2022年7月12日火曜日

問題はいい店すぎたこと

 何年か前の話。

 高校の同級生M(女・独身)から連絡があり、ぼくの仕事に関係して相談したいことがあるから会えないか、とのことだった。

 平日夜しか都合がつけられなかったので夕食でもいっしょにどうかとおもったが、こちらは既婚者。男女ふたりでディナーとなるとつまらぬ誤解を招くかもしれない。そこで共通の友人T(男)を誘って三人で食事をすることになった。

 Mが「わたしいいお店知ってるから予約しとくね!」と言うので店選びは任せた。ここまではいい。


 当日。駅でMとTと待ち合わせをして、Mの予約した店まで歩いた。到着して驚いた。「えっ、ここ……」

 悪い店ではない。いや、むしろいい店だった。問題は、いい店すぎたことだ。


 夫婦でやっているらしい小さなフレンチのお店。インテリアやメニューなど細部までこだわりが見える。

 メニューを開くと、はたしていちばん安いコースでも七千円する。ビール一杯八百円以上だ。

 Mはうれしそうに「この店のご主人と知り合いで、すっごくおいしいから」と語る。

 ぼくは内心「そりゃあおいしいでしょうね。七千円もするんですから……」と困惑していた。ちらりと隣のTを見ると、やはり困惑しきった顔をこちらに向けてきた。

「なんでこんな高い店……」彼の眼がそう語っていた。


 結局、なんやかんやでひとり一万円近い会計になった。

 店を出た後、帰る方向が別だったMと別れ、ぼくとTは「高かったな……」「ああ……」とつぶやきながら歩いた。


 そりゃあぼくだってフレンチの店ぐらいは行ったことがある。ひとり一万円を超えるコースを頼んだことだって(数えるほどだけど)ある。

 でもそれは、交際している彼女の誕生日とか、妻との結婚記念日とか、両親の銀婚式祝いとか、いってみれば特別な日の食事だった。

 ぼくとTが仕事の後に飲みに行くとしたら、ビール一杯三百円の店しか選ばない。

 しゃれたフレンチの店に行けばおいしい料理を食べられる。そんなことはわかっている。でもそれは友人と仕事帰りに行く店ではない。

 そりゃあMは独身だし、実家暮らしだから金に余裕はあるのだろう。とはいえふつうの会社員。ぼくらと桁がちがうほどの差はないはずだ。


 聞くところによると、女性は女同士の食事でもけっこう値の張るものを食べにいくものらしい。

 考えられない。男同士で古い友人と食事に行くとなったら、昼飯(ランチじゃなくて昼飯)で千円まで、晩飯と酒を入れてもせいぜい五千円ぐらいにおさめる。べつにおさめるつもりはなくても、自然とおさまる。だってそんなに高い店に行かないんだから。

 男女の食事に対する金銭感覚の差をまざまざと見せつけられた。高校の同級生(恋愛に発展しようがない相手)との食事で一万円出せるのか。

 ときどき「デートでファミレスはありかなしか」なんてテーマがネット上で話題になるが、友人との食事に一万円出す人からすると、そりゃあデートでファミレスに連れていかれたら別れるだろうな。


「女ってこわいな……」

 ぼくとTは駅までの道を歩きながらがっくりと肩を落としたのだった。



2022年7月11日月曜日

【読書感想文】村上 龍『「わたしは甘えているのでしょうか?」 〈27歳・OL〉』/ 悩みはつまり「めんどくさい」

「わたしは甘えているのでしょうか?」
〈27歳・OL〉

村上 龍

内容(e-honより)
「やりがいのある仕事についた友人に嫉妬する私をどう思いますか」「彼氏いない歴3年の26歳。将来が不安なのです」「同じように1万円使うなら、何に使えば『自分磨き』に有効ですか」―生活費、職場での人間関係、就職や転職などの若い女性の「バカバカしくも切実な悩み」に村上龍が全力で向き合った、希望と出合うヒントに満ちたQ&A集。

 若い女性からの悩みに村上龍氏が答えるという人生相談。

 村上龍氏に悩みを相談するってどうなんだ。いや小説家としては好きだけど。ふつうの人とはいろいろと感覚ずれてるような気がするぞ。会社勤めもしたことないし。でもそこがいいのかな。

