジュールを送ってるかもしれないが、ほとんどの人はそんなことはない。

「時間がなくて映画館に行けない」「忙しくて旅行に行けない」ならわかる。映画や旅行はある程度まとまった時間を必要とするから。

 でも本なんていつでもどこでも読める。ぼくは三十秒あれば本を読む。電車の待ち時間、電車の中、飲食店で注文してから、食事をしながら、食後にお茶を飲みながら、仕事で客先訪問して担当者が出てくるまでの時間、着替えをしながら、風呂、寝る前。それぞれ数十秒~ニ十分ぐらいだけど、合計すればそこそこの時間になる。一ヶ月で十冊ぐらいは読める。

 読まない人は、その時間にスマホでゲームをしたり、動画を観たりしている。時間がないわけじゃない。本を読める時間を他のことに使っているだけだ。


 本を読む気のある人は 「どうやったら本を読めるんですか」なんて質問をしない。そんなひまがあったら読んでる。

 読書に限った話ではない。「英語勉強したいなー」とか「体鍛えないとなー」とか「マラソンでもしよっかなー」なんて言う人は、ほんとにやろうとおもってない。なんとかして〝できない理由〟を探しているだけだ。

 

「どうやったら本を読めるんですか」と質問する人が望んでいる答えは、
「休みの日に三時間ぐらい時間をつくるんですよ。カフェにでも行ってゆっくり読むと集中できます」だ。

 こう言われたら安心して「あーいいですねー。でも最近忙しくって、なかなかそんな時間とれないですねー」と言える。

 まちがっても「読みたいなら読めばいいじゃないですか。一日五分でも読めば、一ヶ月で一冊ぐらいは読めるでしょ」なんて正しいことを言ってはいけない。読みたくないんだから。



2023年3月2日木曜日

審判のいないサッカー

 国会中継を見ていると、ときどき「これは審判のいないサッカーだな」と感じる。

 いや、一応議長はいて発言に対して制止することはある。が、サッカーにおけるレフェリーのような強制力はない。「ベンチからのヤジ」程度の力しか持っていない。また国会における議長はたいていどこかの党に属しているので、中立ではない。一方のチームのメンバーがレフェリーを務めるようなものだろう。


 レフェリーがいなくてもサッカーはできる。小学生が公園でやるサッカーにふつう審判はいないが、それでもまあ成立する。ただそれはあくまで平常時であって、激しく意見が対立したり、著しく協調性に欠けるプレイヤーがいたりするとゲームは破綻してしまう。


 学問の世界には「協調の原理」という言葉がある。

 量の公理(不要なことを言うな)、質の公理(嘘をつくな)、関係の公理(関係のない話をするな)、様態の公理(わかりやすく話せ)の四原則から成る。どれもあたりまえのことである。こんな言葉を知らなくても、ほとんどの人は守って会話をしている。

 ところが国会にいるじいさんばあさんたちはこれを守らない。守れないのか意図的に守らないのか、質問には答えず、話をそらし、嘘でごまかし、不明瞭な言葉で煙に巻こうとする。

〝著しく協調性に欠けるプレイヤー〟だらけだ。こうなると、プレイヤーのモラルに頼っていても解決しない。サッカーで激しいラフプレーが濫発しているときに「みんな仲良くサッカーしようね!」と言っても意味がないのと同じだ。

 解決するには、審判を導入するしかない。国会に、国会議員でないレフェリーを配置する必要がある。

 審判は、各プレイヤー(国会議員)が「協調の原理」を果たしているかをジャッジする。軽微な反則の場合は発言の時間を縮め、悪質な違反、故意の違反に関してはイエローカード、レッドカードを出して退場させる。度重なる退場があれば、ペナルティとして次回の選挙に出馬できなくすればいい。


 ほら、質問に答えないあの人とか、発言の内容がからっぽのあの人とか、平気で嘘をつくあの人とか、党内のえらい人におべんちゃらを言うだけのあの人とか、どんどん退場させたらいいじゃない。ねえ。


