2022年2月22日火曜日

【読書感想文】奥山 真司『地政学 サクッとわかるビジネス教養』

地政学

サクッとわかるビジネス教養

奥山 真司

内容(e-honより)
新型コロナウイルス後、中国がより台頭する!?イギリスにとってEU離脱がチャンスな理由。アメリカにとって超重要な沖縄基地。本当の世界情勢がわかる!防衛のプロへも指南、地政学の第一人者が伝授!


 これまでに何冊か地政学の本を読んだことがあったので、この本に書いてあることはほとんど過去に読んだことのあるものだった。

 図解多めで、文章少なくて、入門の入門といったところ。一冊でも地政学の本を読んだことのある人には読むところが少ないだろう。

 しかも中盤以降は地政学あんまり関係なく、現在の世界情勢を浅ーく説明しただけ。

「サクッとわかる」というより「ザックリとしかわからない」のほうが近い。


 地政学ってすごくおもしろい学問だとはおもうけど、なーんか後付け感が拭えないんだよね。
 何冊か本を読んだけど「〇〇も〇〇も〇〇も地理的要因によるものです。地政学で全部説明できるんです」と解説されると「なるほど」とおもうのだが、同時に「後からなんとでも言えるよな」ともおもう。「リーマンショックも東日本大震災も私には前々からわかっていました」って言う教祖様とおんなじでさ。

 全部説明できるんなら、これから起こることを全部説明してくれよ。

 ジョージ・フリードマン『100年予測』は、地政学を使って果敢にも未来予測に挑戦していた。全部説明できるというのであれば、そんな勇気を見せてほしい(フリードマンの予測は今のとこあたってないけど)。




 新たになるほど、とおもったのは、

「新型コロナウイルスの流行により、グローバリズムの流れにストップがかかるので、すると、シーパワー(海洋の力が強い)国家は大きなダメージを受け、ランドパワーの国であり国内経済規模も大きい中国が有利になる」

「日本と韓国がそこそこ良好な関係を築いている現在は例外的な時代」

といったことぐらい。

「地政学って何? ぼ、ぼ、ぼくにはよくわからないんだなあ」という人以外にはあんまりおすすめしない本でした。


【関連記事】

【読書感想文】茂木 誠 『世界史で学べ! 地政学』

【読書感想文】 ジョージ・フリードマン『続・100年予測』



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2022年2月21日月曜日

【読書感想文】橘 玲『不愉快なことには理由がある』

不愉快なことには理由がある

橘 玲

内容(e-honより)
科学が急速に発展した今、残っているのは問題解決が新たな問題を生む、やっかいなことばかり。民主主義、愛国心、お金、家族や恋愛…。これらの“不愉快な出来事”を、「現代の進化論」をもとに読み解こうと思い立った著者。AKB48で政治を考え、『ONE PIECE』でフランス革命を論じる―意外な物事と結びつけ世の中を斬る。「週刊プレイボーイ」の好評連載をまとめたスリリングな社会批評集。


 某レビューサイトでこの本のレビューを見たところ、
「すごい! 目からウロコだ! マスコミが伝えない『不都合な真実』を教えてくれる!」的なレビューを書いている人がいた。心配だ。

 いやいや、この本に書かれてることは与太話ですよ。たぶん著者ですら本気で信じてるわけじゃないですよ。

 もちろんパーツパーツで見れば書いてあることほとんど正しいんだけど(というかいろんな本からのつまみ食い)、論理的にはずいぶん飛躍がある。

「行動生物学で見ると人間には〇〇のときには××をしがちな習性がある」が正しくても、「××が起こったのは〇〇によるものだ」が真実とは限りませんよ。

 著者はすごく賢い人だから、その論旨が乱暴なことは百も承知だろう。でも、言い切った方がおもしろいから言い切っている。この事象の原因は〇〇だ、と。
 そこをわかった上で「はっはっは。おもろい意見ですなあ」と話半分に受け取るのが、この本の正しい読み方だ。落語家の過激な意見と同じ。