 まあどっちにしろ、会ったこともない人に人生相談をする人の気持ちはぼくにはわからんけどね。




 仕事を続けていくべきか不安だ、という悩みに対する回答。

 本当はわかっているんです。彼女が何をしたいのか、僕にはわからないけれど、本人にはわかっている。でもそれを自覚するのが怖かったり、面倒だったりするから、おっくうになっている。
 やりたいことがはっきりしたら、そのためにすべきことは決まってしまいます。行動を起こさなければならないわけです。それりも曖昧な不安の中にいるほうが、ずっと居心地がいい。
 自分の人生について、いろいろな思いがある中から何かひとつを選ぶというのは、大げさに言えば人間の自由です。自由というのは面倒くさい。むしろ自由を取り上げて、「ああしろ、こうしろ」と指示されるほうがラクな場合だってあります。
 昔から人生相談というのはそういうものなのですが、こういう相談を誰かにするということは、どこかで「悪くない会社だから我慢しなさい」とか、「思い切って転職してみたら」とか、言われることを望んでいるんだと思います。そうすれば自分で考えなくてすむからです。でも、「自分は何がしたいのか」がわからない限り、何のアドバイスもできないんです。

 ずいぶん身もふたもない話で、「それを言っちゃあ人生相談が成立しないんじゃないの」と言いたくなるけど、こういうことを言っちゃうのが村上龍らしいというか。

 まあみんなそうだよね。相談した時点で、求めている答えはすでにある。表題の「わたしは甘えているのでしょうか?」は「そんなことないですよ」と言ってほしいだけなんだろうしね。

「今の仕事を続けていていいのか」と悩むってことは、「このままじゃたぶんよくない」ことは本人もわかってるんだろう。

 だったらさっさと転職活動をするなり独立するなり資格をとるなりすればいいんだけど、めんどくさいし今より悪くなる可能性もある。だから悩み相談をする。何かをやった気になるために。今より良くなるかどうかなんて自分自身でもわからないのに、会ったこともない人にわかるわけがない。


 人間にとって「めんどくさい」って気持ちは相当大きなものだとおもう。ほとんどの悩みは「めんどくさい」に帰結するんじゃないだろうか。転職するのはめんどくさい、離婚するのはめんどくさそう、嫌な人に注意したらめんどくさいことになるかもしれない……。




「サラリーマンと、年下のフリーター。どちらとつき合うのが有利でしょう。親からは、本当に好きな男性と結婚しなさいと言われています。」
という悩みに対する回答。

この人は2人の中から好きなほうを選べる立場なんだと思っているようですが、本当にそうなんですかね。どちらにしようか迷っているということは、どちらもそんなに魅力がないということじゃないですか。どうしようもない男を2人も抱えてしまっているという視点も必要なんじゃないでしょうか。

 はっはっは。痛快!

 たしかになあ。コメディみたいに、二人の男が花束を抱えて「ぼくと結婚してください!」と言ってきたのならともかく、現実は単に二股かけているだけ。なぜ二股をかけるかといったら、どっちも最高の相手じゃないからだろう。

 こっちが二股をかけているように、相手のほうだって本気かどうかわからない。案外、二人とも「おまえとは身体の関係なだけで結婚とかは考えられないから」みたいな気持ちかもしれないよね。




 わりとドライというか、突き放すような回答が多い一方で、やっぱり村上龍もひとりのおっさんなのねえとおもう回答も。

 社長の親戚でコネ入社した上司からのパワハラに悩まされているという質問に対して。

 怒鳴るのも一種の暴力で、特定の人をターゲットにして、延々と怒鳴るのだったら、それは間違いなく暴力だから、訴えたほうがいいと思います。あまりにもそのストレスが大きくて仕事にならないなら、同僚と話し合って対策を考える、とか。いまは労働組合も力がないから、やり方はむずかしいかもしれないけど、黙って辞めることはないと思いますよ。
 そこまで深刻ではなくて、動物園のトラみたいに、ただグルグル回りながらワァワア言ってるだけだったら、「また始まった」と思って嵐が過ぎ去るのを待つ、という解決が現実的です。「どうせこいつはバカなんだから」と思って、やりすごすことができればいいんですけどね。
 上司は元開発部門? エンジニアなのかな。好意的に考えれば、ずっと理科系でやってきて、畑違いのセクションに回されて、イライラしてるのかもしれない。彼の得意分野のことでも質問してみたらどうですか。
 要は、プライドをくすぐってあげるわけですが、男は案外単純だから、いい改善があるかもしれませんよ。