2023年2月28日火曜日

【読書感想文】加谷 珪一『貧乏国ニッポン ますます転落する国でどう生きるか』/ 米百俵をすぐ食う国

貧乏国ニッポン

ますます転落する国でどう生きるか

加谷 珪一

内容(e-honより)
新型コロナウイルスの感染拡大で危機に直面する日本経済。政府の経済対策は諸外国と比べて貧弱で、日本の国力の低下ぶりを露呈した。実は、欧米だけでなくアジア諸国と比較しても、日本は賃金も物価も低水準。訪日外国人が増えたのも安いもの目当て、日本が貧しくて「安い国」になっていたからだ。さらに近年は、企業の競争力ほか多方面で国際的な地位も低下していた。新型コロナショックの追い打ちで、いまや先進国としての地位も危うい日本。国は、個人は、何をすべきか?データで示す衝撃の現実と生き残りのための提言。

 よほどのじいさんばあさんを除けば、さすがにもう日本が世界の中でトップクラスの国力を持っていると信じている人はいないだろう。

 十数年前までは、一般の日本人にとってはまだまだ日本は「強い国」だった。さすがにバブル期ほどの勢いはなくなったが、それでもアメリカに次ぐ経済大国、という認識だった。

 だが日本はここ三十年まったくといっていいほど成長せず、はるか格下だとおもっていたアジアの国々にも抜かれ、いまや「先進国」の立場すら危うくなっている。

 福沢諭吉『学問のすすめ』にこんな言葉がある。

進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。

 進まない人間は後退する、つまり現状維持をしているだけだと進んでいる周囲から遅れをとってしまうということだ。

 『学問のすすめ』が書かれたのは明治初頭だが、この言葉はその150年後の日本の状況をよく言い表している。30年間でまるで成長しなかった日本経済は、いまや主要国の中でビリ争いをくりひろげている。

 そんな日本の過去の停滞っぷり、なぜ落ち目になったのか、そして貧乏国日本にこの先どんなことが待ち受けているの、を経済評論家が解説した本。

 うーん、読めば読むほど気がめいってくるぜ。ぼくにもそれなりの愛国心があるからね(ほんとの愛国者ってのは日本の置かれた厳しい現状を正しく認識した上で対策を講じるものだとおもうけど、なぜか臭い物に蓋をして見なかったことにするやつらが愛国者を名乗るんだから嫌になっちゃう)




 中国の発展を形容するときに「驚異的な成長」なんて言葉が使われるけど、それでいうと日本の状況は「驚異的な停滞」だ。なにしろ他に類がないぐらい成長していないのだから。

 グラフを見れば一目瞭然ですが、日本人の賃金は過去30年間ほとんど上昇していません。一方、日本以外の先進諸外国は同じ期間で賃金が1.3倍から1.5倍に増えています。繰り返しになりますが、これは実質賃金なので、物価も加味された数字です。賃金が高い代わりに物価も高いので暮らしにくいということではありません。
 もう少し分かりやすく、名目上の賃金で比較してみましょう。同じ期間で米国は賃金が2.4倍になっていますが、消費者物価は1.9倍にとどまっています。スウェーデンは賃金が2.7倍となりましたが、物価は1.7倍にとどまっています。一方、日本の賃金は横ばいですが、物価は1.1倍とむしろ上昇しています。
 日本以外の国は、いずれも賃金の伸びよりも物価上昇率の方が低いことが分かります。
 各国は物価も上がっているのですが、それ以上に賃金が上がっているので、労働者の可処分所得は増えています。一方、日本は同じ期間で、物価が少し上がったものの、賃金は横ばいなので逆に生活が苦しくなりました。
 一連の数字から、リアルな生活水準として、諸外国の労働者は過去30年で、日本人の1.3倍から1.5倍豊かになったと見て差し支えないでしょう。
 日本の国力が大幅に低下し、国際的な競争力を失っており、その結果が賃金にも反映されているのです。