 与太話なんだから、「目からウロコだ!」的な読み方をしちゃだめだよ。




 論旨は乱暴だけど、いや乱暴だから、話はおもしろい。おもしろすぎる話には要注意だ。すっと腑に落ちる話はたいていうそだ。

 いろんな本のおいしいところどりをしてくれているので、てっとりばやくいろんな研究や学説を知れて楽しい。

 私たちの抱える生きづらさを、進化心理学は、石器時代の脳が現代文明に適応できないからだと説明します。
 石器時代のひとびとが幸福だったかどうかはわかりませんが、アフリカのマサイ族の人生の満足度を調べると、城のような豪邸やプライベートジェットなど、望むものすべてを手に入れたアメリカの大富豪とほとんど変わらないことがわかっています。
 石器時代人は狩猟と採集で食料を得ながら、家族(血族)を中心とする数十人のグループ(共同体)で暮らしていました。彼らにとっては共同体に帰属していることが生き術で、仲間から排除されれば死が待っているだけです。このような環境が400万年もつづけば、利己的な遺伝子のプログラムは、家族や仲間と共にいることで幸福を感じ、共同体から排除されることを恐れるように進化していくはずです。
 それに対して、古代エジプトやメソポタミアに文明が発祥して貨幣が使われるようになってから、まだわずか5000年しか経っていません。私たちはもともと、貨幣の多寡と幸福感が直結するようにはできていないのです。

 金持ちになっても人間はあまり幸福にはなれない。これはほんとそうだとおもう。

 ただ、それが〝遺伝子のプログラム〟によるものかというと眉唾だ。だって「貨幣を使うようになってからの歴史が浅いから」と言いだすのなら、じゃあなんで人は必死に金儲けをするのか、ときには他人をだましたり殺したりしてでも貨幣を求めるのか、とか説明できなくない? 都合のいいところだけ〝遺伝子のプログラム〟のせいにしちゃうのはずるいなあ。

「貨幣を使うようになってからの歴史が浅いことが、貨幣を貯めても幸福になれない原因だ」がほんとうなら、「穀物や肉をたっぷり蓄えたら幸福になれる」ってことになるよね? 人類は誕生してからずっと食物を求めてきたんだから。
 でもたぶん、食物を蓄えるだけでも幸福にはなれない。

 つまり著者のこの説明はたぶんウソだ。

「金持ちになったからといって必ずしも幸福にはなれない(A)」は真実だし「人類が貨幣を使うようになってからの歴史はまだ浅い(B)」も真実だが、「(A)の理由は(B)だ」はウソだ。




 多数決の話。 

 ここで、典型的な農耕社会を考えてみましょう。私の土地の隣にはあなたの土地があり、この物理的な位置関係は(戦争や内乱がないかぎり)未来永劫変わりません。あなたは生まれたときから私の隣人で、二人が死んだ後も、私の子孫とあなたの子孫は隣人同士です。
 農村では、灌漑や稲刈り、祭りなど、村人が共同で行なうことがたくさんあります。そんなとき、一部のひとだけが損失を被るような「決断」をすると、それ以降、彼らはいっさいの協力を拒むでしょう。これでは、村が壊れてしまいます。
 このことから、土地にしばりつけられた社会では、「全員一致」以外の意思決定は不可能だということがわかります。もちろんときには、誰かに泣いてもらわなければならないこともあるでしょうが、そんなときは、村長(長老)が、この借りは必ず返すと約束することで納得させたのです。

(中略)

 それでは、多数決による決断はどのようなときに可能になるのでしょうか。
 もっとも重要なのは、意に沿わない決定を下された少数派が自由に退出できることです。農耕(ムラ)社会では土地を失えば死ぬしかありませんから、そもそもこの選択肢が存在しません。
 古代ギリシアは、地中海沿岸の地形が複雑で、共同体(ポリス)は山や海で分断され、ひとびとは交易で暮らしを立てていました。ポリスを移動することも比較的自由で、文化や習慣、言語が異なるひとたちとの交流も当たり前でした。弁論によって相手を説得し、最後は多数決で決断するきわめて特殊な文化は、このような環境から生まれたので す。