 いくらなんでもこの回答はないだろう。

 パワハラには耐えなさい、そのつらさを軽減できるよう自分をごまかしなさい。これでは「奴隷の処世術」だ。

 こういう回答を聞いても何にもよくならないでしょう。「奴隷には奴隷の楽しさがあるからがんばってそれを探しましょう」って言われても。

 現実問題として上司が変わることはないだろうし、社長のコネで入社したんなら社内で解決するのはまず無理だろうし。録音して裁判して……とかいう道もないではないけど、それをして居心地のいい職場になるとはおもえないし。そもそもそんなことできる人なら相談してないだろうし。

 でも、「さっさと転職しなさい」ぐらいは言ってあげるべきじゃないのかね。「強者」である中高年男性の回答だなあ。




 あまりテレビや雑誌にヒョコヒョコでてくる人は信用しないほうがいい。本当にハッピーで充実していたら、べつにでる必要はないですから。これは偏見かもしれないけど、タレントでもないのにテレビにでる人って、すごく変な感じがするんです。
 ある意味で自分のプライバシーを売っているわけだから、基本的に寂しい人なんです。そういう人に影響を受けるのはよくないと思う。

『カンブリア宮殿』に出ていて、「作家としてはメディアによく出るほう」の村上龍がそれを言うかというのはおいといて……。


 ぼくには姉がいる。弟のぼくが言うのもなんだけど、すごく充実した人生を送ってる人なんだよね。明るくて、友だちが多くて、家庭円満で(たぶん)、仕事も大好きで、資格取ってどんどんキャリアアップしていて、地域の行事とかにも積極的に参加していて、家事も楽しんでいて、遊びにも出かけていて……とほんとにキラキラした人生を送っている人だ。ぼくとはぜんぜんちがう。

 で、その姉はSNSをやっていない。いやmixiもFacebookもやっていてぼくにも友だち申請が来たけど、まあ絵に描いたような三日坊主でまったくログインしていない(その証拠にこないだFacebookのアカウントを乗っ取られてサングラスの宣伝とかしてたのに本人は気づいてなかった)。あまりパソコンやスマホを使っていないらしい。仕事の連絡とか写真を撮るとかぐらい。

 何が言いたいかっていうと、ほんとに人生充実してる人ってのは、TwitterやInstagramやFacebookでたくさん発信してフォロワーいっぱいいる人じゃなくて、そもそもSNSをやっていない人なんだとおもうんだよね。人生が忙しくて楽しくてSNSをやる暇もないし、やる理由もない。「いいね」を集めなくても、仕事や家族や友だちや地域の人とのつながりで承認欲求が満たされるから。




 読む前は「なんで村上龍に人生相談するんだろう」とおもったけど、読み終わった後はもっと「なんで村上龍に人生相談するんだろう」とおもった

 ほんと、冷たいんだもん。「まあそんなもんですよね」ぐらいで済ませてまともに答えてないのも多いし、答えてるやつにしても「これは質問者が望んでいた答えじゃないんだろうな」と感じるようなものも多い。