 他の国の実質賃金(物価を加味した賃金)が1.3~1.5倍に増えている中、日本だけはマイナス。停滞どころか衰退である。


 少し前に、移民受け入れをするかどうかなんて話が巷間をにぎわしていたが、そんな時期はとっくに過ぎてしまった。なぜなら、貧乏国日本は稼ぎたい外国人にとって魅力的な国ではないから。わざわざ貧しい国に出稼ぎに来てくれるもの好きはそういない。

 逆に、日本人が大挙してアジアの国々に出稼ぎに行くようになる時代も近いと著者は言う。

 実は、アジアの賃金が大きく上昇したことから、高い賃金を求めて逆にアジアで働くことを検討する日本人が徐々に増えているのです。つまり外国人が日本に出稼ぎに来るのではなく、逆に日本人が外国に出稼ぎに行く可能性が出てきたわけです。
 この話は、ITエンジニアなど比較的賃金の高い職種ではかなり現実的になっていると見て差し支えないでしょう。
 経済産業省が行った調査によると、日本におけるIT人材の平均年収は598万円で、平均的な労働者より多少、年収が高いという結果になりました。一方、米国のITエンジニアの平均年収は1157万円と日本の2倍近くになっています。
(中略)
 韓国のIT人材の平均年収は498万円、インドは533万円ともはや日本と大差ありません。グローバルなビジネスの場合、場所による賃金格差は縮小しつつあるという話をしましたが、IT分野はそうした傾向が強いようです。さらに注目すべきなのは中国とタイです。中国のIT人材の平均年収は354万円とすでに日本の6割に達していますし、まだまだ新興国というイメージの強かったタイも192万円です。
 日本の場合、年功序列の人事制度ということもあり、年代によって年収がほとんど決まっていますが、諸外国は異なります。
 平均値でこそ日本を下回っていますが、インドにおける20代から30代のITエンジニアの中には6000万円台の年収を稼ぐ人がいます。同様に韓国では3000万円台、中国も3000万円台のエンジニアが存在しており、タイも高い人になると2000万円を突破します。ある程度の実力があれば、アジアで働いた方が高い年収を稼げる可能性が高まっていることが分かります。

 韓国やタイのITエンジニアは日本と変わらない給与をもらっている。しかもそれは平均の話であって、トップクラスのエンジニアであれば海外のほうが稼げる。となると、優秀な人からどんどん日本を出ていくわけで、優秀な人が抜けた日本の企業はますます没落してゆく……という悪循環。

 日本企業の特徴であった終身雇用はほぼ滅びたとはいえ、年功序列賃金はまだまだ生き残っている。このままだと日本企業から「若くて優秀な人」がいなくなり、「優秀でない年寄り」ばかりになる日も近い。というかもうなっているかも……。




 さて。日本は没落した。どうやって立て直すか。三十年成長していなかった国はどうやったら成長するのか。

 数年前まで「デフレだからだめなんだ」「円高だからだめなんだ」と言われていた。

 が、著者は「デフレは不況の結果であり原因ではない」「日本はとっくにモノを作って輸出する国ではなくなっているモノづくりの国ではなくなっている」と喝破する。この本が書かれたのが2020年。

 その後、円安になり物価高になった。しかしいっこうに景気は良くならない。ただただ生活が苦しくなっただけ。著者が正しかったことが証明された。

 学者も素人も「この政策を実行すれば景気が良くなる」「経済が成長しないのはこの政策を実行しないからだ」と声高に叫んでいる。が、日本の景気低迷は政策で解決できないと著者は指摘する。