 そうだよなあ。多数決って、少数派を多数派が数の力でねじふせるってことだから根本的に「恨みを残す」制度だ。おまけに決断者がいないので無責任な制度でもある。

 だから重要なことを決めるのに多数決はなじまない。「今日の昼めしどうする?」レベルの話なら遺恨は残さないだろうが、「新居をどこに建てる?」「甲子園予選の先発投手誰にする?」みたいな重要なことを多数決で決める家族やチームはないだろう。あれば、きっとすぐに離脱者が出て組織は崩壊する。

 もう一度書くが、多数決は重要なことを決めるのに適当な手段ではない。

 じゃあなぜ国政選挙や生徒会選挙で多数決が使われるかというと「てっとりばやい手段」だからだ。
 多数決はぜんぜん公平でもないし民主主義的でもないし遺恨は残すし責任の所在があいまいになるし悪いことだらけだけど、「有限の時間でてっとりばやく決められる」という理由があるから便宜的に採用されているだけだ。じゃんけんやあみだくじで決めるのと大差はない。
 満場一致になるまで全国民が話し合ってたら寿命が何年あっても足りないから多数決をとっているにすぎない。

 それはそれでしかたないんだけど、問題は、多数決はとりあえず採用している欠陥だらけの方法だということを忘れて「多数決で決めたんだから文句言うな」なんてことを言いだす輩が現れることだ。

 そんなに多数決がいいとおもうのなら、「自分が誤認逮捕されたとして、裁判員の多数決だけで有罪になったら納得いくか」を想像してみたらいい。わかったか、二度と「選挙の結果に文句言うな」なんて口にするんじゃねえぞ。「選挙をやりなおせ」は乱暴だが「選挙結果は民意の反映ではない」はれっきとした事実だ。




 アメリカの企業経営者(CEO)の大多数が白人男性であることはよく知られていますが、じつは彼らの多くは長身でもあります。アメリカ人男性の平均身長は175センチですが、大手企業の男性CEOの平均身長を調べると182センチでした。さらに、188センチ以上の男性はアメリカ全体で3.9%しかいないのに、CEOでは3分の1近かったのです。
 直感力はとても役に立ちますが、有効な領域は限られています。だからこそ私たちは、しばしば見栄えのいい愚か者をリーダーに選んでヒドい目にあっているのです。

 日本でも見た目がいいだけの政治家がたくさん票を集めて当選したりしているので、この傾向は万国共通だろう。

 人間のこういう性向は知っておいた方がいいね。自分たちがいかに見る目がないかを。面接や投票のときに、自分では理性的に判断を下しているようで、実は直感的な好悪で判断しているだけだということを。

 

「見栄えのいい愚か者」を信じちゃだめですよ。あと「わかりやすくておもしろすぎる話」もね。特に行動生物学を引き合いに出して社会現象を読み解くような。

 残念ながら世の中はそんなにシンプルにできてないんで。


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【読書感想文】多数決のメリットは集計が楽なことだけ / 坂井 豊貴『多数決を疑う』

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2022年2月18日金曜日

【カードゲームレビュー】ヒットマンガ

ヒットマンガ

 ルールはいたってかんたん。遊び方はかるたと同じ。読み手が札を読み、他のプレイヤーがそれを取る。

 ただ、かるたと違うのは読み札には絵(マンガのひとコマ)しか描かれていないこと。読み手は、「そのキャラクターが言いそうな一言」を考えて声に出し、他の人はその台詞から絵を逆算するのだ。

 言ってみれば、読み手は大喜利の「写真で一言」をおこない、他のプレイヤーはその回答から「お題」をあてるわけだ。


 自分が読み上げた札を誰にも取ってもらえなかった場合、読み手にペナルティがあるので、なるべく伝わりやすいセリフを考えないといけない。

 これが意外とむずかしい。というのも、似たシチュエーションの絵が何枚かあるのだ。本当のマンガだと「おまえは誰だ!」みたいな短いセリフが多いが、それだとなかなか絞れない。