 親身になっていない、それどころか親身になっているフリすらしていない。そこがある意味誠実と言えば誠実なんだけど。

 ぼくだったら、仮に人生相談したくなったとしてもこの人には相談しないなあ。鴻上尚史さんのほうがいいな。


【関連記事】

【読書感想文】一歩だけ踏みだす方法 / 鴻上 尚史『鴻上尚史のほがらか人生相談』

【読書感想文】老人の衰え、日本の衰え / 村上 龍『55歳からのハローライフ』



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2022年7月7日木曜日

わからないことが多い人

 賢い人とそうでない人の差は「わからないことが多いかどうか」だとおもう。

 むろん、「わからないことが多い人」が賢い人だ。


 考えることが苦手な人は「わからない」を遠ざける。

  • そもそもわからないものには近づかない
  • 勝手な解釈でわかった気になる
  • 「わかりやすい」説明をしてくれる人の言うことを信じる

 こんなやりかたで、わからないものを視界の外に置く。むりやり「わかった」箱に片づけてしまう。


 考えることに慣れている人は、わからないを忌避しない。そりゃあ誰だってわからないのは嫌だ。わからないよりわかったほうがいい。でも、ちゃんとわからないものを「わからない」箱にしまっておく。

 そうすると、いつかわかる日が来るかもしれないし、少なくとも「わかった気になる」ことだけは避けられるようになる。


 賢い人の話や本には「これはまだわかりません」「~という説が有力ですが他の説もあります」「ここまではわかっています」といった言い回しがよく出てくる。

 どこまでがわかっていてどこからがわからないか。その間に線を引けることこそが知性なのかもしれない。


 人間は本質的に「どっちつかずの状態」が嫌いなんだとおもう。だから白黒つけたがる。

 原発再稼働は是か非か。減税は是か非か。政権交代は是か非か。

 こういう賛否両論ある問題に、賛成あるいは反対の声を躊躇なくあげられる人をぼくはあまり信用しない。

 世の中はあまり単純にできていない。もちろん、絶対的にダメなものはある。「原発を動かしてメンテナンスはやめよう」なんてのは100%ダメだ。でも絶対的にいい案はない。どの案にも一長一短あるし、どうしたって不確実な部分は残る。

 だから「いい面もあるし悪い面もあるしよくわかんないけど、今のところはこっちのほうがいいんじゃないかな」あたりが知的に誠実な態度だ。

「絶対にこっちが正しい! 反対するやつはバカ!」という態度こそがバカだ。


 幼児なんだよね。何にでも答えを知りたがるって。

 空はどうして青いの? という問いに対してたったひとつの答えが得られるとおもっている。

 そりゃあ光の屈折とか光の波長とか人間の眼の構造とかいろいろあるんだろうけど(ぼくはよく知らないからそれっぽいことを並べてるだけだ)、「それはなぜ?」「それはどうして?」をつきつめていけば、最後は「わからない」にたどりつく。きっと詳しい人ほど「究極的にはわからない」になる。

 ありとあらゆることが「〇〇は××だから!」で済むとおもっているのは、五歳児だけだ。そう、『チコちゃんに叱られる』がああいう番組になっているのは制作陣は全員五歳児並みの知性しかないからだ。自分たちでそう言ってるし。



2022年7月6日水曜日

いちぶんがく その14

ルール


■ 本の中から一文だけを抜き出す

■ 一文だけでも味わい深い文を選出。




「庶民というのは、一度御馳走を出してもらうと、いつでも出してもらえると思い込み、出てこないと文句をいうものだ」。

(東野 圭吾『マスカレード・ホテル』より)





そのため、国を問わず時代を問わず、集団の指導者は、その集団が失敗したときには、外国人つまり「敵」にたいする憎しみをあおることによって集団の凝集性を高めようとするのがつねである。

(M・スコット・ペック(著) 森 英明(訳)『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』より)





人間以外はこれまでどおりの世界。

(小林 賢太郎『こばなしけんたろう』より)




昔の生物は死ななかった。

(更科 功『残酷な進化論 なぜ私たちは「不完全」なのか』より)




あたしゃこんな悪魔みたいな男、知りませんよ。

(渡辺 容子『左手に告げるなかれ』より)




関西人なら「ごっつ簡単でんな!」というところでしょう。

(藤岡 換太郎『山はどうしてできるのか ダイナミックな地球科学入門』より)




だいたいチビだし、威圧的じゃないし、声だってソフトだし、怒鳴ったりしないし。

(上野 千鶴子『女の子はどう生きるか 教えて、上野先生!』より)




「ここの留置場は、わりと寝心地がいいっていう話だから」

(東野 圭吾『マスカレード・イブ』より)