 現代の経済学で想定されているほぼすべての景気対策を実施したにもかかわらず、日本の成長率にはほとんど変化がないのです。こうした事実を目の前にすると、各政権の経済政策について感情的になって議論することがいかに無意味であるかが分かります。
 日本経済には本質的な問題が存在していて、これが長期の景気低迷を引き起こしており、経済政策という側面支援だけではこの問題を解決することはできません。
 市場メカニズムに沿って自ら新陳代謝するという企業活動が阻害されており、それに伴って消費者の行動も抑制されていることが日本経済の根本的な問題です。最終的にこの状況を打破できるのは政府ではなく、企業の経営者であり、私たち消費者自身です。
 あえて政策という点に的を絞るなら、コーポレートガバナンス改革に代表されるような、有能な人物をトップに据えるためのメカニズムを強化する施策が重要です。消費者向けについては、個人消費の拡大を阻んでいる将来不安を一掃するための施策が必要となるでしょう。将来不安の最たるものは公的年金と考えられますから、年金制度の将来像について政府は明確な道筋を示す必要がありますし、これこそが最大の経済政策でもあるのです。

 うなずけるところも大きい。

 が、ぼくはそれでも日本の衰退は「政府に問題があるから」が最大の原因だとおもっている。

 といっても経済政策の話ではない。もっと根本的な話だ。

 端的にいうと「政府がちゃんとしないから経済もだめになってる」だとおもってる。


「ちゃんとする」というのは、なにも辣腕をふるって次々に有効な政策を実行して山積された問題を快刀乱麻を断つように解決してほしいといっているわけじゃない。

 現状を正しく認識する、嘘をつかない、数字をごまかさない、悪いやつを処罰して追放する、やるといったことはやる、やると言わなかったことはやらない、そういう〝あたりまえのこと〟だ。

 最近、こんなニュースがあった。

「入札を有名無実化し…」電通幹部出席の会議資料に明記 五輪談合

 東京五輪の運営入札をめぐって電通が談合をしていた事件で、電通の社内資料で「入札を有名無実化して電通の利益の最大化を図る」と記されていたことがわかった、というニュースだ。

 要するに「我々は法を無視して税金を不当にふところに入れるぜ」という宣言だ。これが巨悪でなくてなんだというのだ。個人的には責任者は死刑にしてもいいとおもう。だってこの悪党どもがくすねた税金があれば何人の命が救えるとおもう?

 最大の問題はこうやって法を無視して税金をくすねる悪党がいることではない。いちばんの問題は、「電通は軽めの罰を受けるだけで今後も政府とよろしくやって税金をチューチューしつづけること」だ。それこそが最大の問題だ。

 ここでさ「電通およびその子会社は未来永劫公的機関の入札案件にかかわってはいけない」ってことになったとするじゃない。そしたらどうなるとおもう? 電通にしかできない案件? そんなのあるわけないじゃん。仮にあったとしても、入札禁止になった電通からはどんどん人が出ていって他の会社に移るんだから、そこがやるようになるに決まってる。

 悪くて不当に利益を上げていた会社がつぶれる。有能な人は他の会社に行く。または自分で会社を作る。政府と癒着していないけど能力のある新しい会社にもどんどんチャンスが生まれる。生産性は高くなる。経済は成長する。いいことずくめじゃない。


 政府や司法が「ちゃんとする」だけでいいのよ。

 ちゃんとすれば、能力のある人が評価される。能力がないのに不当に利益をむさぼっていた人は追放される。「旧態依然としたやりかたをとっているけど政権と仲良しだから守ってもらえる会社」が退場すれば、高い価値を生み出す会社にチャンスがまわってくる。それで生産性はぐんぐん上がる。

 大企業だけを守って政権と仲の良い人を優遇するような、悪いやつを裁く。これだけでいい。おもいきった経済政策なんかしなくていい。価値のある財を提供する会社が報われるようになればいい商品が作られるし、いい商品は円高であっても海外で売れる。