 そこで、絶妙なセリフを考えることが必要になるわけだが、それだけでなく演技力も必要となる。言い方ひとつで、女性らしさ/悪役らしさ/コミカル/シリアス/哀愁などを感じさせないといけないわけだ。

 ぼくは人より羞恥心が少ない人間なので全力で「あたしはプリティーアイドル♪ みんな応援してね♡」みたいなセリフでも言えるが、これは自意識過剰な中学生ぐらいだときつそうだ。逆に、自分の殻を破るトレーニングにもなるかもしれない。表現力や想像力が鍛えられそうだ。

 なによりいいのは、ルールがめちゃくちゃかんたんなこと。誰でも20秒ぐらいでルールを理解できる。子どもでもすんなりわかる。


 ただ、マンガを読みなれていない人にはむずかしいかもしれない。

 お正月に妻の実家でやったのだが、ほとんどマンガを読まない義父はぜんぜん札をとれなかったし、読むのも下手だった(他の人に伝わらない)。

 またうちの八歳の娘も、読んでいる漫画の幅が狭い(藤子不二雄とちびまる子ちゃんとコナンぐらい)ので、〝漫画の文法〟をいまいち理解していない。この表情はこの感情を表す、この効果線はこういう状況に使われる、といった〝漫画の文法〟を知らないとむずかしいんだよね。

 とんでもなくシンプルなルールでありながら意外と奥が深い。


 直感的なルールでわいわい盛り上がれるので、初対面の人とでも楽しめそう。初対面の人とカードゲームやるってどんな状況だよ。

 欠点としては、絵が有限個しかないので同じメンバーで何度もやるゲームではないということ。
 絵を変えた続編を出してほしいな(「リニューアル版」もあるが、これは単に枚数を減らしただけらしい)。


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【ボードゲームレビュー】街コロ通

【ボードゲームレビュー】ラビリンス


2022年2月17日木曜日

ツイートまとめ 2021年10月



小室ファミリー

ワクチン

出木杉

揖保と損保

小難しい本

おれだったら

ワールドカップ

夢の森

昔話

今の人は

古本屋

最高の子孝行

プロは意外と雑に取り扱ってます

仮にも

空似

クイズ

街頭演説

リリック

小選挙区制

2022年2月16日水曜日

【読書感想文】早坂 隆『幻の甲子園 ~昭和十七年の夏 戦時下の球児たち~』

幻の甲子園

昭和十七年の夏 戦時下の球児たち

早坂 隆

内容(e-honより)
昭和十七年夏の甲子園大会は、朝日主催から文部省主催に変更。さらに、戦意高揚のため特異な戦時ルールが適用され、「選手」としてではなく「選士」として出場することを余儀なくされた。そして、大会後は「兵士」として戦場へ向かった多くの球児たちの引き裂かれた青春の虚実を描くノンフィクション大作。

 高校野球選手権大会(いわゆる「夏の甲子園」)が昭和十六~二十年の間は「戦争のため中止」となっていたことは有名な話だ。
 だが、昭和十七年に朝日新聞社主催ではなく、文部省主催で甲子園で野球の大会がおこなわれたことはあまり知られていない。ぼくはいっとき高校野球の本や雑誌を買い集めていた高校野球フリークだったが、昭和十七年大会のことは知らなかった。高校野球選手権大会ではないため、公式の記録には残っていないのだ。

 昭和十六年大会は戦火拡大のため中止(選抜大会は開催)。翌十七年大会も中止となるかとおもわれたが、「大日本学徒体育振興大会」という名前の大会がおこなわれることになり、その中の一種目として甲子園球場で野球大会が開催されることになったのだ。

 戦前からの中等野球、戦後の高校野球という長い歴史の中で、この昭和十七年の大会だけが「国」による主催である。正式名称は、本来、名乗るべき「第二十八回大会」ではなく、「第一回全国中等学校体育大会野球大会」と銘打たれた。朝日新聞社の記録は今も「昭和十六~二十年 戦争で中止」となっている。
 昭和十七年の大会が「幻の甲子園」と呼ばれる所以である。