自分がこんなに苦労しているのだから、はたらかない人間も同じように苦労をすべきだ。

(井手 英策『幸福の増税論 財政はだれのために』より)




「興味を惹くものがあって、どう扱っていいかわからない場合、殺してしまう」

(花村 萬月『笑う山崎』より)





 その他のいちぶんがく


2022年7月5日火曜日

【読書感想文】廣末 登『ヤクザになる理由』 / 暴力団員はルールを守りたい

ヤクザになる理由

廣末 登

内容(e-honより)
グレない人。グレたが更生した人。グレ続けてヤクザになった人。人生の分岐点はどこにあるのだろうか。元組員たちの証言から、その人生を丹念に辿り、家庭、学校、仲間、地域、個人的資質等が与える影響を浮かび上がらせる。自身、グレていた過去を持つ新進の犯罪社会学者による入魂の書。


 ぼくはヤクザではないし、ヤクザだったこともない、ヤクザの知り合いもいない(ぼくが知らないだけであの人やあの人がほんとはヤクザなのかもしれないが、こわいので考えないことにしている)。

 なので、ヤクザだとか暴力団なんていうのはまるっきりフィクションの中の話だ。魔法使いとか宇宙警察とかと同じようなものだ。

 でも魔法使いや宇宙警察とちがって、ヤクザは実在するらしい。魔法使いや宇宙警察もぼくが見たことないだけで実在するのかもしれないが(科学的態度)。

 溝口 敦・鈴木 智彦『教養としてのヤクザ』によると、今どきのヤクザはやれ拳銃だやれ博打だやれ覚醒剤だという感じではなく(そういうとこもないではないのだろうが)タピオカや精肉や漁業や原発などさまざまな産業に入りこんで稼ぎを上げているらしい。そうなると、ぼくらも間接的にヤクザとかかわっていることになる。我々がスーパーで買う肉や魚が、ヤクザの利益になっているかもしれないわけだ。


 そんな〝誰もが存在は知っているけど実態はよく知らない〟ヤクザの入口について書かれた本。

 多くのヤクザとつながりのある筆者が実際に見聞きした話をもとに、どういう人がどういう流れを経て、ヤクザになるのかについて書かれている。




 結論から言うと、「ヤクザになる理由」は意外性のないものだった。両親不在、貧困、ヤクザの多い地域などの悪環境で育った子どもが学業ができず中学生頃から学校(他生徒というより教員や授業)になじめず、非行グループを作って窃盗や喫煙やシンナーなどをおこない、その中でも特に悪いやつが先輩から声をかけられてヤクザになる……。

「うん、でしょうね」と言いたくなるようなコースだ。「だいたい想像していた通り」だ。もちろん例外はいろいろあるんだろうけど……。


 あくまで傾向の話ではあるが、グレる理由としては「子どもの頃の環境」が大きいそうだ。

 中でも重要なのは、家庭環境だ。

 暴力団研究の第一人者である元科学警察研究所防犯少年部長の星野周弘は、家族の放置や貧困といった現象のことを「家庭内の病理現象」と捉え、次のような指摘をしています(『社会病理学概論』学文社 一九九九年)。
 まず、核家族化が進むと、家庭内に生産力のある人が少なくなる。そのため世帯の経済的負担や構成員の家事の負担が増す。祖父母のような人生経験が豊かな人がおらず、母親が孤立することで育児ノイローゼを誘発しやすくなる。さらに少子化ゆえの過保護が発生することが多く、子どものしつけの怠慢を生みやすくなる。また、単親家庭では貧困やしつけの不足、お手本となるきょうだいや大人(役割モデル)の欠如が生む社会化不全、愛情飢餓といった問題が生じやすい―これが星野の主張です。
 核家族の場合、親の一人が仕事や病気などの事情で家庭から長期間いなくなると、単親と子供だけの家族になってしまいますが、そうなるとさまざまな問題が生じやすい、というわけです。

 もちろんひとり親世帯で道を踏み誤ることなくまっとうに育っている子も多いことは当然のこととして……。

 自分が親になってわかるのは、子育てに重要なのは「マンパワー」だということだ。経済力とか親の学力とか教育熱心さとかは些細なことだ。「親が子どものために使える時間」はすごく大事だ。