 日本では消費増税が経済成長を阻害しているという話が、ごく当たり前のように議論されており、経済の専門家の中にも、そうした説明をする人がいます。筆者は政府の増税方針について積極的に支持する立場ではありませんが、消費増税が経済成長を阻害するというのは、経済学的に見た場合、正しい認識とはいえません。
 消費増税などで政府が増税を行った場合、政府は国民からお金を徴収することになりますが、徴収したお金は政府支出という形で最終的には国民の所得となります。したがって、増税を実施したことで国民の所得が減るということはあり得ませんから、原則として消費増税が経済成長を阻害するということにはならないのです。
 消費税は日本以外の先進諸外国ではかなり以前から実施されていますが、消費税の導入や税率の引き上げによって、経済成長が阻害されたというケースは見当たりません。日本で初めて消費税が導入されたのは1989年ですが、当時はバブル期ということもあり、消費増税の景気への影響はほぼゼロという状況でした。消費税が3%から5%に増税された1997年には増税後に景気が腰折れしましたが、これはアジア通貨危機など外部要因が大きく、すべてが消費税の影響とはいえない部分があります。
 基本的には消費税は景気に大きな影響を与えないものですが、実はこの話が成立するためには「経済の状態が健全であれば」という条件がつきます。経済の基礎体力が非常に弱い状況で増税を実施すると、消費が冷え込むという作用をもたらすことがあり、これが景気低迷の原因になる可能性は十分に考えられます。

 これも同じで、「消費増税などで政府が増税を行った場合、政府は国民からお金を徴収することになりますが、徴収したお金は政府支出という形で最終的には国民の所得となります」とおもえるのは、政府が信用されている場合だけだ。

 政府が増税分を国民の福祉のために使う、今の票田となる高齢者だけでなく若者や子どものためにも使う、お友だち優遇ではなく公正に使う。そう思われていれば、消費税増税だってもっと歓迎されていることだろう。

「経済の状態が健全であれば」だけでなく「政府の状態が健全であれば(正確に言えば健全だとおもわれていれば)」なんだよね。




 そして、貧乏国日本のいちばんダメなところがこれ。

 日本は急速な勢いで教育にお金をかけない国になっているのですが、これは日本政府の教育関係予算に端的に表れています。日本政府の予算(一般会計)に占める文教費の割合は、1960年代には12%近くありましたが、現在では4%近くに低下しています。子どもの数が減っている事情を考慮しても大きな減少幅といってよいでしょう。
 経済成長ができないため税収が伸びず、景気対策や年金、医療といった項目に優先的に予算が割り当てられた結果、文教費が後回しになっている現実が浮かび上がってきます。国力が低下した国というのは、緊急性の低い分野の予算を先に削っていく傾向が顕著ですが、これは経済成長に対してボディブローのように効いてきます。このままでは近い将来、日本の研究開発はかなり厳しい状況に追い込まれるでしょう。

 教育に金をかけない国で将来に希望が持てるはずがない。希望が持てないから投資をしない、投資をしないから景気が良くならない。

 教育にさえ金をかけていれば「今はダメでも将来は良くなるかも」とおもえる。子どもの数が増えれば将来の消費も増える。

 文教費はぜったいに削っちゃいけない分野だとおもう。医療費よりもずっと大切。

 某首相が引き合いに出したことですっかりダーティーなイメージになっちゃったけど「米百俵」の精神ですよ、ほんとに。


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2023年2月27日月曜日

【読書感想文】東野 圭吾『天使の耳』 / ドライバーの頭おかしいルール

天使の耳

東野 圭吾

内容(e-honより)
深夜の交差点で衝突事故が発生。信号を無視したのはどちらの車か。死んだドライバーの妹が同乗していたが、少女は目が不自由だった。しかし、彼女は交通警察官も経験したことがないような驚くべき方法で兄の正当性を証明した。日常起こりうる交通事故がもたらす人々の運命の急転を活写した連作ミステリー。


 交通事故を題材にしたミステリー。

 読みはじめて「あれ? これ知ってるぞ?」と以前にも読んだことをおもいだした。十五年ぐらい前かな。それでもだいたいの内容は覚えていたので、当時はけっこう印象に残ったのだろう。

 今改めて読んでみて、つくづくよくできた短篇集だとおもう。

 前方不注意、あおり運転、違法駐車、車からのポイ捨て、接触事故など、違反行為ではあるが道路上では毎日のように起こっているわりと一般的な出来事をミステリに仕立てあげる技術はさすが。