 戦時下、さらには国の主催ということでそれまでの選手権大会とは異なる部分もあったという。

 大会前には、主催者側から「選士注意事項」なる書類が各校に配られた。それによると、打者は投手の投球をよけてはならない」とある。「突撃精神に反することはいけない」ということであった。
 さらに、選手交代も認められないとされた。ルールとして違反者への罰則規定があるわけではなかったが、先発メンバー同士が相互に守備位置を入れ替わることは認められても、ベンチの控え選手と交代することは、原則として禁ずるという制約であった。例外として、立つことができないほどの怪我をした場合は認められるが、そうでない限り、選手交代は禁止だというのである。「選手は最後まで死力を尽くして戦え」ということであった。このような規則はもちろん、従来の大会には存在しなかった「新ルール」である。

 戦時中ならではのルールだ。死力を尽くして戦え。

 この交代禁止ルールのせいで、二回戦の仙台一中ー広島商では両チームあわせて四十四の四死球、十対二十八というひどい試合になっている。気の毒に。投げている方も、守っている方も、観ている方もうんざりだっただろう。誰も得しない。

 さらに準決勝の第二試合が雨天中止になったせいで(死力尽くさないとあかんのに雨降ったら試合やめるんかい)、翌日の午前中に準決勝の再試合、勝ったチームがその日の午後に決勝戦というむちゃくちゃな日程になっている。片方だけダブルヘッダー、しかもそのチームのエースは肩を負傷したまま投げている。

 こんな無謀なことやってるんだもん、そりゃ戦争にも負けるわ。

 また、ユニフォームの英語表記なども禁止されたという。

 ちなみに、「戦時中は『ストライク』は『よし』、『ボール』は『だめ』と言いかえた」という話が教科書にも載っているのでよく知られているが、あれは職業野球(プロ野球)の話で、この昭和十七年大会ではふつうにストライク、ボールといった言葉を使っていたそうだ。




  戦争中なので、当然ながら選手たちもその周囲の人たちも野球に専念できたわけではない。

 昭和十七年、エースの離脱という危機に直面しながらも、福岡工業は地方予選を勝ち進んだ。しかし、大事な地区予選の決勝戦の前には、さらなる衝撃がチームを襲った。監督の中島のもとに、召集令状が届いたのである。
「決勝戦の時、監督は頭を丸刈りにして、大きな鞄を持ってベンチ入りしていました。決勝戦を見届けてから、そのまま入隊の準備のために故郷に帰るということでした」

 このため福岡工業は、大会本番では監督不在で戦うことになったそうだ。容赦ない。

 また、甲子園球場に来ていた観客が場内放送で徴兵されたことを告げられ、周囲の観客が拍手で見送るシーンがあったこともこの本で書かれている。




 高校野球ファンなら、戦前の甲子園には満州や朝鮮や台湾からも代表校が参加していたことを知っているだろう。
 幻の十七年大会にも台湾代表が出場していた。台湾代表・台北工。 彼らは台湾大会を勝ち抜いたが、甲子園大会に出場するかどうか、つまり本土に行くかどうかでひと悶着あったという。

 昭和十七年、東シナ海や台湾海峡、沖縄近海といった水域には、すでに米軍の潜水艦が出没している。「内台航路」も、紛れもない戦場と言えた。
 米軍は軍艦だけでなく、民間の船でも容赦なく攻撃していた。そういった状況を受けて、学校側からは、
「出場を取りやめた方がいいのではないか」
という声が上がった。校長の二瓶醇も、生徒たちから犠牲者を出すわけにはいかず、躊躇せざるを得なかった。しかし、野球部としては、容易に呑める話ではない。
「死んでも本望だ」
 部員たちは口々にそう話し合ったという。
 そこで学校側は、甲子園メンバーの十四名に対し「親の承諾書」の提出を求めることにした。万が一の時の責任の所在を、学校側から各家族へと転嫁させるためであった。学校側としても、生徒たちの思いを実現させたいという気持ちは十分にあり、そんな中で下したギリギリの判断だったと言える。