 ぼくは、毎晩子どもに絵本を読み、風呂や食事の席で子どもの話を聞きだしたり質問に答えたりしている。勉強のわからないところは教えてやり、宿題をちゃんとやっているかをときどきチェックしている。週末には公園や図書館に連れていって、いっしょに遊んだり身体の動かし方を教えたりしている。家でテーブルゲームをしたりパズルを教えたりもしている。ぼくの親がやってくれたように。

 それができるのは、ぼくに時間的余裕があるからだ。ぼくが子どもを見ている間の家事は妻がやってくれるし、ぼくの仕事は残業がほとんどない。土日祝も休めるし夜勤もない。

 でも、ワンオペで家事・育児をしなくちゃいけなかったり、長時間労働や単身赴任を強いられていたら、とてもそんな余裕はないだろう。仕事をして、子どもに飯を食わせて風呂に入れて寝かせるだけでせいいっぱいだ。

 ちゃんと勉強できているかを確認する、できていなければつきっきりで教えてあげる、なんなら自分が率先して勉強している姿を見せてやる。そんなことができるのは時間に余裕がある親だけだ。たとえ教育熱心で、親自身の学力が高かったとしても、時間がなければ不可能だ。

 いやあ。親をやってみてわかったけど、学校教育ってめちゃくちゃありがたいなあ。そこそこの教養のある親なら、学校で教えているようなことの大半は家庭でも教えられるだろう。無限の時間があれば。でも無限の時間はない。代わりに学校がやってくれる。しかも無償で。ありがてえ。

 



 ですから、再度強調しておきたいのは、有機的に縒り合わせられたロープの始点は社会的な要因であるということです。
 つまり家庭の機能不全です。子供は生まれてくる家庭を選ぶことはできない以上、その意味でこれは運命的な要因ともいえるのではないでしょうか。個人は、その運命的、不可避な要因としての家庭の質、そして、そのような家庭で不完全に社会化された結果、帰属を余儀無くされた社会集団、そこにおける社会的価値観への適応等々の諸要因が結節して、暴力団加入に導かれるのです。

 このブログにも何度か書いているけど、ぼくは「子育ては家庭でやるべきじゃない」とおもっている。いや、家庭でやるのはいいんだけど、もっとアウトソーシングした方がいいとおもう。幸か不幸か、少子化で子どもの数は減っているわけだし。

 経済的にも時間的にも余裕があって熱意もある親は子育てしたらいいけど、「子育ては親がやるもの」という考えは捨てたらいいとおもう。

 料理といっしょ。やりたい人は家でやればいい。でも無理にやらなくてもいい。すべて外食や中食で済ませたっていい。子どもの面倒も誰かが見ればいい。公立小学校で寄宿舎制度をつくったっていいんじゃないだろうか。で、気楽に利用したらいい。「平日は寄宿舎に行かせる」とか「寝るときだけ家に帰るけど食事は寄宿舎で済ませる」とか「親が夜勤のある日だけ寄宿舎に行かせる」とか。学童保育みたいなもんだね。

 こういうこと言うと、「子どもがかわいそう」なんてことを言う輩が出てくるんだけどね。でも、どうしようもない親のもとに生まれ育つほうがよっぽどかわいそうでしょ。『ヤクザになる理由』に出てくる元ヤクザたちも、そのほとんどは別の家庭に生まれてたらヤクザにならなかっただろうよ。

 そもそも親だけで子育てをしていた時代なんて、せいぜいここ数十年ぐらい。親以外の人も含めて子育てをしていた時代のほうが圧倒的に長い。「子育ては親がやるもの」という考えはそろそろ社会全体で捨てないといけないとおもっている。


 うちの子らは一歳から保育園に通っていた。平日は家で親と過ごす時間よりも保育園にいる時間のほうが長かった。

 これだって「ちっちゃい子はおかあさんといっしょにいないと」教の信者からするとかわいそうだとおもうんだろう。でもぼくは保育園に入れてつくづくよかったとおもう。親自身が助かっているのももちろんあるが、子ども自身のためにも。集団で暮らすほうが学べることは圧倒的に多い。子育てド素人の親よりも、プロの保育士のほうがぜったいにしつけはうまいわけだし。