 特に表題作『天使の耳』は秀逸。事故の証人となったのは盲目の少女だった。はたして彼女の証言は信用に足る証拠として扱うことができるのか……。

 緊張感のある筆運びでストーリーを運び、あっと驚く鮮やかなクライマックス。いやあ、見事だった、とおもいきや最後にもうひと展開。おお、うまい。切れ味の鋭い短篇にしあがっている。




『分離帯』『危険な若葉』『通りゃんせ』に関しては、よくできてはいるけど「いくらなんでもそこまでするかなあ」という感じだ。復讐や嫌がらせ目的でそこまで時間と労力かけるかね、という印象。

 小説だから、リアルでなくてもいい。とはいえ「ふつうはしないけど日本にひとりぐらいはこれぐらいやる人いるかも」とおもわせてくれるぐらいのギリギリのラインを攻めてほしい。この三篇に関しては、ちょっとそのラインをはみ出しているように感じる。

『鏡の中で』は逆に、わりとありそうな話。こっちは意外性がなくてケレン味に欠ける。現実離れしててもダメ、現実的すぎてもダメ、自分でも贅沢なこといってるけど。


『捨てないで』は唯一殺人がからむ本格ミステリ。殺人事件そのものは目を惹くようなトリックではないが、その推理過程にうまく交通違反をからめている。何度も書くけど、小説の名手って感じだなあ。

 さすが東野圭吾作品だけあってどの短篇も平均以上の水準を保っている。が、一篇目の『天使の耳』がいちばんよかったので右肩下がりの印象。他が悪いんじゃなくて『天使の耳』が良すぎたんだけど。構成って大事だね。




 ぼくは車の運転をしない。十年ぐらい前には仕事で使っていたけど、転職を機にやめた。車を売ってしまってそれ以来一切運転していない。

 まあ、性に合わなかったんだよね。毎日乗っていたけど、とうとう慣れなかった。事故も起こしたし。趣味はドライブです、なんて人の気持ちがまったく理解できない。ずっと緊張するんだもん。「事故って死ぬかも、誰かひき殺しちゃうかも」って毎日のようにおもいながら運転してた。

 そして車を運転していて嫌だったのはもうひとつ、「倫理観が失われること」だった。


 車を運転する人って頭おかしくなってるじゃない。

 いや、ほんと。

 ほとんどのドライバーが多かれ少なかれ違反をしている。スピード違反、違法駐停車、黄信号でも交差点に進入、一時停止を守らない、横断歩道で渡ろうとしている歩行者がいるのに止まらない。一度もやったことのないドライバーなんてまあいないだろう。

 これ、頭がおかしくなってるとしかおもえない。だってそういう人だって、ふだんは善良な市民なんだよ。毎日犯罪をする人なんてめったにいない。むかついても殴りかかったりしない、会社の金を着服したりしない、同僚が机の上に財布を置きっぱなしにしていても盗まない、行列でちょっと隙間があいてても割りこまない。そんな人がハンドルを握ると、あたりまえのように制限速度を超過し、黄信号で交差点に進入し、駐車禁止区域に駐車する、ちょっとでも車間距離があいてたら車線変更して割り込む。完全に頭おかしくなっている。

 ぼくもそうだった。「みんなやってるから」って感覚で軽微な違反行為をくりかえしていた。

 車道の上って、一般社会とは別の法意識があるんだよね。「十キロぐらいの違反は違反じゃない」みたいな謎のルールが幅を利かせている。それって「五百円円までなら盗んでもいい」みたいなわけのわからないことなのに、なぜかドライバーたちはそのルールでやっている。逆に、法定速度を守っているドライバーのほうが迷惑なやつ扱いされたりする。運転するなら〝ドライバーたちの頭おかしいルール〟に従わないといけない。


 すっかり車の運転をやめた今、『天使の耳』を読むと、あらためてドライバーたちの頭のおかしさにぞっとする。

 捕まらなければ法を破ってもいい。そんな考えの連中が大きな鉄の塊を高スピードで動かしているのか。自分もそんな頭おかしい連中のひとりだったのか。

 やっぱり車の運転なんてするもんじゃないな。


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