 大げさでもなんでもなく、まさに命がけの参加だ。

 しかし、「死んでも本望だ」という言葉にはむなしさを感じてしまう。もちろん選手たちは本心からそうおもっていたのだろう。死ぬ危険があっても甲子園に行きたい、と。

 2020年の選手権大会もコロナ禍のため中止になったが、あのときの選手だってほぼ全員が「感染したとしてもやりたい」とおもっただろう。

 部外者からすると「命のほうが大事だろ」とおもうけど、十代の若者からしたら「全人生を投げうってでも出場したい」なんだろう。どちらが正しいとはいえない。

 ただ、「甲子園に出られるなら死んでも本望だ」も、「特攻隊で命を捨てる」も、その気持ちはほとんど変わらないようにおもう。

 若者が「死んでも本望だ」という気持ちを持つのはしかたないが、やっぱり全力で止めるのが周囲の大人の責務じゃないかとおもう。どれだけ恨まれても。

 この本には「親の承諾書」の提出を拒んだ父親がひとりだけいたことが書かれているが、その父親こそほんとに思慮深くて勇気のある人だとおもう(まあその人も周囲に説得されて結局承諾書にサインしてしまうんだけど)。




 この本には「幻の甲子園」の後の選手たちの人生も書かれている。その後の運命はばらばらだ。出征して命を落とした人、シベリア抑留された人、無事に生還してプロ野球選手になった人。出征したおかげで命を落とした人もいれば、出征したおかげで被爆を免れた広島商の選手も出てくる。

 彼らの命運を分けたのは、才能でも努力でも意志でもない。運、それだけだ。誕生日が数日遅かった、徴兵検査のときに野球ファンだった人が便宜を図ってくれた。そんな些細なことで命を救われている。


 まさに死と隣り合わせ。そんな時代だったにもかかわらず、いや、そんな時代だったからこそ、人々は野球に打ちこんでいた。いつ死ぬかわからない。死を回避する方法などない。そういう時代にこそ娯楽は必要なのだろう。選手だけでなく観客にとっても。

 戦争と比べられるようなものではないが、コロナ禍の今の状況も当時と似ている部分がある。誰が感染するかわからない、もはや努力だけでは防ぎきれない、感染対策を理由に様々な娯楽イベントが中止になっている。

 子どもたちを観ていると、気の毒になあとおもう。
 うちの長女は小学校に入ったときからコロナ禍だったので、各種イベントは中止または縮小があたりまえ。友人宅との行き来もない。こないだ、『ちびまる子ちゃん』の家庭訪問のエピソードを観て「家庭訪問なんかあるんや」とつぶやいていた。存在すら知らないのだ。

 知らなければまだいいが、中高生や大学生はかわいそうだ。数々の楽しいイベントが中止。

 学校は勉強をする場だが、勉強だけする場ではない。命を守るのは重要だが、それと同じくらい楽しいことも大事だとおもう。

 今は「学生は我慢を強いられるのもしかたない、経済活動はストップさせるな」になっているが、本当は逆にすべきじゃないかね。「命の危険があっても遊びたい」人はいっぱいいても、「命の危険があっても仕事をしたい」人はそんなに多くないんだから。




 いい本だったけど、個人的にいらないとおもったのは試合展開の詳細。

 選手交代ができないせいでこんなプレーが生まれた、みたいな「戦時中の大会ならでは」のエピソードはおもしろいんだけど、何回にどっちの高校が送りバントで二塁までランナーを進めるも無得点に終わった、なんていう八十年前の野球の試合の内容はどうでもいいです。試合内容自体は戦時中だろうと平和な時代だろうとあんまり変わらないからね。

 「戦時中におこなわれた幻の甲子園の舞台裏」というコンセプトはすごくおもしろかったし、丁寧な取材をしていることも伝わってくるんだけどね。


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