 仮にぼくが働かなくても食っていけるぐらいの大金持ちだったとしても、やっぱり子どもは保育園に預けたい(働いてなかったら預かってくれないだろうけど)。

 就学年齢以上向け保育園みたいなのがあってもいいとおもうよ。

 



 非行集団のメンバーたちは、通常の活動――様々なタイプの暴力や窃盗(ギャングファイト、自動車窃盗、コソドロ、万引き、カツアゲ等々)――が法に違反することを知っています。彼らは精神病質でも、身体的、精神的欠陥を有しているわけでもありません。正気で違法行為を繰り返しているのです。
 非行集団は、独自の基準を定め、メンバーはそれを支持し、共有し、実行することが求められます。メンバーであり続けるには、高度の適合性と個人的能力が必要です。ゆえに、若者ギャングは、近隣のコミュニティ・メンバーの中から、最も「有能」な若者を勧誘する傾向が認められるのです。
 一般社会からは、無軌道、無秩序に見える非行集団ですが、ミラーはそうではない、と主張しているわけです。非行集団が犯罪を遂行するにあたっては、グループの基準や下層階級のモノサシにかなっていることが前提であり、集団内で評価されない行為は避けられるのです。

 暴力団や暴走族について、ふしぎにおもっていたことがある。

 社会のルールを守りたくない人が集まる組織なのに、どんな組織よりも厳しい掟があり、それに従っているのはどうしてだろう? と。

 暴力団や暴走族に入ったことはないけど、聞くかぎりではとにかく厳しい世界らしい。ボスや先輩の言うことには口答えしちゃいけないとか、集まりにはぜったいに参加しなきゃいけないとか、朝から晩まで拘束されるとか。

 どう考えたって、学校や会社のほうが楽だ。教師や上司に多少生意気な口を聞いたって殴られたりはしないし。拘束される時間も短いし。理不尽な目に遭ったら警察や労基署に駆け込むという道もある。暴力団だったらそういうわけにもいかないだろう。

「ルールを守らなくちゃいけない」のも「イヤなやつに頭を下げなくちゃいけない」のも「自分を押し殺さなくちゃいけない」のも、学校や会社よりも暴力団のほうがずっと厳しい。

「社会のルールを守りたくないから行き当たりばったりの犯罪に手を染める」ならまだわかるけど、「社会のルールを守りたくないからもっと厳しい掟に支配される世界に入る」ってのは理解できない。


 でも、この本を読んで少しだけ理解できた気がする。

 著者は、こう書いている。

一般社会において自尊心の低下を経験した者が、新たな帰属集団において自尊心の回復を希求するとき、暴力団に加入する傾向がある

 結局、学校や会社とは別のつながりを求めているんだろうね。ひとりはイヤだから組織には属したい。でも学業で評価される世界では勝てる気がしない。だから別の土俵を求めて暴力団に所属する。そこなら勉強ができなくても出世できるチャンスがあるから。

 暴力団に入る人というのは、すごく上昇志向が強いんだとおもう。そうじゃなかったらわざわざ厳しい世界に身を置かないもの。サラリーマンやフリーターのほうがずっと楽だもん。学校や一般企業では勝てない。でも勝ちたい。だから、少しでもチャンスのある世界に行く。

 暴力団に入るためのそもそもの動機は「野球選手になりたい」「芸術家になりたい」「芸能人としてスターになりたい」ってのとそんなに変わらないんだろうね(だから野球選手や芸能人がヤクザとつながりやすいのかも)。


 だからさ。

 勉強以外にも、学校に「音楽コース」とか「芸人コース」とか「漫画家コース」とか「YouTuberコース」とか上を目指すための道がいろいろあれば、〝新たな帰属集団において自尊心の回復を希求〟が満たされて暴力団に入る人が減るかもね。

 いや、SNSなどで帰属集団を作りやすくなったことで、既にそうなっているのかもしれない。


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